3.ミラナの店での会談(2)
ピリヴァヴォーレの「こんな店に引っ込んで距離を置かずに飛び領地邸に住んでくれ」という依頼を聞いたミラナは、その揶揄するような口調に、一瞬だけ不機嫌そうな表情を見せる。
そんな彼女の様子を見て、苦笑いを浮かべるドミートリとマム。ミラナとなじみの薄いプリラヴォーニャだけが、キョトンとした表情を浮かべる。
そんな周りの様子に、自分が挑発に乗せられそうになったことを気付くミラナ。深い呼吸を一回、心を落ち着かせる。何でこの人は喧嘩腰なのよと、そんなことを思いながらも、言葉を探し始めた。
◇
「……そうね。まず、私があの屋敷に住むと何が得なのか、聞いて良いかしら」
心を落ち着かせながら、言葉を探すミラナ。そうして、ほんの少しの時間考えたあと、そもそもの疑問をピリヴァヴォーレに投げかける。
「嬢ちゃんがあの屋敷に住む利点ってぇのは色々とあるんだがな。まずはアレだ、俺らがあの客人にへりくだる必要がなくなるってのが一番の利点だな」
そうして返ってきた言葉に首を傾げるミラナ。それだけで通じるとは思ってなかったのだろう、説明を続けるピリヴァヴォーレ。
「元々、あの帝国のを客人として屋敷に招いていた理由の一つはな、あいつの部下のいるところだと、あの客人は俺らと対等に話すことが出来ねぇなんて、阿呆みてえな事情のせいでな」
帝国人にとって俺らは田舎者未満、乞食同然の身分ってことになるらしくてなと、そう言葉を続けるピリヴァヴォーレ。あの客人やその相棒の姉ちゃんがそう思ってねぇのはわかるんだけどな。いかんせん、あいつらにも立場があって手下もいる。そいつらの前で対等に接すると問題になるなんてふざけた話でな。……まあ、こっちも人のことは言えねぇんだがな。あいつらにはあいつらの面子があるように、俺らには俺らの面子がある。商売するために相手にへりくだるなんざ、無茶な相談だ。
そんなピリヴァヴォーレの言葉を、頷きながら聞くミラナ。組織の人たちは面子が全てよねと。むしろ、公的には乞食同然の扱いになると知ってなお商売を続けようとする方が意外。でも、それはきっといまさらで、お互いさまなんだろう。そんな事を思いつつ、話を聞き続ける。
「そのめんどくせえ事情がな、なんと嬢ちゃんがあの客人と仲良くなるだけで万事解決しちまうんだ。見逃せねぇよなぁ、そんなおいしい話はよぉ」
まあ、正直眉唾だ。でも、あの帝国の客人はそいつを保証した。なら、ホントにそうなんだろうよと、そうピリヴァヴォーレは話を締めくくる。あの客人も、そんなところで嘘はつかねぇだろうと。
その話を聞いたミラナは、思ったことを短く口にする。
「初耳ね」
「ああ、そいつはあの客人の手落ちだよなぁ。って言うかまあ、俺たちも同じだけどな。ったく、なんでそんな大事な話が漏れるかねぇ」
冷やかなミラナの一言に弁明しつつ、ジト目でドミートリの方を見るピリヴァヴォーレ。それを見て、同じように冷たい視線を送るミラナ。2組の視線を受けて、ドミートリは言い訳めいた言葉を返す。
「いやぁ、あの話のまっ最中にそんなことを言うのは、正直無理っすわ。大体、あの日の内に話をまとめるつもりなんか無かったじゃねえっすか。せっかくいい感じに話がまとまったのに、余計なことを言って話を壊しちまうのももったいねぇ、そう思ったんスよ」
ドミートリは言う。元々、ミラナの回答は急ぐつもりはなかったし、予定よりも話が進んだ。ミラナがデュチリ・ダチャを出ていくなんて話は意表を突かれたのは確かだけど、その位は後でどうとでもなるかなぁと、そう思ったと。
そんなドミートリの話を、けらけらと笑いながら遮るマム。
「まあ、アタシはこうなると踏んでたけどね。あの結果を聞かされて、このジジイが騒がない訳がないって」
マムのジジイという言葉に、ピリヴァヴォーレは一瞬だけ眉を動かす。その様子を見て少し留飲が下がったのか、ミラナはクスリと笑い。――そのまま「わかったわ」と快諾をする。
そうして、思っていたよりもあっさりと合意できたことに、ピリヴァヴォーレはやや毒気を抜かれた表情を見せた。
◇
そうして、ピリヴァヴォーレとの話し合いが終わったところで。マムが、傍らに座らせたプリラヴォーニャに目配せをしたあと、ミラナに話しかける。
「話が決まったところで、もう一つだけ。ウチとの連絡役に、ちょっと早いけどこの娘をそばに置いてくれると助かるね。なに、何をするのかはこの娘が自分で判断して動いてくれるから、アンタは便利に使ってくれればそれで良いさ」
マムの唐突な言葉に、便利に使えばいいなんて言われてもと、少しの戸惑いを見せるミラナ。
「掃除に洗濯、料理と一通りのことは仕込んである。どれも、アンタは不慣れだろう?」
「家事くらい、自分もできるけど……」
マムとそんな会話をしながら、傍らのプリラヴォーニャをちらりと見るミラナ。不慣れだけど別に出来ない訳じゃない、そう思いつつも、マムに言われるとなんとなく反論しずらいのだろう。「自分で何でもやろうとするのも良いけどね。今は色々と忙しいんだ、つまらないことはその娘にやらせておけば良いさ」というマムの言葉に押し切られてる形で、その日の話を終えた。
◇
「何か、えれぇあっさりと話がついたな」
店を出て、マムとも別れて。組織の屋敷へと戻る途中、そうドミートリに話しかけるピリヴァヴォーレ。
「そりゃあ、ミラナも覚悟はしてたんじゃないっスかね」
そんなドミートリの返事に、なら何であの嬢ちゃんはデュチリ・ダチャを出てあの店に住むなんてことを言い出したのかと、ピリヴァヴォーレはいまいち納得できない様子を見せる。
そんなピリヴァヴォーレに、「そりゃあ、考えてもなかったんスよ」と、あっさりと答えるドミートリ。
「ミラナは今まで、金を貯めて足を洗って、あの店で自分の人生を始めよう、それだけを考えて生きてきた女ですぜ。それが、あの帝国の御仁の登場で変わっちまった。――アイツは馬鹿じゃねぇ。変わっちまったってことは理解できる。……でもなぁ、変わっちまったことを理解できても、それまでの考え方は簡単には抜けねぇ。こいつはそんな話だと思いやすぜ」
ドミートリの言葉を、いまいち納得しきれないような表情で聞くピリヴァヴォーレ。その様子を見て、ドミートリは笑う。――叔父貴も、いまいちデュチリ・ダチャの女って奴をつかみきれてねぇよなぁと。
「そんなもんかねぇ」
「そんなもんっすよ」
そんな、意味のない言葉をかけあって。二人は並んで、屋敷へと続く道を歩いて行った。
◇
「これからもよろしくお願いしますっ!」
ピリヴァヴォーレたちが店を出て。残ったプリラヴォーニャは、元気さを全面に出してミラナにあいさつをする。「こちらこそよろしく」と言いながら、どこか居心地が悪そうにベッドの上に座るミラナ。それを見たプリラヴォーニャは、押しかけるみたいになっちゃったな、悪かったかななんて思いつつ、お部屋を拝見させてもらう。
よくある一人用の部屋。ベッドが大きめなのはデュチリ・ダチャの女だからだろう。そんなことを考えて、わたしもいろいろと変わっちゃったなぁと、すこし可笑しな気分になる。
組織の幹部の娘に生まれて。わたしはお嬢様なんて柄じゃなかったけど、父様や母様はそれを押し付けてきた。自分たちは乱暴なくせに。家のことは全部人まかせなくせに。いつも組織の、アティーツの屋敷に住んで、家には月に数度しか返ってこなかったあの人たち。私は正直、苦手だった。
――父様と母様が組織を出し抜こうとして命で贖ったと聞いても、何も思わなかった。いつかそうなる気がしてた。ただ、何でそのことを知ったんだろう、それが不思議だった。知らない内に、気付かない内に殺してくれた方が楽だったなと、そう思った。
でも、そのことをわたしに教えてくれたマムは、そのまま私をデュチリ・ダチャに連れてきて。ああ、ここが、でもなんで?、首を傾げて。きっとわたしが父様の娘だからかな、そう自分を納得させた。
……わたしはお嬢様なんて柄じゃない。でも、デュチリ・ダチャの女なんて、もっと柄じゃない、そう思ってたんだけど。そうしたら、今度はミラナ様に色々あって。いろんな話をマムから聞いて。そうして、今、わたしはここにいる。
わたしは幸せだったのか、よくわからない。幸運だったのかもわからない。マムもミラナ様もどんな人なのかまだよくわからない。だけどきっと、父様や母様よりは苦手じゃない、そんな気がする。そんなことを思いながら、部屋を一通り見て回る。……うん、寝るときは店のソファを借りるしかないかなと、そんなことを考えて。
――日が暮れたあと、お人形さんみたいに綺麗な人と一緒のベッドで眠ることになってドキドキすることになると、この時のプリラヴォーニャは思ってもいなかった。