6.昔馴染みのお屋敷で(2)
子供たちがわいわいと立ち去ってからしばらくして。手早く身支度を整えた私とプリィは、この先どうしたらいいのかしらと顔を見合わせる。
「……とりあえず、階段を降りて玄関ホールに行けばいいのかしら?」
「そうですね〜。たぶんそうだと思います〜」
あっさりとそんな結論になって。昨晩の記憶をたどって、廊下から階段を降りて、玄関ホールの前に出る。
……その玄関ホールで。多分、様子を伺っていたのだろう、リジィの母親、イソルダさんに声をかけられる。
「おや、おはよう。ウチのチビ共は一緒じゃないのかい?」
昨日、簡単な挨拶をしたあと、寝室にまで案内してもらったイソルダさん。こうやって話していると普通の女性だけど、実はイソルダ・ミシチェンコヴァ準男爵夫人という肩書を持つ、末席だけど貴族にあたる人らしい。
……本当はレディ・イソルダと呼ぶべきらしい。もっとも「わたしはそんな柄じゃないね」と、昨晩、本人が笑いながら言っていたのだけど。
準男爵というのは農園経営をしている地主に与えられる爵位。リジィの実家のミシチェンコフ家は、このあたりにちょっとした広さの農地を持っていて、幾人か人を雇って経営をしているみたい。
ある程度の規模の農園を経営すると税金がかけられて、その見返りとしてその、準男爵という爵位を与えられると、そんな話みたい。実際に貴族としての特権も与えられているけど、それを積極的に使おうとする人は少ないみたい。
爵位を与えられたからって「はいそうですか、じゃあ俺たちは明日から貴族です」なんてことにはならない。人を雇って季節が来たら農地を耕して、季節が来たら収穫して売りに出す。それ以上のことをする必要もないし、しなくたってなんの不便もないとはリジィの談。
まあ、確かに、ここの人たちにそんな肩書は似合わないと、私も思う。
そんな庶民的な準男爵夫人のイソルダさんに、今朝の子供たちの様子を伝える。きっとその様子が想像できたのだろう、彼女はまったくなんて言いながら肩をすくめる。
「とりあえず朝食は準備できてるよ。それとも、先にシャワーでも浴びてくるかい」
その言葉に少しだけ考えてから、「まずは朝食ね」と返事をして。イソルダさんに団欒室へと案内してもらう。
◇
朝食を取るために案内された団欒室。背の低い、やや大きなテーブルが二つと、二人掛けのやや簡素な感じのするソファがいくつも置かれた、どこかシンプルさを感じる部屋。その風景に、デュチリ・ダチャにあった談話室を思い出す。
……こちらの方が少し広い代わりに、一つ一つの調度品には飾り気の無い、いかにも「普通」な感じが漂うのが特徴的かなと思う。庶民的とは言えないような大きな家と、それに反した「ごく普通の」調度品という取り合わせに、リジィたちの「貴族の肩書を持つ一般人」という雰囲気を感じる。
そんな、どこかアンバランスな部屋の中。奥のテーブルには、昨晩軽く挨拶をしたリジィの父親――ミシチェンコフ準男爵――と、プリィより少し年下であろう女の子が、静かに食事を取る。そして、その手前のテーブルでエフィムが、パンにジャムを塗ろうとしていたところで私たちに気付いたのだろう、こちらに向かって手を振ってくる。
「……えっと、リジィは?」
「ああ。よく寝てたから先に降りてきた。今頃、子供たちに叩き起こされてるんじゃないかな」
リジィの向かい側の席に座りながら彼に話しかける。そんな私の問いかけに、笑いながら答えるエフィム。何というか、飛び領地邸にいる時よりもリラックスしているみたいねと、そんなことを思う。
「と、あと少ししたら、僕は帝都の方に出発するけど。ミラナたちはどうする?」
エフィムの言葉に少しだけ考える。
「そうね、せっかくだし、畑とかを少し見させてもらおうと思うんだけど」
「……えっと、そんなんで良いのかい?」
「ええ。街の方は、帰りに駅に行ったときに、少し見させてもらうくらいでいいと思うわ」
結局、私もプリィも帝国のお金を持っていないのだから、お金を借りないと街に行っても何もできない。……エフィムもリジィも細かいことは言わないとは思うけど、そこまでして街に行きたいと思わないのも正直なところ。それなら、雪のない光景を見て回るのも同じくらい魅力的に感じる。
「そんなもんなのかな」
「ええ、そんなもんよ」
いまいちピンときていないであろうエフィムの言葉に返事をして。テーブルの上に置かれていたパンを手に、いくつか並べられたジャムの器を見る。明るい黄色に濃い赤色、沈んだ紫と、色とりどりのジャムに、元の材料がわからないのは少し怖いわねなんて思いつつ、まずはこれにしようと、明るい黄色のジャムを手に取った。
◇
そうして、しばらくエフィムと談笑しながら食事をする。多分覚えるつもりだろう、色んな種類のジャムを少しずつ塗りながら名前を聞いていくプリィ。リンゴ、ブドウ、イチゴという名前を覚えながら、真剣な表情で食べているのが印象的。
そうして、食事を済ませてからシャワーを借りる。案内された浴室は、何十人も一度に入れるくらいに広い、立派な浴室。広い洗い場の横には、これまた広い、蒸気風呂らしき部屋まである。
イソルダさんが言うには、昔はもっと多くの人がこの屋敷に住んでいて、その頃の名残で、浴室がこんなに広いみたい。今では作業方法や道具の見直しで効率が上がって、住み込みで働く人はいなくなった。それでも、収穫期とかは多くの人を雇うし、そんな時にはこの浴室も大活躍すると、そんな話を聞かせてもらう。
そうして、もう一度部屋にもどって、今度はちゃんと身支度をして。もう一度談話室に入ろうとしたところで、後ろからリジィの、ドタバタとした足音。
「間に合った」
「『間に合った』じゃねーよ。あんちゃんさあ、おきるのだけじゃなくて、じゅんびもおせーし、ダメダメじゃん」
談話室の入り口にいた私たちをはさんで、リジィと聞き覚えのある声のお子様が話しあう。
「まあまあ。確かにギリギリだし、そろそろ列車の時間だから出発しようかなとは思ってたけど、間に合ったから良いじゃないか」
「……ていうかね、そうならないようにアンタに起こしに行ってもらったんだけどね。良かったね、スクワットせずに済んで」
「オレかよ!」
部屋の中から聞こえてくる楽しげな会話。部屋の中には見覚えのある子供たちが増えてて、元々いた人たちと一緒に笑い合う。
そうして、玄関でエフィムを見送って。起きてきたばかりのリジィにこの先の予定、この周りの畑を見させてもらうという話を伝える。
「本当にそんなんでいいの」
「いいからアンタはちゃんと身支度を整えてきな! まったく、だらしない」
エフィムと同じような、いまいち納得できないようなリジィの反応。そんな彼にイソルダさんが一喝して。
その声にそそくさと階段を上がっていくリジィを、プリィと二人、少し笑いをこらえながら見送った。
◇
「……で、アンタたちは本当に『畑の見学』なんかでいいんかい?」
で、他に誰もいなくなってから。今度はイソルダさんが同じことを聞いてくる。……えっと、雪の積もっていない風景が見たいって、そんなにおかしいかしら?
「はい。私たちには、『雪のない畑』というのがどんなものか、結構興味があります」
それでも一応、エフィムやリジィよりはちゃんと返事をする。
「……あたしには、一年中雪が降り積もるような場所でどうやって作物を育てているか、そっちの方が興味深いんだけどねぇ」
「ならきっと、イソルダさんも私たちの街に来たら、畑を見たがると思います」
「それはまあ、そうだろうねぇ」
そんなことを話して。なんとなく納得してもらえたところで、イソルダさんがそっとこぼす。
「まあ、あの子が気に入った街なんだ。きっと悪くない街なんだろうね」
その「あの子」という言葉に、少しだけひっかかる。一瞬、リジィのことかと思ったけど、何か違う感じがする。そんな私の疑問を感じとったのか、イソルダさんが言葉をつなぐ。
「……っと、ごめんよ。ウチはストルイミン家やレヴィタナ家とは代々の付き合いでね。エフィム様やスヴェトラーナ様が、ウチの坊やたちくらいに小さい頃から知ってるんだ。で、つい言葉にでちまったさ」
「……そうなんですね」
まあ、彼らが親しいのは、これまでの様子で十分に察せられたし、小さい頃を知っていると言われてもあまり不思議には思わなかったけど。
――けど、私とは違うことを感じたのだろう。イソルダさんの言葉に、プリィが言葉をはさむ。
「あのエフィム様とスヴェトラーナ様の小さい頃のお話ですか? ぜひ聞きたいです」
その丁寧な言葉とは裏腹に、どこか勢いのようなものを感じるその態度に、昨晩のプリィのことを軽く思い出す。その押し隠した勢いを感じたのか、イソルダさんも一瞬、どこか意外そうな表情を浮かべてから、楽しそうに笑い出す。
「そうだねぇ。じゃあ、畑を見がてら、あの二人に関して、あることないこと吹き込んでさしあげることにしますか」
「はい! ぜひお願いします!」
悪戯っぽい表情を浮かべながらそんなことをのたまうイソルダさんに、素直に喜ぶプリィ。その二人の、楽しそうだけど少しだけあんまりな会話に、思わず吹き出しそうになった。