8 VS謎の触手生物(大)
そいつの姿は港からでもよく見えた。大きさは見る限り、一般的な一軒家とおなじくらいだろうか。浜辺で遭遇した触手生物をそのまま大きくしたような外観だった。
「もしかすると、アレが最初の一匹だったのかもしれんな」
フェルが呟いたが、皆おなじ気持ちだった。やつらが分裂で増えるのはこれまでの状況から明らかだ。その上あの大きさ。最初の一匹が成長した姿である可能性は高い。
「けど、どうして今になって突然暴れだしたんでしょうか……?」
今まではこんな事は無かったと街の人々は言う。他の海産物の漁獲量が減りはしたものの、近付かない限りは積極的に人に危害を加えるような生物では無かったのだ。
「それに……あれ、どうやって相手にするんですか? 海の上じゃあ剣も槍も届かないですし」
と、アステルが抱いていた疑問を口にする。
「武器が届かないとなりゃあ、魔術か飛び道具を使えばいいのさ、嬢ちゃん」
ポンポンと備え付けの砲台を弄りながらセヴェーロ。なんでもそれは最新型の魔術砲台なのだとか。魔術砲台とはその名の通り、特殊な製法で魔術を込めた弾を打ち出す魔道具の一種である。
「ついこないだ配備された最新型だ。ぶっちゃけ練度が全く足りてねぇが……ま、何とかなるだろ」
「いや、何ともならねーよ! せめて練度の高い旧式持ってこいや、クソジジイ!!」
街のピンチになんつー舐めプしてやがる! と、アルが吠えた。
「だが当たりゃあデカイぞ?」
数撃てば当たる論理で持ってきたらしい。そして切実な問題もあった。
「それにな、最新式だけあって演習で使える弾数に限りがあってよぅ。実戦じゃねぇと使い放題の使用許可が下りねぇんだよ……」
実戦訓練にもなって、街も守れるしお得だろう? どのことだがそれはどう考えても——
「——団長殿、それは本末転倒と言わんか?」
本来なら練度が低いから演習するのに、実戦でないと練度が上がらないとはこれいかに。
そんな事情もあり景気良く魔術砲台を触手生物(大型)にぶっ放すイシュト海兵団——しかし。
当たりどころが良くないのか、千切れ飛んだ欠片が中型の触手生物になり、更には小型の触手生物が分裂で量産されて行く。あっと言う間に海は触手生物だらけになった。
「分裂した奴が更に分裂するとかネズミ算か!!」
アルはそう言うが、実は数には限りがある。一体しか居ない触手生物(大型)は無限に分裂するが、大型から分裂して産まれた触手生物(中型)は数回しか分裂しないのだ。更に言うなら触手生物(小型)は分裂しない。
「うわ……栗饅頭こわい」
「……お前の『中の人』発言も程よい感じに訳がわからんな」
食べ物なのは判るがクリマンジュウとは何だと、船に上がってきた触手生物(小型)を斬り捨てながら、エルンストがツッコミをいれる。和菓子が登場したばかりの王国で栗饅頭を知っているのは、今の所ヒューイの中の人だけである。
「ちなみに世界が滅びるレベルの引用だった気がするー」
「ちょ、縁起の悪い発言はやめてくださいっす!」
そんな会話を交わす余裕位はあった。ただひたすらに触手生物を倒し続けイシュト勢が優勢かと思われた頃、触手生物(大型)がわっさわっさと不自然な動きを見せ始めた。
「……不思議な踊り? 魅了状態にでもされちゃうのカナ?」
「あんな気持ち悪い動きで虜になどされてたまるか!」
ヒューイとエルンストの軽い軽口の応酬に答える声があった。
「大型触手生物から未知の魔力反応出てるっす! ヒューイさんの意見もあながち間違って無いかも——」
——キィィィーー!
ローレンツの言葉を遮るように空気が震えた。思わず耳を塞いでしまいたくなる声にならない声。同時に何か(・・)が風に乗ってふわりと舞う。
皆の様子がおかしくなりだしたのは、そこからだった。まず、触手生物達を見る目が明らかに変わった。それは敵を見る目ではなく——食料、それも極上のご馳走を見る目。
次に武器や持ち場を投げ出し、触手生物に直接噛り付く兵が続出した。完全に正気を失っている。その中にはセヴェーロの姿も。
屈強な男たちが正気じゃ無い目で我先にと小さな触手生物たちに食いつく様は、ある意味地獄だった。双方にとって。誰得だともいう。幸か不幸か、一時戦闘が膠着状態になって余裕が生まれたのだけが救いだ。
「生食……踊り食い……お刺身…………」
海兵たちに混じって一人、ふらふらーっと触手生物に歩み寄ろうとした食いしん坊がいたが、エルンストに首根っこを掴まれ阻止された。
「これは……中毒症状、か? というか正気に戻れ、ヒューイ!」
「たーこーわーさー……じゅるり」
エルンストの喝も届いているようには見えない。ちなみに他にもテオドールが無言で進もうとしているのをフェルが同じように首根っこを掴んで止めていた。
「アステル、お前さんの治癒術でなんとか出来んか?」
イシュトのメディックさん達も軒並み中毒症状が出ているので、頼りになる回復役は彼女だけである。
「はいっ、やってみます!」
その意気込みに反応したのか、彼女の前に光を放つ円状の陣が現れた。高度な治癒術を使う時に使用する物だ。
彼女が陣の幾つかの部分を弄っている間に、隙をみてエルンストとフェルがヒューイとテオドールを一箇所にまとめて放り出す。
「分析完了——術式起動します!」
その言葉と同時に陣が一際強い光を放つと、地面にはヒューイ達を囲うように光の円が浮かび上がった。そうかと思うと光の円から、ふわりとたくさんの光の泡が生み出されて二人の姿を覆っていく。
「たこしゃぶー…………はッ!?」
「………………っ!」
正気に戻った二人は、目を丸くして驚いている。魅了状態だった時の記憶は無いようだ。
「アステル、イシュトの奴らにも治癒術を」
頼むとアルが声をかけたのだが、彼女の顔色は優れない。
「それが……ヒューイさんたちと同じ魅了状態ではあるんですけど、あっちは強力すぎて私の術だと解除まで時間が……」
ヒューイ達のように急造の症状ならば何とかなったのだが、ことは長期間持続的に積み重ねられた症状だという。治癒するにもそれなりの時間がかかるらしい。
あまり其方に時間を取られては先に船を沈められてしまう可能性が高い。もしくは小型に気を取られている隙に逃げられる可能性か。どうもこの大型触手生物、何かに急き立てられているかのような……ある種のヤケクソ感を漂わせている。
「……なら、アステルはメディック優先で治癒を頼む。フェルディナントはアステルの護衛だ!」
「承知した!」
小型であればフェルの攻撃も通る。武器も槍なのでリーチが長く、護衛には最適だ。
「こうなったら仕方がない。逃げられる前に俺たちで何とかするぞ!!」
「でもアレ……大型だから、中型に攻撃が通らないきょーかんは戦力外になっちゃうんでは?」
「俺は指揮に回るから良いんだよ。つーかお前の攻撃も効くかわからんだろうが、ヒューイ」
「いやー、当たれば何とかなる感じがヒシヒシと。何故かふつーに中型も倒せてますしー」
「……地味に戦果あげてるな、お前」
そうは言うが今回の戦場は海上だ。相手は生半可な跳躍では届かない場所にいるため、当てること自体が難しい。他に攻撃が通るであろうエルンストも近接戦闘メインなので、消去法でいくとテオドールくらいしかボスへの攻撃初段を持っていない事になる。が——
「ワガハイもいるぞ!!」
今まで影の薄かったノーチェが声をあげた。確かに海にも影はできるので彼女の魔術も効果はありそうだ。
「……そういや居たな。全然喋らないからすっかり忘れてたが」
「キサマらの話には全く興味無かったからニャー」
「……そういやお前、アレの魅了に掛かってないみたいだが?」
「ワガハイ魔王だからニャー」
「お前、そう言っときゃ何でも通ると思ってるだろ……」
「ふふん、魔王とは不可能を可能にする存在なのだ!」
アルに向かってエヘンと胸を張るノーチェ。
「そんな事はないっす。俺っちはちゃーんと見てたっすよ」
——ノーチェが魅了状態だった様を!
ローレンツの暴露に、露骨に動きがカクカクしだすノーチェさん。
「そそそそんな事実はななな無いのだぞ!? わ、ワガハイちゃんと正気だったのだぞ?」
「ちなみに、ちゃっかりヒューイさん達への治癒術範囲内にいたのも俺っちしっかりバッチリ見てたっす」
「こここ、こらチャラ男。終わったこと蒸し返すのヨクナイ。魔王たるワガハイが一魔物な触手生物に魅了状態にされたとかそんなこと断じてナイノダ」
なにせ不可能を可能にするのが魔王だから、と彼女は繰り返す。言葉尻が震えているのが事実を物語っていたが。
「ふーん。じゃあ今すぐあの大ダコを討伐してみてよ、ノーチェ」
大ダコ? とヒューイの言葉に首をかしげる一同。タコとはもっと無害な見た目の生物だったはずだが……?
「いやー、毎回触手触手言うの疲れてきちゃってさー。形似てるし味も食感もソックリだし、もうタコの一種で良いんじゃないかなって」
「タコと言うには攻撃的すぎるフォルムっすけどねー……」
「呼び名なんぞどうでも良い! ワガハイの凄さ、見せてやるのだ!!」
叫ぶや否や、影縛りからの影錐で大ダコを攻撃するノーチェ。しかし——大ダコを縛りあげるのは成功したものの、影錐は弾力のある表皮にぶよんと弾かれた。
「……まさかの速度不足だな」
「にぁあああー!」
大ダコは自分が攻撃されたことにまでは気づいておらず、縛から脱出しようとウネウネしている。その様を見たノーチェは絶叫した。もちろん悔しさで。
「魔王のプライドズタボロだねぇ……」
ちなみに影は純粋な物質ではないので、本来なら強度は関係無い。なので防ぐなら避けるか、代わりになる防壁を張るか、打ち消すかするしか無い。……のだが。それが無いにもかかわらず貫けなかったという事は術強度が足りなかったか、防御を貫く程の勢いが足りなかった事になる。今回の場合は影が消えること無く弾かれたので後者である。もしかするとあの大ダコは魔術抵抗も高いのかもしれない。
「………………困った」
「テオ君、どしたの?」
「…………ノーチェ、腐っても魔王」
それも魔術に特化した魔王なので、術の威力だけを取ってもテオドールより上であると言いたいらしい。
「剣は届かない、魔術も威力が足りない。……こんな状況で俺たちに何が出来ると言うんだ!」
エルンストが苛立ちを隠すことなく叫んだ。
「魔術砲台が旧式なら、多少は使い方がわかるんだが最新式はなぁ……」
「海兵の皆さんが、下っ端触手生物をバーサク状態で駆逐してる今がチャンスなんすけどねぇ……」
ある程度見識の広いアルをはじめ、索敵陣でサポートに回っているローレンツにも策は無いようだ。
「…………核、直接攻撃」
「だから武器が届かない、と先ほどから——」
「——道、作る!」
あのテオドールが、むんすと溜め無しで発言した。滅多に無い事実に彼のやる気がヒシヒシと感じられる。
「うわ、珍しくテオ君が食べ物関連以外でやる気見せてる!?」
「テオさんもヒューイさんには言われたく無いと思うっすよ、それ」
「テオドールのやつが声を張り上げるとか、天変地異の前触れか!?」
「単に悔しいってだけの話じゃないっすかねー」
ローレンツが「あと教官何気に酷いっす」とツッコミに大忙しである。悪気がなければ良いという事はないのだ。
「ノーチェ、道作りたい。手伝って」
テオドールに助力を求められたノーチェは「……ふむ。そういう事か」と、すぐに彼の意図を察した。魔術を使う者同士、意外と気が合うのかもしれない。
「——いくぞ魔術師ッ! 『影の台』!」
ノーチェがそう唱えると影の道と、大ダコを囲うように台座のような物が現れた。
「——『凍れ、凍れ。影まで凍れ』!」
続いて唱えられたテオドールの呪文で影が凍りついて、人の重さや戦闘に耐えうる道とスペースが出来上がった。
「エルンスト、ヒューイ。あと、よろしく………………」
そう言うとテオドールはパタリと倒れこんだ。
「了解した。お前の献身には必ず報いてやる!!」
「きょーかん、テオ君のこと頼みまーす!」
「任された。俺たちには構わず力一杯ぶちかましてこい!」
アルの励ましに「応!」と気合の入った声を返し、二人は大ダコに向かって力強く駆け出した。
*
大ダコも自分の命が掛かっているので必死だ。影縛りの影響が薄い部分を蠢かせて出せるだけの中型を生み出した。
「チッ、やはり野生生物。流石に座して待つなどという可能性は無かったか!」
「ま、本能だから仕方ない仕方ない」
道を塞ぐように湧いて出る中型に、足を止められそうになった刹那——
「——キサマら端によけろ! 『影錐・改!!』」
反射的に左右に避けた二人の間を黒い刺々した物体が駆け抜けていった。巻き込まれた中型は、あるものはドロップに変わり、あるものは吹き飛ばされ海に落下していく。
「うわー、ノーチェさんや。パクった物を、さも自分で作り出した物であるかのよーに使うのは駄目だと思う」
「助けられておいて最初に出るセリフがソレか!? てゆーかパクったのではない、オマージュだ!」
断じてパクリではない! と、罪を認めようとしないノーチェ。著作権がどうとか言い出すヒューイ。
「言い争いはあとにしろ! 今はあの大ダコを倒すのが先だろうが!」
ブチ切れたエルンストの怒号でハッと正気に戻る二人。今はこんな事をしている場合では無かったとヒューイも頭を冷やす。テオドールが倒れてまで作ってくれたチャンスを逃すわけにはいかない。
「ちっさいヤツらはワガハイが引き受ける。行け!」
ノーチェの声を背に再び走り出す二人。近づいてくる中型は彼女の影魔術で迎撃されるので、速度を緩める必要は無い。
「——ヒューイ、プランLRだ」
「りょーかい!」
確認完了と共に二人は左右に分かれて各々の立ち位置を目指した。ちなみに『プランLR』と格好の良い名前がついているが、実際は単純に挟撃するだけである。ただ演習で使用した際、ターゲット役の案山子君は木っ端微塵になり立派に殉職したので攻撃力だけは実証されているのだが。……果たしてこの大ダコには効くだろうか? そんな不安があるがやるしかない。
前方、そして左右から迫り来る触手を避けて、内側へと入り込む。巨体だけあって、人が潜り込めるスペースは十分。大ダコも懸命に追撃しようとするのだが、そもそもが身体の自由を奪われている身である。それ以上の抵抗は無かった。幾らかとはいえ触手を動かせていた事実のほうがおかしかったのだ。
「エルンストくーん、所定位置に着いたよっ!」
「——こちらもだ。合わせるぞ」
大ダコの本体を挟んでいるためかややくぐもっていたが、エルンストの声も返ってきた。
「せえのっ!」
同時に武技を放つ。斬撃と衝撃波が大ダコの本体を襲うが、手応えは少々薄い。
「うー、流石に案山子君ほど脆くはないってことかー……」
「まだまだだ。ならばコイツが倒れるまで続けるだけの事!」
エルンストにはまだまだ体力に余力がある。対してヒューイは。
「うぇぇっ、僕そんなに体力には自信無いんだけどぉぉ!?」
「ならば早く終わるように全力を尽くせ!」
「ヤル気が有り余ってる!?」
そうして一体何度技を放ったか判らなくなってきた頃——
——パキン。
何か硬いものが砕ける音。核に傷が入った音だった。途端に大ダコの身体が光へと変わり空へと登っていった。
「……うわー、キレイだねぇ」
「元があの気色の悪い生物だと知らなければ、そう思ったろうな」
巨大な青く毒々しいタコ足と、そこそこ大きな魔石を残して大ダコは消滅した。
「タコ足、獲ったどー!」
「……全く。中型ですらあんな目に遭ったのに、まだ食う気があるのか」
「のんのん、逆なんだよエルンスト君。あんな目にあったからこそなんだよ?」
「貴様には付き合いきれん……」
そんな二人を遠目に眺めつつ、アルは大ダコの行動に違和感を覚えていた。
「それにしても、なんだってこのタイミングだったんだ?」
それまでは普通に街と共生していたというのに急変した大ダコ。まるで自分を脅かす存在が近くにやって来てパニックになった末、ヤケになったかのような行動……。
……もしかして——原因:魔王?
思わずノーチェをチラ見。しかし彼女の攻撃は大ダコには効いていなかった。ならば何故?
「…………いや、これ以上考えるのは止めだ止め」
かくして大ダコは討伐され、一本の巨大なタコ足と謎だけが残されたのだった。
*
「—おい、アル坊」
「その差し出した紙とペンは何だよクソジジィ?」
アルの指摘通り、セヴェーロが持っていたのは携帯できるペンと紙の束。これだけで何をさせたいのか察することはできる。押し付けられるであろう未来も。だからこそ返す言葉も多少乱暴になろうもの。セヴェーロももちろん気づいていたが変わらぬ様子で続ける。
「お前さんどうせ帰りに王都、寄るんだろう?」
「……通り道だからな」
「なら、ついでに報告書も頼まぁな」
特に自分たちが魅了されてた間の事も事細かに頼む、とセヴェーロ。確かに報告するなら、その辺りを第三者目線で見ていた者がするのが好ましい。今回の討伐参加者で比較的症状がほぼ出なかった騎士団関係者は、ヒューイ達のみ。中でも戦況を見渡す役割を果たしていたアルは最もその役に適している。適しているが——
「嫌だ! これ以上管轄外の仕事とか背負い込みたくねぇ!!」
「まあ、いいじゃねぇか。金一封出るよう上に掛け合ってやるからよぅ」
「俺は金より時間が欲しい! 金があっても自由な時間がなきゃ意味がねぇ!!」
「きょーかん、がんば!」
「……ヒューイ、お前が書くか?」
「えっとー、僕は食レポ以外はちょっと……」
アルが試しに他の教え子たちを見渡すと、皆わざとらしいくらいに顔を逸らした。自分で書くという選択肢しか残されてはいないらしい。
「お前ら覚えてろよコンチクショォォ!!」
アル不眠の日々の始まりであった。




