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飛び領地邸の仮面夫婦  作者: 市境前12アール
第五章 帝国小旅行
39/85

1.出発

 ミラナたちが駅の通信機でフェディリーノ神父と話をしてからさらに数日後の、二回目の取引の日。飛び領地邸に、遠くで鳴る昼前の鐘の音が、微かに届く。


 そのささやかな鐘の音が耳に届いたのだろう、自身の執務室でのんびりと茶を嗜んでいたスヴェトラーナは、壁にかけられた時計をちらりと見てから、傍らに控えるホーミスに話しかける。


「そろそろ、列車に乗った頃かしら」

「はい。列車が刻限通りに到着していれば、そろそろ頃合いだと思います」


 ホーミスの返事に、そうねと返事をするスヴェトラーナ。そのまま、執務机の片隅に置かれたティーカップを手にして、お茶で喉を湿らせる。グロウ・ゴラッド流の、ハーブを使ったお茶。聞くところによると、常冬の孤立した街で、家の中でも手軽に栽培できることから作られるようになったのが始まりらしい。


 きっとそれは、冬に支配された街で、調味料すらまともに手に入らなくなった人たちが工夫をした結果生まれた文化なのだろう。そんなことを考えて、スヴェトラーナは少し笑う。元は隣り合った国なのに、今では何もかもが違う場所になってしまったと。


「軍服は始めから準備するつもりでしたけど、外着まで必要になるのは意外でしたわ」


 そう独白気味に呟いて、スヴェトラーナは、この数日間を思い起こす。


 数日前、駅の通信機を使って帝国にある教会への訪問の日取りを決めてきたエフィムたち。それから今日まで、諸々の手続きと、あとミラナたちが着る服のサイズ直しといった細かい作業で、瞬く間に時間が過ぎる。


 言われてみればあたり前の話なのだが、グロウ・ゴラッドには、外着は冬用のものしか存在しない。春秋に着るのに丁度いいような薄手の服や、夏用の半袖の服は、そもそも着る文化が存在していない状態だ。

 一応、部屋着のような簡素な服や、もしくはドレスのような華やかな服だと、薄手のものは存在はしている。が、それは「普段外出する時に着る、適度にカジュアルな薄手の服」とは違う。


 全く馴染みのない「薄手の外着」のいくつかに、ミラナが戸惑いながら袖を通していたときのことを思い出して、スヴェトラーナは軽く苦笑いする。異文化の、自分では良し悪しがわからない服を渡されれば、誰だって戸惑うだろう。――特にミラナのような価値観の人は。


「ミラナ様たちの手続きも、予想以上に手間だったようですね」


 スヴェトラーナがこの数日間のことを思い起こしていると察したのだろうか、ホーミスも、この数日間を思い起こさせるようなことを口にして。それを聞いたスヴェトラーナは、再び苦笑する。……たった四人の人間が、帝国の「壁の内側」にある教会に行って帰ってくる。その詳しい日取りを決めて、列車の手配等の様々な手続きをする。たったそれだけのことに、この数日間、兵士たちが何度も、この飛び領地邸と駅との間を慌ただしく往復していたのだから。


――何せこの数十年間、辺境の人間が「正式な手続きを経て」壁の内側を訪れるなんてことは一度も無かったのだ。


 前例のない手続きを問い合わせては待たされて。ようやく返ってきた回答の通りに書類を準備すると修正が入り。昨日、ようやく手続きの大半が終わった報告を受けたとき、その手続きに当たっていたエフィム配下の隊長格の人が、妙な疲労感を漂わせていたものだ。


 と、そんなことを考えていたところで、執務室のドアの呼び鈴の音がリーンと鳴る。ホーミスが扉を開けると、その隊長格のエフィムの部下が、扉が開くのを待っていたのだろう、直立不動の姿勢で立っていた。


「商品の受け入れ準備が完了しました」

「そう、ご苦労様。……悪いですわね、こんなことを頼んでしまって」


 執務机の前で、スヴェトラーナに向かって敬礼するエフィムの部下。そんな彼の報告に、スヴェトラーナはねぎらいの言葉を贈る。


 本来は通商任務や事務作業とはあまり縁のない、護衛を主な任務とするエフィムの部下の兵士たち。それを商売の人足や雑用として、本来の上司ではない自分が指示をだしている。そんな状況からの、少し遠慮の入った言葉。その言葉を、当のエフィムの部下が笑い飛ばす。


「は。……ですが、それは今までとあまり変わりありません。むしろエフィム様から直接命令を受けていたこの一週間の方が、私には新鮮でした」

「まあ、そうなりますわね」


 部下の言葉に、少し笑うスヴェトラーナ。この街に来てから、エフィムはずっと、単身で組織の屋敷で寝泊まりしていた。そのため、実質的にはずっとスヴェトラーナの指示で動いていたエフィムの部下たち。もう、半分はあなたの部下のようなものですよと笑う彼に、そうですわね、でもエフィムが帝国から戻ってきたら今度はちゃんと彼の部下に戻ってもらうことになりますわと軽口を交換して。


 ふと、思いついたように、執務机の引き出しから一通の封書を取り出して、彼に渡す。


「と、そうですわ。この手紙を出してきて頂けるかしら」

「……手紙ですか。珍しいですね」


 その封書を受け取って、さっと確認をするエフィムの部下。封蝋のようなものはされていない、単純に糊付けされただけの質素な封書に、軽く表情を動かす。――差出人はミラナとプリラヴォーニャの連名。宛先はデュチリ・ダチャのマム宛という、その差出人と宛先に。


「……私信ですか?」

「さあ?」


 部下の質問に、軽くとぼけるようなスヴェトラーナの返事。その返事に「内容を詮索するつもりはない」という意思を感じた部下は、「わかりました。届けます」と短く返事をして、その手紙を懐に入れる。


 その様子を見ながら、スヴェトラーナは昨晩の、ミラナから手紙を預かったときのやり取りを思い出す。……エフィムに聞いたら貴方に渡すようにと言われたのでと言いながら、手紙の入った封書を糊付けもせずに渡してきた彼女。見てもらって構わないという意思表示であろうその行動に、その彼女の目の前で、中身を見ずに糊付けをしたというやりとりをして預かったことを。


「そうそう、彼女の印章も新しく手配しないといけないわね。……そうね、丁度いい機会ですわ、この飛び領地邸のシンボルを一緒に作ってしまいましょう。……雪と、そうね、馬車を組み合わせた意匠が良いですわ。いくつか候補をお願いできるかしら?」


 その言葉に、少し苦笑いするエフィムの部下。彼らは、そのほとんどが護衛を任務とする兵士。封蝋の印章なんて、そもそも見たことがない人の方が多いだろう。そんな人間が集まって、封蝋の印章なんてものを考える。これなら人足や雑用の方が楽だろうなと、そんなことを思いつつも了解する。


「……わかりました。少々時間を頂くと思いますが」

「そうですね、エフィム様が戻ってくるまでに素案になるようなものを作っておいてくれれば、それでいいですわ」


 兵士の返事に軽く指示を返して。それでは失礼しますと敬礼して立ち去る部下を、スヴェトラーナは軽く視線で追う。そうして、彼が退出してから、ハーブティを軽く口に含む。


 それじゃあ、エフィムたちが帰ってくるまでに、できるだけ仕事を片付けておきますか、と。



―――――――――――――――――――――――


   飛び領地邸の仮面夫婦

   第五章 帝国小旅行


―――――――――――――――――――――――



 初めて入った列車の客室で。ミラナは寝台を兼ねているという大きな長椅子に座って、ほっと一息つく。隣にはプリィ、対面にはリジィ。奥と席の間には、ささやかな大きさのテーブルと、その壁には大きな窓。

 窓の向こうには、そろそろ見慣れてきた駅のホーム。見慣れてきたはずの駅のホームも、列車の中からだととても新鮮に見えるわねと、ふとそんなことを思う。


「まさか、こんな服を着て、あの人たちと敬礼を交わすことになるなんて思わなかったわ」

「そうですね、緊張しました」


 客室の外で何か話をしているエフィムを待ちながら、プリィとそんなことを話しあう。その会話に軽く苦笑いしながら「お疲れさま」とするリジィ。……この数日間、彼に敬礼や軍人の礼儀を教えられたからだろう、少し距離が縮んだ感じがする。といっても、時間としては少し、敬礼のような基本的な所作や相手の階級の見方といったごく基本的なことを教わっただけだけど。


 エフィムが私たちに与えたのは、准尉という階級。貴族が一時的に任命できる特別な階級で、兵士たちよりは偉いけど、指揮官やリーダーみたいな人よりは下と、そんな感じの階級らしい。こういうことができるのも、貴族の特権みたい。


 そんな即席の軍人訓練と旅行の準備で、あっという間に数日間が過ぎて。そうして今日、大急ぎでこしらえた軍服の上に、これまた大急ぎでこしらえた軍人用の外套を着て、この駅に来る。……そうね、今まで互いに声をかけあうことがなかった駅の軍人さんに敬礼されて、敬礼を返したのは、少し新鮮だったわ。


 で、先週と同じように、荷物の受け渡しが終わるのを待ってから、列車へと乗り込んで。エフィムが乗務員――列車の職員のことをそう呼ぶみたい――と話をしているのを、先に客室に入って待っているところ。


……と、そのエフィムの乗務員の会話も終わったみたい。客室に入ってきたエフィムがリジィの隣、私の目の前の席に座る。


「思ってたよりは広いのね」

「そのために、レールの幅を広くとってあるからね。普通の列車と比べると、かなり広いと思うよ。……と言っても、ここはあくまで一般客用だけどね」


 エフィムの言葉に、この数日間で聞いた話を思い出す。

 この列車は、帝国とグラニーツァリカの対岸にある国とをつなぐ直行便。大量の長距離輸送に特化していて、本当はいくつも駅があるんだけど、そのほとんどの駅を素通りするみたい。この列車が停まるのは、今止まっている「辺境の駅」の他は、壁のすぐ近くにある旧国境付近の前線都市、帝都の途中にある大都市と、あとは帝都と、それだけらしい。


「次の駅、旧国境の前線都市までは、そこまで時間もかからない。確か昼前には到着するはずだ。で、その次の駅、僕たちが降りる駅に到着するのは、日が沈んだ少し後になる。それまでは、ちょっと窮屈だけど、この部屋ですごしてもらうことになる。……大丈夫だよね」


 そんなエフィムの確認に、私とプリィが頷く。この列車の中には食事を取るための専用の車両があって、昼食と夕食はそこで取ることになるみたい。で、目的の駅についたらまずは教会で精霊と契約をして。その後、リジィの実家で一泊をすると、そんな予定。


 夜中に訪問するのは失礼じゃないかしら、そんなことを思ったのだけど。どうも、時間に余裕を持っても神父様の話が長くなるだけだから、遅くに行って早く帰ってくる位がちょうどいいと、エフィムはそう思っているみたい。……さすがにちょっと酷くないかしら?


 で、翌日は、エフィムは帝都に行って、手続きとか取引とかを諸々。その間、私とプリィとリジィは実家で待機。一応、リジィと一緒に周りを案内とかしてもらう予定。で、もう一泊して、翌日に帰ると、そんな予定。


……と、遠くから、以前も聞いたかん高い汽笛の音が鳴り響いて。さらにしばらくして、ゴトンと列車が動き始める。


 ゆっくりと動き始める列車。窓の外、後ろに流れていく駅のホーム。やがてその速度が上がっていき、ホームが後方へと消える。窓の向こうは、線路を囲う壁。「壁の向こう」にまでいくと景色が見える、そんなエフィムの説明を思い出す。どんどんと速度を上げていく列車に揺られ、窓の向こうの壁を眺める。


 窓の外、時折物凄い速度で通り過ぎるコンクリートの柱に思う。この速さと、それと比べるとささやかな揺れ。この不釣り合いが不思議ね、と。

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