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飛び領地邸の仮面夫婦  作者: 市境前12アール
第二章 飛び領地邸[エフィム邸]
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6.契約(2)

 玄関ホールの隣、南向きの窓からあたたかな陽が差し込む部屋。前もって準備したのだろう、既に人数分の飲み物が準備された席に、私たちとエフィム達が向かい合うような形で、順次座っていく。


「すまないね、少し人手不足でね」


 そう言いながらもどこか楽しそうに、ティーポットを手に、自ら用意されたカップに順に飲み物を注いでいくエフィム。……彼の方から感じる軽く呆れた何かの気配に、どうやらこの人はこれが「いつものこと」らしいと知って、そっと私も呆れそうになる。

 そうしている内にティーカップから立ち上る湯気と、少し不思議な香り。なんだろうと思いながら、少し口をつける。……やがて、お茶のような、でも見知ったお茶とは違う、そんな味と香りが口の中に広がる。


「こちらは帝国製の『茶葉』を加工して淹れた茶です。帝国では最も一般的な物になります。――これも趣向と思い準備しました。お口にあえばよろしいですわ」


 スヴェトラーナの説明に、そういえばと本に書いてあった知識を思い出す。何十年も前、帝国が国境の河グラニーツァリカに冬精(ふゆ)を捨てる前、今では育てることのできなくなった様々な物がこの地で栽培されていて、確かその中には茶葉も含まれていたと。


「こちらでは香草や薬草で淹れるそうですね」

「そうだね。最近はこの『茶』はとんと見なくなったね。まあ、もう味も忘れちまったけどね」


 スヴェトラーナの世間話に返事をしながら、その言葉とはうらはらに、昔をなつかしむようにゆっくりと茶を味わうマム。――帝国によって国境の河グラニーツァリカの沿岸部が常冬になって交易路も断たれ、激動の時代に奔走した統治者である王家も攻め滅ぼされて。全てが変化した数年間で失われた数多くの物を知る最後の世代であるマムには思う所があるのだろう。にじみ出る何かに、少しの間、静かな空気が流れる。


……そして、その空気を静かにエフィムが押しのける。


「それじゃあ、これから少し、僕たちがここでやりたいことを話そうと思う。ただ、その前に一点だけ。――ここで話すことは他言無用でお願いすることになるけど、いいかな?」


 そう言って、エフィムはドミートリの方に視線を送る。それを敏感に感じとったドミートリは、一つ頷く。


「ええ、聞いてますよっと。ってか、こっちはそのくらいの分別はある面子(メンツ)ばかりでさぁ。自由に話してもらっても構わねえと思いますよ」


 軽薄そうな口調を改めようとしないドミートリ。でも、そんな彼の態度をエフィムも気にする様子もなく。その隣に座るスヴェトラーナも対面に座る私たちも、誰もが自然体なまま、エフィムが口を開くのを待つ。


――こうして、この日の話し合いが始まった。


  ◇


「じゃあ、そうだね。まずは基本的なところから話していこうか」


 そんな言葉から、エフィムの話が始まる。物資統制官に赴任して初めて交易屋と話をしたとき、そのあまりの前時代的な在り方に呆れたという話から始まった彼の話。こちらに来てもっといい形での交易ができると確信した、でも自分たちはこの街にあまりに疎いから協力者を求めていると、まずは既に見聞きした内容が続く。


……が、それも束の間。エフィムの話が具体的な話に移ったとたんに、とても他言できないような爆弾話が放りこまれる。


「で、その方法だけど。僕たちは、帝国とこの街との交易のために、鉄道を利用しようと考えている」


 一瞬では飲み込めなかったその言葉。その言葉の意味を理解して、それでもなお、理解が追い付かない。


 誰も渡ることのできない冬精(ふゆ)の大河、国境の河グラニーツァリカ。その河にかけられた巨大な橋アグロウニモスツの上を通る、隣国へと続く鉄道。帝国と隣国とを結ぶ唯一の道。今は帝国に独占された、壁の外では停まることのない列車と封鎖された駅。……そんな、忘れ去られた前時代の遺物を使って交易をするつもりだと、確かにエフィムは言った。


――壁の外では停まることのない列車を、壁の外で停める、と。


  ◇


「今は放棄された駅がすぐ近くにある。そこを、この街と帝国との交易のために使うつもりだ。とりあえずは週に一便、隣国と帝国とを往復する便を停車させる手筈は整えてある。これ以上は成果を上げてからということになる」


 エフィムは語る。すでに駅の復旧工事も完了して、帝国軍も常駐を始めている。貨物車両も手配しているが、今は肝心要の商品がない。まずは旅客便の一室を使って運ぶことになる。

 帝国からは小麦を始めとしたここにはない食料品を、組織はゴルディクライヌという酒を、それぞれに売る。最初は一回につき瓶三百本、二十五箱分のゴルディクライヌを組織から仕入れて、帝国はそれに見合った量の食料品を売る形になる。


「組織には、収奪的にならない範囲でと釘をさされててね。僕もそこは異存はない。……ただ、そうなると、僕たちは何を買えばいいのかというのが問題でね」


 帝国とこの街とは規模が違う。何も考えずに利益だけを追い求めたら、かなり一方的な交易になる。僕たちも街に悪影響を与えないようにしながら交易をしたいと考えているんだけど、そうなると今はゴルディクライヌ位しかなくてねと、そこまで話をして、エフィムは少しだけ肩をすくめる。


……正直、なんでよりによってゴルディクライヌなんていう、大味で薬のような味のする安酒を選んだのかと思ったのだけど、エフィムの言葉に納得する。確かにあれは、組織が安定的な資金源として、必死に売ろうとしている物だ。その気になれば増産もできるし、大量に売っても街に悪影響は出ない。むしろ街の外に売りさばいた方が利点も多いだろう。


「ゴルディクライヌ三百本、せいぜい五百キロ程度の積み荷でも、この街の交易屋が数人、もしかしたら十人以上が運搬する量になる。あれを帝国に売ろうとする交易屋はいないだろうから住み分けにもなるし、組織にとっては悪い話じゃないと思う。……でも、僕たちはそれじゃ困る。確かに既にある駅や列車を再利用する形だけど、それでも持ち出しの方が大きい。これらを利益で賄えるようになるまで、商売の規模を大きくしなくてはいけない」


 だから僕たちは、この街で、僕たちと商売の話ができる、商売を広げることにつながるような人を探している。できればミラナにはそういう人になってほしいと、エフィムはそう話を締めくくった。


  ◇


「とりあえず、今何かを決めてもらおうとは僕たちも思っていない。ただ、もう少し僕たちと話をしたいと思ってくれたのなら、いつでも歓迎するよ。……あとはそうだね、もしよければ、帰りに精霊祭壇に寄ってほしいんだけど、いいかな」

「そうね。その精霊祭壇に寄っていくかはもう少し話をしてからになると思うけど。――でも、あなたたちとの今後の話、私は今決めてしまっても構わないわ」


 一通り説明を終えて、返事はゆっくりでいいと言うエフィム。そんな彼に、今すぐ決めてしまってもかまわないと伝える。――そして、昨日から考えていた「引き受けるための条件」を、彼に突き付ける。


「最低でも1000ヴィズダストゥ、できればそれと2000ヴィズダストゥ。別に期間は問わない。でも、その位は払うつもりでいてくれないと、とてもじゃないけど割にあわない。――そういうつもりがあるのなら、私はこの話に乗っても構わないわ」


 私の言葉に、ちょっと待って、ここの通貨はややこしいからと遠くを見はじめたエフィム。ご丁寧に何かの気配を通して、えっと、1ヴィズダストゥが12ルナストゥだからと、彼の心の声が伝わってくる。……もしかして彼、心の中で計算しながら「何か」に話しかけているのかしら。


「一等地に家でも建てる気か?」

「ふんだくるにしちゃ中途半端だね。ウチ(デュチリ・ダチャ)にも届きゃしない」


 横に座るドミートリとマムの声。そうね、3000ヴィズダストゥだと、豪邸が建ちそうで、でも案外大した家は建てれない気はするわね。あと、デュチリ・ダチャを建てるのに必要な金額って、ちょっと想像がつかない。いくらなんでもマムは吹っかけすぎ。二人の気楽な声に、少し笑う。


……と、そんなことを考えているうちに、金額の計算ができたのだろう、エフィムが何とも言えない表情を浮かべる。逆にスヴェトラーナは、私の言いたいことを察したのか、少し面白そうな表情。


 そんな二人の違いが少し面白いわね。自分の値段を相手に突き付けたその結果を、まるで他人事のように、冷静な自分が眺めていた。

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