導術士たち(その1)
0章「長城」
シパクの朝は早い。四六時中連絡を取り合うのが、彼ら導術士の仕事だった。だから肝心なときに起きていないと困るのだ。そうはいっても導術士も人間なので、ある程度は寝ないと死んでしまう。そこで三交代制で常に誰かしら起きている様にしておかねばならない。とはいえ導術士の数は未だ少なく、需要に対して供給が追い付いていない。となれば、稼働率を無理矢理にでも上げて働く事になる。頭数の足らない以上、仕方ない。要するに、睡眠時間を切り詰めて働く! 他の連中はいざしらず、シパクはそれを当然と考えていたから、今のところ彼にはなにも不満はなかった。
導術波と呼ばれるある種の波を使って情報をやり取りするのが、シパクの仕事である。といっても余り格好良くはない。念力で夷狄の連中を捻り潰す、或いは千里を瞬く間に駆け抜ける縮地の技。そういう御伽噺に出てくる様な技を使う訳ではない。導術波は単なる波だ。目に見えず、恐ろしく早く伝わり、その上遠くまで届く。だからこそ離れたところに居る人間と瞬時に連絡を取り合える。但し波を送った相手が導術を使えないと、そもそも送られた方は波が来た事にすら気づかない。これでありとあらゆる波形の波を使い分けることが出来れば、とても便利なのだろう。残念ながら今の所そんな技を使えるのは極僅かだ。大抵の導術士は、二種類の波しか送れない。一方の波を“・“、もう片方の波を“ー“と書き表す。・とーの組み合わせで文章をやりとりする、それだけの話だ。
実のところ導術波が一体なんなのか誰にも解っていない。その正体が雷と同じ類だと解るのは、この時代から二千年以上の時を経てからであった。
シパクは起きてから早速、当直の導術士に向かってこう信号を送った。
・ーー ・・ーーー
最初の信号が「シパク」を示し、後の信号が「起床」を意味する。これで「シパク 起床」という文章が当直に伝わった。
本来ならば当直からきちんとした応答の導術波が返ってきて然るべきだが、恐らくは眠いのだろう、えらく崩れた波形で
ー・ー 「了解」
と返ってきた。
ただこれだけの仕組みなのに、馬を使った伝令よりも遥かに早く情報をやり取りできる。そもそも導術波は目に見えない。導術士がまさに波を送っているその瞬間ですら、傍目にはなにをしているか解らない。ブツブツと呟きながら明後日の方向を向いている者もいる。或いは下を向いてじっとしている者もいる。はたまた目を瞑って何もしていない様に見える者もいる。実際見ていて不気味で『少なくともマトモな職業ではない』と一般には思われている。
シパクにとって一番不満なのは、胡散臭い仕事だと軍内部の連中にすら思われていることだった。そもそも彼らを雇ったのは軍だ。胡散臭いと思うならば、最初から雇わなければ良い。世の中に出てきてからまだ日が浅いとはいえ、導術士たちが世間から受けている評価は未だに呪い師や芸人のそれと大差ない。もしかしたらそれ以下かも知れない。
ー何故連中はいながらにして、離れたところに居る者と瞬時に連絡を取り合えるのだ?
ーなにか呪いかなにかを使っているに違いない。そうでなければ説明がつかないではないか。
ー便利ではあるが、不気味な技を使う連中だ、うす気味悪い。
そういう誹謗中傷もしくは陰口は、シパクも承知している。そして周りにいる軍の連中も、口に出して言わないが腹の底ではそう思っていることも。中には面と向かってシパクたちへ言う者もいる。だからといって仕事をしない訳にもいかない。
シパクは朝の身支度を始める。身支度を整えるといっても、寝ているときと大して服装に違いはない。頭を整え、取り敢えずベルトを締め直してから、最後に導術士であることを示す緑色の冠を被る、これだけだ。ズボンの履き替えなどしない。そもそもズボンなど履いていない。着ているのは上下一体となったツナギだけだ。金具を使って、腰の辺りを革の帯で締めている。
もう四、五日も同じ服装を通しているので、そろそろ臭いがきつくなってきた。だが洗濯するのが面倒なのでそのままにしていた。何よりツナギは二、三着しか支給されていない。すぐにくたびれてしまう様な生地を使っているので、下手に洗濯するにもいかないのだ。
風呂に入れないせいで猛烈に痒いからだろう、シパクは起きがけに頭をガサガサと擦る。するとフケが雪の様に寝台へ落ちた。髪の表面に付いているフケを落としてから、手早く櫛で整えていく。実家から持ってきた竹製の櫛を使えるのが有り難い。軍で支給された櫛は石で出来ていたためか、すぐに歯こぼれしてしまった。ついでに寝台にこぼれ落ちたフケを手箒で床に落とす。
ここで寝台と書いたが、貴族連中が使う様なご大層なものとは程遠い。四隅となる木の柱からなめした皮を貼っただけの粗末な代物、そこにシパクは寝ていた。これでも彼ら導術士は優遇されている方だ。導術士と同様に寝台で寝ているのは、砦の司令の他には士官連中だけだった。おまけに導術士には布団まで支給されていた。といってもその布団ときたら、虱がわいている様な代物だったが。大多数の兵隊や、遠くの街や村から徴用されてきた農民たちは、土の上にゴザを敷いてその上に直接寝ていた。シパクがまだ幼く、険しい山並みで馬の牧畜をしていた頃の暮らしぶりときたら、もっと酷いものだった。だから内地出身の連中に比べれば、身の回りがどうなっていようとあまり喧しく言わないほうなのだ。そのシパクですら、風呂に一ヶ月入れないという生活は応える。毎日とは言わぬまでも、郷里では四、五日に一遍は風呂に入れたというのに。
ー風呂でなくともいい。責めて水浴を・・。言葉にならない思いがシパクの脳内を駆け巡る。いつまでもそんな事を考えていても仕方ない。現状では精々が手水をやって顔を拭くくらいが関の山だ。
朝食など支給されない。中原が統一されて間もない当時、まだ起きてすぐに飯を食べる習慣は広まってない。なにより食糧自体が足りてない。
シパクは寝室から当直室に向かう。通路は採光がとても悪く、そうと言われなければ昼間でも外が夜だと勘違いしそうな程薄暗かった。幅ときたら、人二人並べるかどうかといった所。視界の両側には嫌でも壁が迫ってくる。壁、果たしてこれを壁といって良いものか。漆喰や木材で固めておらず、ましてやしっかりとした石組みなぞ望むべくもない。何層にも土を突き固めた版築が壁を為していた。この地方では雨が滅多に降らないので、そんなものでも壁の代わりになる。ただまさにその「雨が降らない」という気候のせいで、風呂にも事欠いている。軍隊ではよくある話で、「取り敢えず死ななければそれで良い」という考え方で万事が成り立っていた。
建物が粗末なら、中に寝起きする人間の暮らしも自ずから粗末になった。何日も風呂に入れない男たちが共同生活しているせいで、この砦のなかはなんとなく獣臭かった。尤もそんな臭いには二、三日で皆慣れる。寧ろ慣れてしまわないと生活できない。
薄暗い通路の壁には、距離をおいて小さな窓ーーむしろ細長い通気孔ーーが空いており、そこから外を覗くことができる。漸く日が上がり始めた。縦に細長い窓から日光が一筋の光となって通路を照らしている。そこから外の景色が自然と目に入る。
岩波の影から朝日が見える。朝も早くだというのに、遥か彼方まで延々と人間達が働いている。蝋燭や松明を使って辺りを照らすなどとんでもない贅沢だからして、太陽と共に生活する事が第二の習性になっている。皆、国中の色々な場所から駆り出された連中だ。長城を作る為に蟻の様に延々と作業し続ける。まさしく今彼らが作っている城壁こそ、後の「万里の長城」の土台となるのだ。しかしこの場にいる誰一人そんな事を知るよしもない。
長城といっても現代の我々が考えるものとは程遠い。突き固めた土を何層にも積み重ねただけだ。つまりシパクが寝起きしている砦の壁と構造は変わらない。ただ段違いに厚く、高い。
まず土を盛ってから、鋤で突き固める。突き固めるのにはコツが要り、全身の体重を乗せる必要がある。それも一人の体重ではダメで、複数の人間の体重を均等に掛ける必要がある。何処か一箇所に掛かる力が強すぎても弱すぎてもいけない。皆で一糸乱れず動く。なにやら歌を歌いながら作業している連中が多い。確かに歌を歌えば、自然とからだを動かすリズムが一緒になる。一旦土を突き固めると、草だの瓦だのを乗せてから更に土を盛る。
煉瓦は未だに普及しておらず、宮殿や貴族の邸宅くらいにしか見かけない。ましてや延々と続く城壁になぞ使っていたら、カネが幾らあっても足りない。
一旦このやり方で土が付き固められてしまうと、今度は出来た土壁の上にまた同じやり方で土を盛っていく。そしてまた同じ事を繰り返す。この作業をしているのはどちらかというと女子供が多い。
ー農民連中はこういうのが得意だろう。やることは農作業と大して変わらないのだから。
シパクは勝手にそう思っている。彼自身が子供の頃も、この作業をしている連中と似た様な生活をしていた事なぞ、すっかり忘れている。尤も子供時代のシパクは、農作業ではなく牧畜しかしていなかった。
作業をしている農民は、何か考えてこの仕事をしているのだろうか、それとも何も考えていないのだろうか。ひたすら無表情に作業をしているので、何を考えているのか解らない。もしかしたら何も考えていないのかも知れない。いずれにせよ、この細長い隙間からでは彼らの表情は伺えない。
襤褸の様な衣服を土で汚しながら、農民たちは体を動かし続けている。丁度シパクが歩いている通路から見える場所の近くに、一人の青年がやはり土を盛っていた。青年の身体全体に虫やらハエやらがたかっている。多分彼の方も気づいているのだろう。にも関わらず、青年は身体を動かし続けている。虫の形まではシパクには見えない。昔は遠く地平線の果てにいる馬が何色か当てられたものだが。この数年書類仕事ばかりしてきたせいで、シパクはすっかり視力が落ちていた。だがまさにその仕事のお陰で、ああいった肉体労働をしなくとも済んでいる。少なくとも知識労働者という扱いは受けていた。
ただ導術士たちが、軍において正当な評価を受けているかというとそれは微妙な所だった。それはシパク達の部屋割りにも現れている。
長城を作る為に役人連中が寝起きし仕事をする建物から、歩いて数分ほどの位置に隔離されている。「隔離」とはよくいった表現で、誰が使い始めたのか知らないがまさしくその通りだった。この狭苦しい建物の中で、他の連中と交わらずにほぼ一日を過ごすのだった。一歩も外に出られないという訳ではなし、他の役人や軍人連中も必要に応じて文章を波にして飛ばしてもらいにこの建物へやって来るが、必要がなければやってこない。
シパクは導術波で連絡を取り合うとき、トンだのツーだのと口ずさむ癖がある。“・”がトンで、“ー”がツーだ。傍目には気が狂っている様にしか見えない。シパク本人も辞めた方が良いと解っている。しかし気がつくと、いつの間にか口ずさんでいる。そうこうしているうちに、誰も注意しなくなる。周りの連中にとっては、イチイチそういう事を注意して導術士にヘソを曲げられては厄介だからだ。唯でさえ導術士の数は限られている。更に数少ないその導術士たちは、任期を終えると直ぐに内地に帰りたがる。内地は安全だからだ。少なくともこの最果ての地の様に、北の蛮族である匈奴どもが襲ってきたりはしない。
「ああ、あの恐ろしい姿!」
などと言って、皆大げさに匈奴を忌み嫌うのだった。といってもシパクがその目で匈奴を見たことは数回ほどしかない。恐ろしいというよりも印象に残っているのは臭いだ。一里離れていても臭ってくる体臭といったら! あれが同じ人間だというのだから嫌になる。
導術士が内地に帰りたがるもう一つの理由が、土埃だった。この乾いた気候では雨が降らないとすぐに土が乾燥して埃が舞い上がる。歩いていると口の中には砂利が混じってくる。おまけに支給される飯は砂まじりと来ている。良いことは一つもない。少なくとも内地出身者にとってはそうだった。誰だってこんな片田舎で経歴を終えたくはない。そんな中でシパクは例外的にこの地に留まって仕事をし続けようとする奇特な人間だった。
「内地は内地で面倒だしね。」
とシパクはよく言ったものだった。それに長城を建設している北方勤務では、危険手当てもつく。
シパクはこういう扱いでも別にとりたてて不満を口に出したりはしなかった。彼の生まれからすれば夢の様な待遇だからだ。内心では釈然としないものはあったけれど。シパクという名前が示す通り、彼は中原の出身ではない。山あいで馬の牧畜をして長いあいだ暮らしてきた西絨の一部族出身だ。中原の民はどういう訳だか自分たちこそが一番偉いのだと考えたがる。お前らは生まれた時から劣っているのだと。大体この「西絨」という言葉自体がその気持ちを表している。西の絨、すなわち「西に住んでいるケモノたち」という意味だ。呼び方からして人ですらない。そんな彼が軍でそれなりの立場に就き、尚且つ長城の現場監督という結構な仕事を任されているのも、この国の良いところだった。諺にもあるではないか。
「秦では生まれは問われない。」
敵の首を取るかどうか。軍功をあげられるかどうか。国の役に立つかどうか。そこで人生の全てが決まる。生まれは問われない。少なくとも他国ほどには。魏や趙であれば、生まれた瞬間に生き方が決まってしまう。高貴な方は高貴な仕事を、下賤な者は下賤な仕事を。ましてや、蛮族どもに国の仕事をさせるなどとんでもない!
秦にはそういうところがなく、生まれはあまり関係なかった。しかし職業それ自体への偏見とは、この比較的公平な若々しい国であっても無縁ではないのだった。
「とはいえ世の中何もかも思い通りという訳にもいかない。」
シパクはそう呟いてから再び歩き出す。
いつになっても、この朝の寝起きから当直室に向かう道のりで、彼は嫌気が指すのだった。今日また仕事が始まるのか、という倦怠感と闘うハメになる。通路を歩いていると他の連中が発している導術波が感じられる。
ー・・・ーー ー・ーー・・ー・・
「第三燧から勝利燧へ。」
ーー・ーー・ーー ・・・・・
「こちら異常なし。報告すべきことなし。」
すると20里(約8km)程離れた隣の砦にいる導術士へ、瞬時に連絡が伝わる。この場合は定時連絡を行うことで、自分達の砦はまだ襲われていない事が伝わる。何故か砦の事を「燧」と呼ぶのだ。何故そう呼ぶのか誰にも解らない。少なくともシパクの周りにいる連中は、由来を誰も知らなかった。
古の時代の様に狼煙をあげて伝える訳ではないので、連絡に間違いや行き違いはまず生じない。それに馬を遣る必要もないので、通信の際に使者が何者かに拐われる事もない。そもそもこの連絡を送るときに、当の導術士は燧から一寸たりともからだを動かしてはいない。
「いや、便利になったもンだよ。昔は緊急連絡送るンなら馬飛ばすしかなかったのにな。」
と半笑いの顔で騎兵に言われたこともある。
”仕事を奪いやがって”という意味が、こういう言葉の言外に含まれている。
彼らの言葉は、決まって次の文句で締めくくられるのだ。
「でもなンかあるとやっぱり俺らの出番なンだけどね。君ら、決まった表現しか扱えないしさ。」
実際、それを言われてしまうとなにも言い返せないのだ。というより下手に言い返すと大変なことになる。結局なにを言っても絡まれる。だからただ黙っていればいい。何もいわなければ問題は起こらない。それが解る程度には、シパクも軍に慣れてきた。
歩いている最中にも波は飛んでくる。それを普通の文章に変えるとこうなる。
『第一燧より 第三燧へ。配給 塩 遅配。急がれたし。』
『第七建設現場。 作業員 一人 死亡。』
『第二燧から 定時連絡 途絶。』
聞いているだけで消耗してくる話題ばかりだ。これからまた仕事の一日が始まる、とは意図的に考えない事にしている。仕事部屋である当直室にはいきたくもないが、寝室と当直室は隣合わせなので、すぐ着いてしまう。部屋の中には数人の男達が木簡に囲まれて書類仕事をしていた。
これまた寝室同様のむさ苦しい部屋だ。地面の上にゴザが敷いてあって、その上に机が何台か並んでいる。椅子などないので、皆ゴザの上に直接胡座をかいて座っている。既に昨日の夜から寝ずの番をしている当直の導術士が、とても眠そうな顔をシパクへ向けてきた。壁際に夥しく積み重なっているのは木簡だろう。当直以外にも何人か座っていた。
「シパク、これより当直として、導術通信に入ります。」
するとシパクの方を向いて、「おう」とも「うむ」とも付かない声を出してから、前の当直が席を立った。シパクはそこへ収まる。いつだってこの生暖かなゴザに座るときが嫌なんだが、とはおくびにも顔に出さない。
「昨日の夜、隣の燧が匈奴に襲われた。」
先任導術の張が肩ごしにシパクに話掛ける。先程チラリと耳に挟んだ通信内容はこれの事かと見当を付ける。お互い顔は合わせない。両方とも書くので忙しいからだ。筆を使って木簡に書くのは大変骨が折れる。
「トンーツートンツーツー・・」
なぞと口走りながら通信内容を間違えなく木簡に記載し、文章として意味がとれているか確認した後、木簡を一纏めにして封を押す。封を押したら所定の場所へ持っていく。
何処からどう見ても異様であり、かといってふざけている様にも見えない。寧ろ皆必死の形相で木簡に文章を記している。だからこそ他の役人たちは好き好んでここに足を向けないのだろうが。
「損害はどれ程?」
「詳細までは解らん。通信途絶してるからな。ただ酷い事になってると思う。相当。」
「でしょうね。」
シパクは手元にある木簡に気忙しげに文字を書き連ねている。どんな報告も無味乾燥な文字にした途端に現実感がなくなる。シパクはいつまで経ってもこの感覚には慣れなかった。だがそれよりもっと切実なのは、なぜ先任がシパクにこんな話を降ってくるのかという事だ。シパクにも大凡の見当は付いていた。かと言ってシパクから何かいえば確実に藪蛇となる。何も気づかない振りをして仕事しているのが一番良い。
「トントン、ツーツー。トンツーツー・・・」とシパクは口ずさみながら木簡にまた文字を書き始める。
ーこいつ、とぼけやがって・・。
張はシパクのそういう様子を見て露骨に顔を顰める。しかし木簡に文字を書きながらでは張の顔色まではうかがえないし、どのみちシパクにはそこまでの余裕はない。なにしろただでさえ仕事は溜まりに溜まっている。溜まっているのは張も同じなのだろう、そのうち黙って仕事をこなし始めた。
考えてみれば不思議な話だった。”・”と”ー”しかやりとり出来ない彼ら導術士が、何万種類もの文字がある中原の言葉を送受信しているのだ。原理は単純なのに、仕組みは複雑。導術というのはそういう奇妙な所がある。シパクが気に入っているのも、そういう所だった。とはいえ、中原で使われている文字は何万種類もある。『扱える符号はニ種類しかないのに、どうやって何万種類もの文字を表現できるというのか?』というのが、大方の見立てだった。そのため、今のところ導術通信では定型文しか送れないのだった。導術定型文の文例集が、導術士必携のシロモノなのはそういった事情からであった。
例えば
・・ーー・ーー ** ・ー・・
「作業員の要請 **人」
ーー・ ** ーー
「**人 死亡」
といった具合。
”・”や”ー”を一個でも聞きもらせば偉い事になるので、既に頭に叩き込んだものの、彼らは今この瞬間も文例を斜交いに見ながら、木簡に文字を書き記している。ひたすらに腕を動かす割に身体は動かさないので、運動不足になりがちである。但し少しでも気を抜くと大変な結果になるので、ストレスは溜まる。
木簡の束はただ細長い木の板を紐で結んでいるだけなので、嵩張るし読みにくい。机の上に広げてしまうと、それだけで半分程を占めてしまう。残りの半分を墨刷り台だの布だのが控えめに占めている。何も木の板に書かなくとも紙に書けばいいじゃないか、と思う向きもいるかも知れない。だがこの時代にはまだ紙など存在しない。だからこの日も、導術士たちは莫大な字数の文章を木簡に書き連ねているのだった。
シパクは取り敢えず自分の机の上にある木簡が書ききれなくなったので、それらを纏めて封をした。これから直属上官である呉勝の机に書き終えた木簡の束を置いて、新しい木簡を貰いにゆかねばならない。だが厄介な事が一つある。呉勝の机の前に行くからには、必然的に張の机の脇を通ることになる。
「シパク、ちょっと。」「はい。」
するとこの様に、上司の意を汲んだ張から面倒な事を言いつけられるのであった。
「さっきの件だけどさ。ほら、隣の燧が襲われた。」
「あー・・ハイ。」
白湯を啜りながら発音するので、張の発音が聞き取りづらかった。そうでなくとも彼の発音は南方、旧楚の訛りが強いというのに。”隣の”が”おなりの”に聞こえる。
「連中の意図が掴めないから皆困ってた。」
「何故こんな季節外れの時期に出張ってくるかですか?」
「大体そうだ。」
遊牧民は家畜が太ってくる秋に襲撃してくると大体相場が決まっている。その時期は川も丁度良い案配に凍っていて、馬で簡単に渡れる。だが今は春が始まったばかりだ。家畜は冬を越したばかりで痩せ細り、凍った黄河もこれから溶けていく。連中にとって、出来れば手だしを避けたい時期のはずだった。
「奇妙ですね。僕は今この仕事があるから行けませんけど。奇妙ではありますね。」
俺にその仕事を振るなよ、と露骨に意思表示しておく必要があった。そうでなくとも厄介な仕事なんていうのはあちらから降り注いでくるものなのだ。白湯をもう一飲みすると、シパクの言った事を無視するかのように張は続けた。
「行ってこい、以上。」
再び張が白湯を啜る音が室内に響き渡る。
ー別に先任は喉を潤したい訳じゃなく、この湯のみを自慢したいだけなんじゃないか、とシパクは関係ない事を考えた。
ー大体、鉄器の湯のみなんて聞いた事がない。ただの湯のみならいざ知らず、明らかに持ちにくそうな玉まで付いている。最近張のカネ周りが少し良くなったなと思ったが、こんな所にも使っていたらしい。
いつもシパクは現実逃避代わりにこういうどうでもいい事を考えてしまう癖があった。だがそれも、同僚達が木簡に書き殴る音で引き戻された。ここまで強引に仕事を振り方をするからには、相当厄介な案件である事は間違いない。シパクは意を決した様に言った。
「他にも案件ありますし・・ 大体新人の世話は誰がするのですか?」
「こっちの案件が最優先だ。今抱えている仕事は後でやれ。」
秦の軍規は鉄で出来ている。本来であれば、シパクのこうした口答えは命令不服従にすらされかねない。導術士たちの割と気儘な傾向と、なにより導術士は貴重な存在だという事情でなんとか許されていた。
「大体なぜ私が?」
そこで張は室内にいる人間を順にわざとらしく見渡した。それだけで張の言わんとする事はシパクに伝わった。面白い事に(シパクには大変面白くないことに)彼らに視線を会わせようとする者はいなかった。それだけ面倒な案件という事だ。面倒な仕事には関わらないというのが、役人の第二の本能である。その本能が遺憾なく発揮されていた。軍隊も巨大な役所である。
この現場に今配属されている導術士は、シパクを入れて5人しかいない。まず新米の二人、劉と蔡は漸く仕事が形になってきたかなといった所。とてもこんな厄介な仕事を任せる訳にはいかない。彼らに手取り足取り教えるのも、シパクの仕事の一つだった。次に先任の張。彼とてこの場を離れられない。もし彼がこの現場を離れたら、一体誰が他の役所との縄張り争いをするというのか? 例えば仕事を覚えてきた新人を他の部署に取らせない様に目を光らせておくのも、彼の仕事だった。或いは、なるべく面倒を起こさないタイプの(それでいて仕事が出来そうな)人間を引き抜いてくるのも、彼の仕事だった。最後に直属上官の呉勝。彼はダメだ、書類仕事と役所のなかの政治をする為に生まれてきた様な人間で、であるからしてそれ以外の領域ではカラッキシだった。大体、彼にはこの場をとり纏めるーーつまり起きた事件をあたかも起きていないかの様に上に報告したり、バレにくい嘘を織り混ぜた書類を作成するといったーー職務が山積みになっている。更に言えば、来月から次の予算年度が始まる。張とは違う意味での喧嘩ーー要は予算の分捕り合いーーも呉勝の担当だった。役所どうしの間合いを掴んでおく為にも、今はこの場を離れる訳にはいかなかった。更に張のやった悪事をごまかす任務もある。すると結局、シパクしか動ける人間が居ない事になる。しかしシパクも負けては居ない。
「でも移動手段は? ウチに馬車余ってました?」
平民上がりが多いという事情から、導術士には馬に乗れない者が多い。勿論全員という訳でもないが、六、七割の導術士は馬に乗れなかった。
『ならば訓練させればいいではないか、馬くらい一年もあれば乗りこなせるだろう。』
というのは事情を知らない者の見方である。この時代、馬上で踏ん張るための鐙などなく、あるのは精々原始的な鞍と馬銜くらいときている。そのため子供の頃から乗っていた訳でもない人間が馬を乗りこなすには、血の滲む様な訓練が必要だった。生まれた頃から家に馬がある貴族のような家ならともかく、平民には荷が重い。だからして軍に所属する導術士が移動するときには、『原則として馬車を使って移動すべし』という規定が存在する。
「このところ物資の輸送に大わらわで、御者付きの馬車などどこも貸してくれないのでは?」
長城の建設で国中の馬車という馬車が徴発されている時節柄、今は国中の物資が北から南へ、東を西へ運ばれている最中だった。いや長城だけではない。皇帝の阿房宮建設やら南夷の連中との戦争やらで、馬車はいくら有っても足りはしなかった。こんなよくあるど田舎の建設現場へは、馬車なぞ一両も貸したくないというのが他の部署の本音だろう。
「それさえ何とかなればすぐにいきたいのですが。」
すると張はまさしくその言葉を待っていたかの様にこういった。
「お前、馬に乗れただろう。とぼけるなよ。規定の対象外だ。残念ながら。そしてまさにその理由で、お前に仕事が降ってきたんだな。」
ーああそうだよ畜生。
シパクは心のなかで毒づく。確かにシパクは、牧畜を生業とする西の方の部族の出身だ。子供の頃から馬の背に乗って暮らしてきた。書類仕事で視力が悪くなったとはいえ、今でも目を瞑っていても馬くらいなら乗りこなせる。
「導術士が直接馬に乗れるので、馬車は借りない。つまり他の部署に借りを作る事はない。それに馬一頭だけなら、ウチにも割けないわけじゃない。馬の御者も、馬が引く馬車も必要ないなら。馬に乗れて、俺みたいに喧嘩っ早くなくて、まぁそこそこ仕事できて・・。うん、申し分無い。あとは生きて帰ってくるだけだ。」
「そこが一番重要ですね。」
「お前弓ができただろ?護身用具くらいにはなるよ。」
「弓の方は・・昔から狙った的に当たった試しがないんですが。」
「皆最初はそうだ。自信がないなら弩を持っていけばいい。」
こんな酷いことをいっておいて流石に気が引けたのか、張はこう付け加えた。
「これでお前の身に何かあればな、俺が一目散に馳せ参じてやるよ。大丈夫、こう見えてもおれ、喧嘩と戦は強いから。」
ー結局は命令なのだ。ここは軍隊であり、軍隊では命令がすべてであり、命令というのは上から下へ流れる。決してその逆ではない。
「出張費は色附けとくよ。」
シパクは最早なにも言わず、黙って敬礼してその場を離れた。
出張が決まったからには、色々と準備せねばならない。まずは干したご飯と塩、次に水筒を一本。更には起きた事を記録しておく為の木簡。そしていざ捕まったときの為に木簡を燃やす為の種火起こし。この燧では火打ち石が支給されることが多い。用便を足す為に欠かせない道具、尻にこびりついた糞をこそぎ落とす木のヘラ。シパクのお気に入りの品だ。この形でないとどうにもこそげ落とせないのだ。ついでにヘラについた糞をぬぐい去る為のぼろ布も持っていく。便を催すのは一回とは限らない。ヘラはいつでも使える様にしておく必要があった。
最後に護身用具。弓ではなく、弩を持っていく。名前こそ違え、原理は弓と大差ない。予め弦を張ってから、台座に矢を置き、横倒しの状態で引き金を引く。そしてこの違いこそが、矢と弩を根本的に分けているのだった。大体二・三時間で戻る予定なので、鞍に載せる荷はこの程度でよい。後は木簡一束に炭を少々といった所か。さすがに現場で悠長に筆に墨を吸わせて、という訳にもいかない。そもそも墨汁すらない。少し乱暴だが、炭を木簡に擦り付けるというやり方で書くしかない。シパクはこのやり方が嫌いだった。単純に手が汚れるからだ。この時代、鉛筆などという気の効いた代物は存在しない。精々木炭に紐を巻き付けて手が汚れない様にするのが関の山だ。
出張用に支給された軍人用鞄の中に、こうして纏めた荷物を全て詰め込む。弩だけは例外だ。必要なときにすぐ使える様にする為、鞄には入れずに鞍にとりつけておく。荷作りが済むと今度は書類作成だ。鞄に詰め込みが済んだモノを逐一列挙して木簡に書き連ねていく。書き損じた場合には、小刀で木の表面を薄く削りとってまた書き直す。秦の法律は本当にきめ細かくできている。隣の燧へちょっとした調査にいく場合すら、書類をきっちりと残して行かねばならない。私的な移動は厳に慎むべしという訳だ。確かに反乱などを未然に防ぐ効果はあるのだろう。ただ本末転倒というか、今自分が何について書いているのか解らなくなる程に、沢山の書類を作成せねばならなかった。
「木簡を書いているとさ、もっと薄くて軽ければいいのにとどうしても思ってしまうよね。机の上が狭くなって狭くなって・・」
とシパクは傍らに居る後輩の劉に話しかけた。劉の机の上は、散らばった木簡やら、書き損じた性で削りとられた木片やらで机の上が大変な状態になっている。
「そうですね。本当に安くて気軽に使える薄っぺらい木簡さえあれば・・」
ある訳ないじゃないかとシパクは笑って返す。内心では『そんなわんさかと机に木屑を落とすな。もう少し片付けろ。』と注意した積りだったが通じていない様である。或いは気がついていない振りをしているだけかも知れない。あとこれ、といいながら劉は木簡を指した。
「本当に書き間違えると厄介なんですよ。」
「そうだね」
「書き間違えたら・・・こう」
と劉は手で何かを振り払う仕草をした。
「簡単に消せる道具とかも欲しいですよね。小刀でイチイチ削ると・・ 」
「でもあったら既に誰かが使ってるよ。」
「そうですね。」
当時、紙などは未だ発明されてなかった。ましてや消しゴムなど、人々の想像を超えていた。
張に報告を済ませ、呉勝に書類の決裁をして貰ってから、初めてこの隔離部屋を出る事になる。書類に目を通した際、呉勝は
「しっかりと間違いなくね。この通りにね。」
という、細かい割に意味のないことを話しており、その都度シパクは
「ハイ解りました」
と返答する。
どちらも相手が内容を聞いていると思ってやっている訳ではない。呉勝は『自分はキチンと部下へ注意した』という事実が欲しいだけだし、シパクは『直属上官へ報告して認可を貰った』という事実が欲しいだけだった。なんとも下らないけれども、その下らない事を抜きにして世の中は回らないのだ。
空いている馬を一頭借りる為、シパクは詰め所を出て馬小屋へ歩いていった。詰め所から馬小屋までシパクの歩幅で二百歩ほど。一旦導術士詰め所の外に出ると、如何にこの建物が第三燧の外れにあるのかが解る。十尺(一km)四方の版築で作られた壁内部には、居住区が真ん中に、少し離れて望楼が北側にある。前者にはこの燧の隊長や文官が詰めており、後者には下っ端の兵士が詰めている。
さて導術士たちの詰め所は、そのどちらでもない場所に建てられていた。よりにもよって、版築の壁際にひっそりとへばりつく様に。いつもシパクは思うのだった。
ー別に用件があれば導術でやり取りすれば済む話なのだし、物理的な距離は関係ないといえばないのだが、
「やはりもう少し近くてもよさそうなものだ。何もそこまで嫌わなくとも」
いつの間にか言葉に出ていた。勿論誰も聞いている者はいない。或いは聞いていても聞こえないふりをする。そもそも導術士と好き好んで言葉を交わそうとする者はいない。何人か役人やら軍人やらとすれ違ったが、視線があいそうになるとさりげなく外すのだった。導術士であることを示す緑色の冠を見た瞬間、嫌なものを見てしまったという表情になる。
ーそういえば久しく外仕事はやってないな、
などとシパクは思った。軍に入りたての頃や長城の現場監督の仕事を始めたての頃は、何かと現場に出掛けることもあった。だが最近はとんとそういうことをしなくなった。体制が整ってきたということもあるし、皆が仕事に慣れてきた事もあるだろう。
「たまに外に出られると思ったらこれだよ」
と言いながら、シパクは馬小屋に入る。
馬小屋は臭い。尋常ではない。この目がツンとする臭いは、馬の尿と糞と体臭が混ざり合って渾然一体となったものだ。最早何にも例えようがない。しかしシパクは別に気にした風でもなく、厩舎で今回充てがわれた馬へ歩み寄った。
「今日乗る馬は悪く無いな」
などと口走りながら、予め馬丁の連中に用意させておいた荷物やら、出張用鞄やらを手早く確認する。それからシパク自身が荷物を馬の鞍へ取り付けていく。こうした取り付け作業も含め、本来は全て馬丁連中にやらせる事とされる。けれどもシパクは自分でやらねば気が済まなかった。実家にいた頃からそうで、馬の鞍に荷物を積むときも全て自分でやっていた。他人に雑なやり方で荷物を置かれるとそれだけで苛々してくる。自分流の荷物の配置というやつがあるのだ。ある程度馬に乗っていると、そういう細かい所がどうしても気になってくる。こういう感覚は、日常的に馬を扱う人種なら話が通じる。騎兵や馬車に乗って矛を振り回す戦車兵であれば、割りとすぐに理解してくれる。しかし仕事仲間の導術士には、幾らいっても無駄だった。やはり自分でやってみないと解らない事というのは、確かにあるのだ。
シパクはそんな事を考えつつも手早く準備を整えていく。少半刻(十五分)ほどで荷造りをすると、導術波で合図を送る。
『第三燧 シパク 出発 第三燧 目的地 第二燧 要請 護衛 数人』
“第三燧へ。こちらシパク。 第三燧を出発する。 目的は第二燧。道中の護衛数人を要請する。”
という意味である。すると直ちに返信が返ってくる。
『シパク 第三燧 了解』
“シパクへ。こちら第三燧。了解した”
その後の導術波でのやり取りで、少半刻以内に来るらしい事が解った。それまでは、門の周辺で待つ様にと。一応導術士というのは士官待遇なのだから、この扱いはないだろうと怒ってもよさそうな所だが、シパクはそうしなかった。毎度の事さと受け流す。導術士の扱いは概してこんなものだ。
ーそれにしても何故この時期に匈奴は襲ってきたのかな?
護衛の兵士連中を待っている間、シパクはそんな事を考えていた。燧門の内外から人混み特有のガヤガヤとした音が聞こえてくる。本人も気づいてはいないが、考え事をするときにこういう音を聞きたがる妙な癖がシパクにはあった。
「一体なんの為に?」
そこからもう少し思考の譜を進めようとした瞬間、視界の隅に何人か男達が見えた。顔を向けると、案の定護衛の連中だった。リーダー格らしいのが無表情に
「導術士 シパク殿、伍長の界です! 襲撃のあった現場まで、道中を護衛させていただきます!」
と叫び、左拳を右手で受ける秦軍式の敬礼を寄越した。シパクも無言で答礼する。やはり軍隊式の威厳のある物言いなんて俺には無理だと考えながら。
シパクは燧を出た。隣の燧まで二十里(8km)。馬を飛ばせばすぐに着く。モタモタしている暇はない。他にもこなさねばならない仕事は山積みだ。工事現場の脇を通り過ぎていくと、長城にはまだ未完成な箇所が多々ある事が解る。元々は戦国時代に七つの国々ーー秦、楚、斉、燕、魏、趙、韓ーーが互いへの防壁として作っていたのだ。その後秦が中原を統一してから、専ら匈奴が南下する事への対抗策として長城が機能する様になった。中原諸国どうしの戦争に使っていた城壁を、そのまま違う目的に転用するのだ。確かにゼロから新しく作るよりは安くできるかもしれないが、それでも所々穴が空いている。旧六国、つまり秦に占領された国々の連中は、その穴埋め作業に使役されているのであった。シパクが今向かっている第二燧も、そうした未完成な区域の一つだった。
昨日もどこかの現場でまた一人死んだらしい。死体を埋葬する為の穴を掘る職人と通り過ぎた。こういう職人というのは、何故か遠目に見ていても解る。兵士の猛り狂う激しさでもなく、どちらかというと死刑執行人に近い目付きをしているからだ。狼というよりもハイエナだな、とシパクは思った。ハイエナが死骸を見るときと同じ視線をしているからだろう。既に死んだ人間の身体を埋葬する仕事。連中はここ何年も長城の建設現場に常駐している。毎日必ず何人か死ぬからだ。昨日死んだのは老婆だった。或いはここに来る前までは年齢相応の外見だったのかも知れないが、重労働をしているうちに老婆の様な外見になったのかも知れない。よくある話だった。以前シパクも、自分と同い年なのに老人としか思えない外見の男をこの現場で見たことがある。一体何をすればこんな外見になるのだろうか、という感想を抱かずにはいられなかった。無論、他ならぬ長城の建設作業のせいだろう。そんな事はシパクも承知ではあるのだが。
建設現場で交わされている言葉は、全て秦の言葉ではなかった。皇帝だって元々は秦の王様だ。大体以前は皇帝なんて御大層な言い方はしなかった。大王というもっと素直な呼び名だった。だが中原を全て統一して以来、なんだか偉そうな名前になった。何故かは解らない。そんな大層偉くて何でもできるはずの皇帝陛下ですら、旧秦の国民には迎合しないといけない。
ーそりゃあそうだろう。
シパクは頷いた。天下を統一するのに、どれだけの血が流れたことか。秦の国民が、どれほどの犠牲を強いられてきたか。ついにこうして天下は統一された。ならば我ら秦の国民が、多目に平和の配当を頂いてもなんの問題があろうか?
シパクのこうした考え方は別にそこまで極端なものではなく、この時代の一般的なものだった。秦の国民の大多数がこう考えている。
ー匈奴の南下を防ぐには長城が必要だが、そんな仕事はやりたくない。そして我らは勝者だ。
皺寄せは占領されたその他の国々、つまり秦以外の六つの国々にくることとなる。結果として、旧六国の人間だけが長城の建設現場に駆りだされていることとなる。
版築を固める為の枠の上に何人もの人間が乗って、単調なリズムの歌をずっと繰り返している。あちらでは楚の歌、こちらでは斉の歌といった具合に。時々秦の言葉が聞こえてくるとすれば、それは監視役の兵士からだった。彼らは滅多に声を発さない。何をどう伝えるべきか、形式は厳密に規則で決まっている。違える事は許されない。秦の軍規は厳格である。時折昔の国どうしで喧嘩する事もあるが、大抵はすぐに収まる。秦の法律がどういうものか誰もが知っているからだ。喧嘩両成敗が大原則であり、はじめた理由などほとんど問われない。そもそも秦の役人にしてみれば、どちらも長城の建設を遅らせていることに代わりはない。
ーつまらない事で労役をのばされては叶わない。それよりは生きて故郷に帰りたい。ただでさえ過酷な労働のために毎日人間が死ぬのだ、余計な事をして体力をすり減らしたくない。
農民たちは、それだけを考えていた。シパクとその護衛数人が馬に乗って燧を離れる際、誰もシパク達の方向に目を向けようとしなかったし、シパク達も労役の農民達と視線を合わせようとしなかった。
馬をかけている間、シパクはまだ考えていた。それも、一番考えたくない事を考えていた。
ー匈奴は文字を持たないが、もしかしたら何らかの形で導術通信技術を習得できているのではないか。あるいはまだ導術による通信技術を確立してはいないものの、これから習得しようとしているのかもしれない。季節外れの襲撃は、その為か? その場合、襲撃自体が壮大なカモフラージュであり、目的は自分達導術士・・・・。
そこまで考えてから、シパクはハッと口を噤む。
ーこれ以上考えるのは危険な気がする。そうでなくとも導術士というのは微妙な立場なのだ。ともかく今は現場を調査しよう。色々考えるのはそれからだ。
道すがら喧騒が途絶えてくる。人の気配が無くなると、シパクはなにやら不安になった。何処からかじっと観察されているのではないかという気分になるのだ。多分戦争でこうなったに違いなかった。この感覚をシパクは大切にしていた。現場では必要な情報が全て揃う事など滅多になく、そういう時には勘に頼るしかない。そして今、明らかに何かおかしかった。
周りには砂まじりの草原しか広がっておらず、近くに物音一つしないのが気に入らなかった。おまけに見晴らしが素晴らしくいい土地なので、遠くから監視し放題だろう。匈奴の連中は何処からかこちらを監視している事は間違いなかった。風が平原で唸る音ですら何かの罠かと考えているあたり、シパクの怯えが垣間見える。
では護衛連中はどうかとシパクが目をやってみると、彼らは彼らで汗が額に滲んでいる。春とはいえそんなに気温は高くないのだから、そこまで汗ばむ事もない筈なのだが。やはりこんな砂まみれの土地で匈奴に出会うなど真っ平御免だと思っているのだろう。
ー彼らだって怖いのだ、そう思うとシパクは少し怖くなくなった。別にそれで自分の身に降りかかる危険が少なくなった訳でもないが、自分以外も同じ気分だと解ると誰しも少し安心するものだ。仲間意識に近いかもしれない。だからといって、この護衛たちが完全にシパクの味方という訳でもなかった。護衛という任務上、何かあれば彼らはシパクを守る。自分達が捨て石になってでも、シパクを味方の陣地まで逃す。しかしそれが無理なら、シパクを殺さねばならない。
秦にとって導術士は単なる通信兵ではなかった。機密情報を取り扱うだけではなく、彼ら自身が秦の軍事機密そのものだった。ただでさえ匈奴に北辺を脅かされている状況で、導術通信のノウハウまで流出してしまう訳にはいかなかった。万が一導術士が敵に捕まりそうになれば、殺すしかない。
第三燧を出発してこの方、シパクも護衛連中も全くといっていいほど互いに口を聞かなかったのはそういう事情もあるのだった。
現場に到着すると、想像していた通りの結果となった。版築の枠が至る所に中途半端なまま放り出されていた。あとニ年もすれば、強度不足で崩れていくのだろうが、今のところまだ原型を保っていた。
ー先任は昨日襲われたと言っていたが、まだ近くに潜んでいるかも知れない。
今見た限りでは、この場には誰もいなかった。本来であればこの現場には、労役の農民だけで百人以上居たのだ。現状は、文字通り人っこ独りいない。匈奴にとって人と家畜はなによりの財産だ。奴等が南下してくるのも、結局人を拐って家畜を奪う為、それに尽きる。問題は時期と頻度だった。シパクは界に話しかけた。
「最近こういう事多くないか?」
「この所頻繁に襲ってきますし、今月に入ってからは数件。」
「・・・・この時期に何をしようってんだ。」
匈奴は当たり前だが北方からやって来る。そして黄河は中原と北方平原の間を流れている。秋であれば河も凍りつき始めるから、馬で渡ってくるには持ってこいの季節となる。おまけに家畜は草を食んでまるまる肥え太る。だが今は春先だった。まだ気温は低いとはいえ、これから段々と黄河の氷は溶けてゆく。それに家畜ときたら、長かった冬を漸く越したばかりで痩せ細っている。
「どう考えても奴等にとって得るモノがないんだよなぁ。」
半分壊れかけた城壁を幾ら見つめても何も答えを返してくれなかった。導術士殿、という半ば促す様な伍長の声でシパクは我に帰り、慌てて第三燧へ報告文を送信する。
『シパク 第三燧 目的地 到着』
すると第三燧から応答があった。
『了解』
人はいない。焚き火が炊かれたままになっていた。米やオカズが入った労働者用の飯が地面に飛び散っていた。飯は全く新鮮で、犬だったら喜んで食べただろう。これが一番不気味だった。つまり直前まで誰かいた筈なのだ。
「まだこの近くに潜んでいるってことかな?」
シパクは護衛の長へそう聞いてみた。誰が潜んでいるかとは、言わずとも解った。
「私ならそうやりますね。最近導術士がよく攫われているってのも、まぁ」
シパクは露骨に顔を顰める。導術による定時連絡が途絶えたのだから、導術士も殺されるか攫われるかしたのだろう。
作業員の家畜となったであろう、馬とか鶏の類は全くいない。消えたのではなく、持ち去られているのだと解った。縄や手綱の類が強引に引きちぎられていたからだ。ところどころに返り血の様なものが散見される。血の滑りを見たところ、新鮮なものだ。茶色く変色していない。
「どう思う?」
「攫われてから、一刻と経ってない筈です。返り血があったとこを見ると、守備隊は・・・」
「だろうね。定時が途切れたことからしても・・・」
この第二燧が通信途絶した正確な日時は知らされていなかったが、小半刻おきに定時連絡を取り合っているのだから、この判断で間違いはない筈だ。
ーいずれにしても、煙みたいに消えている。
「急ごう。すぐに戻って報告しねえと」
全員馬に跨って帰還しようとする、その瞬間に言われた。
「導術士殿、地平線一面が」
ちゃんと最後まで報告しろよ、と言いながら振り向く。だがシパクにも、何も言えなくなっていた。地平線一面が茶色くなっていた。そんな馬鹿なと見返ししてみると、それは人間と家畜だった。無数の人間が綱で繋がれて歩かされている。恐らくはこの現場で働いていた農民であり、目的地は匈奴の勢力範囲内のどこかだろう。
ーこの建設現場で働くのと、匈奴の社会で奴隷として働かされるのでは、まぁどちらもにたりよったりだろうな、
という酷い感想をシパクは抱いていた。家畜も似たような感じで戦利品として連行されていた。その傍らには奇妙な出で立ちの騎兵が何人も見える。秦軍の制服ではありえない。
あ匈奴だ、と間抜けな声が出た。自分のものだったか、それとも他人のものだったか。そんな事はシパクにはどうでも良くなっていた。こんな場所に普通匈奴はいない。
「長城を抜く気だ・・・・。急げ、帰還するぞ」
数百とかそんなものではない。千とか2千とかそれくらいの単位だ。しかも厄介なことに徐々に数を増やしてきている。シパクは直ちに導術波で見た内容を報告していた。
ーそれにしても何故匈奴たちは、こんな事をしているんだろうな。戦利品の奴隷や家畜の連行なんぞ後回しでも良かろうに。
シパクの疑問は尤もだったが、彼はそれ以上考える余裕がなかった。まずは逃げ帰らないとどうにもならないからだ。
-続く-