2 気まぐれなお嬢さま
落第生ふたり組の実験が大失敗したらしい。
盛大に煙を吹いた実験モデルを前にして「火を噴いたわ!」とか「このままじゃ単位がとれないわ!」とか、あるいは「親父にあわせる顔がねぇ」とか「あんたのせいよ!」とか大騒ぎをしている。
「フン……」
クラスに親しい人間がひとりもいないマリア・ノールズは、彼女からすれば馬鹿丸出しなそのふたりの様子を冷ややかに見た。
――躾の足らない下町の子供はこれだから。
クラスで誰とも仲良くしていないマリアは、今回の実験でも組む相手がいなかった。その代わりに便宜上は先生とペアを組むことになっていたのだけれど、これまでの彼女の成績のことを考えれば、その必要はまるでない。
そもそも、たかだか寄宿学校の生徒が触らせてもらえる簡易実験モデルで失敗をするなんて、このファルミア下町の生徒たちはどれだけ馬鹿なのだろうと思った。
友達がひとりとしていないのを棚に上げてそんな事を考えるのは、マリアが貴族の子女だからである。
ただの貴族ではない。地方都市ファルミア周辺に土着している地元貴族ではなくて、伝統と格式ある王都カディフ近郊に封土を持った王侯貴族たるノールズ家の出身という自負があった。
とはいえ、ここ産業革命の波が渦巻く港湾都市ファルミアとその寄宿学校の気風では、貴族も市民もあまりヒエラルキーの差を感じる事はなかった。
そんな事はノールズ自身もおおいに理解していて、いまどき魔法学を盛んに勉強させている王立寄宿学校の教育姿勢は古臭いと思っている。
だから、マリアは王立寄宿学校の初等部から中等部に上がるとき、彼女の父ノールズ卿が「これからの時代は科学だ」と言ってファルミアへ向かう事を口にしたとき、素直に首を縦に振ったのである。
マリアは授業で組み立てる実験モデルを、丁寧に最後の確認をしたのちに完成させた。
小さく手を挙げて口にする。
「完成しましたわ」
「はいじゃあ作動させなさい」
やる気のかけらも感じられないキッシンジャー先生は、チラリとマリアを視界に収めると、おざなりに返事した。
隣のソバカス面のマッシュルーム少年や、ヴェルペなどと呼ばれる狐の獣人族の血筋が入っているらしい勝気な少女とは違って、火室に点火してハンドルを回していると、じきに煙突から黒煙が噴き出し始めて歯車も回転しはじめた。
実験は成功だ。
もういちど手を挙げてキッシンジャー先生に確認を求めると、またもこの若い女性教諭はチラリとマリアの作業台に目を向けただけで合格を口にした。
「はい結構です」
他愛ない、マリアの実験モデルは簡単に成功した。
合格したものの、実験モデルはしばらく片づけることが出来ない。どうしてかというと、蒸気機関というものはいちど作動させてしまうと、しばらくボイラーが熱を帯びていてさわると火傷してしまうからだ。だからしばらくの間は冷ます必要があって、組み立てた実験モデルを放置していないといけない。
手早く工具だけを木箱の中に片づけてしまうと、マリアは暇になってしまった。
それでまた、隣の下町ふたり組のやりとりに耳を傾ける。
「聞きなさいリチャード。このままじゃウチらは理科実験の単位を落として卒業できないわ!」
「わかってるよそんな事っ」
「なんとかしなさい!」
「出来る訳ないから失敗したんだろ!」
「あんたそれでも機械工職人の跡取り息子なの!?」
焦ったふたりの口論が聞こえてくる。
マリアは馬鹿馬鹿しいとは思うけれど、それでもそんなやりとりは嫌いじゃない。
王立学校では躾と作法ばかりが頭でっかちの王侯貴族、華族の義務などと言って子供であっても腹の探り合いばかりだった。
ここファルミアじゃそんなものは腹の足しにもならないからと、だれもしない。
二人のやりとりに思わずクスリとしたマリアは、慌ててムッツリ顔をとりつくろうと立ち上がる。隣の作業台の前に立つとリチャードとジェイクが彼女に振り向いた。
「な、なんですかねマリアさん!」
「ちょっと貸してみて」
「どど、どういう事なのよ……」
「あなたたちふたりでは、いつまでたっても組み上げられないのでしょう?」
何の気まぐれか、手助けしてみようと思ったマリアだ。
「い、いいのかマリア」
少々どもりながらリチャードが王都貴族の子女を見上げると、
「べべ別にそんな事はないわ!」
「おい、せっかくだし助けてもらおうぜ」
ジェイクの言葉にリチャードは「卒業やばいし」と言葉を続けた。
「そ、そうだけど。ウチらが何か馬鹿みたいじゃないの! マリアさんあなた何が目的なのっ」
「目的なんてないわ。気まぐれよ。貸して」
と改めてマリアが作業用手袋をはめながら実験モデルを引き寄せたのである。
結論から言えば蒸気機関の実験はマリアのおかげで成功した。
「ありがとうマリアさん、あなた天才ねッ。リチャードあんたも感謝しなさい!」
「お、応っ。ありがとな……」
授業の終わりぎわにふたりして頭を下げてきた下町組に、決して不快ではないという風なため息を漏らして返した。
「フン……」