7.昔馴染みのお屋敷で(3)
「おべんとう! つくってきた!」
「あのなぁ。アレは『つくってきた』じゃなくて『かごにいれてきた』だろ? ……って、あれ、ねぇちゃんひとりかよ」
玄関でエフィムを見送って、リジィが身支度を整えるために部屋に戻ってから、一足先に庭に出て。ぼんやりと待ち続けていたところで、まずは元気いっぱいな子供たち二人――男の子はニカトルくん、女の子はコーシャちゃんというらしい――が、ワイワイと賑やかしながら、勢いよく扉を開けて飛び出てくる。
で、私が一人、玄関脇で佇んでるのを見て疑問に思ったのだろう、ニカトルくんが首を傾げながら話しかけてくる。
「かあちゃんと、もうひとりのねぇちゃんはどこ行ったんだよ」
「イソルダさんなら、あそこでプリィと話してるわ」
生意気そうなニカトルくんの声に、少し離れた場所を指差す。その先には、並べて置かれたプランターと、それを見ながら話し込む二人。
「……花なんか見てんのかよ」
「花というよりはプランターね。二人して、土いじりの話で盛り上がってるわ」
男の子らしい、いかにも「これだから女は」と言った感じの言葉。その言葉を軽く訂正をしつつ、少し離れたところで楽しそうに話し込む二人を見ながら、ほんの少し前、玄関から外に出た時のことを思い出す。
外に出て、陽の光の下、改めて雪の無い風景を見て、その風景に少し感心して。「雪が無いってのはそんなにも珍しいのかい」なんてイソルダさんの不思議そうな声に、さてなんて説明しようかと考えてたところで、プリィがプランターを見つけて駆けていく。
で、あとはそのまま、私たちの街でもプランターを使って色々と栽培してますとか、そんな話でイソルダさんとプリィの二人は盛り上がって、今に至ると、そんな感じ。……時々忘れそうになるんだけど、あの子、組織幹部の娘だったのよね。
私たちの街では、組織と農家は強いつながりがある。元々組織には農家の用心棒という側面があるし、その生産力がシマの大きさにも影響する。そういった事情から、余剰作物を利用して蒸留酒を醸造しようと考えて実行するくらいには、組織は知識を持ってたりする。
……もっとも、抗争が少なくなって余った兵隊を農家に貸そうとしても当の兵隊たちが「俺たちゃ農民じゃねぇ」と反発されるとか、そんな話も漏れ聞くけど。
そんなことを考えている間に、ニカトルくんが向こうの二人に大声をあげる。
「……おーい! こっち、ねーちゃんひとりでたいくつしてるぞ!」
「おっと、もう準備できたのかい」
「おれたちはな。リジィあんちゃんはもう少し時間がかかるってよ」
ニカトルくんの声に、少し時間を忘れてたのだろう、イソルダさんが子供たちに初めて気付いたような声を上げる。そんなイソルダさんに呆れた仕草を見せつけるニカトルくん。そのいかにも子供らしい仕草に、イソルダさんが軽く笑う。
「そうかいそうかい。……それだと、あと少し時間はありそうだね。じゃあ今からでも、エフィム様とスヴェトラーナ様の話をするかい?」
イソルダさんのその言葉に、なんでその二人の名前が出てきたのかわからなかったのだろう、子供たち二人がキョトンとして。そんな二人をよそに、プリィがとても元気よく頷いた。
◇
イソルダさんが話を始める前に。キョトンとした子供たちに、これからイソルダさんが「あの二人の小さい頃の話をしてくれるよ」と説明する。それを聞いたコーシャちゃんは目を輝かせる。きっとあまり興味が無いのだろう、ニカトルくんは「しょーがねーなぁ」なんて憎まれ口を叩く。
……それでも「嫌だ」と言わないのは、何というかいい子なのよねと、そんなことを思いつつ。イソルダさんの話に耳を傾けた。
◇
「ウチらがストルイミン家と付き合いがあるなんていっても、あっちは帝都にお屋敷があるような本物の貴族さまだ。ウチらは帝都に用なんて無いし、これといって貴族様にお願いすることがある訳でもない。自然、用があるときは向こうがウチに使いをよこす、そんな関係だね。
で、まあ、その要件は大抵、ウチの作物の買い入れか人の募集だ。ストルイミン家は払いもいいし、かなり前から計画的に話を進めてくれるからね、ウチにとってもありがたいお客さんさ。で、そんな付き合いが、何代も続いてると」
まず、そう話し始めるイソルダさん。その内容に、これは長くなるぞと身構えるニカトルくんに、目を輝かせるプリィとコーシャちゃん。こうやって並べて見るとプリィも子供みたいに見えるわねと、そんなことを思いながら、話を聞き続ける。
「今のストルイミン伯は、ウチのどこが気に入ったのか、取引だけじゃなくて、ちょくちょくウチに泊まりにもきてね。ここは帝都から遠すぎもせず近すぎもせずちょうどいい場所にあると、そんな理由らしいんだけどね。どこまで本気なんだか。……とまあ、そんな訳で、ストルイミン伯爵家の皆さんとは、それなりに親しい付き合いをさせてもらってるわけだ。
と、それが、いつぐらいからかねぇ。エフィム様が一人でここに泊まりに来るようになってね。確か、こいつとおんなじくらいの年だったと思うけどね」
そう言って、ニカトルくんの頭をコツンコツンと叩くイソルダさん。「なんだよ、なんもしてねぇじゃん」、そう文句を言うニカトルくんに、「いいから、黙って聞いてりゃいいんだよ、あくびなんかせずにね」イソルダさんが言い返す。その親しくも横着なやり取りに思わず笑う。
「そんな子供が、一人でここまで来たのですか?」
ハイと手を上げて質問するプリィ。その質問にイソルダさんは、少し苦笑いを浮かべながら返事をする。
「まあ、来る時はストルイミン家の人に連れられて、だけどね。でも、エフィム様一人を置いて帰って、数日後とか一週間後に再び様子を見にやってくる。それ以外はずっとほったらかしなんてことをしてたからね。まあ『一人で泊まりに来た』と言ってもいいんじゃないかね」
そうやって、長い時は一月も泊まっていったこともあるからねなんていうイソルダさんの言葉に首を傾げる。……私たちは貴族の風習に詳しい訳じゃない。だけど、その行動が貴族の子弟にふさわしくないのはまあ、イソルダさんの口調からも読み取れる。
同じように疑問に思ったのだろう、プリィがイソルダさんに質問する。
「……なんでそんなことをしたんですか?」
「そうだねぇ。あれはきっと『エフィム様に平民の生活を覚えさせるために』ここに置いていったんだと、今は思うよ。――エフィム様はあの頃から『精霊さまのお声』が聞こえてたみたいだからね」
イソルダさんの答えを聞いて。今まで聞いてきた、帝国の様々な話を思い出す。
貴族と政治将校の対立。精霊との対話能力と帝国教会。エフィムと出会った時に彼から聞いた「僕は三男だから」「家名なんて飾りのようなもの」という言葉。――そして、彼と交わした「帝国に逃げ帰ったりしない」という約束。
退屈そうに話を聞くニカトルくんをちらりと見る。ようやく十に届いたかどうかの、生意気ざかりの男の子。この子と同じくらいの頃に、エフィムは何を思って、この帝国で過ごしていたのだろうかと。
……と、そんなことを思いはじめたところで、コーシャちゃんの無邪気な声が耳に届く。
「エフィムさま、もういっぱいおとまりしないの〜」
その無邪気な声に、大きく息を吸ってはいて、考えすぎて重くなった心を軽くする。彼はきっと、この話を深刻にとらえるのを望む人じゃない。なら、これ以上深く考えるのはやめようと、そんなことを考える。
……と、そんな時に、少し遠くから、「モォ〜」という、妙に間延びした動物の鳴き声が聞こえてくる。
その、なじみのない、のんびりした鳴き声の主を探して、庭の奥の方を見る。そこには、ゆっくりとこちらに歩いてくる、リジィと大きな黒いまだら模様の二頭の動物がいた。
◇
「ああ、やっと来たね」
「っていうか、久しぶりに帰ってきた息子を働かせる親ってどうなんだ……って、何話してたんですか?」
二頭の動物と歩調をあわせているのか、ややのんびりとこちらに歩いてくるリジィ。イソルダさんに話しかけられて、少し文句を言ったあと、興味しんしんといった感じでこちらのことを聞いてくる。
「ちょっと、エフィム様とスヴェトラーナ様の幼少の頃のことをね」
「……うわぁ、それ、本人たちのいない所でしていい話か?」
「失礼だね、アタシにだってそのくらいの分別はあるよ。せいぜいちょっと尾ひれをつけるくらいさ」
「……悪いんだけど、俺、巻き込まれたくありませんから。何も聞いてませんからね」
くだけた感じで話すイソルダさんとリジィ。最後の、少しおどけつつも宣言するような言葉に、どこか本気が混じってるのを感じて、少し笑う。
「っていうか、話はまだまだ始まったばかりで、スヴェトラーナ様なんて登場すらしてないけどね」
「あーあー、聞いてない、聞いてない」
そう言って、少し距離を置くリジィ。そんなリジィの方へと顔を向けてから、振り返るようにこちらに視線を戻す二頭の動物たち。少ししてか、「モォ〜」とひと鳴き、ゆっくりとリジィの後についていく。そんなのんびり動く動物たちに手を振るコーシャちゃん。
単に距離を置きたかっただけなのだろう、少し離れたところで立ち止まるリジィに、やっぱり私たちとリジィとで視線をさまよわせては「モォ〜」と鳴く動物たち。その、多分のんびりとした性格に、なんというか、少し和む。
そんなリジィたちの様子に笑ってから、イソルダさんが再び話す。
「……といってもまあ、これといって面白い話でも無いんだけどね。ある日、エフィム様がいつものようにここに来る時に、そうだねぇ、この子より少し大きいくらいかな、まだまだ子供のスヴェトラーナ様を連れてきたって、そんな話さ」
そう言いながら、イソルダさんは、コーシャちゃんの髪を、少しだけ乱暴にくしゃくしゃといじくる。
――そうして、イソルダは昔のこと、初めてスヴェトラーナという女の子に会った時のことを思い出す。
◇
エフィム様がなんの前触れもなく連れてきたスヴェトラーナという女の子。最近、ストルイミン家と結びつきを強くしたレヴィタナ家の長女だという。
そういえば、ストルイミン伯とレヴィタナ伯は最近懇意にしているなんて話も聞いたことがある。この子が今ここにいるのはそのせいかしらと、そう思いながら、目の前のお嬢さんを見る。
年の頃は、ウチのリジィと同じか、少し下くらいか。男の子ならそろそろワンパクざかりに差し掛かるころだけど、女の子はどうなのかしらねと、そんなことを思ったところで、目の前の女の子が、とても自然に「貴族のお嬢様の」お辞儀をする。
静かにスカートの裾を軽く持ち上げて、ちょこんと上半身を上下させる。その子供らしからぬ流れるような動きに目を奪われて……
「はじめまして、レディ・イソルダ。わたくし、レヴィタナはくのちょうじょのすゔぇとらーなともうします。すこしのあいだ、ごめいわくをおかけしましゅわ」
……続く自己紹介に、先程のお辞儀とのギャップだろうか、年相応を実感する。
そのほほえましさにほんの少しだけ笑顔をこぼしながら、私も、目の前の小さなレディに挨拶をする。
――はじめまして、レディ・スヴェトラーナ。こちらこそ、これからもよろしくね、と。