第1話:羽の忘れ物
一ノ宮 ひよこは16歳。今年、高校の中間層を担う一人となる。
彼女は生まれつき、瞼の開き具合に特徴があった。
常にほとんど閉じているような眼。
視界は狭い。これは本人談。
「あら〜?ここ、どこ〜?」
つまり迷子になるのも日常茶飯事であり、
「校舎裏の駐輪場だっつーの!ったく、いつになったらその放浪癖は治るんだ…」
『見張り役』がいるのも至極当然だ。
キーンコーンカーン…
「あらら、チャイムよ〜?教室戻らなくて、いいの〜?」
「お前もだろうが!ほら、戻るぞ!」
ひよこの腕を掴んだ俺、楠町 洋一は次に迫る化学の授業の復習を脳裏に浮かべつつ教室へと足を早める。
「だいたい、5分ちょいの小休憩で校舎から出るかよ普通」
「……」
「いいか、お前が迷子になるのはもう誰もが認める名人芸!そろそろ自覚ってものをだな…」
「……」
あ、あれ?
やけに静かだ。
…ちょっと言いすぎたか?
あまりにも従順に黙ったまま俺に連行されるひよこに、少しばかり戸惑う。
だが、俺にもプライドはあり、ましてやこのひよこ相手に謝るのは…。
素直に「言いすぎた」と発言できない自分に、意気地のなさを感じる。
「…お、おい、聞いてるk」
ここで俺は右手が重くなっていることに気が付く。
さらに、何やら柔らかくて温かい感触が、右腕を包み込んでいるように感じられた。
「〜〜〜ッ!」
見なくても分かる。
何故、女子はこんなにも、こうー…なんというか、ふ、ふわりとしている?のだろうか。
右半身からじわじわと全身へ熱が伝わっていく。
耳が真紅に染まっていく。
「起きろッ!ひよこォ!!」
俺の腕を抱き枕のようにして身体を預けていた無防備なひよこだったが、半ば無理やりに振りほどいたせいで体勢を崩した俺に覆いかぶさるようにして倒れこんでくる。
「ぐぁッ!」
見事なまでに俺の腹へとキマったひよこのエルボー。
腹の痛みと身勝手な彼女と先の温もりとを同時に脳裏に巡らせ、どうしようもなくやるせないため息が空気中へと散って行く。
「…酸素が美味い」
次の授業への執念を少しだけ残し、校舎裏に背中を預けて苦笑した。
ガララッ
「時間考えろー、ったく、お前らはいつもセットで授業サボりか?」
化学教師の佐島が、何故か校舎裏まで来ていた。
非常扉を介して校舎から出てきた先生だが、そうなると疑問が浮上する。
本鈴が鳴った後ということは、先生もサボり…?
しかしながら、状況が状況。先生のことをとやかく言う前に、自分のことをどうにかせねば。
見る人が見れば恋仲に見えてしまうかもしれない。
…それは流石にひよこに悪い。
「いやあのー、これは違うんですよ。…というより見て分かります?」
「まぁな。そんなことだろうとは思ってたよ」
「ひよこのやつ、こんな無防備な姿で寝やがって…」
「お?なんだなんだ?お前こいつのこと好きなのか?」
二十代後半にしてはちょっと若めのテンションだ。
しかし残念だが今の俺にその気はない。
こう言われることも想定済みだということなのだよ先生。
「やめて下さいよ、冗談にも程度があります」
「フッ、そうだろうな」
授業は自習にでもして来たのだろうか。
腕時計を見る限りでは既に5分は経過している。
ひよこの頬を突っついて起こそうとしつつ、俺の横に腰掛けようとしていた先生に尋ねる。
「あの、授業は?」
「あれ、今の時間、俺の授業だったか?」
「え」
「…あ〜、マジだ。しゃーねぇ、行くかー」
白衣の内ポケットから取り出したくしゃくしゃの時間割を一瞥し、頭を掻きながら今にもあくびをしそうに歩き出す化学教師。
「…お前らは『体調不良で保健室』。間違いないな〜?」
そう言いつつ、校舎裏から姿を消した。
「…はぁ」
ため息をひとつ。
ひよこは小さな寝息を立てながら、春風に撫でられる。
「…こんなことされちまうと…勘違い、するかもしれねぇぞ」
俺は、弱く、かつ軽くひよこにデコピンする。
当然、起きることのない少女。
「ありゃまぁ…、甘いわぁ…」
甘そうな寝言。
幸せそうな表情。
心のどこかでは、このままずっと、ひよこと共にある人生を望んでいるのかもしれない。
「…あと一時間だからな」
誰に向けるでもないタイムリミットを告げ、俺もまた、目を閉じた。
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それでは。
朱霧 檄愛