4.出会いを終えて、それぞれに
エフィムとの会話を終えて、デュチリ・ダチャへと戻ってきたミラナ。ロビーの受付で「件の帝国人のことで報告することがある」とマムに言付けをして、談話室で適当な席に座り、マムを待つ。
「おかえり。で、どうだった? 帝国からの客人とやらは」
「思ったよりは大人しい人ね。悪い人じゃないと思うわ。普通なら上客じゃないかしら」
ほどなくして談話室に来たマムに、人柄は悪くなかったと伝えるミラナ。――本当に、エフィムの人となりは悪くないと、ミラナは感じている。会話の中では不満に感じるところもあったが、それは人間性とは違う部分の話だろうと。……もっとも、人を評価するのに感情的になってはいけないと努めた上での評価でもあるのだが。
そんなミラナの機微を感じ取ったのか、やや疑わしげな表情を見せるマム。
「ふうん。『普通なら上客』ねえ」
「ドンに紹介状を書かせてくるような帝国人なんて、普通とは言えないでしょう?」
そんな軽口を挟みながら、もう少し細かく、エフィムのことを報告していくミラナ。彼も私が誰にも話さないなんて思っていないだろうと、彼の振る舞い、聞いた話、抱いた感想、そういったことを、マムに伝えていく。
「そのエフィムってのは、何か帝国への輸送方法を持ってて、そいつを使って商売しようとしてる。資金力も十分。でも伝手がないし、作れない。で、そいつを何とかしようとミラナに白羽の矢を立てたって、そんなとこかい」
ひととおり話を聞いたマムの確認の言葉に、頷くミラナ。最後に、精霊の声を聞くことができる才能のせいだろう、自分にはエフィムのそばにいる「何か」を感じとれるし、向こうもその「何か」を通して私のことを感じとることができるみたいと、そうマムに伝える。
そうして、一通り話を終えて。まったく面倒なことになったと言いたげなミラナにマムは、意識してだろう、やや軽い口調で話しかける。
「で? アンタはどうするつもりだい?」
「あら、私に『自由に選ぶ権利』なんてものがあるのかしら?」
「あるに決まってるね。――何かあった時にがっぽりとぶん捕れるよう、今までアンタを育ててきたつもりなんだけどね」
マムのその言い方に、ミラナは笑う。確かにエフィムというやたらと目立つ男を客にしたら、色々と面倒はあるだろう。今まで築きあげてきたものもどうなるかわからないし、娼婦を続けられるのかすらわからない。――でもそれは、悪いこととは限らない。マムの言うように、その変化を上手く使ってプラスにすることだってできるかもしれない。
「まあ、こっちはこっちで、アンタを使って金をぶん捕るんだから、アンタはアンタで好きにすれば良いさ。――悔いの残るようなことだけはすんじゃないよ」
「ええ、そうね。少しずつ考えてみるわ」
こちらの内心を見透かしたようなマムの言葉に笑いつつ、そうね、少し考えてみようという気になるミラナ。そんなミラナの様子を見て、今度こそ話は終わったとばかりに席を立つマム。
「そうそう。考えすぎるのがアンタの悪い癖だ。何でも前向きに考えな。……さて、ドミートリには明日話すとするかね」
こんな重要なことを明日の、飛び領地邸に行く直前まで知ることのできないドミートリと比べれば、アンタは十分に運がいいのさと、最後に冗談を放り投げて立ち去るマムに、ミラナは笑う。
――確かに、アイツはときおり、びっくりするほど間が悪い時があるのは事実ね、と。
◇
一方、一度組織の屋敷に戻ってから、明日の準備も兼ねて飛び領地邸に訪れたエフィムは、その留守を預かるスヴェトラーナと話をする。
「直接会いに行った、ですって」
飄々とした態度でミラナに会ってきたなんていうエフィムに、眉をひそめるスヴェトラーナ。
「ああ。招待して大勢で話しあうのも良いけど、もっと気軽に話すのも良いかな、なんて思ってね」
エフィムの軽い物言いに、思わず片手で頭を抱えるスヴェトラーナ。この人は、たまにこういうことをする。家格とかを嫌っているのは知っているし、堅苦しいのを嫌うその気持ちもわからない訳じゃ無い。だけど、何の相談も無しにそんな行動を取って、もしそれで話が台無しになったとしたら、これまで準備をしてきた部下たちはどう思うだろう、そんな愚痴っぽい考えがスヴェトラーナの頭をよぎる。
……と、先走りすぎですわねと、一瞬で気を取り直すスヴェトラーナ。まだ彼は失敗した訳じゃないし、これまで大きな失敗をしたこともない。なんだかんだで如才ない人なのだ、エフィムという人は。
そんな形で愚痴っぽい考えを飲み込んだスヴェトラーナは、努めて明るくエフィムに話しかける。
「で、会ってみた感想はどうでした?」
「いやあ、あれはすごい。いや、何がと聞かれると答えるのは難しいんだけど。――あの人は多分、自分の魅せ方を知っている。ああいう形の品格も世の中にはあるんだと、素直に思う」
心の底から感心したように、スヴェトラーナに語るエフィム。その言葉を聞いて一瞬、娼婦ですよねと思いかけて、自分がデュチリ・ダチャを訪れた時のことを思い出す。まるで外国の格式あるホテルを思わせるようなロビーに、多分支配人だろう、やや年配の、強かな雰囲気をまとった女性。――そもそも「格式のある娼館」なんて、壁の中にはありえないのです。少なくともあの支配人は、侮ることのできない雰囲気があった。なら、その娼婦も普通とは違うのかも知れない、と。
気が付けば、一人物思いにふけるスヴェトラーナ。そんな彼女の態度を気にする風もなく、エフィムは言葉を続ける。
「彼女はきっと『冬の女性』かな。この街に良く似合う人だと、僕は思う」
――それはきっと、彼が帝都民だから。そんな言葉だった。
◇
マムとの会話を終えたミラナは、自室で一人、ベッドに腰かけながら物思いにふける。今までのことを。これからのことを。
これまで必死に生きてきた。今の自分があるのも自分で掴んだから。娼婦になることを望んだ訳じゃない。娼婦しか選ぶ道が無かったのも事実。だけど、それを呪ったこともない。……それでも、もし他に選ぶ道があったのなら。娼婦にならずに生きていく道があったのなら。私はどうしていただろう。そんなことを考え続ける。
今、他の道を選べるのなら。道を選ばなくてはいけないのなら。私はどちらの道を選ぶだろう。どちらの道を選ぶべきだろう。娼婦であり続ける道を歩くのか。娼婦とは違う道を歩くのか。堅実なのはどの道か。賭けに出ることを望んでいるのか。
一つ一つを丁寧に、ゆっくりと考えて。やがてミラナは一つの結論を導き出す。その結論に満足したのだろう、明日に備えて早めに休もうと、シャワーの準備を始める。
――そして、日も明けて。ミラナたちが飛び領地邸へと訪れる日を迎えた。




