2.異国文化(2)
そろそろ食事を始めようかというエフィムの声に、執事のドヴォルフが「失礼します」と、手にした酒をエフィムのグラスにそそぐ。透明度の高い薄紅色の液体が、ささやかな炭酸の弾ける音と共に、グラスに揺れる。
「前菜はトマトと生ハムとチーズを使った三種のブルスケッタ。主菜の一品目はショートパスタのクリームシチューのパイ包み焼き。主菜の二品目にはトナカイと豚の合い挽き肉のカツレツに、副菜に茹で野菜のビネグレットサラダ。食後にデザートでマスカットを準備しています」
慣れた手つきでエフィムのグラスに酒を注ぎながらメニューの説明をする執事のドヴォルフ。次いでスヴェトラーナ、最後に私のグラスへと、流れるような手つきでぴたりと同じ量の酒がグラスに注がれる。その流れるような所作に軽く目を奪われる。
「食前酒は、シャオビィツオ地方伝統のスパークリングワインをご用意しました。――では、まずは前菜をお楽しみください」
最後に食前酒のことを説明して、そっと下がるドヴォルフ。そんな彼にありがとうと伝えるエフィム。そのまま、一度私たちの方に軽くグラスを掲げて、そっと湿らせる程度に口をつける。
スヴェトラーナも同じようにグラスを掲げて、口をつける。銘々が好みのブルスケッタを手に取るのを見て、私も同じようにグラスを口もとに運びながら、目の前に置かれた「三種のブルスケッタ」を見る。
軽く焼き目のついた、外皮のついた白いパン。昼に出されたサンドイッチとはまた違った固く焼かれたであろうパンの上に、やはり見慣れない具が乗せられた、いかにも酒肴らしい一品。……予想はしていたけど、やっぱり組織のパーティーとは完全に違うわね。過去に本で読んだ外国のテーブルマナーに近いのかしら、そんなことを思う。
本で読んだだけの知識、それも多分、帝国貴族のものとは違うであろうその知識がどれだけ役に立つのか、正直疑問。でも、「とりあえず肉と酒」みたいな組織の流儀よりはきっと近い。意識しておこうと考えて、少し笑う。
そもそも、目の前の「三種のブルスケッタ」だって、言われなればどんな料理かわからないし、二人が食べるところを見なくては、どう食べればいいのかすらわからない。そんな状態でできることなんて、限られてるに決まっている。肩肘張ってもしょうがない。
きっとエフィムは細かいことは気にしない。だから、同じように気にしないでくれるであろうスヴェトラーナに呆れられない程度に肩の力を抜いていこう、と。
◇
「この後、出された料理が食べ終わったころを見計らって、次の料理が一品ずつ出てくる。基本的に食事や酒に関することはホストの使用人、今回だと執事のドヴォルフの仕事になる。彼に任せていればいい」
目の前のブルスケッタをまずは一つ食べ終えたところで、エフィムが口を開く。きっとこれからマナーに関することを説明してくれるつもりなのだろう。丁寧に聞こうと心がける。
「今回、リジィやプリラヴォーニャには従者としてここに来てもらったけど、従者は食事の席で何かをする訳じゃない。基本的に主人の後ろに立っているだけでいい。――但し、ドヴォルフは食事以外のことは何もしない。そして、僕たちも食事以外のことはしない。何かあるときは従者にさせること。……もちろん、会話とかは構わないけどね」
エフィムの一言一言を心に留める。後ろのプリィも、きっと真剣に聞いているだろう。……エフィムの従者のリジィも、私たちと同じように真剣に聞いている。見た感じ使用人というよりは「若い軍人さん」のような印象だったけど、彼も私たちと同じように帝国の、多分貴族の作法には疎い人なのだろうか。エフィムの言葉にそうそうと頷くスヴェトラーナを見て、なんとなくそう思う。
「食事に関することで従者が口出しするのは、主人が相手のことを信用していないという意思表示になるからね。――実際、食事を始めようとしたところで従者が『毒味をしてから食べる』なんて言い始めたら、信用も何もあったもんじゃないだろう?」
いかにも彼らしい、冗談を交えて説明するエフィム。その言葉に少し場の空気がふっと和らぎかけたところで、さっきまでエフィムの言葉に頷いていたスヴェトラーナが口を開く。
「一部の政治将校にはいますわよ。『同志諸君、悪いが私は用心深くてね。いや、貴君らを信用していない訳ではないのだ。ただ、私は立場上、敵も多くてね。用心しなくてはいけないことはわかってほしい』とか言いながら、本当に従者に毒味をさせる御方も。……政治家にしろ軍人にしろ、帝国で一定以上の地位を欲するなら、そういう御方とも上手くつきあっていく必要がある、今の帝国はそういうところですわ」
軽く肩をすくめながら言う彼女。エフィムの後ろでリジィが軽い嫌悪を示しながらも話に共感しているのを見て、きっとその「一部の政治将校」というのは本当に嫌われているのだろうと察する。……それにしても、その発言はマナー以前の話ね、そう思いつつ、冗談めかした口調で聞いてみる。
「……喧嘩を売るためのマナーかしら」
「むしろ喧嘩を売ってくれるのなら楽なんだけどね。あの人たちは、相手の足元をすくうことしか考えていないからね。そのあたり、組織の人たちの方がわかりやすくて気持ちいいくらいだよ。――まあ、そういう相手さ。臨機応変に対応していくしかないだろうね」
エフィムの、困ったもんだと言いたげな、冗談めかした口調の返事。だけどその言葉に、結構な割合で本気が入っているのを感じる。きっと相当に厄介な相手なのだろう。……心にとどめておいた方がよさそうと感じ取れるくらいには。
そんな、冗談めかしているのに和やかにならない会話に何か思うところがあったのだろう、スヴェトラーナが少し話題をずらす。
「……ちなみに。組織だとどうなるのかしら?」
「『売られた喧嘩は買うのが礼儀』とか言いそうだよね。……いっそ、期待に応えて毒を盛るかな?」
スヴェトラーナの、冗談だけどきっと純粋な疑問でもあるその問いに、組織のことをわかっているようでわかっていないエフィムの返事。それを聞いて、思わず笑いそうになる。
「まさか。こっそり毒を盛ったりはしないと思うわ。――そうね、期待に応えるつもりなら、もっと堂々と、皿の上に小銃でも乗せて出すんじゃないかしら」
私の言葉に虚をつかれたのか、一瞬言葉を無くすエフィムとスヴェトラーナ。スヴェトラーナの後ろに控えているホーミスや執事のドヴォルフはどうだろう、これまでずっと表情を変えずに控えていたので、正直よくわからない。
そんな中、なんとなく組織のイメージが伝わったのか、エフィムの後ろで控えていたリジィが反応する。
「それは、でっかい皿が必要ですね」
そのおどけた言葉に少し笑って。従者がこういう反応をするのはいいのかしらと、そっとスヴェトラーナの様子をうかがう。……そうね、控えておいた方がよさそうねと、彼女の後ろで控えているホーミスを見て思いつつ、そっと食前酒に口をつける。
とりあえず冗談で場が和んだのを感じながら、思う。私もプリィもありきたりな街の人間ではないと自覚しているけど。それでも、組織の、街の流儀が一番馴染むわね、と。
◇
そんな、冗談まじりの会話をしながら、食前酒を嗜んで。軽い炭酸の入った程よい酸味の果実酒に食欲を刺激されながら、同じく軽い酸味のする赤い果実が乗せられたブルスケッタという料理を口にして。
やや時間をかけて食べ終わると、執事のドヴォルフの指示で皿が下げられ、入れ替わるように主菜の一品目が並べられる。
「主菜の一品目、ショートパスタのクリームシチューのパイ包み焼きです。帝国の食材を使って作られています」
「いや、最近はずっとこの街の料理を食べてたからね。逆に新鮮だよ」
あいかわらずなエフィムの言葉に和みながら、テーブルの上に並べられた料理を見る。こんがりと焼き上げられたパイでふたをされた、深いスープ皿。「ショートパスタのクリームシチューのパイ包み焼き」というからには、この下にはショートパスタのクリームシチューがあるはず。でも、そもそもパイの色からして、馴染みのある、ライムギの生地を焼き上げたパイと違う。
「ミラナ様のお口に合うとよろしいのですが」
「そうね。これまでも、珍しい料理を楽しませてもらっています。本格的な料理もきっと楽しめるだろうと、そう期待しているわ」
私の言葉にありがとうございますと礼を言って、新しいグラスに、今度は白い果実酒を、やはり見惚れるような手際で注ぐドヴォルフ。そうして一通り準備を終えた彼は、それではごゆるりとお楽しみくださいと一礼して、再び控える。
エフィムたちが机の上に並べられたカトラリーを外側から手にするのをそっと確認して。さて、中から何が出てくるだろう、そう思いながら、そっとパイ生地にナイフを入れた。




