5 おはなしになりませんわね
あくる日。
授業合間の休憩時間にトイレからリチャードが返ってくると。
「やけにうるさいな」
小さくつぶやいたリチャードは、ジェイクの姿を求めて周辺を見渡す。
あちこちでささやかなグループを作って生徒たちが何事か噂し合っていた。
件のジェイクもそんな女子たちのグループで何事かささやき合っていたけれど、特に声が大きな連中は黒板前に集まっていた商売人の子供たちだった。
「市議長の逮捕は明らかに不当だ!」
「そうだ、王政府は俺たち市民を馬鹿にしている」
「印紙税は明らかに僕ら市民階級を絞めつけているからな!」
何を言っているのかわからないが、商人の子弟たちは訳知り顔で政治か何かの話をしているらしい。
リチャードが自分の席に向かうと、女子グループから抜け出してきたジェイクがこちらへと近づいて来た。
「これは何の騒ぎだ」
「詳細はよくわからないわ。けど、政府が印紙税納入を拒否した市の議長さまを逮捕したって噂でもちきりなの」
珍しく声のトーンを落としながらジェイクが言葉を続ける。
「うんとね、どうやら地方貴族の子が教室に新聞を持ち込んで、話が盛り上がってるのよ」
「ふうん。そうか」
政治の事などさっぱり理解の範疇外にあるリチャードは、生返事をすると机から勉強道具を引っ張り出して、席に腰を下ろす。
「ま、俺には関係ないけどな」
「いいえ、関係あるわ」
「何がだよ。お前は花屋の娘だろ、貴族の家でも商人の家でもない」
「花屋だって立派な商人よ! でもそんな事は今は関係ないわ……」
少々声を荒げ、ジェイクは狐耳をひくつかせながらも視線を教壇前に集まったグループを見やった。
「政府は科学の導入には消極的だからな。産業の発展いちじるしいファルミアの繁栄が妬ましいのだ」
「そうだ。王立議会の大多数を占めるのは王統派貴族の議員たちだ」
王立議会というのは、リンケイシア各地の利益代表者として送り込まれる各地の貴族議員によって行われる国民議会のことだった。
おおむね政府中央に近い土地と辺境地域の貴族は伝統的に王統派と呼ばれる保守層が強く、産業革命の恩恵を大きく受けている南部の地方貴族たちは革新的な共和派を形成していた。
ここファルミア市選出の貴族代議士は当然ながら共和派であり、市の自治運営をとりまとめる市議長もまた熱心な共和派支持者だった。
「アイリちゃんのお父さまは、無罪潔白よ!」
罵倒の声にまじって、すすり泣く少女がひとり教室の最前列の机にいる。
市議長の娘のひとりが、同じ学年にいたのである。授業の予習どころではないのも納得だ。
「そういう事か」
「そういう事よ」
小さくつぶやいたリチャードにジェイクが返した。
「だいたい王侯貴族ってのはいつもそう。汚い限りだわ!」
「まったくだな、いつだって地方から搾取するばかりだ」
聞こえてくる罵声にまあ同情はするけれども、政治の話は詳しくわからないリチャードは、ジェイクに肩をすくめてみせて興味を失った。
けれども、そんなソバカス少年の方をジェイクが引き戻す。
「んだよ」
「あれを見なさい」
狐耳娘があごでしゃくった先にはマリアの姿がある。彼女の席は教室の最前列一番窓際だった。
独りぼっちが基本のマリアの場合、普段の自由時間は人だかりが出来るわけもない場所だけれども今日だけは違った。
黒板前で弁論めいた事をやっていた地方貴族や商人の子供たちが、語気荒くもマリアの方に詰め寄りつつあったのだ。
「どうなのですマリアさん」
「…………」
「お前たち王統派のみんなは、普段は科学の発展を否定するくせに、科学がもたらした産業の発展による富は独占するのか?」
「…………」
「何とかお言いになったらどうなのです! 仮にもあなたのお家はわたしたちの税金で食べているのですよ!?」
明らかに批判の矢面がマリアに向いたようだ。
一瞬、リチャードはあの日の食堂でマリアと一緒になった時の言葉「わたくしは王都出身」で「ファルミア市民とは違う」という言葉を思い出した。
否、ファルミア市民とは違う云々についてはリチャードが勝手に連想しただけなのだけど、まあそれがあったとしても、さすがに今のマリアには同情してしまう。
「ノールズさん、何とかいえよ。ファルミア寄宿学校の理念は、科学は平等に恩恵をもたらすだぞ。あんたみたいな王統派が通っていいところじゃないぜ」
そんな非難の言葉に一瞥をくれたマリアは、金髪の髪を揺らして口を開く。
「おはなしになりませんわね」
するどく周囲を突き放す様にただひとことそう言ったのだ。
それで場の空気はあっという間に静まり返った。