3.教会(1)
「……確かに、外套はいらないわね」
列車から駅のホームへと降りて。今はもう日も沈んで、グロウ・ゴラッドなら雪が積もり始めるであろう時間。なのに、夜とは思えないほどの暖かさに、思わずつぶやく。……人混みの分むしろ暑いんじゃないかしら?、そんな気すらする。
「今は降りたばかりで混んでるね。もう少しすれば人も少なくなるだろうから、それまで待とうか」
そう言って、すぐ近くにある長椅子へと歩くエフィム。慣れた手つきで、予め準備してあったのだろう、鞄の中から少し大きめの布を取り出してベンチに敷く。その彼に勧められて、プリィと二人、長椅子に座る。
……実は少し、屋外の椅子に座るのは抵抗があるのだけど。というか、屋外に椅子が置かれているのに文化の違いを感じる。そう思いつつ、辺りを見渡す。
人工の光で煌々と照らされた駅のホーム。その中央には、八時過ぎを示す時計が、今も時を刻む。灯りも時計も、電気の力で動いているとエフィムの談。少し離れた場所にある発電所という場所で石炭を燃やし続けて電気を作っている、そんな彼の話に、なんというか頷くことしかできない。……その行為とこの結果が釣り合ってるのか、正直、私たちには想像もできない。
そんなことを話しているうちに、人がまばらになって。その様子を見て、私たちも移動を始める。階段を登って、廊下を通って駅舎に入って、辺境の駅にもあった改札へと移動して。そこで、慣れた手つきで切符を集めたり切ったりする駅員。その姿を見て、あの駅も、昔はこうして大勢の人がいて列車を乗り降りしていたのだろうかと、ふとそんなことを思う。エフィムが駅員に全員分の切符を手渡して、そのまま改札を通って、駅舎を出る。
そこは、まるで広場のように開けた場所。その広場をぐるっと囲うような大きな道に、どこからも見えるように設置された大きな時計。
今までと同じように、煌々と電気の灯りに照らされた道には、大型の馬車がずらっと並び。道行く人が、小さな案内板らしきものを頼りに、その馬車へと乗り込んでいく。
「そっちは巡回馬車。僕たちは貸し切りの馬車を手配してるから。……えっと、こっちの方だね」
そう言いながら、私たちを先導するように先へと歩くエフィム。やがて、小型の馬車が並ぶ通りに出る。ちょっと待っててと言って、並んでいる馬車の方へと小走りで駆けるエフィム。
「(いいの? 従者よね、あなた)」
「(あの人に従者を使う気が無い以上、しょうがないですよ)」
さっきからテキパキと一人で行動するエフィムを見て、そっとリジィに話しかける。その言葉に、リジィは苦笑する。
――実のところ、エフィムはリジィに、ミラナとプリラヴォーニャの護衛を最優先とするように、事前に申し付けている。が、きっと自分の主人はそのことを当の本人たちには伝えてないだろうと、そうリジィは確信していて、思った通りだったと苦笑したのだが。そんなことは、ミラナたちには知るよしもない。
やがて、目的の馬車を見つけたのだろう、やや小さめの馬車の前でこちらに向かって手を振るエフィム。そんなエフィムと合流して。四人でその小さめの馬車へと乗り込んだ。
◇
ゆっくりと馬車が歩き始める、その振動に揺られながら、そっと外を眺める。始めは、電気の灯りで煌々と照らされていた街の風景も、やがて薄暗い街の風景へと変わる。
駅周辺ほどではないが、等間隔で配置された街灯に、通り過ぎる民家から漏れる光、たまにすれ違う馬車の光、それらの光が、本来色濃いはずの闇をうすくさせる。そのうすい闇の中を、灯りを手に歩く人たち。普通に歩く人もいれば、きっと酔っているのだろう、時おりふらつく人もいる。そんな、当たり前のように無防備に歩く人たちがいるという光景に感心して、誰にともなくつぶやく。
「すごいわね」
そんな私のつぶやきが聞こえたのだろう、エフィムが少し意外そうな顔をする。
「デュチリ・ダチャの周辺も、同じような雰囲気だったような気がするけど?」
「……あそことここを一緒にできないわ」
確かにデュチリ・ダチャの周辺も、夜遅くまで灯りは灯っていて、このくらいの時間だと人通りもある。だけど、それはあそこが組織の目が光る場所で、夜の仕事の場所だから。でもここはそうじゃない。そんなことを考えながら、エフィムの言葉を否定する。でも、そんな私の言葉を、彼は否定する。
「ここも一緒だよ。その成り立ちは違うけどね」
街灯が設置されているのは、駅と駅とを結ぶ駅馬車の道。そんな道には、列車や駅馬車を利用する客を目当てに建てられた宿屋に酒場が軒を連ねる。重要な道だから治安が悪くならないよう官憲も目を光らせるし、同じ店だって昼と夜とでは違う顔を見せるものさ。そして、そうやって人が集まればいろんな店もできるしねと、少し含みを持たせて説明するエフィム。その言葉に、再び窓の外の風景を見る。
言われてみれば、確かにデュチリ・ダチャの周りと同じような店が並んでいる気がする。そうね、これなら確かに「そういう店」もありそうねと納得をして。
……ふと思う。エフィムも「夜の」デュチリ・ダチャに来たことがあるのかしら、と。
◇
そうやって、しばらく馬車に揺られて。しばらくして、馬車が停まる。窓の外には、立派だけどデュチリ・ダチャや飛び領地邸と比べるとおとなしい、白を基調とした綺麗な建物が見える。
「到着だね。ここが神父様の教会だ」
そういいながら、扉を開けて、馬車から降りるエフィム。同じように私も馬車から降りて、その教会を正面から見る。教会の敷地と道路を隔てる立派な門扉。その奥には、思っていたよりも小さな建物。大勢の人が出入りすることを想定しているのだろう、大きな門に、その門に負けないくらいに大きな硝子の窓。ところどころに設置されたであろう電気の灯りが煌々と照らす。そんな、どこか雰囲気のある建物を、小さな庭の花壇が、ささやかに彩る。
その光景に少し見とれていたところで、その大きな教会の門が開いて、一人の男の人が出てくる。
でっぷりとした体型に丸っこい顔。初老の少し手前だろうか、よく見ると少し皺の走った顔。蓄えた口ひげに愛嬌を感じる。
着ているのは、白を基調としたゆったりとしたローブ。アクセントだろうか、様々な色の糸で縫い表された何学的な紋様の入った肩掛けを羽織る。
……多分、あれが聖職者としての正装なのだろう、荘厳さのある服装だと思う。彼に似合ってないとも思わない。けど、商人のように見えてしまうのはなぜかしらと、そんなことを考えていたところで、その彼が話しかけてくる。
「オゥ、ミスタエィフィムにミスミラナ! ……ト、ミシラヌフタリ。コンバンワデス!」
その声と話し方に、やっぱりこの人がフェディリーノ神父ねと納得をして。同時に、早速のこの人らしい挨拶に苦笑をする。
そんな彼に、プリィとリジィと、あと私も一応自己紹介をしてから握手を交わして。……そうね、きっとこの雰囲気と貫禄が、どことなく商人を思わせるのねと、ちらりと彼の貫禄ある腹部を見て、そう結論付けた。
◇
「おじゃましまーす」
教会の中へと入るときに、プリィがつぶやくように挨拶するのを聞いて。その声に少しだけクスリとしながら、改めて教会の中を見る。
正面の奥には祭壇だろうか、一段だけ高い床に胸の高さほどある背の高い台。その奥の壁には、神父様が身につけている肩掛けと同じ紋様の織布が飾られている。
今私たちが立っている入り口から祭壇までは、人が二、三人通れるだけの通路が延びて。その通路の両側には、二、三人用の長机と椅子と机が規則正しく並ぶ。
……そうね、なんというか、厳かな集会場みたいねと、そんな感想を抱く。
「申し訳ありませんが。時間も遅いですし、まずは精霊との契約を済ませてしまいたいのですが」
「ソウデシタ。そのために来たのデシタね。――オウ、これは立派なお供えデスネ。微かに冬精をカンジます」
エフィムに促されるように話しかけられて、手渡されたお供えに感嘆の声を上げる神父様。
……確かあれ、ゴルディクライヌよね。組織謹製、グロウ・ゴラッドを代表する安酒の。本当に「良い酒」なのかしら?
そんなことを考えたところで、それが地精石を通して「誰か」に伝わったのを感じて。あっと思ったときには、神父様がこちらに向き直って話しかけてくる。
「ミスミラナ、これは間違いなく良い酒デス。『冬精への想い』が込められてます。自然を敬う心がナイと、こうはなりません」
ちょっと失敗したわねと思いつつ、その言葉に耳を傾ける。と、多分一緒に伝わってのだろう、エフィムが会話に参加してくる。
「グロウ・ゴラッドという街は、辺境の中でもかなり『冬精を受け入れた街』だからね。街全体で冬精を信仰しているようなものさ。……本人たちには自覚がないけどね」
「ソウデスネ。『異国の酒』も『故郷の酒』も、その良さは旅をしないと味わえません。『酒は旅して美味くなる』一つの真理だとオモイマス」
「『うまい酒は旅をしない』なんて言葉もあるけどね」
「旅をしない酒とデアうために旅をする、それも一つのダイゴミですナァ」
エフィムと酒談話で盛り上がる神父様。その話の途中、地精を通して話しかけてきた神父様の言葉を頭の中で反芻する。
(ミスミラナ、フヨウイに精霊に話しかけると、精霊を通して他人に伝わることがアリマス。注意せなアカン、思います。……マア、盗み聞きしたワイもアカンけどな。すまんコッタデ)
そうね、それはそうだと思うし、注意しようと心の中で思いつつ。……それにしても神父様、精霊を通した方が言葉の癖が強いわね。こっちが地かしらと、そんなことをふと思った。
◇
神父様は、エフィムから受け取った酒を持って、祭壇の方へと行く。祭壇の裏から酒盃を五つ並べ、その全てに酒を注ぐ。
「ミスミラナは祭壇の前に立って、他のヒトたちは席に座って、……そう、静かにネガイマス」
神父様の案内にしたがって祭壇の前に立つ。その私の斜め前、台の横に立つ神父さま。そのまま、彼の指示のままに、首からさげた地精石のネックレスをそっと両手で握りしめて、そっと心を落ち着ける。
そんな私の様子を見て。神父様は一つ頷いて、そっと宣言する。
「では、これより、ミラナとその手の中の精霊石に宿る地精との、精霊契約の儀を始めます」
その、どことなく厳かな声を聞いて、ようやく実感する。――ああ、この人は商人ではなくて、本当に神父様なのね、と。




