5 はじめての契約
「七日間お世話になりましたっ」
雲一つない青空の下、ヒューイの元気な声が詰所前に響いた。
研修後半には「メシマズの悲劇事件」や「守れ! 庶民派食堂事件」など盛りだくさんだったが、何とか乗り越えて今日という日を迎えたヒューイ班。
万感の思いを込めてハインツへ挨拶する。彼の根回しが無かったらかなりの大事になっていただけに、本当に心の底から感謝していた。本当にデキる兵士さんである。
「これからも大変だろうが、ここで学んだことを活かしてもらえると嬉しい。……それと、挫けず折れず進んで行くといい」
やや苦笑いしつつ彼らを激励するハインツ。確かに一般的な研修生に比べればトラブルは多かったが、悪気がなかったのは知っている。こいつらが挫けたり折れたりするはずないとも。なので後半はアルへの言葉だった。
肝心のアルといえば、その意図に気づきつつもどうにもならない事はよーく分かっていたので顔を引きつらせていたが。
「では、機会があればいずれまた」
敬礼をして見送りしてくれたハインツに、皆それぞれ敬礼を返して馬車に乗り込んでいった。
次に向かう研修先は国内最大の貿易都市イシュトである。
*
「突然だがワガハイ、生活環境の改善を要求する!」
移動が始まって数日。事件は起こるべくして起きた。ノーチェさん謀反の巻である。
そのセリフを聞いたヒューイはキョトンと首を傾げたまま。発言が余りにも唐突すぎて原因が全く浮かんでこない。
「いきなりどしたのノーチェ」
「どうもこうもあるか! いい加減、獣除けには飽き飽きニャー!!」
それを聞いてやっと「ああ」と納得できた。初日以降、今まで全然話題に登らなかったのですっかり忘れていたのだ。
人間にはサッパリ解らない獣除けの実情についてだがノーチェ曰く、「気にならないなら問題無いが、一度気にしだすとどうにもならなくなる」類の物だそうな。むしろよく今までもったなというレベルである。魔王なのに我慢強い。
「という訳だからキサマ。早く! 一刻も早く魔力操作を身に付けるのだ!」
そして早くワガハイをこの生き地獄から解放しろぉぉと、ヒューイに懇願するノーチェ。
「と、言われましてもー」
「ワガハイ、この現状から脱出する為なら悪魔にもなる所存なのだ」
「既に魔王なのに、悪魔になっちゃうの!?」
「うるさい! 四の五の言わずとっとと特訓ニャ!」
*
「−−で、俺に助言を求めたいと?」
アルは面倒くさそうに頭をかいた。魔力操作の身に着け方は基本的に、理論を身につけたり教えを請うて身につけるものではなく、感覚に寄るところが大きい。ぶっちゃけ、小さな頃にいつの間にか出来るようになっていたとかそういうのが一般的である。できない人間は才能がないとか縁が無かったね、となる。
前回、話が出た際にアルやテオドールがあっさりと匙を投げたのはこれが原因である。ヒューイには縁が無かったねという結論。
ちなみに素養があっても魔力操作ができない魔術師は、だいたいが魔道具使いだ。魔道具ならば対応する魔力さえあれば、魔石が無くても発動できるし、代わりに魔力操作してくれるので。
「つっても、こればかりはなぁ……ヒューイ次第としか言い様がねぇし?」
生憎と旅の途中なので、使い魔契約用の魔道具は持ち合わせがない。その為、一刻も早く契約したいならヒューイが魔力操作を身に付けるしかないのだが……。
アルがヒューイへと視線を向ける。
「魔力操作と言われましてもー……そもそも魔力がどんなか分からないっていうか」
だよなーと同意するアル。ちなみに彼も武闘派なので魔力操作はできない。知識があるから相談に乗れているだけである。一般的に武技使いは魔術適正が低いのだ。魔道具があれば話は別だが。
しかしそれに納得できないのがノーチェである。
「わーかーれーニャーーっ!」
「そんな無茶苦茶なぁぁっ!?」
「こうなれば直接体に教えてやるのだ!」
言うが早いかヒューイに飛びかかるノーチェ。
「なっ、ノーチェ!? ちょっと待−−」
その意図に気付いたアルの制止は間に合わなかった。
「あばばばばばばば−−っ」
「ニャぁっ!?」
ノーチェがその魔力を直接ヒューイに流し込んだ途端に、彼は奇声を上げて倒れこんだ。白目をむいて口から煙を吐いている。
「だから待てと! −−ッ、ヒューイ無事か!?」
アルは慌ててヒューイの脈を確かめた。見た目はヤバそうだが、脈拍は正常。ショックで一時的に気を失っているだけのようだった。ふぅ、と安堵のため息をつく。
「……取り敢えずは大丈夫そうだ」
「えーっと、これやはりワガハイが悪いのか、ニャ……?」
戸惑うノーチェ。知らなかった事とはいえ一歩間違えれば取り返しのつかない事になっていたのは明らかだ。今までなぁなぁにしていたアルにも責任はあった。
「……まあな。魔力の直接譲渡とか、人間同士でも相性悪けりゃショック死ものだ」
お前らは幸い相性は良かったようだから良かったものの……。と、続けられた言葉に、さすがのノーチェも頭を垂れた。
「……ワガハイ、危うくコイツを殺ってしまう所だったのか」
−−で、コレどうする? と目で問うノーチェ。
「ヒューイの事だ。何か美味いもんでも供えときゃ、そのうち復活するだろ」
やや投げやりなアル。無事とわかった途端にこの扱いである。
「ならばワガハイ。せめてもの詫びにとっておきのオハギを出すのニャ」
そう言うとノーチェは自分の影から菓子を取り出した。それは王都でヒューイが菓子職人に教えた事で評判になったあの菓子だ。
「本っ当に便利だな、お前の魔術」
「くっくっく。当たり前だろう! 何せ魔王なのだからな!」
希少な闇属性の中でも珍しい影属性! と胸を張るノーチェ。
「ただなぁー、胸張ってる宣言してるところ悪ィが、多分ヒューイのヤツも希少属性だぞ」
「なんだとぅ!?」
「さっき言ったろうが。お前らの魔力は相性が良いって」
−−つまりは属性が近いって事だ。
アルの言葉に、プライドをへし折られたノーチェは固まってしまったのだった。
*
「うぅ、ヒドイ目にあったよぅ……」
ジトーっとノーチェを睨むヒューイ。助かったから良かったものの、一歩間違えれば死んでいた割には軽すぎる対応である。何故なら、知らなかったとはいえ殺しかけた……というのは後々のこと−−直近でいえば使い魔契約−−を考えれば禍根になりそうだったので、詳細をぼかした。まぁヒューイの記憶がイイ感じに飛んでいたので問題を先送りにしたとも言う。
だから彼の中にあるのは、純粋にひどい目にあわされたという怒りだけだ。
「−−ふっ。嫌な事件だったニャ……」
「どう考えてもノーチェのせいだったよね!?」
人災? ……いや、猫災か? それとも魔王災??
ノーチェのあまりにも反省が感じられないセリフに温厚なヒューイも声を荒げたのだが、持ち前のぽんこつさから焦点が早くもズレ始めている。
「結果オーライだ! それと……そら、詫びのオハギだ。食え」
「まー、食べるけどさー……」
腑に落ちないものを感じつつも、もっきゅもっきゅとオハギを口に詰め込むヒューイ。すると途端に食べる方に夢中になった。ちょろい。
「……で、だ。魔力操作はモノにできそうなのか?」
「うーん。さっきのアレで何となーく分かったような分からなかったような……」
怪我の功名とでもいうのかノーチェの魔力を直接叩き込まれたことで、ヒューイにも何か感じるものがあったらしい。
「なんとなく……何となくだけど−−ノーチェが影縫い使う時に『もにょ』ってするじゃん?」
「その表現、ワガハイ未だに意味がわからんのだが……?」
とにかく『もにょ』っとするんだよーとの主張を繰り返すヒューイ。
「思うに、あのモニョモニョが魔力なんじゃないかとー」
ほら、魔術使う時って魔力を何かに流し込んで発動させるって言うし! と聞きかじりの知識を熱心に語る。
「何か、じゃなくて『魔術式』だにゃー」
『魔術式』などと小難しい難しい名称だが、実際はもっと簡単なものだ。要はイメージ力である。現象をイメージして魔力操作で魔力放出、イメージの結果が適性のある属性に関係していれば勝手に魔力が『それ』に流れていく。詠唱や一定の動きはイメージ力を補助する役割を果たしている。それが一般的な魔術だ。そんなものだから、基本的にゆるふわっとしているのがこの世界の魔術である。
反して『陣』は、結果は同じに見えるが魔術とは違いキッチリとしたもので、精密な設計図と言える。
「とりあえず魔術の完成をイメージして、『モニョモニョ』? を流し込んでみるのニャー」
「と、言われましてもー」
ノーチェの指示に困惑するヒューイ。今まで魔術など使った事がないので、いきなりイメージしろと言われてもどうすれば良いかわからないのだ。
しばらくして察したノーチェ。ムゥと唸りつつ、しばし考え込むとやがて意を決して言った。
「お前はワガハイと属性が近いと、キョーカンが言っていた。ワガハイの魔術をマネしてみろ」
わかったと頷くと、ヒューイはとりあえず彼女がよく使う『影の円錐』を真似する事にした。『影縛り』のほうは、イメージしづらい上に結果がわかりにくいので今回は却下。
目を瞑って、空中に黒い円錐が浮かんでいる様をイメージ。次に彼曰く『もにょ』っとしたものを身体の中から円錐の方に追い出してみた。
すると−−
「おおっ、初めてにしては上出来ではないか!」
ノーチェの弾んだ声につられて、目を開いてみると、目の前にはでこぼことした黒い塊が浮かんでいた。
「……うぇー。なんかイメージと違うー」
「わがままを言うな。最初から完璧に真似されたらワガハイの立場が無いではないか!」
憤慨するノーチェに「ですよねー」と軽く同意しつつ、なおもチャレンジするヒューイ。「やるからにはカッコよく決めたいよネっ?」などと言いつつポーズを決めてみたりしてみる。魔術はイメージが大事らしいので。
「あ、何かそれっぽいのでた!」
よっ、はっ! と、ポーズを付けながら「影錐っ」とか格好の良さげな詠唱をしていたら、なんか出た。トゲトゲで、当たったら大ダメージ確実そうな物体が。ぶっちゃけ本家より凶悪そうである。
「−−ちょ、ワガハイの立場ぁ!?」
「あれ、もしかして僕ってばサイノーに満ちあふれてる?」
慌てふためくノーチェとは正反対に、感動に打ち震えるヒューイ。今まで自他共にぽんこつぽんこつ言っていたので感動もひとしおだ。ノーチェの悔しそうな表情もそれを後押ししている。
「えへへー、僕もしかすると魔術師でも結構いい線いける?」
そのセリフが彼女の何かに触れた。ぼわんと煙を上げて人化するノーチェ。
「やはり貴様を倒してワガハイも死んでやるぅぅー!!」
彼女は「ワガハイがソレ出来るまでどれだけ苦労したと思ってるのだぁっ」と、やけっぱちになってヒューイに襲いかかったのだった。
*
乱心したノーチェを全員で−−物理的に−−止めて何とか一息ついた。
「−−で、ヒューイの才能に嫉妬したノーチェがぶちギレした結果、ああなったと……」
重々しく呟いたアルの視線の先には、未だ鼻息荒く荒ぶるノーチェさんの姿が。フェルとエルンストの二人で取り押さえている−−見た目は少女だか魔物なので力が強い−−が何か別の事で気を逸らさない限り、解き放たれるのは時間の問題と思われた。
−−が、そんな空気を読み取ったアステルが、懸命にお手製クッキーをチラつかせノーチェをなだめ始めたので何とか事なきを得た。
「……とっとと契約を始めるのニャー」
まだ多少不機嫌さは残っているものの、お手製クッキーの威力は偉大だ。ボリボリと貪りつつヒューイを睨みつけるノーチェ。
「あー、そーゆー訳でテオ君。お願いします」
ヒューイの言葉にテオドールはコクリと頷くと、地面に契約用の陣を描き始めた。以前にも感じられたが、複雑な文様を淀みなく描いていく様は流石としか言いようがない。
完成した陣。テオドールに促され、陣の中に立って向かい合う二人。それは滅多に無いポジショニングだ。いつもは猫のノーチェがヒューイの肩に乗っているので新鮮とすら感じる。
「…………次、魔力流しつつ、誓いの言葉、言う」
そこへ一歩間違えれば誤解を招きかねないテオドールの爆弾投下。普段は全くそういう意識が無くても意識してしまうと言うもの。
「その、なんかヘンな空気だねぇ」
「……むず痒いな」
特にノーチェは滅多に取らない人型なので、視線がいつもより近い。しかも、女子の見た目にあまり興味のないヒューイから見ても美人さんだ。多少照れてしまっても無理はないだろう。幸か不幸かノーチェも微妙な空気に飲まれてしまい、ふて腐れるどころではなくなっている。
しばし固まっていたヒューイだが、「よし!」と決意を固めた。
「−−ぼ、僕はこれから一生ノーチェを養う事を誓いますっ」
そうして意を決して発した宣言は、しかし−−
「…………ヒューイ、それ、重すぎ」
もうちょっと軽めで良いと、テオドールの駄目出しが入った。エルンストとローレンツは目を丸くし、フェルは苦笑い。アステルは真っ赤にした顔を両手で覆って「きゃー」と悲鳴をあげていた。アルからは「結婚式かよ!?」とツッコミが入るに至った。
様々な反応を見せる一同を恨みがましく見つめるヒューイ。
「じゃあ、どうしろと?」
「いや、そこは普通に『使い魔にします』で良いだろ」
その後にノーチェがそれに同意すればいいと、アルが呆れ顔でアドバイス。今回はヒューイとノーチェが同格なので、同意があったほうがスムーズに契約できるのだ。
「……じゃあ、改めて。これから僕はノーチェを使い魔にします!」
同時に流し込まれた魔力で、足元の陣が輝きだした。
「承諾するニャー」
陣から光の束が立ち上がり、二人を包み込んだかと思うと吸い込まれるようにして消えていく。同時に何かの繋がりが生まれたのを二人は実感した。
そうして一組の主従が誕生した。……のだが−−
(−−ん? そういえば、何か大事な事を忘れているような……)
アルは喉に何か引っかかるような感覚に囚われた。何か自分がとんでもない事を仕出かしたような、そんな予感がヒシヒシとしているのだ。
その感覚はあながち間違いでは無かった。
使役者は使い魔の魔力を自由に使えるようになる。ヒューイは基本的に武技使いなので、実践レベルの魔術を使えなかったのだが……今回の契約で本来なら両立できない魔術と武技両方を実践レベルで利用できるようになったのだ。
そうして地味に魔王を越える最強人類が爆誕してしまったのだが、その事実に気づくものはまだ居ない。




