10.精霊信仰・精霊搾取(5)
エフィムから、帝国教会の説明を一通り聞いて。少し気分を変えようと、大きく息を吸って吐いて、周りを見渡す。来た時と同じ、綺麗に雪がかき分けられた道。その道を、馬に乗って進む私たち。
馬上、手綱を握りながらも器用に身振り手振りを交えてここまで話してきたエフィム。既に見聞きしていた内容なのだろう、あまり興味を示さず、しっかりと周囲に気を配っているリジィ。私の後ろで手綱を操っているであろうプリィは、今の話をどう思うのか。
――この雪も、その火山地精に祈りを捧げた、年間百人という人間を犠牲にした結果なのだろう。そう考えたところで、ふと気付く。その祈りで帝国が何を得ているか、まだ具体的には聞いていないことに。
「そこまでして火山地精に祈りを捧げて、帝国は何を得ているのかしら?」
冬を捨てて春を得る。壁の向こうは常春の豊かな地。そう交易屋は口々に言う。知れ渡っていると知っていてなお口にする位だ、きっと本当に印象に残るのだろう。……でも、今の話を聞いて思う。帝国はきっと、もっと違うものを求めて火山地精を、転換炉を動かしていると。
そう思いつつ、エフィムに質問をして。そうして帰ってきた答えは予想通り、「春」以外の返事。
「ああ、転換炉から得られる物は、『溶岩から生まれる熱エネルギー』に『農業向けの土壌改良』、『鉱物資源』あたりが主な物だと思う。そうそう、もちろん『温暖な気候』も重要だね。……ただ、稼働する前から確実に見込めたのは熱エネルギーだけで、他は『もしかしたら』程度だったと思う。――少なくとも、『冬を捨てることで温暖な気候を手に入れよう』とまでは考えてなかったはずだよ」
春だけでない、様々な物を帝国は転換炉から得ている。でも、それは稼働する前にはそこまで期待されていない物で。……それでも、それらを当時の帝国には喉から手が出るほど欲っしていた。転換炉の稼働実験は半ば賭けで、賭けが必要な時代だったんだ。そう前置きして、エフィムは語る。
数十年前、かつてこの地に冬の王国があった頃に諸外国で起きた、「科学の発展」という名の大波を。
◇
「この数十年間の間に、諸外国で、技術が一気に進んだ。列車や銃、電灯といったわかりやすいものから、地味だけどその国を支える基幹技術まで、ありとあらゆる技術が、物凄い勢いで進化していったんだ」
エフィムは語る。元々はとある国で興った驚異的な技術革新と、それによって得られた、暴力的なまでの生産力。それらを背景とした輸出攻勢は、他の国をまきこみ、否応なしに多くの国の形を変えていったと。
「農業生産性の向上、蒸気機関の発明、生産の工業化、移動機械の発達。それらの条件が整うと、社会が一気に変化する。効率のいい農業が農夫を労働者に変え、農村で細々と行われていた生産活動が街の工場で行われるようになる。その工場も機械によって効率化され、鉄道が移動や輸送を効率化する。そうやって、農業、工業、輸送の進歩が都市の一極化を推し進め、さらなる効率化を招く。――そうして、その国は物であふれかえり、近代化へのレールに乗る」
そうやって、一度近代化のレールに乗ると、物凄い勢いで国の勢いが変わっていくんだと、そう説明するエフィム。その言葉に、これまで見てきた様々なもの、列車とか飛び領地邸にあった便利な灯りとかを思い出す。――そうね、確かにあれは色んなものを変えそうね、と。
「どうすれば近代化を成し遂げられるのか、近代化した国を見ればわかる。その国と同じことをすればいい。……と、口で言うのは簡単なんだ。でも、それらは他国を真似しただけで得られるような簡単な代物じゃない。そこには働く人がいて、技術がある。それらの積み重ねなんだ。――そして、帝国にはその積み重ねが十分ではなかった。近代化の波に乗れなかったんだ」
帝国には、近代化をするだけの国力が無かったと、そう言葉をつなぐエフィム。そうして、少しだけ息を継いでから、再び長い説明を始める。
「近代化を成しえれば、安価で大量に作られた製品を売って、豊かになれる。だけど、近代化できなければ? 近代化された国から入ってきた安価な製品で市場は乱され、産業はダメージを受ける。もちろん、他国との取引を制限してしまえば問題はない。だけどそれだと、他国との差は開いていく一方になる。そんな中、帝国は覚悟を決める。――これ以上、他国と離されるわけにはいかない、と。そうして帝国は、早期の近代化実現を目指し、大規模な投資を始める。ゴラ・グラジーニャで眠る火山地精の可能性についての研究が始まったのは、そんな頃だ。
火山地精をうまく呼び起こすことができれば、少なくとも熱源として利用できることは間違いない。この地に大きな影響を与えたと目される精霊だ、もっと大きな利益が得られる可能性だって十分にある。そんなあやふやな目論見でも、覚悟を決めた帝国には十分で……そして、その目論見は見事に当たる。本格的に稼働を始めた転換炉は、やがて帝国の土を改善し、資源を生み出し、――やがて、その反動のように、帝国の地から冬精を遠ざけ、怒れる冬精の氷を生み始める。
始めは火山地精と同じように研究対象とされた、怒れる冬精の氷。だけど、人が近づくだけで形を変えて襲い掛かるその氷の活用方法を見いだせず、溶かすこともできないまま、冬精の氷はたまっていく。……それを聞いて、全ての発端となった政府官僚、火山地精を呼び起こした功績で中枢にまで上り詰めたその官僚は思いつく。――その氷を、戦略兵器として利用することを。
そうして、新たに転換炉を建造して、その全ての力を使って、帝国全土から冬精を一掃し、大量の冬精の氷を、『母なる河グラニーツァリカ』へとたれ流す」
小説一ページ分はあるんじゃないかという、長い説明文を切りのいいところまで語り、一息つくエフィム。その呆れるくらいに長い説明に、凄いわね、けど説明はもっと短くしないとダメじゃないかしらと、そんなことを思いながらも聞き続ける。
「その後は、君たちも詳しいんじゃないかな。農業を支えていた大河グラニーツァリカが唐突に怒れる冬精の河と変わり、それに追い打ちをかけるように常冬の地となった大河グラニーツァリカ流域の各国は、瞬く間に国力を落として、追い詰められたところで帝国に攻め込まれる。
食料生産すらまともにできなくなった国々に、戦争をする力は無い。瞬く間にいくつもの国を滅ぼした帝国は、大河グラニーツァリカを境に、帝国側にある土地を全て自国領とし、反対側の領土を隣接する国に気前よく分け与える。――そうして、母なる河グラニーツァリカは国境の河グラニーツァリカになり、帝国は新たな領土と渡る事のできない大河、そして広大な『冬を捨てる地』を手に入れる。
そうして、安全な国境線を得た帝国は、他国を攻め落とすために肥大した軍を、そのまま内政組織へと変化させる。この頃にはもう、転換炉の力で、近代化も推し進められていたからね。その功績で件の官僚は権力を得、それまで宮廷を牛耳っていた大貴族たちは力を失っていた。まあ、彼らはこぞって転換炉計画に反対していたからね。計画がこの上ない成果をあげてしまった以上、彼らが失脚するのはある意味しょうがないと、僕も思うよ」
そうして、エフィムは長い説明を終え。きっと話し疲れたのだろう、少しの間だけ手綱を離して、軽く背伸びをした。
◇
ホント、長い話だったわね。彼の方を眺めながらそんなことを思っていると、その彼の方から、最近なれてきた、言葉が伝わってくる感覚を覚える。
(彼は言わなかったけどさ)
そう語り掛けてくる、エフィムの精霊、風のオットト。彼の、どこか軽い感じのする言葉に、耳?を傾ける。
(帝国教会の「食べ物」、ちょっとだけ「つまみ食い」したことがあるんだけどさ。帝国教会の儀式でできる食べ物は、何か変なんだ。食べるごとに、ぼんやりして、考えるのが面倒になって、なんとなく言うこと聞かなきゃ~って思いそうになる感じ? あれ、今までずっと眠っていた、人間のことを知らない精霊が受け止めたら、多分、本当に言いなりになっちゃうんじゃないかなぁ)
その言葉を聞いて、少し考えて。……ぼんやりして、考えるのが面倒になって、何でも言うことを聞いてしまいそうになる。そんな効果のある、先ほどのエフィムの説明でも示唆された薬物のことを思い起こす。
――ケムリ。交易屋を通して、帝国が辺境の地へと売りつけようとしている麻薬。組織が徹底的に排除し、手を出した物は一族まとめて「処分」される、グロウ・ゴラッドの禁忌の掟の一つ。
(マグマの精霊だから、どかーんと起きてしゅーと寝ちゃうのもわかるけどさ。力尽きて寝ちゃうまで人間の言うことを聞くのは、やっぱり変なんだよ。……人間はそれを「効率がいい」と言ってるみたいだけど)
オットトの言葉を聞きながら、ふと思う。そもそも、どうして帝国は辺境の地にケムリを流通させようとするのだろうと。
辺境の地から手っ取り早く富を吸い上げると同時に、帝国に反抗する力をつけないようにする。そのために帝国はクスリを辺境の地にばらまいている。組織はそう分析していると、ある時、ドミートリは言っていた。……でも、それだけではないのではないか。もっと他にも目的があるのではないかと、ふとそんな想像に駆られて、顔をしかめる。
――辺境の地の富や力なんて、帝国にとってはどうでも良くて。クスリ漬けの人間を求めて、辺境にクスリを流している。そんな想像、あまりに非合理的で、ありえない。かかる手間や費用と得られる効果が釣り合わない。
そう思いつつ。それでも、その想像を強く否定することもまた、できなかった。
◇
そうして、一通り聞き終えて。あとは気分の赴くままに世間話をしながら、飛び領地邸への道をのんびりと進む。さすがに重い話が続いたからだろう、「神父さまの教会のある場所は、一言でいうと田舎だね。ここの方がよっぽど大きいし、活気もある。まあ、教会自体は駅のすぐ近くにあるから、そこまでのどかな感じもしないんだけど」とか「あのあたりはね、パンが美味しいんだ。なんでだろう? 材料は他と同じはずなんだけど」とか、そんな他愛のない話で、のんびりと盛り上がる。
そうそう、どうもリジィの実家もその辺りにあるみたい。で、「またリジィの家に泊めてもらうことになるけどいいかな」「ええ、大丈夫です。歓迎しますよ、俺の家族が」と、そんなことをエフィムとリジィが話してた。……何かしら、思ったよりこの二人、プライベートでの付き合いがあるのかしら?
と、そんなことを話している間に、飛び領地邸に到着する。――未だ「昼中の鐘」が鳴る前。多分、正午の少し前くらい。馬って、ゆっくり歩かせているようでも結構早いわねと、改めて実感する。
そうね、せめて一人でも歩かせれるよう、少しずつでもいいからプリィ教わろう。プリィの操る馬の上でゆられながら、そう決心をした。
―――――――――――――――――――――――
飛び領地邸の仮面夫婦
第四章 帝国[ツァーリ・ナーツァ] 了
―――――――――――――――――――――――




