6 中庭茶屋開店
晴れ渡る青空のもと、パンパンと開始の合図が響き渡った。開始を今か今かと待ち望んでいた来賓客たちが学園祭の入口へと吸い込まれていく。
絶好の学園祭日和だった。
*
「いやー、ついに始まってしまったねっ!」
「………………わくどき!」
赤い布を被せた背もたれのない長椅子、陽射しを遮るための大きな傘をそれぞれセッティングした、なんちゃって和風になった中庭にてヒューイとテオドールは徹夜テンションではしゃいでいた。
「これで花びらとか散ってたらサイコーだったんだけど、季節柄仕方ないかなぁ」
季節は秋まっさかり。探せば秋に咲く花もあるだろうが、少なくとも会場となっている中庭には存在しない。
「後の事も考えてくださいよ、ヒューイさん。誰が片付けると思ってるんすか……俺っち達っすよ?」
デスヨネーと後片付けの労力を考えると、紙吹雪なんかを散らせるという代案も引っ込んでしまう。
「…………これは、これで、ふーりゅー」
そう言って周りの木々を指差すテオドール。木々に付いた葉は紅く色付いていて、これはこれで風情があるように見える。
「テオ君って実は和のセンス抜群か!」
「俺っちにはヒューイさんの和の定義が判らないっす……」
首をひねるローレンツ。
「——と、もうそろそろお客さんが来る頃だ! みんな準備は良い?」
ざわめきが近づいてきていた。東方の民族衣裳であるキモノを着た給仕役のクラスメイトたちも、ソワソワしだしている。
「二年貴族クラスの和スイーツ喫茶開店だよ!」
「おー!」
ヒューイの号令にクラスの皆の声が響いた。
*
流行りものを扱っているおかげか、たくさんの客に恵まれ賑わう和スイーツ喫茶。給仕役の生徒が大忙しで走り回る中、入り口で一際大きなざわめきが起こった。
「……ふむ、今年は控えめなのだな」
「あらあら、逆にそれが良いのじゃありませんか」
ユストゥス候とその夫人だった。夫人に抱かれた黒猫が同意するように「にゃー」とひと鳴き。
「これが今の流行りなのか……」
「兄貴は世情に疎すぎなんだよ」
夫婦に続いてやって来たのは、銀髪と金髪の整った顔立ちの兄弟。呆然と呟く銀髪がジークハルト、そんな兄に呆れる金髪がレオン。ヒューイの兄達だ。
「ヒューちゃんは? ヒューちゃんはどこー?」
夫人によく似た、おっとり系美女がキョロキョロと辺りを見回している。短期休暇中にヒューイを構い倒すだけ構い倒した挙句に、先日やっと旦那の元に帰ったはずの姉マリーである。
「初日から一家総出、とか……!」
——仲良し家族参観か!
ヒューイの背に戦慄が走る。これは下手な失敗はできない。他に目を引くのは、ユストゥス一家にごく自然に溶け込むという高度なテクニックを披露しているノーチェであるが……。
「ノーチェさん、既にプライド捨ててるっすねー。どんだけ和スイーツが食べたかったのか……」
彼女は「ワタクシ昔から貴族に飼われてましてよ?」と、言わんばかりのオーラを漂わせていた。
「ノーチェには劇渋抹茶でも流し込んであげれば良いと思うよ!」
とは言いつつもヒューイの内心は穏やかではない。地味に初の顔合わせとなる兄達が、さも自然に紛れ込んでいるからだ。あとマリーが居るのも懸念事項である。短期休暇中の出来事はある意味トラウマになりかけていた。今回、給仕役でなかったのはある意味で幸運だったかもしれない。弄られる要素が一つ減ったから。
「——僕は裏方に徹することにします。けっしてまりーおねえさんと、かおをあわせたくないわけじゃないのです……」
これは逃げではない、勇気ある撤退である。あと、家族には最高のお茶を淹れてあげたい。自分が好きな食べ物を家族にも好きになってもらいたい。そんな思いもあった。そうするためには現状では一番理解している自分が直々に手を出すべきだと。
「まあ、妥当な判断っすね」
騒動を好まないローレンツも全力で同意した。決して後片付けが面倒だからではない。ユストゥス一家の溺愛具合を知っているがゆえの同意だった。下手にヒューイが身を晒すと収拾がつかなくなるのだ。
「マッチャセット五つ入りましたー」
そんなこんなでユストゥス一家からの注文を告げる委員長の声が舞台裏に響く。ちなみに今回の出し物は三色団子と飲み物のセットである、『リョクチャセット』と『マッチャセット』の二つのみ。新感覚の飲み物を試したいならマッチャ、苦いものが苦手ならばリョクチャという住み分けだ。
「——よし!」
気合いをいれて腕まくりをするヒューイ。
まず抹茶をティースプーンに軽く一杯。この日のために魔術師コースの生徒に作ってもらった茶碗にふるい落す。次に一度沸騰させ、湯冷ましした湯を一杯分注いだ。
そこからは、これまたこの日のために用意していた茶せんを使って、ダマにならないよう底にたまった抹茶をまんべんなくゆっくりと混ぜる。次に茶せんを少しあげて、湯が回らないよう手首を前後にしっかり振って泡をたてた。最後に茶せんの先で泡を細かくしたら、泡を潰さないように茶せんを取り出して完成。
慎重に五度それを繰り返した。
「かんせーい。うんうん、我ながらカンペキだね!」
心地よい達成感、それを感じつつ団子の準備も進めていく。なるべく形が良いものを……と、思いっきり私情に走っていたりするが今日くらいは良いだろう。
そんなこんなで完成した品を委員長に託した。
「委員長、後は頼んだ!」
「ええっと……ご家族に挨拶はしないんだ?」
「学校で公開家族トークショーとか、それなんて拷問?」
「あ、うん」
彼は意外と早く納得してくれた。
*
ヒューイが委員長にマッチャセット五つを託してしばし。
「こんな不味い茶が飲めるかっ!」
誰でも学内に入れる期間とはいえ、どうしてこんなのが? と、問いたくなるような六人ほどのゴロツキたちが「責任者を出せ!」と騒ぎを起こした。
傘は倒れ、ひっくり返った長椅子。地面に叩きつけられて割れた茶碗に、空を飛ぶ団子。なかなかの惨状に駆け付けたヒューイの表情が固まった。抹茶が染み込んだ土に、べちゃっと団子が着地する。
「三秒るーる……」
呆然と呟くヒューイ。
「…………あれは、あれで、アリ」
「……いや、流石に無理っしょ」
抹茶の味の泥に塗れた団子から新たなメニューの着想を得るテオドールに、この惨状からの発想はやばいと突っ込むローレンツ。
ちなみにゴロツキの彼ら、所々に引っ掻き傷をこさえている。昨夜、ニャンコ部隊にやられた一派とみて間違いなさそうだ。懲りもせず妨害チャレンジするとは、見上げた根性である
「この店はこんなモンに銅貨五枚も取るのかよぉ?」
「クハハハッ! 甘いな、そこらの石ころよりも軽いゴロツキ諸君!」
驚くべき事に、最初に声をあげたのはユストゥス侯だった。地味に悪役っぽい語り口に、次男のレオンが苦い顔をしたが、御本人はノリノリである。
「この品々は輸入品を使用している。それを銅貨五枚で振舞っているのだから、逆に良心的なのだよ!」
なお、味に関しては言及しない。個人個人で好みがあるので。
「所詮は嗜好品よ。事前説明があったにもかかわらず、果敢に挑戦した諸君らの舌には残念ながら合わなかったというだけの話!」
「あのな、おっさん。そもそも、こんな不味いシロモノを売るのが間違ってんだろうがよぉ?」
「得てして嗜好品は万人受けするとは限らん。勉強代と諦めることだ」
要約すると『事前に忠告されてたのに注文したのはお前らの意志なんだから、四の五の言わず黙ってろ』である。多少乱暴に訳すと『お前らに嗜好品は早すぎたんだよ。……ムチャシヤガッテ』となる。果たしてゴロツキ達が理解したのは後者であった。
「おっさん、俺らにケンカ売ってんのか?」
あぁん? と凄むゴロツキだが、ユストゥス侯は平然としている。仮にも地方を預かる領主。侯爵自身、武芸の嗜みがあるのはもちろんだが、政治のやり取りにおける緊張感に比べれば、街のゴロツキの睨みなど笑って流せる。よって答えは——
「うむ。そうなるな!」
弾んだ声に、彼の長男が「父上ときたら自重が足りない」呟いた。奥方は「あらあらまあまあ」と苦笑いしているが心配の色はなく、長女は髪を弄りながら「早く終わらないかしら」などと明後日の方向を見ている。次男は親が年甲斐もなくはしゃぐ姿に、団子のヤケ食いを始める始末だった。
そして残る末っ子は、というと——
トントン。と、背後から肩を叩かれたゴロツキが振り返ると……
「ふごっ!?」
その口に団子がこれでもかというほど突っ込まれる。
「お客様ー、忘れ物でーす」
ニッコリと満面の笑みを浮かべたヒューイの仕業だった。瞳からハイライトの消えた彼は、グリグリと団子を口の中へと押し込むのをやめない。ちなみに大変危険なので良い子は真似をしてはいけない。
「何しやがるこのガキ!」
団子を突っ込まれたゴロツキが目を白黒させてパニックに陥るなか、ほかのゴロツキたちがヒューイに詰め寄ってきた。
「残すとモッタイナイので」
地面に染み込んでしまった抹茶はどうにもならないが、団子はまだ無事だったからという暴挙である。まずは一人脱落。
「ダイジョウブ。ちゃんと土は落としたので問題はないです」
「問題しか無いわこの野郎!」と殴りかかってくる他のゴロツキ達の拳を、のらりくらりとかわしつつ彼は言葉を続けた。
「ちなみにですね。お団子の材料であるお米には、一粒一粒に神様が宿っているというお話がありまして——」
語りながら、ゆらーりゆらりと変則的な動きでゴロツキたちの同士打ちをさそうヒューイ。見事なクロスカウンターが決まり、二人脱落。
「——一粒でも残すと、バチが当たったり、勿体無いお化けがやってきたりなどの災厄に見舞われるトカナントカ」
『モッタイナイ……モッタイナイィー』
絶妙なタイミングで入る、悪ノリ好きな幽霊たちのアドリブ。無意味に浮かび上がる傘や、壊れた器の破片など。霊感の強い客などは急に走りはじめた寒気に身震いしている。見た目に似合わずお化けが超苦手な一人が脱落。残り——二人。
「というわけでー……天・罰・てきめーん!」
食べ物を無駄にするなキックとパンチ——という名の武技——でラスト二人脱落。ユストゥス侯が出るまでもなく鎮圧が完了した。
「ううむ……ヒューイに格好の良い私を見せたかったのだがなぁ」
「……父上、お年を考えた方がよろしいかと。それにしても——」
残念がるユストゥス侯を諌めるジーク。彼は彼で内心、ヒューイの戦闘能力の変化にも驚いていたが何よりその容赦の無さに驚いていた。
一方、この手の騒動に若干慣れていたクラスメートや学内関係者達は、口々に「魔王様だ」「魔王様が降臨された!」「魔王ぱない」などと口走る者が多い。着々と魔王信仰者が増えている。
「警備班だ! 騒ぎが起こっていると聞いて来た……んだが、一足遅かったようだな」
「……まあ、うちのクラスにはヒューイが居るからのう」
人の波をかき分けてやって来たのはエルンストとフェルだった。腕に『警備』と書かれた腕章を付けている。荒らされた会場の一部とそこらに倒れているゴロツキ風の男たちを見て、事情を察したようだった。
「エルンスト君、彼らをこってり絞って黒幕聴き出しといてくれるカナ?」
——然るのちに鉄拳制裁するんで。
不穏なセリフを付け加えてゴロツキたちを引き渡すヒューイ。軽い口調とは裏腹に、その目にはやはり光が無い。目が笑っていなかった。
「……あ、ああ。承知した」
やや怯みがちにエルンストが応え、フェルや後続でやって来た警備班の人員達と共にゴロツキたちを連行してゆく。「眠っていた魔王を叩き起こすだなんて傍迷惑なことしやがって」と思いつつ。
そして。
「来年はホンモノ仕込みのお化け屋敷っすかねー……」
すっきりとした青空を見上げながら、ぽつりとローレンツが口にした呟きは誰にも聞こえる事はなかった。




