第五話 用法用量を守って正しくご利用ください(コロコロより)
タイミングの悪さは、全て神様のいたずらなんだなあ。まさひと。
30分ほど前、あの自己紹介の空気をぶち壊した明子さんは、大きな、それは大きなため息をついて言った。
「そんなことに時間を費やして、バカだねえアンタたちは」
黒以外の六人(寺尾さん含む)はそれぞれ反省したような面持ちで俯いている。黒はその対照的に上を向いてどこかに魂を吸い取られたようにうつろな目で空を見ている。
さっきまであんなに元気だった六人が、これだけ静まるとは、明子さんはやはりメイド長としての品格を漂わせている。
「あ、明子殿。我々はそのう、新人を楽しませようと、そう至りまして」
青さんが明子さんに上目遣いで必死に許しを乞う。あの気迫はどこへやら、頭が上がらないとはこのことだろうな。
明子さんは怒っているわけではなかったが、決して笑ったりへらへらともせずに、
「まあ、いいよ」
と言って背を向けた。その姿はなんとなく小学生のいたずらを許す母親みたいだった。
なんだかんだ六人ともそのまま明子さんに連れられて、屋敷の奥に連れて行かれてしまって、結局ろくに自己紹介もしていない俺は、寺尾さんと二人で立ち尽くしているばかりだった。
さて朝起きてやることといえば、食事をしたり歯を磨いたり、顔を洗ったり多種多様な朝を迎える人々がいるけど、俺たちその範疇にはぎりぎりのラインに入るか入らないかの場所で、庭に出ていた。
日が東の空から顔を出し始める空気が、徐々に感じられる空はまだ白と青と少しの朱色が混ざったような色になっている。雲はそこら中に散って、列を成してふわふわと浮かんでいる。秋の空気が顔を吹き抜けて、寒さで思わず手をすり合わせていた。
「準備が整いましたな」
寺尾さんはいつの間にやら着替えたのか、プ○マのジャージを上下に身につけて、ほこりにまみれていそうなほど古いモノラルのラジオとカセットのケースを持ってきた。後ろには明子さん率いるメイド六人衆が、これまたやはりプー○のジャージに身を包んで颯爽と現れる。そう、この俺もすでに○ーマのそれを着て、この場に来ていた。
どうやら先ほどの集合は朝の挨拶だったらしい。そしてそのあとは毎朝必ず行うらしいラジオ体操。いちいち部屋に戻って動きやすい服に着替えるというのも大変面倒くさいが、仕方ない。
「誠人さんのジャージがあってよかったですね」
桃ちゃんが俺に話しかけてきて、思わず振り向いた。その背の低い頭とよく似たピンク色のジャージを着て、俺ににっこり笑いかけてくれる。その笑顔は純粋に満ち溢れていて、これから毎日合わせる笑顔かと思うと、思わず頬が熱くなる。
――まあ、確かにあってよかったな。なんせいきなり寺尾さんにラジオ体操をするといわれたものだから、まさかスーツやタキシードにメイド服でやるなんて微塵にも思わなかった。と思ったらやはりちゃんとそれぞれジャージやら体操着やらを持っていて、あっさりと着てくるもんだから驚いた。青さん、緑先輩だけは例外で、特に青さんは袴の青い、胴衣かなにかを身につけている。
俺といえばそんなものは無いからスーツで出てこようと思ったら、しれっとベッドの上に上下プ○マのロゴが入ったそれがしっかり畳まれていて、これまた驚いた。そしてそれを着て今に至る、と。
「よく似合ってますよ」
俺のそばで手を後ろに組む桃ちゃんは、とても女の子らしい仕草で、やはり笑顔で言ってくれた。
「おい、新人」
続いて、桃ちゃんより背の低い緑先輩が俺の目の前で、腰に手を当てて威圧しながら睨んできた。小学生くらいの年齢に見える彼女は、これまた大きく『みどり』と書かれたネームシールをお腹の上くらいに貼った白い体操着と、ブルマーを履いている。寒くねえのかよ。
「あたし見て笑ったらコロスかんな!」
といきなり指を指してきて、その凹凸の少ない身体を見て、しかもいまの言葉とこの風景に対して色々アンマッチな緑先輩に、吹き出しそうになってしまう。いやいや、笑うなって言われたら笑うだろ。
白さんと金はそれぞれ違うベクトルで笑っていた。白さんは顔に出さないように手を口に当てていた。その白いジャージに揺れるたわわな胸が素敵。出るところ出てるって感じ。
金はラメ入りラインの黄色と黒のジャージを着ていて、なんとなく似合っているのがまた面白い。その彼女は、「げらげら! げらげら!」と隠すこともなく、文字通りげらげら笑っていた。そんなに面白がったらかわいそうだと思うが……。
緑先輩はそんな金に対して物凄く悔しそうに睨みつけて、目に涙を浮かべていた。その様子を見ていた青が止めに入ろうと前に出てくる。しかし彼女も、どこか笑いそうな顔をこらえるように口をへの字に曲げて眉間にしわを寄せている。
「あ、青までぇ!」
明らかに察しがつくだろうその顔を非難する先輩。ちょっとかわいそうになってきた。が、その心配も明子さんがやってきたとたんにぴたりと止む。
「はいはいはじめるよ!」
その姿は明らかに近所でよく見かけるサンバイザーをつけたオバサンスタイル。紫色のジャージと派手なラメ入りラインに、ピチピチになった脇肉が少しはみ出している。メイド服のときには気づかなかったが、案外ずんぐりとした体系らしく、俺はそのインパクトに思わず「ブッフォ!」と吹き出してしまった。
明子さんは俺に向かって、ラリアットを繰り出した、無言で。
「あべし!」
俺は衝撃で吹き飛び、庭の壁に磔にされ、あっさりと力尽きた。そりゃねえぜ、明子さん。
――俺はその日から、オバサンを馬鹿にしてはいけないことを心に誓った。
……そういえば黒は熱を出してしまったらしく、少し休むと通達があった。
…………。
その後、ラジオ体操まで終えた俺たちはまた着替えてロビーに集まる。
「朝のラジオ体操のあとは清々しいですな」
寺尾さんはテカテカとした(気がする)顔で話しかけてきた。俺は無難に、
「ええ、そうですね」
と返すと、満足げに頷いた。
朝はそれぞれ作業の内容を決めるために、話し合いが行われる。
割とあっさり決まって、各自解散となる。それぞれの分担は以下の通りだ。
食事係……金。
掃除係……緑、白。
事務……寺尾。
警備……青。
学校……桃、黒。
オフ……土井。
となっている。わざわざ警備会社を使わないあたりが不思議だが、たぶんこれも修行の一環だったりするんだろうか。
「っておい、桃ちゃんと黒はまだ学生なのか」
「へぁっ!? あ、あ、あっハイ」
俺の些細な疑問に、いつの間にかメイド服を着て戻ってきた黒が答えてくれた。
「あ、そうですね。誠人さんには言ってなかったけど、僕たちが学校に通っているんですよ。黒さんと同じ学年です」
桃ちゃんは黒の補助をするように、華が咲くようなかわいらしい笑顔と説明を付け加えた。
「へえ、大変なんだな」
「いえいえ、これも修行の一環ですから」
当たり前のように言ってのける桃ちゃん。
「はあ、はあ……っ」
彼女の後ろに隠れる黒が息を荒くしながら俺の目を見ないように何度も頷いている。
俺ってそんなに怖いかな……ちょっとショックだ。
「さあ、ワタシは食材のチェックに行ってきマース!」
金はなぜかよくわからないテンションで踊るように回りながら入り口左手側にあるキッチンへ。青は、
「我はまた警備か、承知した!」
と言いながら、メイド服のスカートから取り出した刀らしき物体を持ってその場を一瞬で風を切るように外へ消えていった。
「あたしもいつも通り掃除かあ、よーし張り切っていこー!」
緑先輩は階段をかけ上がっていくと、三階の用具室へ向かったらしく、しばらくしてからドアを閉める音がかすかに聞こえた。
「それじゃあ~わたしも、お庭の掃除でも~」
白さんはふわふわと相変わらずのままで外へ出て行くのが見えた。
明子さんは今日のシフトに組み込まれていないらしく休むそうだ。
……。
それぞれが持ち場に着いたところで、寺尾さんが俺に
「しばらくの間は誰かの後ろに着いて、勉強をしながら覚えてください」
と言って、彼もまたエレベーターで三階へ向かった。
さて、俺はなにをしようかな。
そうだな、とりあえず掃除なら俺にも出来そうだし、緑先輩を手伝おうか。
俺は3と書かれた文字を1まで下ろして、エレベーターに乗り込んだ。たぶん用具室あたりに行けば会えるだろう。俺は軽い気持ちで彼女の元へと歩いていった。
三階、エレベーターのドアが開いた。一歩外に足を出そうとしたが、その瞬間
「おおおおおおりゃあああああああああああ」
勢いの良い声が三階に響き渡る。
「おわあ!?」
驚いて変な声を出してしまった。謎の寄声の主は俺の目の前を黒い疾風のごとしスピードで駆け抜ける。それは緑先輩だということに気づいたのは、間もなくだった。
彼女の手の先にあるのは白い丸いローラーのような、粘着するテープのアレ……所謂「コロコロ」だった。それを両手に持って、這いつくばるようにカラコロと音を立てながら駆けている。実際速い。
俺に気づいていないのか、ストレートの長い廊下をすごいスピードで突っ込んでいくと、カーブする直前でドリフトを見事に決めて俺の部屋の方へ消えていった。その際、スカートが少し舞い上がって、白色のこどもっぽいプリントぱんつが見えたことは、内緒にしておこう。
どう声をかけようか。いきなり驚かしてカーブの先で待ち伏せるか、ここで待つか。
……うん。どうせだからカーブの先で待ち伏せしてやろう。きっと驚くぞ。
たぶん、いまの俺は意地の悪い顔を隠せない笑顔で、このストレートのスタートにいるに違いない。いままさしく、向こう側でカラコロと鳴る例の音がそろそろこのカーブに差しかかろうとしているだろう。
数十秒後先の未来に思わず笑ってしまう。そうだ、かかってこい!
「おおおおおおりゃあああああああ」
「来た! 飛んで火にいる夏の――」
俺はその確信していた勝利の笑みを殺した。いや消えたと言った方が正しいのだろう。
「おおおおおおりゃあ……!? うわあああああ新人どけええええ!!」
――緑先輩のスピードが全く収まらないナイスなドリフトが軽快に決まったと同時に、俺を目掛けて減速ナシの猛スピードで突っ込まれる。二人の顔は同時に焦りへと変わり、そして――。
「うわあっ」
「ぎゃあ!」
……ドンっ!
勢いのいい音と少しの振動が、この豪邸全体に大きく伝わった。
「い……たあっ」
緑先輩は頭を思い切りぶつけたらしく、しかもその先が俺の内股。
「お、おおっ……センパイ……!」
そうだ、見事にクリティカルとは言わずとも、間違いなく痛かった。俺は内股を押さえてうずくまる。
俺の見た先には、ナイスな白いおぱんつと、尻餅をついて頭をさすっている緑先輩だった。
「し、新人んんっ」
涙目で俺を強く鋭い眼光で睨んだ。ちょっと痛かったのか、涙がぽろっと出てきていた。
「な、泣いてない、泣いてないぞ、ぉ」
痛そうに目を伏せて首を振っている。俺はといえば、その白いソレを傍目に、言葉を半分ほど失っていた。
「す、すいま、すいませんっ!」
俺はなんとか呂律の回らない舌を使って謝罪した。ちょっと悪戯が過ぎた……。
再び緑先輩と目が合った。やはり頭が痛いらしい、さすったまま俺のうずくまっている状態を見て、
「……あ」
と顔を赤くする。そして、長いスカートを大きくはためかせて、白い布を隠した。
「あ、あ、せんぱい……ちがうっす、違うんス、いてて」
「おま……お前、ぇ!」
その紅潮具合が一気に怒りゲージに代わり、それをマックスにするが如く語尾に怒気が篭っていく。
俺は必死に弁解の言葉を探そうと思った。痛みと色々な思念と、言い訳が上手くかみ合わずに、思いついたままの言葉が飛び出した。
「い、いたずらしたかったんス、先輩、に……あっ」
――しまった。俺は背中に冷たい水を流されたかのような寒さを感じた。
どう考えても、いまの言葉は色々アウトだろ、俺!
緑先輩は、頭を押さえ、顔を赤くしたままゆらりと立ち上がる。やべえ、誤解だ!
「……しー、んー、じー、んー!」
その足は確実に俺を殺しに来る、明確な意味を持って俺に近づいてきた。
「ち、ちがうって! そういう意味じゃあ……」
しかしこんな言葉を言ったところで今更遅い。恐らく、彼女の中では、俺が襲おうとしたって言う認識で満たされているに違いない。しかも、俺が先輩よりも早く立ち上がるのは――不可能ッ!
「こんのォ! ヘンタイーッ!」
俺は振り上げられた平手を見て思った。
――タイミングの悪さは、全て神様のいたずらなんだなあ。まさひと。
先ほどとは違う、乾いた音が、大きな屋敷内に響いた。