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きみが見た未来 4

「何も起きないか……」


 祥太郎(しょうたろう)は大きくため息をつく。あれから注意深く周囲を観察していたが、特に何かが起こる様子はなかった。

 また叫んでみようかと口を開きかけてやめる。諦めたわけではないが、効果があるかもわからないものに体力を使いすぎないほうが良いと思ったからだ。

 隣を見ると、これだけ騒いだ中でなお理沙(りさ)は眠っている。しかし『気』の膜はまだ周囲を包んだままだ。彼女もまた体力を温存しているのかもしれない――そう思った時に気づく。

 膜が先ほどよりも薄くなっている。より注意深く見てみるが、おそらく間違いない。この環境では光が闇に侵食されているのが嫌でも分かってしまう。あわてて理沙の方へと顔を戻した。意識を失ったまま使い続けている彼女の力が弱まっているのだ。


「理沙ちゃん! 起きてくれ! 理沙ちゃん!」


 このままでは命が危ないだろう。この不気味な闇の中、彼女の守護がなければどうなるのか見当もつかないが、とにかく意識を取り戻させた上で決めなければならない。先ほどよりも必死になって揺すってみても、彼女は目を覚まそうとはしなかった。


「こうなったら、イチかバチかでやってみるしかない」


 祥太郎は意を決し、自分を落ち着かせようと何度も深呼吸する。

 一番イメージしやすいのは、そこだと思った。いつもみんなで集まって作戦会議をしたり、雑談をしたり。祥太郎たちの『日常』が息づく場所。――『アパート』の『ミーティングルーム』へ。


 ◇


「まず5時の方向! その次、9時方向には短め――たぶん50mとか、そんくらい!」

「中々シビアだね。でも承知した」


 エレナは苦笑しながらも、(さい)の指示通りに転移を繰り返す。そうしているうちに、彼女も理解してきた。この不完全なゲートの中は滅茶苦茶だ。空間同士が下手なパッチワークのように無理矢理つなぎ止められている。そのせいで、少し気を抜くと同じ場所に戻されたり、全く見当違いの場所へと飛ばされてしまう。


「これは厄介極まりない。少し進むのにも一苦労だ」

「ママ、大丈夫? お水飲む?」

「ああ。ありがとうマリー」


 渡されたボトルの水を少し飲み、彼女は遠くを見た。目的の場所へと迫れている実感は全くないが、今は才の予知を信用するほかない。


「でもこれ、二人を救出したあとに帰れるのかしら……? これだけ入り組んでいるなら、香袋の痕跡も残っているかわからないし」

「そうだね、だが一度転移した道であればたどって戻れる。たとえ痕跡が見えなくなったとしても、香袋へ込められたユリア君とジュノ君の魔力も道しるべとなってくれるはずだ」

「さすがママね!」

「道が残されていれば、の話だけどね」

「そうなったら俺が、帰る道を全力で探す。――エレナさん、そろそろ行けるか?」

「ああ、行こう」


 それから何度か転移を繰り返し、変化のない景色に焦れてきたときのことだった。

 

「香袋が光ったわ!」


 マリーが興奮した声で言う。暗さにすっかり慣れてしまったのもあるのだろう。間近に見ると、それは目に痛いほどの輝きだった。


「サイ君!」

「わかってる! 任しとけ! ――10時方向に2回、12時方向に素早く2回、3時方向に長めで1回!」


 ここまでの道中でコツをつかんだエレナは実に的確に、才の指示をこなしてみせる。

 たどり着いた場所は狭い――周囲がどれほどの広さなのか全くつかめなかった今までに比べれば、そう思える場所だった。香袋とマリーの結界がまとう淡い光の先に、ヒダのようにごつごつと波打つ『壁』が見えたからだ。

 エレナは『コンダクター』に搭載されたライトのスイッチを入れ、その壁を照らしてみる。光をたどるようにして動かすと、この場所が球状になっていることが分かった。

 そして再び、香袋が光る。何度も、何度も、何度も。その光がようやく収まってくると、見知った姿が少し離れた場所に浮かび上がるようにして現れた。


「みんな……!」

「祥太郎!」

「リサ!」

 

 憔悴しきった顔の祥太郎。その隣には、理沙が横たわっている。

 

「ショウタロウ君! リサ君も無事か!?」

「はい。なんとか……でも理沙ちゃん、ずっと眠ったままで目を覚まさないんです」

「そのバリアはリサ君の力だな? それで消耗しているのだろう」

「あの、みんながここにいるってことは、『大干渉(だいかんしょう)』は何とかなったってことですか?」

「ああ、君たちのおかげだ」

「よかった……」

「そうよショータロー! だから一緒に帰りましょう!」

「俺たちが助けてやるからな!」

「じゃあ、わたしがまず結界を――」

「ダメだマリー!」


 しかし、動こうとしたマリーを強い声がさえぎった。


「先生も、転移はダメです。身動き取れなくなって、どこにも行けなくなる」

「ショウタロウ君――」

「僕はいいんです。嫌な予感がずっとしてたのに、無理に『アパート』へ帰ろうとしたから、こんなことになっちゃったんです。理沙ちゃんだけでも、なんとか助けられませんか? もしかしたら、この変な力に影響を受けてるのは僕だけかもしれない。みんな……みんなだったらきっと」

「何を言ってる? 諦めるな! ――サイ君、指示を!」


 しかし、才は空中を睨みつけながら小声でブツブツとつぶやき続けている。


「サイ君!」

「黙っててくれ! 今『視て』る!」

「ショータロー! これを使って!」


 マリーは持っていたアイテムをありったけ投げた。それは頼りなくあたりに散らばり、ふわふわと見当違いの方向へと流れていく。エレナがその一つに意識を向け、祥太郎の元へ転移させようと試みたが、ただ消えてなくなっただけに終わった。


「空間が歪んでても、さっきみたいに細かな転移を繰り返せば行けるんでしょう? サイとママなら出来るわよね? だって、ショータローもリサも、こんなに近くに、すぐそこにいるじゃない!」

「サイ君、時間はあとどのくらいある?」

「あと……」


 才は長い沈黙を経て、絞り出すような声で答えた。

 

「……あと数分で、ここは崩れる」

 

 エレナはもう一度、別の言葉で問う。


「サイ君、それまでに彼らを救い出せる未来は『視える』か?」

「それは、絶対に見つけてみせるから――!」


 その言葉に力は感じられなかった。先ほどから凄まじい量の情報を処理し続けているせいだろう、才の体は小刻みに震えている。彼は祥太郎の言葉を否定しなかった。エレナの直観も同様に警告を発している。ならば二人を短時間で連れ出すことは絶望的。下手に動けば、待っているのは全滅という未来だ。 

 無意識に噛みしめていた唇から血の味がした。エレナは長い長い息を吐いたあと、決断を下す。


「……撤退する」

「ママ! もう少し待って! きっと何か道はあるわ!」

「ちくしょぉぉぉっっっ! 何か『視え』ろよ! なんでもいいから!」


 そして転移が始まった。濡れてにじむ水彩画のように、景色の境界線があいまいになっていく。エレナ自身のためらいが影響したのか、それはいつもよりもゆっくりと進んだ。マリーのすすり泣く声が聞こえる。


「――祥太郎! 手だ! 手を取れ!」


 才がありったけの声で叫び――その直後、目の前は再び闇へと変わった。

 

 ◇


 三人の姿が消えてすぐ。『壁』の一部が剥がれ落ちるのが見えた。


「ありがとうって言いそびれちゃったな。……言えばよかったな」


 祥太郎のつぶやきが虚しく響く。こんなわけのわからない場所を見つけるだけでも大変だっただろうに、三人は危険を冒してまで助けに来てくれた。他のみんなも、きっと様々な形で力を貸してくれたに違いない。


「理沙ちゃん、助けられなくてごめん」


 この計画が始まった頃が、ずいぶん遠いことのように感じる。旅館へとついた日の夜、後悔しないようにしろと言った才は、もしかすると、こうなることを心のどこかで察知していたのかもしれない。

 世界が崩れていく。岩のように大きな塊が音もなく降っている。ただ真っ黒だと思っていた『壁』の中からは赤、青、緑――薄く光る様々な色が現れた。それは闇の中に浮かぶステンドグラスのようで意外にも美しかった。


「――っ!!」


 剥落した物体が、こちらを目掛けて飛んで来る。いくつかは『気』の膜に弾かれたが、一つの大きな塊がそれを突き抜けた。祥太郎は急いで理沙をかばう。


「ぐあっ!」


 足に走った痛みよりも、安らかに眠る理沙の顔にほっとした。膜の穴はすぐに修復されたが、先ほどよりもさらに色が薄くなっている。だが、落下してくる塊は大きさも数も増すばかりだ。

 再び接近する飛来物。とっさに腕で頭を覆った。響く大きな音と、衝撃――は来ない。

 空中で光が回転していた。マリーのマジックアイテムだ。運良く一つだけ、ここまでたどり着いたらしい。それは降り注ぐ塊をいくつか跳ね飛ばしたあと砕け散る。


「ありがとう、マリー。才、先生……」


 ――頑張ったよな。

 少なくとも、『大干渉』は回避できたのだ。十分な働きだ。『アパート』に来るまで何も目標を持てなかった自分が、世界を救ったのだから。今まで出会った人、積み重ねた思い出が次々と浮かんでは消えていく。忙しくて実家に帰省する暇もなかったが、せめてもう少し電話でもしておけばよかったと、今さらになって思った。

 じんじんと響いていた足の痛みが段々と遠ざかる。諦めと、後悔と、出来ることはやりきったという思いと――いや。


「……手を取れ」


 最後に、才はそう言っていた気がする。意味はわからなかったが、ずっとつないでいる理沙の手に、もう片方の手もそっと乗せた。その手は、まだあたたかい。

 自分の手、理沙の手。周囲の壁はあまりに遠く、ここを動けずにいる自分の手が届くことはない。

 朦朧としてきた意識の中、祥太郎は最後の力を振り絞ってあたりを見回し――そして、手を伸ばした。


 ◇


「戻ったか。祥太郎くんと理沙くんは?」


 問われてエレナは力なく首を振る。『ゲート』の方向からは怪しげな色の光が幾筋も走り、まだ暗い空を不気味な色に染めていた。地面に座り込んでうなだれるマリーの隣には、意識を失った才が横たわっている。 


「……そうか。だが君たちだけでも無事でよかった」


 マスターはとても穏やかだった。ここにはゼロもいる。もう、覚悟は済んでいるのだろう。

 

「マスター! 準備が完了したよ!」

「ボクもちゃんと手伝ったっピ!」

 

 光の出どころから、ジュノと棒人間の声がした。マスターはうなずいて印を結んだあと、片手を勢いよく前へと突き出した。

 

無形切断糸むぎょうせつだんし!」


 言葉と同時に、五本の指先から沢山の細い光が放たれる。それは『ゲート』の一角へと向かった。光の糸がぐるぐると絡みつくのを少しのあいだ眺め――鋭い呼気とともに一気に引く。

 

「今や!」

 

 そのタイミングで号令を発したのは友里亜(ゆりあ)だった。待機していた結界師たちが一斉に術を発する。糸に引かれて浮き上がった不定形の『それ』は、空中で氷漬けにされたかのようにみるみる固まっていく。

 

「これは……」

「あの不完全なゲートを切り離したんだ。周囲への被害を最小限に抑えこむ」


 マスターは術への集中を切らさぬままでエレナに答えた。確かにあれが崩壊してしまえば、こちらだけではなく、『ゲート』の向こう側へも被害が出てしまうだろう。


「リサ……ショータロー……!」


 マリーは座り込んだまま、呆然とつぶやく。あの中にはまだ二人がいるのだ。だが諦めきれない感情よりも、二人なら何を望むかという思いが体を突き動かした。

 

「わ、わたしだって……!」


 目をそらさぬままで、彼女は立ち上がる。力を振り絞り、結界へと手をかざした。エレナもすぐに寄り添い、手を取って強化に力を貸す。その間に遠子(とおこ)とゼロは横たわったままの才を協力して抱え、テントの方へと運んだ。戻ってきた棒人間とカエルたちも一緒に、身を低くして成り行きを見守る。 

 『それ』が結界の外に出ることはもはや敵わない。極彩色の光をあたりにまき散らしながら、透明な檻の中で渦を巻き、波打ち、跳ねまわった。

 術者たちにも、やがて疲労の色が見え始めてきた頃――ひときわ強い閃光が走り、あたりを真昼のように照らした。鼓膜を揺らす爆音がとどろき、強烈な風が巻き起こる。


「皆、もう一息だ!」


 マスターの力強い声に鼓舞され、風に逆らうようにして放たれる魔力が強さを増した。攻防の末、抵抗する力は急速に失われていく。


「……終わったのだね」


 エレナのつぶやきは誰にも届かない。今までのことが嘘だったかのように、あたりは静まりかえっていた。明るさを帯びてきた空には雲一つなく、白い扉だけが、早朝の光を浴びて荘厳にたたずんでいた。

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