逃げた先に
そうして私はバラの庭園を、急ぎ足でかけぬけていく。
ドレスが脚にまとわりつき、こけそうになるが……私は何とかバランスを取ると、会場まで走り続けた。
そしてようやく会場の明かりが見えると、私は後ろを振り返り王子が来ていないことを確認する。
後方には美しい庭園が広がるだけで、誰の姿もない。
私は胸をなでおろすと、急いで息を整え、騒がしい会場内へと戻っていった。
会場へ続く扉を開けると、貴族女性に囲まれていたグレイと目があった。
彼は女性を押しのけながら、私の元へと歩いてくる。
「どこへ行っていたんだ!」
グレイは怒った様子で私の腕を強く掴かむ。
心配そうに揺れる彼の目をみつめ返し、ごめんね、と笑顔で答えると、私は彼の手を取りゆっくりと会場へと戻った。
会場は先ほどとは違い、艶やかな音楽と、人の声にあふれかえっていた。
そんな中、グレイスを囲んでいた女性たちの視線が痛い……。
グレイはかっこいいもんね……。
そんな彼が社交界デビューの小娘に取られたら、そうりゃこうなる……。
恐る恐るに女性貴族たちの顔色を伺う中、握られていた手に力が入った。
「それでどこに行っていたんだ?変な男に絡まれたのか?」
怒ったような焦ったような声でグレイスが私へ問いかけた。
「うーん、ちょっとね……でもなんでもないよ」
私は誤魔化す様に笑みを浮かべると、グレイを見上げた。
さすがに王子との婚約話を断ったとは言えないな。
これ以上追及されるのを恐れた私は、話を変えることにする。
こちらをすごい形相で睨み付ける令嬢に顔を向けると、そっと口を開いた。
「あの女性の方たちは……大丈夫なの?」
「勝手にまとわりついてきただけだ、関係ない」
仏頂面で貴族女性たちを見据える彼の様子に視線と笑みが零れ落ちる。
もう14歳にもなるのに、彼はまだ女性が苦手なままだ。
でもいつか彼も……婚約者を作らなければいけない。
一体彼の婚約者はどんな女性なのだろうか。
仲良く出来るといいんだけどなぁ……。
そんな事を考える中、彼は仏頂面を消し、微笑みを浮かべたかと思うと、おもむろに私の手を取り、紳士の礼を私へ向ける。
「私と一曲踊っていただけませんか?」
日ごろ見ない彼の動作に笑いがこみ上げてくる中、私はニッコリと笑みを浮かべ見つめ返す。
「喜んで、グレイ様」
私はドレスの裾を持ち上げると、淑女の礼をとり、ゆっくりと彼の手に重ねた。
ホールへと出ると、また大勢の貴族の視線が私たちへ集まった。
皆が躍る中、私たちも音楽に合わせ、踊りなれたダンスを踊る。
腰に添える彼の手に私は体を預けると、彼との距離がグッと近くなった。
「その……言えていなかったが、そのドレスとても似合っている。綺麗だ」
聞きなれない言葉に、驚きの顔で彼を見上げると、彼の頬は真っ赤染まっていた。
そんな彼の姿に私は小さく笑うと、彼の耳とへ顔を寄せる。
「ありがとう、あなたの礼装姿もとても素敵ですわ」
そう囁くと、彼の耳は真っ赤に染まっていた。
先ほど踊ったダンスとはまた違う落ち着いたダンスを音楽に合わせ、彼の腰へと手をまわし、いつもと違う彼を見上げ視線を交わした。
彼のルビーのような赤い瞳はいつ見てもきれいだな。
私の様子に彼は照れた様子で視線を逸らすと、斜め上を見上げる。
「くそっ、かわいすぎだろう……」
その掠れた声はダンスの音楽に紛れ、私の耳にはっきりと届かなかった。
そんな二人をテラスから戻ってきた一人の少年が、笑顔を崩さずただただ見据えていた。
深い青色の瞳の奥に黒い感情を浮かばせながら、ホールの中央で楽しそうに踊る二人を見ていたことは、誰も知らない。