9 対決! 自称魔王様!!
その人影は黒いローブのような物をまとっていた。すっぽりと姿を覆い隠すようなソレのせいで外見からは男女の区別はつかない。が、その身から発する禍々しいオーラが友好的な相手ではないと語っている。
「よくぞここまでたどり着いたものだニャ、ニンゲン共よ! 満を持しての登場っ、ワガハイが魔王だニャ!!」
「「「「……ニャ?」」」」
魔王なのに語尾が「ニャ」?
一同の疑惑の目に気がついたのか、自称魔王は「……………げふんげふん」とわざとらしく咳払いをしたかと思うと、再び言い放った。
「−−よ、よくぞここまでたどり着いたものだな! ニンゲン共!!」
−−言い直したーーッ!?
「ともかく! ワガハイの縄張りに侵入したからには、それ相応の報いをくれてやる!」
勢い良く宣言したかと思えば、ぼそりと魔王が何かを呟いた。
「−−影縛り」
その瞬間、異変が起きた。
「む、体が動かん」
「おう? こちらもじゃ」
「ちょ、俺っちたちいきなりピンチなんじゃ!?」
「状態異常の類じゃないみたいですっ、治癒術じゃどうにも……!」
「…………迂闊。影魔法」
「くははははっ! キサマらはなす術もなくワガハイの前に倒れるのだー!」
高笑いしつつ、魔王はその鋭く長い爪を手近な場所に立っていたエルンストへと振り下ろそうとしたその時−−
「−−ウチのジャーマネさん居なくなると収集つかなくなるので、お断りの方向でお願いしまーす」
間に割り込んだヒューイが、身につけていた籠手で魔王の一撃を受け流す。
「ぬぅ、キサマ何故動ける!?」
「うーん、なんか『もにょ』って嫌な感じがしたので避けてみた」
「そんなんでワガハイのとっておきが破られたとか!」
「あ、そーだったんだ。ごめんねー」
「ムキーッ! やはりキサマだけは許さん!!」
そんなやりとりをしつつ、ヒューイはさり気なく魔王と仲間たちを引き剥がしにかかった。なお、質の悪い事に挑発している自覚はない。
−−一方。
「テオや、ヒューイが時間を稼いでいるうちに何とかならんか?」
「……もう、やってる。………もうちょい」
身動きが取れないので少々難航しているようだったが、既に魔王の使った術に目星をつけていたテオドールは、それを打ち破るための術式を準備していた。
「この短い間でそこまで……。テオドールさんすごいですね」
アステルが感嘆の声を漏らす。彼女には未だに魔王が何をしたのか完全には理解できていなかったのだ。
「じゃあ気付かれにくくなるように隠蔽術でも使っておくっすよ」
「魔王のあの激昂を見る限り隠蔽は必要なさそうな気がするがな……」
少々呆れの入ったエルンストの視線の先では、ヒューイと魔王が命がけの追いかけっこをしていた。
「ニャアァァ! これも避けるとかキサマ一体どんな運動神経しているのだぁぁ!!」
魔王の影が質量を持った円錐になってヒューイに襲いかかるが、彼はひょいひょいと避け続けている。
「いや、これ当たったら大怪我しちゃうよね? 普通避けるよね!?」
「諦めて串刺しになれぇぇ!」
「無理無理無理ーーっ!! ………あっ」
−−ズタン。
夢中で走っていたのが悪かったのか……ヒューイは小石に足を取られ、錐揉みしながら地面に倒れこんだ。
「−−あ。やば」
呟く彼の元に殺到する幾つもの影の円錐。
−−コレ、死んだね!
いくら彼の持ち味が素早さだとしても、今からでは回避行動が間に合わない。しかも転んだ時に足を捻ったようで痛みがある。どうにでもなーれ、と彼が運を天に任せた正にその瞬間−−
「…………光よ」
テオドールの呟きとともに眩い光が迸る。
その光は、テオドールたちの自由を取り戻させるだけでなく、ヒューイの鼻先まで迫っていた円錐をも消し去った。
「チィッ、対策できる魔術師がいたか!!」
「た、たすかったぁー」
ヒューイが心から安堵の言葉を吐く。今回ばかりは肝が冷えた。
「ふふん。だが消されたならもう一度作り出せばいい事」
「−−そんな暇はやらん!」
水を得た魚のように飛び出すエルンスト。魔王が術を発動する暇もない程に、鋭い斬撃を何度も繰り出す。
だが魔王もそう簡単にはやられない。斬撃を強度的にはどう見ても劣りそうな爪で、時には受け流し、時には弾き防いでいく。
そうして徐々に押されだしたのはエルンストの方だった。元々、地力が違いすぎる。彼は一人でよくやった方だとも言えた。
「−−クッ」
「くははっ、先程までの勢いはどうしたァ!」
次第に魔王が押しだし始め、防戦一方になるエルンスト。
「−−ッ! しまった!?」
激しい攻撃に力が抜けた一瞬の隙を突かれ、彼の持っていた剣が弾き飛ばされた。丸腰になった彼へ魔王の爪が迫るが−−
「−−させぬよ!」
フェルが素早く間に入り込み、盾で魔王の攻撃を受け止めた。
「エルンスト、無事か?」
「……流石、自称とはいえ魔王を名乗るだけの事はある」
「そんな事を言っとる場合か! ワシもあまり保たんぞ」
会話の間も魔王の攻撃は続いている。その攻撃は許容量を超えているのか、受けるたびにフェルの盾が悲鳴をあげている。
「ぬぅ、次から次へと鬱陶しい!」
そんな魔王の言葉にローレンツが愚痴をこぼす。
「俺っちたちの方が格下なんで、そこはカンベンして欲しいトコロっすねぇ」
「ヒューイさん手当て終わりました!」
「よっし、行ってきまーす」
勢いをつけて飛び出すヒューイ。フェルを執拗に攻撃する魔王に、横手から殴りかかった。
「ぬぅ、またキサマか!」
「さっきはヘマしちゃったけど、今度は負けないよ!」
逃げの一手だった先ほどとは違い、今度は攻撃メインだ。残りの体力を考えると、回避に割く余裕はあまりないため小さな怪我はあえて無視して、一撃一撃を確実に当てていく。
「……やるな、ニンゲンっ」
「それはどーもっ」
驚くべきことに、どうやらヒューイと魔王の技量は互角のようで、双方共に同じように傷が増えているような状況だった。
魔王が魔術を発動させようとすれば、その隙を突いてヒューイが一撃を入れる。逆にヒューイが武技を使おうとすれば、やはり隙をついて魔王が一撃を入れる。
−−どちらも決定打には欠けていた。
魔王が『ソレ』に気がつくまでは。
「お、オマエっ、それは何ニャ!?」
「え……?」
クンクンと何かの匂いを嗅ぎつけた魔王の視線は、完全にそれへ向いている。余裕が無いのか語尾の訂正も忘れているようだ。
その視線の先を辿ると……。
「………………アステルちゃん謹製クッキー?」
戦っていた際に破れたのか、腰に下げていた小物入れからひょいと覗くクッキーの姿。微かに甘い香りが漂ってくる。
試しにひょいっとそれを取り出して掲げると、魔王の視線も移動した。
−−ひょいっ。サッ。
−−ひょひょいっ。ササッ。
何度か続く無言の攻防。ついに我慢できなくなった魔王が折れた。
「そ、そそそそ、ソレをワガハイに寄越すニャッ!」
「……人間に悪さしないって約束するなら考えない事もないよ?」
「するニャっ! するから早うソレを寄越せ!」
*
「うまいニャー! こんなうまい物が存在してたとか、ワガハイ今までの魔王生損してたニャー!!」
サクサクではなくボリボリと貪るようにクッキーを片していく魔王。一行が所持していたクッキーがとてつも無い速さで消費されていく。
「うまいニャ、うまいニャ。………もうこれ以上は無いのか?」
容貌に似合わぬ澄んだ声で問われ、思わず一同の視線がアステルへと向かう。
「え? えええっ!?」
「ソイツが持ってるのか!?」
「きょっ、今日はもうもってませぇーんっ!!」
詰め寄ってくる魔王に、絶叫するアステル。
「今日は無い? なら明日なら持ってるのか?」
「えぇっと……新しく作らないと……その…………」
「なんと。コレはオマエが作ったのか!?」
「はっ、はいぃぃっ!」
アステルからすれば、例え語尾が「ニャ」で威厳がなかろうがお菓子に目がなかろうが、その戦闘能力はアッサリと自分を害せる存在である。極限までに怯えてどもってしまうのも仕方の無い事だった。
一方、魔王は少しだけ考えるそぶりを見せたかと思うと、高々と宣言した。
「−−決めたぞ! ワガハイ、お前らについて行ってやる!!」
明らかにアステルの作るお菓子目当てだ。そして上から目線。
「……魔王が起き上がり仲間にして欲しそうにこちらを見ている!」
「……なんすか、そのセリフ」
「いや、なんか無性に言わなきゃいけない気がして……」
なんらかの電波を受信したヒューイは置いて、話し合いは続く。
「ついてくるって言われても、学校って関係者以外は基本的に立ち入り禁止ですよね……?」
「ニンゲンの決まりなど、ワガハイには関係ないのニャ!」
そうもいかんじゃろう。とフェルが突っ込む。部外者だと分かれば学外に放り出されるし、だからと言って関係者に傷を負わせるような真似をすれば、当然−−
「まぁ、何にせよ。アステルの菓子を食べたいのならば、決まりは破らんようにするのが吉じゃな」
「むぅぅ、ならば人型でなければ……そうニャ、こうすれば良いのだ!」
−−ぼわん。と、突如魔王のまわりに煙が立ち上り姿を隠す。それが晴れた後には一匹の黒猫が佇んでいた。
「「あーっ!? あの時の黒猫!!」」
アステルが班に配属されて間もない頃に出会った、出自不明で毛並みが良く気位の高そうな猫。それが魔王だったのだ。
「ふふん。ワガハイ程になれば姿を変える事など造作も無いのニャ」
あの時と違って、猫の姿でも普通に喋っている。
「騎士学校の寮はペット禁止だぞ」
「誰がペットにゃぁぁ! むしろお前らがワガハイのペットニャ!!」
すかさず釘をさすエルンストに、激昂しとんでもない事を言い出す魔王。
「えー、ペットはやだなー」
「…………むぅ」
まぁ、キサマは認めてやっても。と、ヒューイに言いかけ止める魔王。
「−−ん? いま何か言った?」
「……いや、なんでもないニャ」
「どういう名目で連れて入るか、が問題っすね」
「…………使い魔、無難」
「この中で使い魔がいても違和感が無いのはテオドールさんですけど……」
「……………無理、手に負え無い」
アステルの指摘に、早々に匙を投げるテオドール。学内ではかなりの使い手である彼でも、魔王の制御には自信がないようだ。
「まぁ、なるよーにしかならなそうだし、その場の勢いで誤魔化すのが無難かもねー」
「言っとくがワガハイ、誰の下にも付く気は無いからニャ!」
*
「そういえば、一つ聞きたいんだけど……」
「何ニャ?」
ヒューイは、彼の肩を定位置としたらしい魔王にかねてからの疑問をぶつけてみた。
「しばらく前に僕らの学校に魔物差し向けたのってキミだったりする?」
「当然ワガハイの差し金ニャ。それがどうかしたかニャ?」
しれっと答える魔王。
話によると、魔王には縄張り内の魔物のなかでも、自分より弱いものを操る能力があるのだという。魔の森全体が魔王の縄張りとのこと。
「何でまたそんな事を……?」
「あの学び舎には、ワガハイを差し置いて魔王と呼ばれる者−−つまり、キサマがいたのニャ! ならばワガハイの名誉のために潰すしかないのニャ!!」
「そんな理由!?」
「ワガハイにとっては存在意義すらかけた大事な理由ニャ!」
ヒューイの反応が思ったより薄かったようで、魔王は地団駄を踏む。殊更ヒューイに敵意を向けていたのは、彼が魔王様なんて呼ばれていたのが理由だったようだ。
「魔王の存在意義を賭けたと言う割には随分と……」
「−−エルンストよ。その様な事はあまり言うてやるな」
−−貧弱だった。と言いかけた彼をフェルが言葉を遮る事で止めた。
「失敗はしたが、結果的にこんなにも素晴らしいものに出会えたから、チャラにしてやっても良いぞ!」
素晴らしい物=お菓子。随分と安くてお手軽な魔王様である。
「存在意義よりもお菓子優先な魔王って……どーなんだろう?」
「お菓子を与えてれば保てる平和って、恐ろしいものがあるっすね……」
騎士学校の人間には到底明かせない防衛戦の真実が生まれた瞬間だった。救いと言えば、お菓子さえ確保できれば面倒なことにはならない点か。
「あわわ……と、とてもプレッシャーが……」
これから先、魔王の専属パティシエになるであろうアステルは重圧に身を震わせた。
「ま、これからはワガハイに美味いものをたくさん献上するが良い!」
そんなこんなでヒューイの周りにまた一人新しい仲間が誕生したのだった。




