2.出会い(2)
「はじめまして。僕はエフィム。ストルイミン家のエフィムだ。君は?」
「ミラナ。その言い方で名乗れば、デュチリ・ダチャのミラナね。――でも、もう知っているのではないかしら」
デュチリ・ダチャの、正面玄関ロビーのカウンターの前で。舞い踊る光をまとった彼――エフィム――と言葉を交わす。
「そうだね。君のことはピリヴァヴォーレさんから色々と聞かせてもらってる。――君を『飛び領地邸』に招待するとスヴェトラーナから聞いたけど、その話はもうそちらに?」
私の少し皮肉っぽい質問に、準備していたようにすらすらと答える彼。……やっぱり、行き違いがあった訳ではなさそうね、そう思いながら、彼の質問に答える。
「ええ、今日、御大層な御方の紹介状と一緒にね」
行き違いでないのなら、なぜここに来たのか、当然説明をしてくれると思うけどどうかしらと、彼の言葉を待つ。
「いきなり堅苦しい話をするよりも、まずは気軽に話をしたいと思ってね。会えなかったら諦めるつもりだったけど、今、君はここにいる。――で、どうかな? 少し時間をもらってもいいかな? ちゃんと代価も払うから」
期待していたように説明してくれる彼の。その言葉に少し引っかかりを覚えながらも、とりあえず話はできるらしいと判断する。
「そうね。少し話をするくらいなら、構わないわ」
そう返事をして、玄関の向こう側へと視線を向ける。……ラウンジでは他の人の目もあるし、私の部屋でなんてもっての外。あそこは普通の客をもてなすような部屋じゃない。
彼も、他の人を交えて話をしたい訳じゃないだろうし、本気でそういう客になるつもりもないだろう。私個人が普通の客をもてなせる場所なんて一つしかない。
「オーケー。じゃあついていくよ」
私の視線の意味に気付いた上で軽い返事をする彼。そんな彼を先導するように玄関から外に出る。……まったく、当分は空けてもいいようにと片付けてきたばかりなのにと、そんなことを思う。
そうして私は、彼を引き連れて、私の「外の部屋」へと足を向ける。
◇
「この街はとても興味深い。どこを見ても新鮮だ。例えば、そこの店」
「……どこにでもある、ただの食料品店に見えるけど」
道すがら、彼と世間話をする。話題がとめどなく出てくるのは彼の性格か。……半分はそうで、もう半分は違う、そんな気がする。
「そう、一見するとただの食料品店だ。でも、ここの食事を口にすると、とてもそうは思えなくなる。――この街の食料品は、それくらい美味しい。なぜこんなものが当たり前のように売られているのだろうか、不思議でしょうがない、と」
この少し軽めの、いかにも楽しそうに話すのは多分性格。でも、今は何というか、話す話題があふれている状態なんだろう。「どこを見ても新鮮」というのは、きっと嘘じゃない。……何が新鮮なのかは、私にはさっぱりだけど。
「あまりに不思議なので、実際に畑を見せてもらったりもした。まあ、この冬の街でどうやって農業を営んでいるのか、興味があったのも事実だしね。……そしたらなんとびっくり、収穫前の畑が一面、雪に埋もれている」
それにしても楽しそうに話すわね……って、もしかしてこの人、暇? 野菜が美味しいから畑を見に行ったという彼の話にそんな感想を抱く。この人、何をしに壁の外にきたのだろう。――農作物を調べに来た訳じゃないわよね?
「雪が積もったら農業はできない。それが僕の、今までの常識だった。だけどここでは、畑が雪と共にある。そうして出来た野菜が、人工的な春の下で育てられた野菜よりもおいしい。それが僕には、とても刺激的に感じる。――この街にはね、そんな風に、僕にとっての非常識で溢れかえっている」
私も農業には詳しくない。でもそれ、そんなにも珍しいことかしらと、そんなことを考える。……これは帝国人だからとかではなく、この人の性格のような気がする。
あのスヴェトラーナという、見惚れるほどに洗練されたあの人は、きっとこんなことには夢中にならない。
「……貴方、立派な家の出、なのよね」
彼に疑問をぶつけてみる。名家の出というのがどんなものなのかは知らない。でも、それはきっとスヴェトラーナのような人にこそふさわしい気がする。
そんな私の、少し含んだ物言いに察したのだろう。エフィムは大仰に、芝居がかった身振りをしながら語りだす。
「ストルイミン家はそこそこの格だね。でも、僕は三男だからね。仰々しい家名なんて飾りのようなものさ。スヴェトラーナとは色々と立場が違う」
その彼の言葉とその態度に少しだけ可笑しみを感じる。ああ、きっとこの人は、自分の生まれに皮肉を感じる人なんだと。――その感情は、自分にもよくわかる、なじみのある感情だったから。
◇
「レヴィタナ家とストルイミン家、家の格はほぼ同格だけど、強いて言えばストルイミン家の方が上かな。ただ、彼女は女性で、家族にも愛されている。……名家の御令嬢として、だけどね」
肩をすくめながら、どこか含んだような言いかたをするエフィム。ああ、きっとこの人はスヴェトラーナという人のことを同情していると感じて……そこに、またも小さな引っかかりを覚えながら、なおも話に耳を傾ける。
「彼女は僕と違って色々あってね。ああ見えて気がまわる人だけど、どうしようもないこともたくさんある。常に護衛に守られていなくてはいけないなんてのもその一つ。だから、僕のように組織の客人として屋敷に滞在することもできない。――実のところ、壁の外に出てくるだけで色々と問題なんだ。皮肉なことに、常に護衛を引き連れているから大丈夫なんだけど」
「……まるで監視されているみたいね」
「そうだね。彼女は監視されている。誰かにではなく、帝国の『貴族社会』に。――彼女自身は『名家の御令嬢』なんて柄でもないだろうに」
エフィムの話を聞きながら、彼女の見惚れるような立ち振る舞いを思い出す。……思い出して、どうしてだろう、目の前のエフィムに、少しいら立つのを自覚する。
「一度だけ見たのだけどね。とても様になっていたように思えるわ。まるでそう生まれついたかのように」
いら立ちを隠しながら、その気持ちを口に出す。そして気付く。腹を立てた理由。生まれた時からあんな見事な立ち振る舞いができる人なんていない。あの所作は、自分で身につけたものに決まっている。――それを、この目の前のエフィムは、きっと同情している。そこに私の心が、小さな、でもどうしようもなく不快な音をたてる。
「残念だけど。名家の御令嬢に『人の上に立つ』ような立派な態度は求められていない。どれだけ才能があっても人の上には立てないし、そもそも官職を望む人が少ない。それに……」
エフィムの言葉に納得する自分。エフィムの言葉に反発する自分。そんな二つの自分が、私の中に同居している。そのことに気付く。何となく、あの、フリーダ君?、野心家な彼を思い出す。
よく言えば天真爛漫で正直、思っていたよりもかなり軽いエフィムと彼は、結構違うけど。でも、少し大げさに身振り手振りを交えて話すのと、……あと、きっとこの人も、びっくりするほど相手のことを考えない時がある、そんな予感がする。
「と、ごめんごめん。うっかり自分ばかり話してたね」
と、そんなことを考えていたのを察したのか、ごめんごめんと話を中断するエフィム。そんな彼に、目的地についたことを告げる。
「……別にかまわないわ。それより、着いたわ。――ここが、今はまだ名前のない、私の城よ」