9.精霊信仰・精霊搾取(4)
「……、はい、わかりました。それでは三日後にそちらに伺いますので。……ミラナもそれでいいね?」
神父さまに精霊との契約をお願いすることが決まって。細かいことを決めるために、エフィムと交代をする。少しして、日取りのことで同意を求めてくるエフィム。彼に頷きを返して、ふと気付く。
……その日は、前回の取引からちょうど一週間。記憶に間違いがなければ、次の取引がある日のはずよね、と。
もしかして、あの列車に乗って帝国に行くことになるのかしら。通信機に向かって話すエフィムの声を聞きながら、そんなことを思う。
「はい、大丈夫です。………………、……普通、手土産を聞いてきますか。まあ、ちょっとした蒸留酒を持っていくつもりです。……、一瓶だけです。……、そんな巨大なサイズの瓶はありません!、…………、……、……わかりましたよ、もう一瓶持っていきます。それでいいですか?」
真面目そうに、ところどころで笑いながら、神父さまと話を進めていくエフィム。……あの神父様、話の途中に、多分冗談のつもりで「とぼけ」を入れてきているのだと思うけど、それに細かく反応してあげた方が話しやすいのかしらと。……まあ、私がそれに付き合わないといけない理由は無いのだけれど。
そんなことを考えている間に、一通り話がまとまったのだろう、会話が終わりそうな雰囲気が漂う。
「……はい。それでは、また三日後、よろしくお願いします」
最後にそう言葉を交わして、黒い筒を耳から離すエフィム。その時に軽くクスリと笑ったのは、きっとまた神父様が何かとぼけたことを言ったからか。そのまま黒い筒を通信機に置く彼に、ふと思う。
――意外とエフィムも、神父さまの「とぼけ」に反応しないタイプかしら、と。
◇
辺境の駅から遠く離れた、帝国の片田舎の教会で。フェディリーノ神父は、礼拝堂の奥にある通信室で、目の前の通信機に黒い筒の形をした受話器を置く。そうして、本当の意味で一人きりとなった通信室で一人、ほっとため息をつく。
精霊との親和性がかなり高いであろうミラナという女性。事前にエフィムから聞いた話で、彼女が帝国教会の門を叩く可能性が皆無に近いことはわかっていた。それでも、彼女が帝国教会に、「精霊との会話能力という才能を武器に帝国で出世すること」に全く興味を示さなかったことに、フェディリーノ神父は軽く安堵していた。
(帝国教会、アレは、信仰とは言えません)
精霊への祈りと効果を科学的に分析し、効率を高める。今やどの国でも行われている一般的な行為だ。だけど、帝国教会のそれは行き過ぎている。
――望む結果を得るために、最適化された信仰を精霊に与える。そのために、人間を祈る機械として、精霊を自然介入のための機械として扱う。そんな帝国教会に、本来の意味の信仰なんてないのは、誰の目にも明らかだ。
それでも。自らが所属する神の教会が帝国教会を「その地における精霊信仰」と認めた以上、フェディリーノ神父には、目の前にいる人を自分たちの信仰へと導くことしかできない。その結果、一人の伝精者を導くことが叶ったことに、今は満足していた。
そうして、一つの仕事を終えて。ふと、先ほどのエフィムとの会話を思い出す。
(……それにしても。ミスタエイフィム、ワタシの渾身のボケ、聞きながらツッコマない、ヒドイデス)
耳にした黒い筒、通信機の受話器から、微かな笑いの気配を感じ。なのに、一言も返すことなく通信を切ってしまったエフィムに、フェディリーノ神父は静かに決意する。
――三日後が決戦のトキです。ワタシ、あの二人、ゼッタイにツッコませてみせますデ、と。
◇
そうして、神父様との会話も終わり。駅に常駐する兵士たちに挨拶をして。行きと同じように馬に乗って、飛び領地邸への帰路につく。
「いやあ、止まらないはずの駅に列車を止めるとなると、結構な大事だからね。できるだけ控えないと」
帰り道、教会に行く日を三日後にした理由をエフィムに聞く。予想通り、列車の都合とあっさり答えるエフィム。元々停まる列車に乗れば、少しは節約になるからねと。
「まあ、もう商売も始まったし、巻き込む形になったレヴィタナ家の感触も悪くない。今までよりは自由に列車も使えそうだけどね。でも、節約するに越したことはないと思うだろう?」
そう言って、楽しそうに笑うエフィム。レヴィタナ家、確かスヴェトラーナの家名よね。この言いかただと、スヴェトラーナ以外にもこの商売に関わっている感じかしら。
……と、そうね、それも少し気にはなるのだけど。それよりも、ずっと彼に聞きたいと思っていたことを質問する。
「……で、帝国教会って、何かしら」
通信機で神父様と話をしている時に出てきた「帝国教会」という単語。会話が外に漏れるのを警戒してか、エフィムも神父様も違和感のあることしか言わなかったこの「帝国教会」という集団が何者なのか、改めて聞いてみる。
「帝国内にある眠る火山、ゴラ・ロズィシジーニャを崇拝するという名目で設立された、比較的新しい宗教さ。……といっても、あれは普通、宗教とは言わないと思うけどね。精霊の力を取り出すことを目的に形式的に宗教儀式を取り入れた科学集団、一言で言うと『カルト科学集団』だね」
通信機も駅の兵士もないこの場所なら自由に話せるのだろう、侮蔑の響きを隠そうともせず、帝国教会のことを「カルト科学集団だね」と説明を始めるエフィム。
「科学の発展によって生まれた、精霊の力を効率よく利用するための宗教組織。火山地精の力で溶岩を生み続け、連鎖的に火山地精の力を引き出すための固定型装置である『変換炉』を駆動し、火山地精由来の様々な物質を生産するために、変換炉の中を常時祈りで満たす、そのための組織さ」
そう前置きをして。エフィムは、帝国教会の、転換炉という帝国を象徴する施設の説明を始めた。
◇
「元々は、帝国もこの辺境の地も、一年の半分近くを雪が大地を隠す、厳しい冬の大地だった。だが、過去において、その厳しい冬を退けるほどの活動をする火山が存在していたことが判明する。――ゴラ・グラジーニャ。『冬を産む山』という名を持つその山はかつて、天高く溶岩を巻き上げ、辺り一面の雪を解かすほど荒々しく活動する火山だったことが判明する」
転換炉を稼働させる前の、かつての帝国。今のグロウ・ゴラッドのように一年中雪が降る土地ではなかった。が、今の辺境の地を支配していた旧王国、冬の王国と同じように、一年の半分が雪で覆われた、冬の厳しい土地ではあったのだ。
だが、そんな帝国も、遥か太古の昔、人類が文明を築く前は、また違った土地だったことが、地質学と考古学の進歩によって明らかになる、そうエフィムは語る。
「それだけなら、発展を続ける科学が一つの事実を明るみに出したという、それだけの話だったんだけどね。もちろん、こういう発見も、科学の発展のためには重要さ。……だけど、もっと直接的に、こう考えた人がいたんだ。『今は活動を停止したその火山も、過去に活動していたのなら、再び活動させることができるんじゃないか』って」
続けて語るエフィムの言葉に、思わず首をひねる。当然のように浮かんだ疑問をエフィムに投げかける。
「火山を活動させてどうするのかしら」
「火山を活動させたいというよりは、その火山を司る精霊、火山地精を活動させたいと、その人は考えたんだ。……太古の昔に活動していたその火山が、帝国の地に様々な恵みを残したのではないかと、その研究の結果は示していてね。ならきっと、その火山を司る精霊からも、さまざまな恩恵を受けることができるんじゃないかってね」
私の質問に答えるエフィム。そのエフィムの説明に、ずいぶん即物的ねと思いながらも頷く。その様子が伝わったのだろう、エフィムの周り、飛び回っているであろう彼の精霊の、苦笑するような気配を感じる。
――精霊と人間の関係なんて、そんなもんさ。人が願って、精霊が叶える。その祈りを精霊は食べて、願いを叶えた人間もお腹いっぱい。どっちもお得だろう?
そんな彼の精霊の言葉に、信仰とか言う割にはずいぶんと即物的よねと、今度はこちらが苦笑する。
――まあね、だから僕たちとの関係は「契約」なのさ。僕たちは尊敬されたいんじゃない。ご飯を食べたいだけなんだ。できることなら、美味しいご飯をね。
再び伝わってくる精霊の意思に、苦笑しつつも、なるほどと思う。
そんな彼の精霊との会話を聞いていたのだろう、軽く笑みをこぼすエフィム。そうして、会話が途切れるのを待ってから、再び説明を始める。
「『火山を鎮める』信仰なら、他国にも例がある。だけど、『火山の活動を願う』なんて信仰は前代未聞だった。それでも彼は手探りで研究を続けて、やがて一つの仮説を導き出す。『他の土地の火山地精を助けを借りれば、ゴラ・グラジーニャの火山活動を、火山地精を呼び起こすことは可能だろう』という仮説。『一度火山地精を呼び起こすことができれば、その活性化した火山地精の力を使って連鎖的に反応させることも可能だろう』という仮説。そして、他の土地の火山信仰を参考に、火山地精を呼び起こすのに必要な祈りの量を計算して導き出す。――およそ五十万人が一つの場所で祈れば、それも可能だと」
そうして、真剣に説明を聞いて。最後の「五十万人」という途方もない数字に、思わず声が漏れる。
「……それ、この街の人口をゆうに超えてるわね」
思わず出た感想。デュチリ・ダチャの、五階の部屋から見た街の風景を思い出す。遮るもののない、グロウ・ゴラッドを一望する風景。そこに住む全ての人の、さらに何倍という途方もない数の人間。
それは、私には全く理解することのできない数で……
「そうだね。この街に住む人たちの何倍もの人間を一ヵ所に集めて祈らせる。そんなのは、そもそも物理的に不可能だ」
エフィムの返事を聞いて思う。私には理解できない数でも、彼には理解はできている。……帝国の、壁の内側というのは、こんな数字も理解できてしまえる程に、人があふれているのかしら、と。
そんな、スケールを間違えた説明を、さらに続けるエフィム。
「でも、彼は諦めなかった。計算を続け、仮説を立て続けた。一人一人の祈りを極限に高めたらどうだろう? 例えば、人生の全てをなげうって祈る人は、普通に祈る人よりも祈りの効果が高い。そういう人を集めれば、祈りの効果は上がるだろう。……そうして祈りの効率を上げれば、五万人でも事は足る。これなら、とりあえず物理的には可能だろう。さらに効率のいい儀式形式を使ったらどうだろう? 古の、薬物と生贄を使った儀式をすれば、必要となる人数はさらに少なくなる。そうして仮説を立て続け、やがて一つの結論を得る。
――祈りながら進んで生命をささげる贄を千人、その贄を使った狂信的な宗教的儀式で祈りを捧げる人間を五千人。これだけ準備すれば、ゴラ・グラジーニャの火山地精は活性化する、と」
その説明は、徐々にスケールを落として。代わりに、狂気をはらんでいく。
「狂ってるわね」
「ああ、狂ってる。ただ、試算をした人も、実現することは不可能だと思ったんだろうね。『文明の黎明期において行われていたとされる生贄と薬物を使った宗教的儀式。それを現代で行うと何ができるか』という、どちらかと言うと学術的な疑問に答えるために研究を続けていたフシがある」
再び口から出た感想を、今度はどこか、その研究者をかばうように言うエフィム。……庇ってるのかしら? どちらにしろ狂ってるとしか思えないのだけど。
――その瞬間は、彼の次の説明を聞くまでは、確かにそう思っていた。
「だけど、その研究結果を見て、実現可能と判断してしまった人間が、当時の帝国官僚の中にいた。彼は、その研究の実現に向けて動き出す。――死刑囚と苦役囚を洗脳と薬物で狂信者に作り替えて儀式を執り行えばいい。そうすれば、帝国は火山精霊の持つ力を手にすることができる、と。
そうして彼は、賛同者を集めて計画を立て、一年かけて死刑囚と苦役囚の数を揃え、精神を作り替えて、儀式を敢行する。実験は成功し、転換炉――大地溶岩化転換炉――が起動する。起動した転換炉は、ゴラ・ロズィシジーニャの大地を溶岩に変え、その地に眠る火山地精を呼び起こしていく。
その反応を維持するのに必要な祈りは、起動時と比べてほんの僅か。全て目論見通りの結果となる。――そうして、年間百人程度の生贄を消費して、千人の狂信者を抱えながら、今も転換炉一号機は稼働し続けている」
その最後の説明を、望んだ結果を得続けるために犠牲を払い続ける、その犠牲を僅かだと言ってしまうことこそが狂気だと、エフィムの皮肉を込めた口調を聞きながら、思う。
――当時の研究者や、その研究を実現させてしまった人間は、きっと狂気を自覚しながら物事を進めていったのだろう。でも、それがもし当たり前になってしまったら。生贄は当たり前でほんの僅かだと思ってしまったら。それは狂気と言えるだろうか、と。