3.異国文化(3)
テーブルの上に置かれた主菜の一品目、ショートパスタのクリームシチューのパイ包み焼き。そのスープ皿をおおうパイを、ナイフで崩す。下から出てきたのは、不思議なとろみのある、明るいベージュ色のスープのような何か。ところどころに転がっている、大きめに切られた具は、ジャガイモと多分何かの鳥の肉と、あと見慣れない赤い野菜か。それらがどんな味なのか、好奇心をくすぐられながら、まずは崩したパイを、明るい色をした半固形状のスープと一緒に、スプーンですくい上げる。
「……要するに、ガルショークをスープ皿で作った料理ね」
すくい上げたスープを口の中に入れて、味わって。なんとか感想をひねりだす。ガルショーク、蓋物のような器の中にスープを入れて、パイ生地で蓋をして蒸し焼きにした家庭料理。食べ方も雰囲気も、とても良く似ている気がする。……もっとも、上をおおうパイも中のスープも、味は全然違うのだけど。昼間に食べたサンドイッチもそうだったけど、パイもスープも、食べたことのない風味。私の知らない、どうすればこういう味が出せるのか、想像できない。
それでも、確かにガルショークと通じているところがある、そう感じる。
「あれ? この街に小麦は無いはずだけど?」
そんな私の感想に、エフィムが首を傾げる。この街に、小麦粉もその代わりになるような物はない。だからこそ、小麦粉を最初の取引の品に選んだんだけどと、そんなことを口にする。
この街でクリームシチューは作れないし、組織でも一度も食べたことはない。だから商売になる。そんなエフィムの言葉に、心の中で同意をして。それでも似ていると感じたのも事実。どうすればこの感覚を伝えられるのか、少し悩む。……と、後ろで見ていたプリィが、助け船を出してくれる。
「そうですね。昼に食べたサンドイッチは、初めて食べた味でした。……ですが、こちらにもパンやパンを使った料理はありますし、味は違っても、使い方はどこか似ていると感じました。ミラナ様もそう感じたのだと思います」
プリィの言葉に「ええ」と頷く。その言葉に、今度はエフィムがいまいち納得していない様子。その表情を確認してから、もう一口、クリームシチューという名の、とろみのあるスープを口に入れる。見知らぬ香ばしい匂いとなめらかな口当たり。ほのかな野菜の甘みに塩胡椒のシンプルな味付け。スープと一緒に入ってきたタマネギと、あと見知らぬ何かが、口の中でそっと存在を主張する。そうね、やっぱり全然違う、けど似ている、そう感じる。
一口食べて、頷いて。その様子を見ていたエフィムは、やっぱり首を傾げつつも、どこか興味深そうな表情を浮かべていた。
◇
その後、ガルショークという料理について、プリィが軽く説明をして。その説明を聞いたエフィムが首をかしげる。
「……オオムギやライムギって、あの黒パンの材料だよね? どうやってもこれと似た味にはならないと思うんだけど」
彼の感想に、スヴェトラーナ、リジィ、ホーミスが一斉に頷く。唯一温和な表情を浮かべたままのドヴォルフも、なんとなく同意してそうな雰囲気を感じる。
その反応に、少し納得できないものを感じながらも、「そうね、味は似ていないわね」と同意をする。……確かに味が似ていないのも事実だから。
そんな私の心の中を知ってか知らずか、エフィムの後ろに控えていたリジィが、率直であろう感想を口にする。
「いやだって、あの黒パン、甘いし酸っぱいしクセがあるし。どうやってもシチューにはならないと思います。……正直、あの味、苦手なんだよなあ」
「そうですね、私はこれまで、あまりオオムギやライムギの料理を食べる機会がありませんでしたが。ですが、どう調理すればいいかよくわからないと、ドヴォルフやホーミスからうかがっていますわ。……できるだけここの食材を使いたいと思っているのですけどね」
そのリジィの言葉に頷きながら、スヴェトラーナが少し困ったような表情を浮かべながら言葉を継いで。その言葉にホーミスとドヴォルフが頷く。……確かに、あの白いパンは、私たちがよく口にするパンとは違う味だった。でも、全員がこちらのパンを苦手としているのはどうなんだろうと思う。
きっと後ろのプリィもそう思ったのだろう、疑問を口にする。
「私たちのパンの食べ方も、多分帝国の方々と大きく変わらないと思いますが……」
「そうだね。僕は今日まで組織の屋敷で過ごしていたからね。慣れれば、あれも悪くないと思う。腹持ちもいいしね。でも、やっぱりクセはあるし、食べなれてないときついと思うな。……昔は帝国も、オオムギやライムギを作っていたはずなんだけどね」
プリィの言葉に、軽く肩をすくめながら答えるエフィム。それこそパンなんて子供の頃からあたり前のように食べてるだろうし、慣れも大きいだろうと。
……そんなエフィムの言葉に、以前マムから聞いた話を思い出す。大昔、帝国が国境の河グラニーツァリカに冬精を捨てる前は、この辺りも小麦を作っていたはずだねという言葉を。
その頃のパンはどんな味だったのだろう。ふとそんなことが気になった。
◇
そんなパン談義に花を咲かせながら、「ショートパスタのクリームシチューのパイ包み焼き」を食べ進める。言われてみれば確かに、このスープ、尖ったところのない、多くの人に好まれそうな味をしている気もする。
……それにしても、この独特のとろみがあるからだろうか、思ったよりも食べ応えがある。中に入った、少し大きめの肉と野菜とキノコと、よくわからない不思議な歯ごたえをした何かも、量としては意外とあなどれない。
スープなのに粥のような食べ応えというのも新鮮ねと、そんなことを思いながら、さらに一口、スプーンでシチューをすくって、口の中に運んだ。
◇
そうして、パン談義が一区切りついたところで。エフィムが、私が首からかけていた地精石のネックレスのことを聞いてくる。
「そういえば、そのネックレスだけど。今までしてなかったよね?」
「ええ。少し前に、特殊な石をもらってね。ネックレスにしてもらったの」
多分、話題にあげるタイミングを計っていたのだろう。興味深々といった風に聞いてくるエフィム。そんな彼に、この地精石を手に入れた経緯――知り合いの交易屋からもらったことや、私に反応して舞い踊るような光をまとったこと――を手短に説明する。
ふと気になって、意識を、エフィムの側にいるであろう「何か」に向ける。相変わらず、彼の周りを舞い踊るように飛び回る、光る何か。その何かから、うん、間違いなく地精だね、よく寝てる、もっと近くで見ることはできないかなと、そんな意思も漏れ伝わってくる。
……きっとエフィムも光る何かも、私に声が伝わっているなんて思ってなさそうね。もしかしてこれって盗み聞き? 精霊にもマナーって存在するのかしら? そんな疑惑が頭をよぎる。
そんな私の様子に気付かないまま、ネックレスに興味を覚えたのだろう、尋ねてくるエフィム。
「見せてもらっても?」
「どうぞ。……あなたの精霊さんにも、『近くで見た感想』も聞かせてほしいわね」
そうエフィムに返事をしながら、ネックレスを外して、プリィに託す。彼女からリジィを介して、エフィムへと手渡される。途中、リジィが少しアタフタとしていたのは、きっと慣れていないからだろうか。スヴェトラーナがそっとため息をつくのが目に入る。
そんな彼女の様子も気を止めずに、興味深そうにネックレスをいろんな角度から眺めるエフィム。……さっきの私の言葉から、意思が漏れ伝わっていたことに気付いたのだろう、もう光る「何か」の意思は伝わってこない。
「そうだね。間違いなく地精石だね。多分、君のことを認めてると思う。オットトもそう言っている」
「オットト?」
「ああ。僕を守護していると言い張っている、僕と契約している風の精霊」
よろしくと、今度は伝わってきた意思に、こちらこそと心の中で返事をする。でもこれ、伝わっているかしら? そう思ったところで、伝えたいと思ったことなら伝わるはずだよと、そんな返事。――かなり対話の力が強いみたいだから、目の前にいればまず大丈夫だよ、と。
風の精霊オットトとそんなやり取りをして。そのことを感じ取っていたのだろう、話を終えたところで、今度はエフィムが話しかけてくる。
「君も教会に行けば、この地精石に眠る精霊と契約できると思う。――というか、君が良ければ、できるだけ早く契約してほしい。そうすれば、教会から伝精者に認定されるからね。……もっとも、そのためには一度、帝国に行かないといけないんだけどね」
エフィムは言う。伝精者というのは、教会が精霊と対話することができると認定した人のことで、精霊と対話できる人は、帝国では尊敬されている。君に合う精霊を探すところから始めるつもりだったけど、すでに仲のいい精霊がいるのなら話が早いと。
「別に契約したからといって取り返しがつかない訳じゃない。教会に行けばいつでも契約を破棄することもできる」
精霊というのは自由で、よほどのことがない限り、契約した相手に執着したりしない。人間と精霊、互いにメリットがあるから契約をする。そこは結構ドライに考えればいい。そんなエフィムの説明に軽く頷く。
――昔はそうでもなかったみたいなんだけどね。これも時代の流れだねと、そんな意思がオットトから伝わってきて、その妙な人間くささが、少しおかしかった。
◇
そうして、ネックレスを返してもらって。程なくして、全員がシチューを食べ終える。……あれだけ色々と話しながら、エフィムが一番最初に食べ終えたのが不思議。急いで食べている風でもないのに、いつの間に食べたのかしら? 目の前で見ていたはずなのに、よくわからない。
そうそう。あの白いパン、小麦を粉にしたもの――小麦粉――を焼き上げて作ってるみたい。シチューの中に入っていた「よくわからない不思議な歯ごたえをした何か」、ショートパスタも、小麦粉を練って作っているらしい。スープにとろみをつけるのも小麦粉で、上のパイも小麦粉の生地を焼きあげたものみたい。
――えっと、つまり、ここに来てから、小麦ばかり食べているということになるのかしら?
少し首を傾げた私に、やや自慢げにエフィムが聞いてくる。
「どうだろう? 小麦一つで、これだけ色んなものが作れるようになる。商品として、なかなか魅力的じゃないかな?」
「そうね。『どう調理すればいいかわかれば』確かに魅力的だと思うわ」
そんなエフィムの言葉に、少しだけ皮肉を込めた返事を返す。……確かに、小麦でこれだけの料理ができると聞けば、面白いとは思う。けど、私たちだって今までオオムギやライムギを食べてきた。帝国の人たちからすればクセがあるのかもしれないけど、私たちにはそれが普通。
――面白いけど、特別に美味しいわけじゃない。今のままだと、物好きな人が買うだけになると思う。
「そうなんだよなぁ。……単に運んでくるだけじゃ、売れないよなぁ、やっぱり」
当然、同じようなことを考えていたのだろう、少し大げさに、エフィムが慨嘆した素振りを見せる。なんというか、その芝居っ気たっぷりの様子に、状況を楽しんでいる様子がありありと出ている。きっと同じことを思っているであろう、隣のスヴェトラーナと一緒に、やれやれと肩をすくめる。
本当、執事のドヴォルフも、彼のこんな小芝居にいちいち付き合わずに、早く次の料理を出せばいいのにと、そんなことを思いながら。




