2 両親との再会?
暖かな日差しが降り注ぐ学校の中庭。そこにどっしりと生えた木に背を預けていたアルフレッド——アルの元に生徒が一人やって来た。
「アルきょーかん、こんにわー」
それは先の実習時に記憶喪失になったヒューイだった。幸か不幸か記憶は戻っていないし、アルの所業も今の所はバレていない。ご飯の力(奢りの効力)は偉大である。
やはり目が覚めて最初に接触した上で、数日行動を共にしたのが大きいのか、あれから二人は何だかんだで交流する事が多くなった。主にヒューイから声をかけることが多いのだが、まるで親鳥の後を一生懸命に追い掛ける雛鳥のようにも見える。
それはそうと木まで近づいてきたヒューイはひょいっとアルの隣に腰掛けた。
「……ヒューイか。取り巻き共はどーしたよ?」
取り巻きとは前回の実習時に一緒だった四人の事である。彼らはヒューイの実家からの要請で、学校の入学時から彼の付人をしているのだ。勉学のサポートは勿論、護衛も兼ねているので離れているのは少々まずいのだが……本人たちの心情とは関係なく決められた役目であるせいか、少々隙がある。
「なんか……撒いちゃったっぽい?」
「いつもの事だが、お前なんでそう他人事のように語るんだ?」
「そー言われましてもー……もぐもぐ」
困り顔で戸惑いつつも、手に持った紙袋からガサゴソと白くて四角い物体を取り出し口にし始めたヒューイ。
「って、何食ってんだ」
「食堂のタマゴサンドですが?」
『食堂のタマゴサンド』。その単語を聞いた瞬間、アルの脳裏に閃くものがあった。
「——まさかッ、あの幻のタマゴサンドか!?」
幻のタマゴサンドとは、食堂のおばちゃんこだわりの材料と製法で作られる週一のみ数量限定の特別メニューである。
貴族が多いという学校の性質上、品質も味も最高級のため売り出しから数分で完売する。時に血みどろの争奪戦すら起こりうる逸品だ。
ここに勤めてそこそこ経つアルですら買えた試しがない。週一とはいえ発売は不定期なのだ。事前の情報収集をしっかりして、かつ、当日の戦場をくぐり抜ける覚悟がなければ購入は難しい。
「ですです。……もぐもぐ」
「まさかおまっ、権力を笠に巻き上げたりとかしてねーよな?」
「ご心配なくー。ちゃんと授業終了後に全力ダッシュで勝ち取りましたー……もぐもぐ」
そもそも権力を笠に着る方法が分かんないです。と、続けたヒューイにアルも納得した。記憶喪失後のコイツは基本的にぽんこつなのだ。何故か運動能力だけは記憶と引き換えに天元突破してしまったようだが。
「もしかして、その時か。取り巻き共がはぐれたのは……」
「かもですねー……もぐもぐ」
質問に答えつつも食べるのをやめないヒューイ。この食への執着も記憶喪失後に起きた変化である。
「……なぁ、一個でいいからソレ、俺にくれねぇ?」
物欲しそうなアルへの返答は、満面の笑みだった。
「い・や・で・す」
「……デスヨネー……」
予想はできていたとはいえ、こうもあからさまに拒否されれば流石にへこむ。アルはしばし俯いていたが、そういえばヒューイに知らせなければならない事があったのを思い出した。
「そういやお前、明日の放課後は空いてるだろ」
「……何故に空いていると断定しているのか……」
「いや、だってお前まだマトモにトモダチいねーじゃん?」
「交友関係把握済み!? まさかアルきょーかんは僕のストーカーだった!?」
「違うわ! 簡単な推理だっつーの!!」
実習前までは陰で暴君(ワガママ太郎)とまでいわれていたヒューイである。元々友人は皆無に近い。取り巻き四人組とも友人ではなくビジネスライクな関係だったようである。
雪山実習からはそこそこの日数が経っているので、記憶喪失の話自体は広まっているのだろうが、今までが今までだ。そうそう簡単に打ち解ける事などできない。その証拠に——
「そりゃまぁ、今のところフェルとロー君くらいしかマトモに話せるクラスメートいないですけど……」
「取り巻きの内の二人か。あとの二人とはどんな感じなんだ?」
「テオ君は質問とかには答えてくれるレベルで、エルンスト君は……なんてゆーか……触れれば斬る! みたいな?」
「テオドールはまぁ万人にそんな対応だし順調ということなんだろうが、エルンストはなぁ……」
エルンストは記憶喪失前のヒューイのことを大変嫌っていた上に軽蔑しており、頭が堅い所があるので一度インプットされた情報の更新が難しいのだ。下手をすれば記憶喪失の件も演技と疑われている可能性がある。他の奴は騙せても俺だけは騙されないぞオーラがバリバリである。
美味しいご飯を食べるため、そして精神衛生上、身近な人たちだけでも仲良しでいたいヒューイからすると、なかなかの強敵だ。
「気長にいくしかないですかねー、やっぱ」
「だな——っと、話が逸れたわ。で、明日だが空いてるって事でいいな?」
「……空いてます」
とりあえず落ち着いて聞けよ、とアルは前置きして言った。
「明日の放課後にお前さんのご両親が王都からここに来るから」
「……………………えっ?」
*
翌日の放課後。
学園の来客用応接室にヒューイと付き添いのアルの姿があった。
——そわそわ。うずうず。
ふっかふかのソファーに腰掛けているというのに、ヒューイは期待と不安を隠せず白い髪と赤い瞳を揺らしている。体格的にも小柄な方なので、その様はまるで震えているウサギのようだ。出されている高級そうなお茶もお菓子も喉を通らない。
食欲が服を着ているといっても過言では無い彼がこの調子。かなり緊張しているとみて間違いないだろう。
「きょーかん。おとーさんとおかーさんは僕の事、記憶が無いからって捨てたりとかしないですよね?」
彼らしく無い弱々しい声。相手が家族ともなると記憶喪失もマイナスに働くらしい。今までがおかしかったのかもしれないが。
だが、溺愛しすぎて息子をワガママ太郎にしてしまったユストゥス一家が、今更、記憶喪失になったくらいで手のひら返すとは、アルには思えなかった。ので、
「捨てるってのはまず無いだろ。……まぁ多少戸惑われるのは覚悟した方がいいかもしれないが」
「……やっぱりそうですよね。あ、所で僕の両親ってどんな人か、きょーかんは知ってますか?」
「奥方はおっとりした方だと聞いてるな。ユストゥス卿についてはお堅い性格ってな話もあるが、黒い噂も多い……といった所かねー」
「く、黒いウワサって……あわわ」
「真偽に関しちゃ流石に判らん。俺も直接の面識がある訳じゃ無いからな」
アルがヒューイと直接の関わりを持ったのだって先日の実習が初めてだったのだ。いくら学内の有名人とは言え流石に親のデータまで完全把握出来てはいない。何よりアルは元々教官業に熱心なほうではなかった。
「……まぁ、又聞きの噂なんざ気にせず、実際に会って知っていく方が有意義ってなもんじゃねーか?」
「うわぁ……なんか、きょーかんが教官らしいこと言ってる……」
「俺、一応この学校の正式な教官なんですけどぉ!?」
「そういえばきょーかんの受け持ち科目って何なんですか?」
「何って、普通に実技とサバイバル技術だが」
「あー、うん。納得」
教官の頭から足先まで眺め見てうなづくヒューイ。なるほどいざという時に頼り甲斐はありそうだが、インテリ要素はまるで無い。いわゆる脳筋である。
「どういう意味だコラ」
心外だと言いたげなアルの言葉には全く説得力がなく、虚しく響くのみだった。
*
コンコンとノックの音が響く。外から告げられたのはユストゥス夫妻を案内してきたとの言葉。アルが立ち上がり、どうぞと返事をすると案内の職員がドアを開けて客人へ入室を促した。
部屋に入ってきたのは薄青のふんわりとしたドレスを身に纏った長髪銀髪の貴婦人と、がっしりとした礼服を着込んだ厳格そうな金髪の男性だった。彼らがヒューイの両親なのだろう。
ひとまずアルは自身の所属と名前をユストゥス夫妻に告げて着席を促し、続いて一歩後ろへ下がった。そしてヒューイに視線を向けた。その視線は語っていた。さぁ、行け! と。
「……あ、あの、おとーさんとおかーさんですかっ?」
緊張のためかアワアワと慌てるヒューイ。混乱と緊張でまともに二人を見る事ができていない。
「あら、可愛い」
そんな彼の一連の動作や仕草を見た夫人は、口に手を当てておっとりと驚きを表した。そして後方にいた伯爵へ話しかける。
「ねえ貴方、とっても可愛い生き物を見つけたの。お家に連れて帰りましょう?」
「うむ。そうだな」
「え? えええええっ?」
色々と突っ込みどころのある夫人の台詞を、伯爵は流すどころか同意までしてしまった。あまりの展開に慌てるヒューイ。
トントントンと軽い足取りでヒューイに近づく二人。ごくごく自然な動作で連れ帰ろうとした——所で、やっとアルのツッコミが火を吹いた。
「ちょっと待ったぁぁーーっ!」
「ふむ。どうしたのかね教官殿」
「それ、あんたらの息子さん! 小動物チガウ!!」
その指摘に二人は互いに顔を合わせると小首を傾げ、ほぼ同時に答えた。
「分かっていますわよ?」
「承知しているが?」
二人とも目が語っていた「今更指摘されるまでもない当然のことだろう?」と。
——駄目だこいつらタチが悪い!
目上の人間に抱くにはいささか失礼な事を考えつつもアルは説得? を続けた。
「現状、騎士学校所属中! 原則寮生活! 長期休暇、まだまだ先!!」
拉致・軟禁ヨクナイ!
必死の形相で引き止めるアルに、伯爵は少し考え込んだ後、何かに思い当たったのか、「ああ」と一人納得すると、突然クックックと低い笑い声を漏らした。
「教官殿の熱意に応じて此度は引こう。——だが、いまここに私は予言する!」
伯爵はババっと衣服を翻し、高らかに宣言した。
「そう遠からぬうちに第二、第三の私たちが現れる事を!!」
「つーかそれ、アンタた——」
——ゴホンゴホン。ノリでツッコミ続けていたアルはここでやっと正気に戻った。噂と違い、なんだか凄くノリがよく気安いが相手は伯爵様だ。
「普通にユストゥス卿と夫人が何度か学校に来るってだけの話でしょう!? 不吉な物言いは勘弁してくださいよ!!」
「いや? そうしたいのは山々なのだがね。そうそう仕事に穴を空ける訳にはいかん。残念だが……非・常・に・残念だが、何度も此処に来る事はできん」
「ええ、私もここに留まって、とっても可愛くなったヒューイを見守りつつ過ごしたいくらいなのですが……!」
伯爵にしろ夫人にしろ、どうにも家の都合があるらしい。高位貴族ともなれば仕方のない事だろう。二人の住む王都とこの学校はそこそこ離れている。そして基本的に学校では保護者の来訪を歓迎してない。今回はヒューイの負傷があったからこそ許可が出たようなものだ。
「まあ、何にせよ今のヒューイを放っておける者がいるとは、あまり思えんのでな」
「それにジークとレオンとの顔合わせもまだでしょう?」
「じーく? れおん?」
突然飛び出した見知らぬ名前。それを反すうするヒューイ。
「あなたのお兄様の名前よ」
「あ、そっか。確か僕、三男だったっけ」
そっかー、お兄ちゃんの名前はジークとレオンっていうのかぁ。と呟くヒューイへ夫妻は優しげな眼差しを向けた。
「二人とも心配していたから、近々こちらに顔を出すのではないかしら」
先程、教官さんも長期休暇は先だと言っていらしたし……。と夫人は続ける。今日来れなかったのは仕事の都合との事。後日でも大丈夫か、との疑問に関してならば二人は学校の卒業生のため、卒業生として顔を出すのは問題無いとの事。
「……まさかとは思いますが、そのお二人が第二の刺客という訳ですか?」
恐る恐る尋ねたアルへの返事は、意味深な沈黙だった。この分だと第三の刺客は祖父母か? 祖父母なのか!?と、もはやヒューイ専属教官になりつつあるアルの背に戦慄が走った。
*
「それにしても今のヒューイは私を父上とは呼んでくれんのだな……」
「ふぇぇっ」
「でも貴方。今の呼ばれ方も満更では無いのではなくて?」
「……そうだな。少々むず痒いが、以前より距離が近くなったように感じる」
「うふふ。そうね、私も今の方が好きだわ」
そんな会話をしているうちに、そろそろ面会時間が終わりを迎えようとしていた。そこで伯爵がソレを口にした——してしまった。
「時にヒューイよ。何か欲しいものはないか?」
「ほしいもの……」
「何でも言っていいのよ?」
何でも、と言われるとすぐには思い浮かばないものだ。ヒューイの中でまず思い当たったのは、『美味しいご飯をいっぱい食べたい』だった。でも料理そのものを所望するのは現実的ではないし、何か味気ない。何より一度で終わってしまう。
そう考えてしまう辺り、彼は割と強欲だった。記憶喪失になってなおこうだという事は、それはもう生まれ持った物なのかもしれない。
——それならば。
「ぐるめ情報が欲しいです! それもメジャー所から穴場まで網羅してたらサイコー! 言うことなし!!」
「——ちょ、ヒューイ、おまっ」
アルの制止は間に合わなかった。こんな時まで食欲優先なのか!? そして伯爵相手に何俗っぽい事頼んでんの!? と、めっちゃ動揺していた。
いくら何でもそんな『お願い』聞くわけ——
「承知した。我が家名と情報網全てを駆使してお前の望む情報を掴み取ろうではないか!!」
「私もお茶会で口コミ情報を調べてみますわ!」
「やったー」
「えええええええ!?」
——とても乗り気だった。
しかも全力投球。仕事など放り出しそうな勢いだ。
「ユストゥス家まじで大丈夫なのかコレェ!!」
暴君が育った原因の一端を見たと、後にアルは語る事になる。あとこのノリで潰れないユストゥス家すごいと言ったとか言わなかったとか……。
その後、某所にて発売されたグルメ本が平民のみならず貴族の間でも一大ブームになり、某家の財政が潤う事になるのだが、それはまた別の話である。