7.転居を控えて
「……と、記念すべき第一回目の取引は、ざっとこんな感じだな」
駅での取引を終えたあと。ピリヴァヴォーレは、街の外れにある小さなレストラン「ヴィヌイとパトロアの手料理屋」で、目の前に座るヴィヌイに話しながら、少し遅めの昼食を口の中に放り込む。
駅での取引を終えて、帰りの馬車の中で今後のことを軽く話しあってから、飛び領地で解散したエフィムたち一行。そのまま寄り道をせずに組織の屋敷へと戻ってきたピリヴァヴォーレは、必要な手回しを済ませてから、少し遅くなった昼食をとりに、馴染みの小料理屋に足を運ぶ。
昼食時から少し時間が過ぎた、人気のない小料理屋。そこでヴィヌイの、なんでいつもちゃんとした時間に来ないのかしらぁという声に出迎えられる。今日はもう、昼食は全部売れちゃったわよぅなんて言いながらも、何も聞かずに厨房の中に入るヴィヌイに、あたりまえのように席に座るピリヴァヴォーレ。
やがて、こんなものしかないけどと言いながら、テーブルの上に、シチュー皿に盛り付けられた料理を置く。小さめに刻んだ肉や野菜をまぜこんで煮込んだ蕎麦の実のカーシャ。シンプルな、どちらかとありあわせのまかない料理をピリヴァヴォーレは、おう、旨そうじゃねえかと言いつつ、口の中へ勢いよく放り込む。
「で? 今日は何かしらぁ?」
「あん? 単に飯を食うのが遅くなったから来ただけで、これと言った用事はねぇよ」
「……どうせ来るなら、時間内に来てほしいわぁ」
一人前にしては少し多めの、まだ熱々のカーシャを、勢いよくかっこんでいくピリヴァヴォーレ。その食べっぷりを眺めるヴィヌイ。彼女の文句にピリヴァヴォーレは、まあそう言うなと返事をしてから、ようやく一息、水を飲む。
ピリヴァヴォーレがメシを食おうと外に出るだけで若いのがまとわりつくようになったのは、いつの頃からか。いつのまにか一匹狼でなくなってしまった目の前の男を見て、ヴィヌイはふふっと笑う。
寄ってくるのをいちいち相手にしていたら一匹でなんていられるはずがないのに。ほんとぉにこの人、たまに、あたり前のことがわからなくなるわねぇ。目の前で、勢いよくまかないをかっこむ姿を眺めながら、そんなことを考える。
そんな、黙ったままのヴィヌイに、ピリヴァヴォーレは話しかける。先ほどの駅でのあれこれ。帝国のとぼけた客人がどうだの、あの突拍子のねぇ嬢ちゃんがああしただの、もう一人の帝国の姉ちゃん、ありゃあ振り回されるのに慣れたんだろうなだの、色気のない話を、見栄も張らずに披露する。
「そんなこと、私に聞かせて、どうするつもりかしらぁ」
ヴィヌイの、悪戯っぽい表情を浮かべながらの返事に、つれねぇなぁと返すピリヴァヴォーレ。そんな、食べながらの会話が少し続いて。ふと、ピリヴァヴォーレがヴィヌイに、不意にこぼす。
「……しかしまあ、あの嬢ちゃんがあいつらにべったりしねぇのを見れたのだけは、マシだったか」
その言葉を、ヴィヌイは少し咀嚼して。ピリヴァヴォーレが何を心配していたのかに気付いて、フフフと笑う。
「思うんだけど、ねぇ? そのミラナって子、誰かに媚びようとかどっちにつこうとか、そんなこと、考えてないと思うわぁ」
その言葉に、首をひねるピリヴァヴォーレ。それを見て、ヴィヌイは思う。決して鈍くないはずなのに、どうしてこの人、ところどころでこうも鈍くなるのかと。
「その子はねぇ、きっと、組織の人たちみたいに、誰に付くとか、そういう考え方はしないのよ。――デュチリ・ダチャの女はみんなそうなのよ」
その言葉に、ピリヴァヴォーレは苦笑いする。ヴィヌイの言葉はいまいちわからねぇ。……いや、言ってることはわかるんだが、実感が持てねぇ。そいつはきっと、組織にどっぷりつかっちまったせいだろう。
ヴィヌイとあの嬢ちゃんとは全然違ぇ。でも、コイツが「デュチリ・ダチャの女はみんなそう」というのなら、きっとそうなのだろう。そう思いつつ、ピリヴァヴォーレは、まかないに出された蕎麦の実のごった煮カーシャの、最後のひと掬いを口に入れた。
◇
「おかえりなさい、ミラナさま」
「ただいま、プリィ」
「今、飲み物を入れますから、少しだけ待っててください」
駅での取引を終えて、自分の店へと帰宅したミラナ。店を通り抜けて部屋に入ったところで、プリラヴォーニャと挨拶を交わす。
プリラヴォーニャがここに来て数日。マムに「便利に使えばいい」なんて言われたからといって、本当に彼女を便利に使うつもりなんてなかったミラナ。だけど、掃除、洗濯、炊事といった家事全般を嬉々として、手際よくこなしていくプリラヴォーニャに、ミラナの手伝う余地はなかった。
元は組織の幹部の娘よね? 全然そうは思えないんだけど。そんなことを思いながらも、手伝った方が邪魔になるような状況に、あっさりと降伏したミラナ。結局、家事全般の主導権をプリラヴォーニャへと譲り渡す。
そんな経緯もあって。今もあたりまえのように、自分の目の前で手際よく、ミラナにはあまりなじみのないハーブを使って茶を淹れるプリラヴォーニャ。この香り、確か疲労回復に効く奴よねと、そんなことを思いつつ、部屋の小さなテーブルの前で、彼女が茶を淹れ終わるのを待つ。
「で、どうでしたか?」
準備を終えて、プリラヴォーニャも席について。2人は、軽く酸味のする茶を一口含んで、ホッと一息。そのまま、プリラヴォーニャに答えるように、ミラナは、今日の出来事を話し始める。
駅までの道中、馬車から見た風景。郊外の駅。雪を巻き上げながら通り過ぎる列車。停車した列車にほんの少しの荷物の受け渡し。そんなミラナの話に、軽く相槌を打ちながら話を聞き続けるプリラヴォーニャ。やがてミラナが「エフィムの背中に雪をいれてやった」なんて言い出したところで、プリラヴォーニャは軽く吹き出す。
「そんなことしてると嫌われますよ?」
「大丈夫よ。あのタイプは、ああいったことでは怒れないから」
プリラヴォーニャの率直な感想に、大丈夫よとあっさり返すミラナ。それを聞いたプリラヴォーニャは、笑いながらも、相手のエフィムという男の人に少し同情する。――数日間、一緒に住んでみて、しみじみと思う。ミラナさま、意識しているのかどうかはわからないけど、意外と人との距離が近い。それも、思いがけないタイミングで距離をつめてくるところがあると。
……その内の半分はきっと、ミラナさまがデュチリ・ダチャの人だからと、プリラヴォーニャは思う。この人は今まで、いろんな人と接してきて、人を見る目や接し方を磨いてきた。それはきっと、わたしにはできないことだと。
「でも、帝国の貴族で家柄も悪くないはずなのに、あまり偉そうなところが見えないのは、少し意外ね。勘違いした組織の若い子の方がよっぽど偉そうなくらいだわ」
「それは、こう、のんびり過ごしてきたからかも? わたしみたいに」
ミラナさまの言葉に、冗談めかして返事をして。その言葉に少し笑いながら、彼は彼で、色々と人間関係で苦労はしてそうねと、ミラナさまは言う。
常に笑顔を浮かべて、身振り手振りを交えて、明るく接する。話す相手や周りを見て、自分の態度を瞬時の内に決める。――好意も善意も嘘はない。でも、場にそぐわない感情を抱いたときも、きっと同じ笑顔を浮かべたまま。決して周りに悟らせない。
彼がしているのはそういうことだと思うし、そういうことができる人は、多分、その人なりの苦労はしている。そんなミラナさまの言葉を、ふむふむと聞く。
そして、その言葉に感心したところで「苦労したぶん悪意に敏感で、だから悪意のない人を憎めない、そんな感じね。だから、背中に雪を入れられたくらいじゃ、怒ることはできないと思うわ」なんて言い始めたのを聞いて、ほんの少しだけずっこける。……ミラナさま、いつか嫌われたりしないかなぁ、と。
そうしてミラナは、ころころと表情を変化させながら話を聞くプリラヴォーニャの様子に和みながら、一通り話を終える。……プリィの持つこの和ませる雰囲気はどんな苦労から生まれたんだろうと、そんなことをこっそりと思いつつ、最後の茶を口に含んで、その味を楽しむ。
そうして、少しの間、無言の時間が過ぎて。感傷的な気分になったのだろう、ミラナが感慨深げにつぶやく。
「ここも、明後日までね」
その言葉を聞いて、プリラヴォーニャは思う。ミラナさまはずっと、ここに住むことを目標に、これまで過ごしてきた。きっと色々と思うところもあるのだろう、と。
「でも、また来ることもあるんですよね?」
「そうね。私も、ここを手放すつもりもないわ」
実際、この先、使うこともあると思うわとミラナ。そんな彼女の言葉に頷いてから、プリラヴォーニャは思う。ミラナさまが今まで思っていたのとは違う形で時がすぎて。そのことに思うところもあって。でもそれを、ちゃんと受け止めて、先に進める。それはきっと凄いことで。そんな人の近くで過ごせるのは、きっと自分にとっては幸運なことなんだろう、と。
きっと、この人とならうまくやっていける。プリラヴォーニャはそう感じた。
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飛び領地邸の仮面夫婦
第三章 転居騒動 了
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これにて第三章は終了です。
幕間話をはさんだあとに第四章に突入する予定です。
※あらすじに書いてあった予定を修正しました。
修正前:大体半年、十万字程度の作品となる予定です。
修正後:約二十~三十万字の作品となる予定です。2022年中に完結できるよう頑張ります。
予定が大きく変わってしまいごめんなさい。
しょうがないなぁと笑って許していただけると、ほっとします。




