5.取引見学(2)
ところどころに雪を残すホームの上。ミラナは、「少し見せてもらってもいいかしら」と断ってから、見晴らしのいいホームの上を歩き始める。そのミラナの声に頷いてから、彼女の斜め横を歩くエフィム。
そんな二人の様子を見届けてから、ピリヴァヴォーレは、少し面倒そうに、改札のすぐ近くの壁へともたれかかる。
「あなたは見て回らなくていいのですか?」
スヴェトラーナの問いかけに、肩をすくめるピリヴァヴォーレ。彼の、こんな場所、何度も見るもんじゃねぇだろうよという心の声が伝わったのか、何も聞かず、すぐ近くのベンチへと移動するスヴェトラーナ。
いつの間にか準備していたのだろう、手にしたシートをベンチの上に敷いてから座るスヴェトラーナ。その様子をちらりと見てから、ピリヴァヴォーレは彼女に尋ねる。
「なあ。例の列車、いつ来るんだ?」
「あと二十分程ですが。……その前に、通過する列車がありますわね」
その問いに、もう一つ情報を付け加えて答えるスヴェトラーナ。その答えを聞いたピリヴァヴォーレは、「ああ、そうか」なんて生返事を返して、ホームを歩くミラナとエフィムに視線を向ける。
「もうそろそろ、来る頃だと思いますわ」
スヴェトラーナの声を聞きながら、ピリヴァヴォーレは、何とは無しに、二人の様子を眺めていた。
◇
「あっちが帝国、あっちが隣国だね」
歩きながら、簡単な説明を入れるエフィム。その言葉に頷きながら、ホームの上を歩くミラナ。
「駅としてはほとんど使っていなかったんだけどね。でも、この線路はずっと使ってきた。何よりここは、国境橋アグロウニモスツの直近の駅の一つだからね。列車の整備や一時的に停車するための施設として利用したり……っと、そろそろかな」
エフィムの説明を聞きながら、なんとなくホームの端の方を歩いていたミラナ。が、そのエフィムは説明を中断して足を止める。そんな彼につられるように足を止めるミラナ。その二人の耳に、微かにベルの音が響く。
「少し下がって。危ないから」
駅の建造物、改札の向こうで鳴るジリリリリというベルの音に、ミラナをホームの中央の方へと下がらせるエフィム。何が起きるのかわからないままに内側へと下がるミラナは、その視界の端、帝国へと続く線路の上に、今までなかった「何か」を見る。
――ああ、あれが「列車」ね。
まだ遠くに小さく映る、今までに何度も話に出てきた、見たことのない乗り物の姿に、好奇心を刺激されるミラナ。……確か、何台もの「車」が連なってるのよね。先頭の「車」が馬の代わりになって後ろの「車」を引いていると、本で手に入れた知識を思い出しながら、ミラナは、遠くの列車へと視線を送り続ける。
そんな、彼女の視線の先で。雪煙を上げながら近づくその列車は、徐々に大きくなっていき。やがて、轟という音とともに地面を揺しながら、ホームのすぐ近くにまで迫ってくる。
そのまま、比較するのもバカバカしくなるような、どんな馬車よりも大きく早い「車」は、連なったまま、二人の目の前を通りすぎる。
空気が震えるほどの質量が、高速で、何十秒もの間、目の前を通過し続ける。二メートルほど先を走る列車の、その速度と質量に圧迫される。舞い上がる雪に身体を濡らされ、それでも、視界の奥にぼんやりと映る巨大な質量に、身動きすることを忘れる。
そうして、列車が通り過ぎて。振動の余韻が去ってしばらくして。そこでミラナは、自分が大きく息を吐き出したことに気付く。
それは、今までミラナが見てきたどんな風景よりも暴力的で、迫力に満ちた風景だった。
◇
――大丈夫かい? どうも街の人は、列車を見ると、凄く驚くんだけど。
そんな声が風に運ばれてくるのを聞いて、当たり前だろオイと心の中でぼやくピリヴァヴォーレ。というか、どうしてコイツらは平気なのかと、少し離れた場所にいるエフィムを眺める。と言ってもまあ、わかった気もするなぁと、ピリヴァヴォーレは思い始めてもいたが。――あんなとんでもねぇのも、わかってりゃあこんなもんか、と。
「アンタは、あの列車ってのを始めて見た時はどうだったんだ」
ふと、興味にかられたのだろう。ピリヴァヴォーレは、すぐそばのベンチに座るスヴェトラーナに聞いてみる。
「さあ? 覚えてませんわ」
列車なんて、帝都に住めば当たり前のように乗りますから。ピリヴァヴォーレの問いかけに、そっけない返事をさらりと返するスヴェトラーナ。その返事に思わず「オイテメェ」と文句を言いそうになりながらも、ピリヴァヴォーレは、続くスヴェトラーナの言葉に耳を傾ける。
「ただ、こんな速度で通過する列車は、帝都ではまずお目にかかれないのも事実ですわ。――大型の列車があの速度で通過すると、なかなかに圧迫感はありますわね」
少なくとも私は、あんな近くで通り過ぎるところを見たいとは思いませんわというスヴェトラーナの言葉に、ピリヴァヴォーレは、あの迫力が帝国人にとっても普通ではないだと知って、まあそうだよなぁと納得していた。
◇
程なくして、再び歩き始めるミラナとエフィム。吹き上げられた雪煙のせいで無駄に外套を濡らす羽目になったミラナは、この人絶対知ってたわよね、いつか雪で濡らしてやるわなんて思いつつも表に出さず、静かに衣服を整える。そんな彼女に「ここは巨大橋アグロウニモスツに近いからね。駅としては使ってなかったけど、帝国にとっても重要な場所なんだ」と、再び説明を始めるエフィム。内心を隠しながら相槌をうって、時に質問をするミラナ。
そんな二人の様子を見たピリヴァヴォーレは、あの嬢ちゃん、いいタマしてんなぁなんてことをそっと思う。
しばらくの間、ピリヴァヴォーレは、なんとなく、二人を眺め続けていた。
◇
そうして、時間が過ぎて。ミラナも一通り好奇心を満足させたのか、やや退屈を感じ始めた頃。改札の奥から、再びジリリとベルの音がホームに漏れはじめる。その音を聞いて、隣国側の線路を見るエフィム。そっとホームの中央へと避難してから、エフィムの視線の先を見るミラナ。駅の建造物の出口付近で、そのまま到着を待つピリヴァヴォーレとスヴェトラーナ。
そんな四人の待つホームに、再び列車が、今度はゆっくりと、速度を落としながら入ってきた。
◇
先ほどとは反対方面から、同じく反対側のホームへと侵入してくる列車。ゆっくりと、静かに近づいてくる列車を、ミラナは見続ける。
先頭の車両が、ミラナとエフィムの目の前を通りすぎる。その独特な形状の車両に、ミラナは好奇の目を向ける。そのすぐ隣には、何か言いたそうな表情を浮かべたエフィム。ミラナの意識が列車に向かっていることに気付いたのだろう、説明しかけた口を閉ざしている、そんな風情。
続く客車。硝子の窓が並ぶ、やはり巨大な車両が、二人の前を通りすぎる。ミラナの好奇の目は変わらない。次の客車、その次の客車と、先頭の機関車に引かれた車両が、速度を落としながら、次々と通りすぎる。ミラナの意識が、車両から、硝子窓の中へと移る。
その大半は、カーテンで遮られた、中身を見ることができない窓。そんな中、ときおり通りすぎる、カーテンの空いた窓。窓の向こうから手を振る子ども。気付いたエフィムが手を振り返す。
誰もいない、個室の窓が通りすぎる。誰もいない、寝台の窓が通りすぎる。窓から外を見る老夫婦が、カーテンを開けたまま本を読む厳つい顔をした壮年の男が、女が、家族が、二人の目の前を通り過ぎる。
そうして何台もの車両が、窓が、人々が、速度を減じながら、二人の前を通りすぎて。やがて、二人の前で、列車は停車する。
――それまで何度か、エフィムやスヴェトラーナのような帝国貴族が乗り降りするために列車を停めることがあった、それ以外では客車や貨物列車を停めることのなかった駅。そんな駅に停まった、週に一度の定期便。
それは、何十年、駅として機能していなかった駅が、ささやかに、駅として使われ始めた瞬間だった。




