8.精霊信仰・精霊搾取(3)
「お久しぶりです、フェディリーノ神父。あいかわらずの言葉遣いですね」
壁に取り付けられた通信機に向かって話すエフィム。その声に反応するように、エフィムが耳の近くに持ち上げた黒い筒から「オゥ、ワタシ、フツウ、シャベットルダケネ」という、やはり独特なイントネーションの声が漏れ聞こえる。
「ちょっと待って下さい。ボリュームを調整しますから。……何か話してもらっていいですか?」
そう言いながら、通信機を操作するエフィム。やがてその調整が終わったのだろう、今度は黒い筒を耳にピタリと当てる。しばらくして、一つ頷いてから「大丈夫そうです、ありがとうございます」と返事をする。
そうして、「それでは、さっそく本題に入りますが」と前置きをして。通信機の向こうにいるであろう、独特のイントネーションの神父様と話し始める。
「一人、精霊と契約できそうな人を見つけましたので、その契約のお願いです。……………………。はい、以前軽くお話をさせてもらった新しい商売の関係です。…………。はい、今はグロウ・ゴラッドの駅で、彼女と一緒にいます。………………、いえ、既に精霊石を持っています。転換炉由来の地精の亡骸です、……、オットトは問題なさそうだと言っています、…………、はい、そうです。…………、わかりました、聞いてみます。……、変なことを吹き込んだりはしませんよ、疑り深いなぁ。…………、はい、では、少しお待ち願います」
黒い筒を耳に当てながら、しばらく話し続けるエフィム。彼には少し珍しい、軽いようでどことなく他人行儀さを感じる口調。その口調に、エフィムと通信機の向こうにいるであろう相手がどんな関係なのか、興味を覚える。
……軽く冗談を言い合ってはいるみたいだし、日は浅いけど信頼している、そんな関係? なんとなく、相手も話し慣れしてそうな感じがすると、そんなことを考えていると、軽く話がまとまったのだろう、エフィムはこちらに向き直り、話しかけてくる。
「とりあえず、神父様が一度、君と話をしたいそうだ」
そう言いながら、さきほどまで耳に当てていた黒い筒をこちらに差し出すエフィム。上手く使えるかしらと思いつつ、その黒い筒を受け取った。
◇
えっと、この黒い筒を耳に当てて、この壁の通信機に話しかければいいのね、先ほどまでのエフィムの様子を思い出す。手にした黒い筒を耳にあてて、ふと、言葉に迷う。
えっと、何を話せばいいのかしら? 目の前に人がいないと話しにくいわね。……そうね、とりあえず挨拶が無難そうね。
「初めまして。ミラナと言います」
「オゥ、ゴテイネイ、アリガトサンデス。ワタシ、フェディリーノ。神父、ヤットリマス」
通信機に向かって話しかける。なんというか、思った以上にやりにくいわね、そう感じたところで、黒い筒から、思っていたよりもはっきりとした声が響く。……ヤットリマス? その筒から聞こえてきた微妙ななまりに首を傾げる。他の街から流れてきた人とか、イントネーションが違う人というのはたまにいるけど、これはそんなレベルじゃないわねと。
そんな私の感想はお構いなしに、通信機の向こうの神父様が、さらに話しかけてくる。
「ホナ、サッソクデスガ、シツモンデス。――貴方のその石、光ったコト、ありますか?」
やっぱり、独特なイントネーションのまま話しかけてくる神父さま。……だけど、その特徴的なイントネーションも、多分本題であろう質問から、急に流暢な言葉に変わる。
なんだろう、とても印象の強い人ね。そんなことを思いつつ、さてどう答えようかしらと、質問の答えを頭の中に浮かべ始めた。
◇
「その時の気持ち、どんな感じデシタカ?」
「愛着や親しみ、感じマシタカ?」
「フト、自然に話しかけたりしたことはアリマスカ?」
神父様の、次々と投げられる質問。その質問に、少しだけ考えては答えていく。石が光りだしたことはある。その時のことは酒を飲んでいてよく覚えていない。言われてみれば少し親しみのような感情はある。なんとなく話しかけたことも何度かある。そんな感じで、今までのことを思い出しながら、一つ一つ正直に答えていく。
そうして、一通り質問を答え終えて。フェディリーノ神父が答えを出す。
「なるほど。それなら多分ダイジョブ。精霊、相性、良い。教会、来たら契約デキマス」
その答えに少しホッとしつつ、「大丈夫みたい」とエフィムに伝える。当たり前のように頷く彼に、まあ想像通りよねとそんなことを思っていると、黒い筒を通して、神父さまの次の声が耳に届く。
「……デスガ、精霊契約したら、帝国教会、信仰できません。帝国教会、信仰しない、帝国デ仕事つけません。ソレ、ダイジョブですか?」
それは、今までに聞いたことのない話だった。
◇
「精霊契約したら帝国で仕事に就けない、そう神父様が言ってるけど」
聞いたことを傍らのエフィムにそのまま尋ねてみる。それを聞いて、はははと笑うエフィム。
「それは、『伝精者として帝国の官職に就けない』という意味だね。帝国臣民でない君には関係の無い話だと思って良いと思う」
それとも、そっちの方がいいかいと、悪戯っぽく笑いながら聞いてくるエフィム。
――帝国臣民。組織が支配するこの街に倦んだ人が夢見る、壁の内側に住む権利。
交易屋から伝え聞く、安穏とした世界。この街に住む人で、そういった生活を夢見る人も多い。――私やプリィのような、一度は娼館に流れた人間だけじゃない。この街に住む人間の多くが、すぐ隣にある路地裏の様子を目の当たりにしながら、日々を送っている。誰しもが、目を背けたくなるような闇と隣り合わせで生きている。
……興味が無いと言えば嘘になる。だけど、帝国臣民になりたいかと言われれば、迷わず首を振る。その位、ありえない選択。きっとそれは、この街に住む多くの人が抱く想い。
国境の河グラニーツァリカを怒れる冬精の河に変え、辺境の地を冬の街に変えた帝国。一切の交易を止め、河の向こうとも切り離されて、私たちに飢えを強要してきた帝国。その困難を乗り越え自給が可能となった今、いったい誰が帝国人になりたいと言うのか。
未だに、交易屋を通して麻薬のような物を流通させようとしてくる帝国の民に、どうしてなりたいと思うのか。
「そうね。確かに、私には関係ないわね」
そっちの方がいいかいと冗談の形で聞いてきたエフィムに、半ば真剣に答えを返す。
……私は、あくまで街の人間。街の人間としてエフィムたちと相対する。帝国臣民になるなんて望みはない、と。
その答えに、先ほどと同じように、当たり前のように頷くエフィム。その様子を見て、少し笑う。
――そうね、これも当然、彼の想像通りよね、と。
◇
そうして、フェディリーノ神父との通信はそのままに。エフィムが、初めて聞いた「帝国教会」について、説明を始める。
「今の帝国教会はね、転換炉、信仰心を植え付けた生贄を使って精霊の力を効率よく引き出す大規模装置を稼働させるための組織だよ。国境の河グラニーツァリカが氷の河になったのも、その流域が常冬の地になったのも、全て彼らと生贄の『信仰心』がなせる技さ」
皮肉めいた表情を浮かべながら説明するエフィム。……どうしてだろう、彼の態度に、どこか違和感を感じる。そう思いながら、声色だけは真面目そうに話す、そんな彼の言葉を聞き続ける。
「転換炉。今も帝国の大気から冬精を抜き取って国境の河グラニーツァリカに捨て続けている装置。今の帝国には無くてはならないその装置を稼働させる任務に携わるのは、帝国人にとってこの上ない誉れであり、貢献だ。でもね、その任務に携わるためには、帝国臣民になる必要がある。残念なことに、僕には君を帝国臣民にする権限がない。――その権限は、帝国教会と共に今の帝国を築き上げた政治将校様しか持っていないんだ」
違和感を感じたまま、彼の話を聞き続けて。今まで、いい印象で語ったことのない「政治将校」に様付けするのを聞いて。ふと、目の前の通信機を使い始めるときに、神父様の教会にまでつなげてもらうよう、違う誰かに頼んでいたのを思い出して。――そうして、一つの可能性に思い至る。
……きっとこの会話は、その「政治将校」様とやらに伝わる可能性があるのね、と。
そんなことを考えている間に、エフィムの話も一通り終わって。黒い筒から聞こえてきたフェディリーノ神父の言葉に、どうしてか、思わず吹き出す。
「ソウデスネ、トテモ残念ヤト、ワシモ、オモウデ」
……多分これは、エフィムの「残念なことに、僕には君を帝国臣民にする権限がない」という言葉に対する相づちなのだと思う。けど、この、何ともいえない怪しい言葉遣いとイントネーションは一体何なんだろう。
神父様って、言葉の信用が大切のはずよね。それがこれで、本当に大丈夫かしら、そんなことを思ったところで。
「古代、精霊ハ信仰でした」
再び流暢な言葉遣いになった神父様が、精霊について、彼の見解を述べ始めた。
◇
フェディリーノ神父は語る。大昔、人間にとって自然は脅威だった。雨が降れば川が氾濫しないよう祈り、雨が降らなくなれば作物が枯れ果てないよう祈る。祈りとは自然に対する畏れであり、感謝である。やがて、その祈りが、精霊に対する信仰を生む。人間は自然を精霊に祈り、精霊は祈りを糧とし、自然を恵む。そうやって、長い時をかけて、精霊と人間は、より穏当な相互関係を築いてきたと。
「ある土地、畑、タネをまきます。ある土地、船に乗って、アミを投げます。どちらも精霊に祈ります。無事にサクモツが実りますようにと。無事にサカナが獲れますようにと。ソノ祈り、本質は同じです。無事に食べ物が手に入るように、健やかな毎日が過ごせますように、祈りです。――デモ、畑と漁、作法、違います。農夫と漁師、健やかな毎日、違います。祈り、チガイマス」
同じ願いでも、形が変われば信仰が変わる。信仰の違いはすれ違いを生み、やがて争いへと発展する。……でも、「無事に食べ物を得たい」という、「健やかな毎日を送りたい」という祈りの本質は同じ。それなら、同じように祈り、共に歩きたい。そんな願いから、神の教えが生まれました。
「精霊の向こう、神、います。精霊への祈り、違っても、神への祈り、同じです。……ソウシテ、神の信者、違う土地、架け橋、ナリマシタ」
人も精霊も、神の創りし民。その土地々々に人が住み、その土地々々に精霊が住む。人と精霊が互いに手を取り合って生きる。その本質は、精霊信仰も神への信仰も同じ。ただ、精霊信仰はその土地を豊かにする信仰で、神への信仰は人をつなぐ信仰。
自然、精霊信仰は土着の民の信仰となり、神への信仰は旅人の信仰となる。そして、新たに生まれた「科学」という考え方が、両者のバランスを変化させる。
信仰によらず豊かさを手に入れる手段は、精霊信仰を日々の生活から解き放ち、移動手段や通信技術によって狭くなった世界は、神の信仰の重要性を高め、その広がりを加速させる。
――それは、転換炉、科学の力で精霊をより効率的に駆動して「冬を捨てる」道を選んだ帝国にとっても無視できない流れで。同時に、その帝国の在り方は、科学によって広がりを見せた神の教えにとっても無視できない存在で。その結果……
「帝国、私たち、受け入れました。帝国の教会、私たちを認めます。私たち、帝国の教会、認めます。その信仰の形、否定しません。だから、私たち、信仰変えること、拒みません。どちらの道、選んでも、ダイジョブです。安心して選んでクダサイ」
そんな言葉で、フェディリーノ神父は、自身の、自身の教えが持つ見解を語り終えた。
◇
神父様の信仰論?を興味深く聞き終えて。最後の「選んでクダサイ」という言葉に、どう答えようか、言葉をいくつか思い浮かべる。
……とはいっても、最初から、答えは決まっているのだけど。
「お話はわかりました。でも、まずはこの子と契約したいと思います」
いくつか思いついた言葉の中から一つを選んで、通信機に向かって話しかける。その言葉を聞いたであろう神父様の大きな声が、黒い筒を通して耳に伝わる。
「モチロンデス! ゴリヨウ、アリガトウゴザイマス!」
その言葉は、もうイントネーションとか訛りとかを通り越して、何かが可笑しかった。
「何かが可笑しかった」←誤字にあらず、です。(確信犯的誤用)




