2 魔王様、暴君に教えを請う
「前にも言ったと思うんだが、運動会は一大イベントだ。というわけで、もし優勝とかしたら王との謁見とかもあり得る」
アルは、「ウチの学校は国営だからな」と前置いて、軽い調子でそれを告げた。
「そういう訳だから、礼儀作法とかの復習しとけよー」
*
「……困ったなぁ。ホントに困ったなぁ」
「どうしたんじゃ、ヒューイ。さっきから、困ったとしか連呼しておらんが」
今日のヒューイの御付きは珍しくフェルだった。食堂の机に突っ伏すヒューイを苦笑いしつつ見守っている。
「礼儀作法ぜんぜんわかんない」
「そうか。まぁ今のお主は庶民感覚が強いからのう……」
以前の——暴君だった頃のヒューイは礼儀作法だけは完璧だったのだが……と、フェルは言う。
「へぇ、そうだったんだ?」
「所作だけなら、エルンストですら文句の付け所が無いレベルだったはずじゃ」
まーじーでー? と驚くヒューイに、マジだと答えるフェル。意外と付き合いがいいのが、この兄貴分のいい所である。そして太鼓判を押された過去の自分について考えていたヒューイの脳裏にとある考えが浮かんだ。
「そうだ、アレ使ってみよー」
「アレ、とな……?」
「前、ノーチェがやろうとして失敗しちゃった魔術なんだけどね……」
と、以前にあった魔王様と暴君分裂事故の話をするヒューイ。
「アレをいくらか改良すれば、礼儀作法完璧な『僕』に教えてもらえるんじゃないかなって」
「……ふむ。話を聞く限り厄介ごとの匂いしかせんのだが……?」
「だいじょーぶ。今回は事故じゃなくて、意図的に使うから……たぶんね」
不安要素は山盛りだが、身近に最高の教師がいると聞けば——しかもそれが過去の自分であるなら尚更——使えるものは使うのが一番の近道だろう。前回はロクに話さないまま事態が収束してしまったので若干、興味本位なところもあるが。
「『影分身』!」
詠唱と同時にヒューイを囲むように、ぼわんと煙があがる。ここまでは前回と同じだが果たして——
現れたもう一人のヒューイ——紛らわしいので暴君と呼ぶことにする——は、優雅な足取りで手近な椅子に座ると、これまた優雅な手つきでヒューイのお茶を飲み始めた。
「あー、それ僕のお茶ぁ……」
「お前のお茶なら僕のお茶でもある」
違うか? 違わないよな? と平気な顔してのたまう暴君。ついでに添えてあったお茶菓子に手を伸ばそうとして——やめた。もう一人の自分の性質を思い出したのだ。これは存在の維持に大きく関わる事項だと。実際、ヒューイの目が座りだしていたのでギリギリセーフだった。
そして一息。一服して落ち着いたのか彼は口を開いた。
「僕から礼儀作法を習いたいらしいけど、もちろん本気だよね?」
「もち!」
ヒューイ即答。そこである事に気付いたフェルが暴君に疑問をぶつけた。
「もしやお主、ここ半年ばかりの記憶も持ち合わせておるのか?」
「もちろん。前回はあの馬鹿ネコの適当な術だったから不完全だっただけさ」
「……あー、ソウダネ」
次こそあの馬鹿ネコに勝つ! と、やる気に溢れている暴君であるが、残念な事に基本スペックは前回と同じである。今回の改善点はここ半年の記憶の譲渡のみだったので。あまりにも可哀想すぎてその旨を伝えられないヒューイであった。ただその記憶がある分、いくらかマトモになっているようではある。
「……まあ馬鹿ネコとの再戦前に、やる事はやっておかないとな」
茶を飲み干したカップをカチャリと机に置いた暴君は、立ち上がると腰に手を当て高々と宣言した。
「とりあえず、班の中で礼儀作法が苦手な人間を集めてもらおうか!」
「まさかの合同講習会!?」
「この僕の傘下にいる以上は、付け焼き刃なんて許さない!」
「お手柔らかにー……」
「ちなみにお前は『僕』なんだから、完璧にこなせるまでやってもらう。そうでないと僕の沽券にかかわるからね」
「えっと……もしモノにできなかったら……?」
「僕がお前になりかわる、というのはどうだ?」
いや、むしろ元に戻るというべきだけどな! との暴君の言葉に即座に反応したのは——
「——死ぬ気で礼儀作法をモノにしろ、ヒューイ!」
意外にもエルンストだった。通りかかりに会話が聞こえていたようで、息が荒い。
「ここでヤツに出戻られたら色々都合が悪い!」
今のヒューイを想ってのことかと思いきや、自分の都合からの言葉であったが。
「都合が悪いってどういう意味だ、エルンスト!?」
暴君が思わず声を荒げる。
「言葉の通りだ! 貴様の指揮で戦った日には優勝を目指すどころか、一回戦で自滅敗退してもおかしくないからな!」
それならまだ自力で戦えるヒューイの方がマシと言いたいらしい。
「今年は随分とやる気じゃないか、エルンスト。去年は全くそんな感じじゃなかったクセに」
「やる前から結果の判っている勝負で、本気など出せるものか」
やいのやいのと言い争う二人を傍目に、ヒューイはフェルを手招きして問う。
「あの二人ってもしかしなくても、ちょー仲悪い?」
「まあ、見たままじゃのう」
「……通りで。普通に話せるまで時間がかかったわけだよ……」
そうして長くエルンストと言い争っていた暴君だったが、ふと「ああ、そうだ」と何か思いついたのかヒューイに向き直って言った。
「お前が礼儀作法をモノにできたら、食堂の裏メニューを一つ教えてやるよ」
「裏、メニュー…………?」
「おそらく、あのテオドールすら知らないメニューだ」
どうだ? と、取引を持ちかける暴君の顔はまさに悪魔であった。そしてヒューイが即座に乗ったのは言うまでもない。
*
「裏メニューに使われているっていうミシディアポーク……一体どんな味なんだろう」
「なんだ。そんなに気になるなら、父上に頼めば良い——あいた!」
暴君の頭をポコリと叩くヒューイ。もちろん手加減はしている。
「権力濫用ダメ、絶対!」
「ホント庶民派すぎるな、お前!」
本当に『僕』か? と自分自身にすら疑われるが、これが現実である。それにヒューイにだって言い分はある。
「違うの! グルハンとしては自分で捕まえたいというプライド的な!」
「……………ヒューイに、同意」
「うわっ、テオドール。いつの間に!?」
ヒューイの陰からのそっと顔を出したテオドールに盛大に驚く暴君。まるで気配がなかったぞとか言っているが、彼の察知能力は並以下である。
「あー、ここっすか? 礼儀作法の合同講習会会場は——って、魔王様と暴君再び!?」
「ヒューイさんが二人います!!」
「ヒューイ、キサマ。ワガハイには禁止しといて、自分は使うとか何様ニャ!!」
フェルに連れてこられたのは何時もの面々だった。ノーチェは関係ないはずだが、おそらくアステルの所にいたのでついでに付いて来ただけだと思われる。
「おい、フェルディナント。僕は礼儀作法が苦手な奴らを集めろと言ったはずだが?」
うちの班は礼儀作法苦手な貴族の集まりだったのかとご立腹の暴君。
「いやなに、学生の時分では普段から使うわけでもないからの。復習の意味も込めてといった所じゃ」
暴君の怒りをサラッと受け流して、もっともらしい事を言うフェル。更に完璧にするため、そう言われては矛先を収めるしかない。
次に暴君の目に留まったのは、彼がいなくなった後に班に加入したアステルだった。
「……平民、たしかアステルだったか?」
「はっ、はい!」
ジロリと鋭い目線を向ける暴君に、ビクリと震えるアステル。ふだんのヒューイと同じ顔のつくりだというのに、中身が違うだけでこれ程変わるのかという驚きもある。
「『僕』の班の一員なんだから、完璧にできるように努力しろよ」
出てきた言葉は意外にも優しいものだった。
「貴様が平民を見下さないとは意外だったな」
「うるさいぞエルンスト! 僕をそんなに性悪扱いしたいのか!?」
シャン、と、剣に手を伸ばす暴君。沸点の低い彼はすぐに剣を抜きたがる傾向があった。
「まーまー落ち着いてよ『僕』。エルンスト君に悪気は無いんだよ」
「余計にタチが悪いだろ、それ!!」
ギリギリと剣を抜く手に力の入る暴君と、そうさせまいと手を抑えるヒューイの攻防が続いた。
*
「利き腕は後ろだって言ってるだろ! そっちは付く膝が逆!!」
暴君はスパルタだった。元々我儘で自分の思い通りにならないのが我慢ならない性格と相まって、開始早々辞めとけばよかったと後悔することしきりである。しかも彼の得意分野である事で拍車がかかり、誰も文句を言えない状況。
「言い返したいのに言い返せないもどかしさ……久々っす」
「前は知らないけど、今は圧倒的にあっちが正しいからねー……」
「こらそこ! 話してるヒマがあるなら練習しろよ!」
名実ともに活躍できる機会が少ないのを自覚したのか、えらく張り切っている暴君の声が響く。
「そう言えば知っているか? 拝謁の姿勢には意味があるんだ」
お前ら知らないだろう? と、少し嫌味な言い方で暴君は告げた。それは『貴君に武器を向ける気は決してありません』という意思を姿勢で表したものなのだとか。
「ちょっとした豆知識じゃな」
「おばあちゃんの知恵袋的な?」
「なんでそこで老婆が出てくるんだよ!?」
知識を自慢したつもりが、まさかの豆知識扱いでヒートアップする暴君。全く接点のないお金持ちのおぼっちゃまでは『おばあちゃんの知恵袋』の偉大さを理解するどころか、存在すら知らないというのか。
「おばーちゃんの知恵袋を馬鹿にしちゃダメだよ、『僕』!」
「ヒューイさんの言う通りです、暴君さん!」
卵の殻を使えば、石鹸でゴシゴシしなくても黄ばんだふきんが真っ白になるんですよ!? と変な方向にスイッチが入ったアステルが力説する。次いでヒューイが、キャベツの葉っぱで頭を包むと熱冷ましになるんだよ! と、得意げに披露したのだが……。
「……なんか貧乏臭いな」
という一言で一蹴されてしまった。さすがブルジョワ。生活の知恵とは無縁の生物である。
「ぶるじょわには庶民派の血と汗の結晶は理解できないのか……!」
「知恵袋の凄さが解って貰えないなんて……!」
暴君のシンプルな一言にうちひしがれて膝をつく二人。そこに救いの手を伸ばす者がいた。
「…………諦めたら……そこで、終了」
二人の肩に手を置き告げたのはテオドール。
「そうだね! 諦めたらそこで試合終了だよね!」
「そうですよね!」
彼の言葉に、二人の消えかけたやる気と言う名の炎が再び燃え上がる。
「というわけで暴君さん、知恵袋の素晴らしさが理解できるまで頑張りましょう?」
「おばーちゃんの知恵袋はすごいんだよ! ほんと!」
「いつ終わるんだよぉ……この茶番!」
目に光の戻った二人に囲まれ、暴君は途方にくれた。それに対する各人の見解はというと……
「そいつらを認めるまで続くんじゃ無いのか?」
「もう解散っすか? 解散っすよね? よっしゃああ!」
「……すまん。ワシにはどうする事もできん」
「そんな事より菓子のおかわりはよ」
——人望大事。すごく大事。




