第二話 実際の面接とは異なる場合がございます。
――どうもこんにちは、世間から見放され、なにもかも失ったと思っていたら、高級車のトランクに放り込まれた。日日誠人です。
何分ほど揺られたのか。なにか荷物が入っていたわけではないからか、居心地は悪くなかった。車が止まって、一度ドアを閉める音が聞こえたかと思うと、またゆっくりと走り出して、エンジンが止まるのを感じ取った。二度目のドアを閉める音が聞こえたかと思えば、今度は俺を封じ込めていたトランクが口を開けて、俺を担ぎ出した白髪の男と目が合う。
「着いたぞ、降りなさい」
「……ここは、どこだ」
俺はぼさぼさの髪を振りフケをとばしながらその男を睨みつける。しかし彼はそんな俺のことなど気にも留めずに腕を掴んで地面へ叩きつける。
「い、ってえ」
冷たいコンクリートの感覚が手のひらを通して俺に教えてくれる。男の向こう側にはシャッターと数台の車が止まっていた。どうやらここは駐車場らしい。
「お前も男であるならば、睨むのではなく行動で示しなさい」
あくまで冷たく言い放ち、背中を向けて反対方向に歩き出す。俺はなんとかふらつきながらもおぼつかない足取りで続いた。
自分で確かめろってことか……。
駐車場は地下にあったらしく、男の後ろに続くとエレベーターで彼は待っていた。なにか言うまでもなく俺は乗り込んだ。
「ここはマンションなのか?」
はた疑問に思ったことを聞くつもりで、俺と同じ方向を向く男に呟いた。
「違います」
しかし返ってきた言葉は冷たいものだった。それは駐車場で感じたものとなんら変わらない突き放したような言い方だ。
「ってことは……一軒家か」
「一戸建て、とも言います。ところでお前は年上の人間に対して敬語も使えないのですか?」
俺はもう一度呟くように尋ねると名も知らぬ白髪の男は俺に最大限の蔑視を向けた。言うまでもなく彼は年上だろうが、いきなり人を拉致した上に「お前」なんて呼ぶやつに言われても困る。
会話は結局それきりで、あっという間に一階を示すランプが点灯する。開かれたドアからは赤い夕日の色が地面に映し出されて綺麗に見えた。
――いや綺麗に見えたのはそれだけじゃあない。
庭らしき場所に出てみれば、一見して学校と同じくらいの大きさの豪邸が俺の目の前に建っていた。西日の影はちょうど俺たちをすっかりと覆い隠して後ろまで延びている。
まだこの辺りに来て四年ほどしか経っていないが、この豪邸のことはよく知っていた。というのも地元の人間ならば知らない人はいないほど有名な一家が住んでいるという。
「おい、もしかして六宮の」
「やっとお察しですか、愚か者が」
――お前の次は「愚か者」か、とことん俺を馬鹿にしやがる。だけどいったいなにが目的で俺をこの場所まで連れてきたのだろう。
俺ははっとした。もしかしてあのとき公園で俺を見て見ぬ振りをしていたのは、彼らがこの豪邸に住む人間であることを知っていたんじゃないか。
「なにを突っ立っているのですか? 日が暮れますよ」
どうやら俺は目の前の高さのある豪邸に目を奪われていながら熟考していたらしい。振り返った陰のある彫りの深い目つきが俺を睨む。
「あ、ああいやまさかと思って」
「……断っておくが」
男はため息をついてまた歩き出す。
「お前のような浮浪者を一歩も家に入れたくはない。しかしなにをお考えか、お嬢様はただ連れて来いと言うわけであります」
決してそれは俺に対して言うだけでない、なにか意図のある言葉とも取れる。
「たぶらかすような真似をしたら、この寺尾、容赦はしない」
俺にその切っ先の鋭い言葉の刃を向けると、さっさと豪邸の玄関へ向かって早歩きで行ってしまった。
「な、なんなんだ」
やはりあのとき気絶している間になにかあったとしか思えないような、そんな発言だと思う。怒りに満ちているような、なんとなく困惑しているような……あの寺尾という男は少なくとも俺に対して好意的ではなかったから、多分公園で出会った少女が鍵を握っているはずだ。
夕日は少しずつその傾きを増して、家々の陰から俺の目を焼かんとするほど強いオレンジ色を彩る。空はすぐにでも夜の闇に包まれる。この辺りはおそらく住宅街だから、人々の光は深夜になるまで点いたままなのかもしれない。
俺は遠くを見ながらそんなことを考えていた。
寺尾と自称した男が俺を待つ。俺はその初老のタキシード姿の男につづいてその豪邸の中へと吸い込まれていった。
……。
「まあ寺尾さん、その男は何ですか!」
「明子殿、これには深いわけがありまして……」
「お嬢様からのご連絡で急いて出た後に、こんな浮浪者を家に上げるなど、あなたも落ちたものですね!」
六宮の家に入って早々、俺は置いてけぼりを食らっていた。というのも明子殿と呼ばれた中年のメイド服の女性が寺尾と俺を見るなり、青白い顔で寺尾に詰め寄ったからである。
「お嬢様のご学友ではありませんよね!?」
「違う、私にも意図が読めないのです」
寺尾は先ほど俺に見せた鋭い言葉は息を潜めて、メイド服の女性に勢い負けを喫している。なんというかシュールな光景だ。
「ああ、汚らしい! 六宮家にこんな下らないゴミが転がり込んでくるなど許せない……ほらアンタ! こっち来なさい!」
明子――さんは俺の腕を直接掴んでいたわけではないが、ありえないくらいの目線と怒声で俺を引っ張っていくように背を向けた。自ずとその背中についていく。
しかし……すごい家だな。明子さんではなくて家が。
入った瞬間に、眩しいくらいの灯りと、その元となっているシャンデリアが輝いていた。玄関は靴を脱ぐスペースすらない辺り、アメリカのドラマで見るような土足で入って良い様にしているんだろう。一階の中央にはこれまた物語で見るような見事な二股の階段と、その中央には見合わないくらいのエレクトリカルなエレベーター。洋風な見た目を裏切らない豪華に豪華を重ねた邸宅であることは間違いなかった。
外で見るよりもずっとすごい場所だ、と思う。
俺は明子さんの後について、またエレベーターに乗りこむ。外の駐車場で見た無骨なものとは違って、場所に見合うように設置されたそれがズレているように見える。
赤いカーペットの敷かれたエレベーター内では3と書かれたボタンを一度押し、すぐに閉められる。あの独特の重心の揺らぎが地面に吸い込まれていく。
「あ、あの」
俺は何を言っていいかわからず、何も考えないままに言葉にする。しかし明子さんはなにかを察したように俺の顔を見ながら
「……アタシは土井明子。この家のメイド長だよ」
驚いた。見た目でわかっていたけど、こんなテンプレートとも言えるような使用人をいまだに雇っているような家があるとは。
明子さんは目も眉も釣りあがってきりっとした顔つきに、口は「へ」の字に曲がっているから、機嫌が悪いように見える。いや、普段はもっとにこやかなのかもしれないが、俺のような浮浪者を目の前にしてそんなしかめ面をしていてもおかしくはないのかもしれない。多分、この家を出ることも無ければそういう人間とも出会うことはないだろうし。
「それで、アンタは?」
「……日日誠人、です」
「マサヒト……いい名前じゃないか。それじゃあ誠人、せめてお風呂に入って綺麗にしておいで」
「は、はい。ありがとうございます」
明子さんの豪快な物言いに俺はしどろもどろになりながら自己紹介を済ませた。エレベーターは三階についたらしく、ホテルでよく聞くようなベルの音を鳴らしながらドアを開けた。
明子さんの後に続くと、外から見るよりも長く感じる廊下の途中にある男性用の風呂場らしい場所に連れて行かれ、俺はそこで何日ぶりかわからないお湯のにおいを嗅いだ。
服を脱いだのも何日ぶりかわからない、更衣室から漂ってくる懐かしい雰囲気。俺はなんとも言えない感動に心を躍らせながら扉を開ける。
そこには三つのシャワールーム。入り口の横に『使用人専用』と書いていた辺り、この家の人間が使うものではないのだろうが、それにしては想像以上に綺麗に整えられ、掃除されていた。
そして――蛇口をひねったら、お湯が出た。
「ああ、あああ」
思わず声が震えた。ガスを止められ電気を止められ、銭湯に行く金もなく、住む家をなくし、食べるものもなくなった俺にはあまりにも贅沢な蛇口。この家にいれば、どんなことでも可能な気さえしてくる。俺はお湯を手におそるおそる溜めて、こぼしながらも透明な泉を作っていく。
それを思いっきり顔にぶちまけた。
「き、きもちいいぃ……っ!」
自分の声とは思えないほどの高い声が浴場に響く。誰もいないこの空間で、俺は一人幸せをかみ締めていた。
蛇口をひねれば出てくるシャワーに、伸びきったぼうぼうの頭を濡らし、額から垂れる水を飲み、手で髪をかきむしる。
何日も流さないで汚れきった黒い自分が、清らかになっていくのを肌で感じながら、これまた何日も触っていなかったタオルやせっけんを使って、身体を洗う。
そんな幸せのひとときは、俺はこの先忘れられないだろう。
外では足音が聞こえて、明子さんの張りのある声が俺の名前を呼ぶ。
「着替えは置いておくからね! ちゃんと着るんだよ!」
俺は短く返事をして、自分の身体を洗うことに集中した。
流石にこの状況でずっと幸福感を味わっているのは申し訳なく思ったので、結局そのまま浴場を出てしまった。更衣室には先ほど俺が脱いだ服がなくなっており、新品の下着と、スーツらしい黒い服、そして足のサイズまで同じ革靴が、きちんと無駄なく目に付くように置かれていた。
あまりの手際のよさに俺は苦笑しながら、身体を拭いて新品の服に着替える。しかしいつ採寸したんだろうか……。
置いてあった姿見に自分を映すと、そこには長ったらしい髪の毛と髭の生えたみずぼらしい顔とは裏腹に、ほぼサイズ通りに袖を通すことの出来た黒いスーツが俺を纏っていた。
「ほう。しっかり着れているではありませんか」
そこにタイミングよく寺尾が現れる。冷たいトーンと視線は変わらないが、幾分かマシになったらしい俺を見て頷いていた。
「寺尾、さんだよな……。なんでこうなったか、いまだにわかっていないけど、あんた方には感謝するよ」
俺は先ほどの幸福を思い出しながら、その勢いで頭まで下げてしまった。
しかし寺尾――さんはそんな俺のことなど微塵も気に留めずに、ただ渡されたメモを読み上げるように言った。
「誠人と言ったか……お嬢様がお前を呼んでいる。着いてきなさい」
寺尾さんに言われるまま、また来たときのように彼の後に続く。さっきは気づかなかったが、この家はどうやら日本人が住むよりも外国の人間が住むように出来ているのか、いちいち扉の大きさやエレベーターなども大きい。身長の高い客が来ても良いような設計に見える。
先ほどのエレベーターで一階まで下りて、仰々しいお金の掛かっているだろう扉に寺尾さんがノックを三度叩くと、中から公園で聞いた凛とした女性の声で「入りなさい」と短い答が返ってきた。
そのドアの見た目と同じようにおおげさな音を立ててドアが開く。古い木のきしむような耳を刺す音が緊張感を高めた。
「ようこそ日日誠人さん」
その部屋は一層明るく見えた。壁紙が変わったわけではなくカーペットの色も変わらない。しかし強いて言うならばそのテーブル越しに座っている少女が俺にそう錯覚させたのだろう。
――先ほど見て気づかなかったのだが、その女の子は一目で品のある人間だとわかるほど、オーラが立ち込めているように見えた。
黒い髪は艶のあるストレートに、後ろでくくっているのだろうか、ヒスイ色の目によく合う濃いオレンジ色のリボンがワンポイントに見える。
身長はそんなに高くないんだろう、テーブルからの座高の高さはまた脚の長さも想像させる。
長い白いテーブルの向こう側の少女は俺を射抜くような視線で、一言「座りなさい」と言った。向かい側の彼女までの距離は遠いはずだが、明子さんとは違ったよく通る、澄んだ声で聞き取りやすい。俺は言われたとおりに座る
「さて、寺尾もそのまま聞いて」
「かしこまりました、お嬢様」
俺に対する態度とは全く正反対の礼儀正しさ。察していたことだが、主従関係にあるのだろう彼らは一言でお互いのことを理解しているように見える。
俺はじれったくなって、ここまでの敬意を知りたいと思う気持ちから、先に問う。
「六宮の家の方が、どうして俺をここに?」
「……あなた本当に覚えてないのね」
彼女はあからさまな見下した態度でため息をつくと、射抜く視線をまた向けた。
「たまたま通ったあの公園で、あなたに捕まえられたのよ。生きたい生きたいと枯れた声で言うのだから、私は生かそうと思っただけ」
……どうやら記憶の中にはそのシーンはないものの、なるほど合点がいかなくもない。たとえいまの話が嘘ならば、その辺りで死にかけている俺を助けようなんて思わないだろうし。
「納得がいった、とあなたの顔に書いてある」
「ああ、なんとなくわかった」
「だから私はあなたを生かすつもり」
この少女は一言一言に無駄が無いように思う。大人っぽいという感じがする。
「だからしばらくの間はここで働きなさい。まだ若いのでしょう?」
目の前の人間は俺よりはるかに年下だと思うが。
「いいのか?」
「ええ」
寺尾は俺たちの会話に入ってくることもなく、驚いたように目をパチパチとさせている。それとは対極的な少女はただ冷静に俺の問いに答えていくだけだ。
「契約書は寺尾に作らせるわ、わかったわね?」
「わたくしはお嬢様の決定に疑問を呈しますが……いえ、お任せください」
彼は思ったことを口にしてみるものの、おそらく覆らない決定に半ば諦めたのか、胸に手を当てて身体を曲げた。
「質問があるんだけど」
「なにかしら」
「どうして俺なんかを雇おうと思ったんだ?」
「……さあ、どうしてかしら。私にもよくわかっていない」
少女は微動だにせず、表情を変化させることも無く、淡々と答えるだけだった。
「わかった。これからよろしく頼む……ええと」
俺が相手の名前を聞いていなかったことを思い出して言葉に詰まっていると、察してくれたのか、彼女はふっと笑いながら。
「舞、六宮舞よ。よろしくね日日」
と自己紹介をしてくれた。結局それっきり彼女は俺たちに退くようにテーブルを二度叩いて、寺尾と共に部屋の外に出て行った。
「お嬢様のご意向は本当に読めない、がこれもなにかの為なのでしょう。着いてきなさい誠人。部屋へ案内します」
――会社の面接とは大違いだな、などと思いながら苦笑した。そしてこれからどうなっていくのか見当も付かず不安になりながら、寺尾の後ろに着いて三階まで昇って行った。