天から降る海の龍の贈り物
ファイセルが出発してからしばらく経った。
もう日も昇って来ており、街道は荷物を運ぶ商人や旅行客でにぎやかだ。
中でも目立つのは”ウィールネール”と呼ばれる巨大なナメクジで、馬の代わりとして馬車をひいている。
ちなみにこの世界には馬は存在しない。別の乗用生物を育てる必要があった。
このナメクジはライネンテではメジャーで、あちこちで見かけることが出来る。
草食動物で、性格は温厚。馬力もかなりあり馬車を引くのにも耐える。
背丈の高さは馬と大差ないが横に大きく、横幅も馬二頭分程度はある。
移動速度やや遅いが、地表を滑るように這い悪路や斜面もなんのそのだ。
極度の乾燥地帯、または寒冷地でなければ悪路など様々な道路状況でも活躍できる。
ライネンテ国内の陸路運輸の要といっても過言ではない存在だ。
ただ、欠点としては体表がヌメヌメしているので特製の滑り止めの付いた鞍や手綱を使わないと滑ってしまって上手く固定できない事だ。
あとは幅が大きいために、小回りの利く乗り物が珍重される一人旅や、街中への連れ込みには向かないという点だろうか。
「うわ~なんですかあのヌメヌメしたのは~」
リーネがおっかなびっくりにウィールネールを見つめている。
「大丈夫だよ。大人しいし、葉っぱしか食べないから。まぁ、ビジュアル的に受け付けない人も少なからずいるみたいだけど……」
奇妙な生物がニュルニュル音を立てながら横を走り抜けていく。
「ファ、ファイセルさんは気持ち悪くないんですか?」
リーネは首まで水に浸かって未だにビクビクしているようだった。
「まぁ都会の子はともかく、田舎には牧場とかあって子供はしょっちゅう触ったりしてるからね。そんなに怖がらなくって大丈夫だって。これからあちこちで見るからいちいち驚いてたらキリがないよ」
ファイセルはリーネをなだめた。
「わかりました。ちょっと苦手だけど頑張ってみます。あ、あと道を外れた森の中に池がありますね。寄って行きましょう」
リーネには水源を察知する能力もあるらしい。
池があると聞いたファイセルは地図をカバンから取り出して歩きながら見た。
「今歩いているここが街道だから、左にそれると確かに地図上に池があるね。あれ、池の名前が書いてないな。旅人が寄っていく様子もない。おっ……これはもしかして”海龍の涙”かな!?」
ファイセルの表情が明るくなった。急いで街道から脇の森へ入り、地図をで自分の位置を確認しながら池を探し始めた。
「”かいりゅうのなみだ”って何ですか?」
生まれたての彼女にはこの減少がわからないようだ。
「海竜の涙って言ってね、深海に住んでるとされる大きな幻魔のドラゴンが稀に潮を吹くことがあるんだ。それが空高く舞って、海岸近くの森とかに落ちると落下地点に小さな池が出来るんだよ」
「ところで、なんでそんなに嬉しそうなんですか?」
急に笑みを帯びたファイセルを見てリーネが不思議がった。
「海竜の涙の底には必ず”海竜のウロコ”があるんだよ。海の竜のウロコはアクアマリーネとか呼ばれてるけど。これがすごく高値で売れるんだ。集めて縫い合わせて鎧とか盾にしたり、マジックアイテムの素材とかに使われるんだけど、今の僕が持っていても加工や有効に使う手立てがないから売るのが一番かな。正直ちょっと財布がさみしかったけど、これならお金に悩まされずに旅ができるかもしれないよ! まぁ先客がいなければの話だけど」
ファイセルはガサガサ草をかき分けながら街道から離れた方へとどんどん進んでいく。
腰丈くらいの雑草に行く手を阻まれながらも地図上の小池を目指していくと小さな木が数本倒れて日が差し込んでいる一角が見えた。
草をかき分けてさらに進むと、森の中に空いた浅い小さな泉のような池があった。しゃがんで水を飲んでみる。
「このアクアマリン色の水、そしてこのしょっぱさ。間違いなく海竜の涙だね。いい機会だしリーネも入ってみるかい?」
「はい。海竜さんのダシってどんなですかね?」
ファイセルはビンのフタを開けてリーネを池に垂らした。
「こ……これは、力がわいてきます!! こんなの初めてです」
ビンの中の水がキラキラ光って、リーネの体も光を帯びた。
「この水、みんなに分けてきてもいいですか?」
リーネは身内の水属性の幻魔に不思議な力を秘めたこの水を分けようとしているようだった。
「わかった。僕はウロコを探すから行ってきなよ」
「はい!」
リーネが沈黙するとビンの中のアクアマリン色の水はほとんど消え、わずかな水だけが残った。
さきほどはリーネに知ったように語ったファイセルだったが、実物の海竜の涙に遭遇したのは実はこれが初めてだった。
話には聞いていたが、いざ実物を見ると潮だまりのあまりの美しさとウロコの魅力のあまりこれは夢ではないかと思えてくる。
「え、えっと、ウロコの特徴は……掌くらいの大きさで濃い青色のフチで水色に透き通った本体……」
池の周りをクルクル回りながらウロコを探す。日の光りが反射して水底が見えない。
池自体は浅かったので、ファイセルは手を突っ込んで慎重に底をあさった。
すると土や泥や木とは明らかに感触の違うツルツルとしたものに触れた。
「これだッ!!」
ファイセルは水底からそのツルツルしたものを取り上げた。
大きさは手のひらくらいで青い縁取りの水色のウロコ。まるで装飾用の煌びやかな盾のようだ。
日にかざすと水色の部分が薄い魚のそれのように透けて虹色に反射する。
観察しながら触ってみると柔軟性があり、反ったりひねったり変形できる。それにもかかわらずかなり頑丈だ。
予想外の出来事に感動のあまり声がでない。
水中から取り上げてからしばらく無言で”アクアマリーネ”を見つめていた。
金銭的に大儲けものをしたという認識はあった。
だが、金勘定以前にこのトレジャーに遭遇することの出来た感動の方が上回っていた。
どのくらい見つめていただろうか、割と長い時間、その美しさに見とれていた気がする。
「おまたせしました!」
リーネの声でふと我に返る。ビンの中身はいつの間にか再びアクアマリン色の水で満たされていた。
「あ、ああ。戻ったんだね。ほら、これが海竜のウロコだよ」
リーネもファイセルと同じく目を輝かせてウロコを見つめた。
「これが海竜さんのウロコですかぁ~。そ、それはそうとちょっと大変な事に……」
リーネが嬉しいような、困惑しているような複雑な表情で語りだした。
ファイセルはウロコを大事にカバンにしまい、リーネの方を向いた。
「あのですね、なんと海龍さん……じゃなくて海龍様は幻魔界では滅多に会えないような滅茶苦茶エラいお方でした。我々水属性の幻魔の中では知らない者はいないくらいです!」
リーネは興奮気味に続けた。
「で、そのお方の潮である池の水を持ち帰ったらお母様も姉様方も他の水属性の皆さんからも大変高評価をいただいてですね。私の格付けが一気に上がったそうです。私は大したことしたわけではないのでなんだかフクザツなんですが、姉妹の中で一番、位が高くなってしまいました……」
どうも幻魔の社会には厳しい格差があるらしい。
多くマナを蓄えている者や人間界での活動実績が多いものほど地位や権力を持ち、低級な者には発言権さえ与えられない。
そのため権利や地位を欲して人間界に現れる幻魔も多いと聞く。
サモナーの使う魔法はマナの契約において、幻魔と人間との利害関係を一致させる。
自分のマナを対価として幻魔界から人間界に幻魔を呼び寄せる術法だ。
マナを欲している幻魔にと手はうってつけと言える。
「それに、良い事があってですね。もしかしたら海龍様の派閥の後押しでお母様をリーダーとした新派閥が生まれるするかもしれません!!」
授業で幻魔には派閥も存在するらしいという事を聞いたのをファイセルは思いだした。
格差社会に派閥、そして他者からの厳しい評価。
さらには激しい属性同士の対立、差別。幻魔界には窮屈で厳格な印象を抱かざるを得ない。
もっとも、人間社会も似たような現状ではあるのだが。
それより気になるのは「お母様」だ。リーネに母親が存在するとは初耳だった。
「リーネにはお母さんがいるのかい?」
「え? あ、ああ、はい。一応。ポカプエル湖に住んでますよ」
今までファイセルは母様とやらを見たことがなかった。
もしかして、サモナーの適性が無ければ見る事も感じる事も出来ないのかもしれない。
少年は幻魔の母と聞いて興味が湧き、次に帰った時に師匠に聞いてみようと思った。
ぼんやり考えているとリーネが悲鳴に近い声を上げた。驚いてビンの方を見つめる。
「うわ~、そんなに食べられないですよ~!! それにもう飲めませんって~!!」
いきなりビンの中のリーネが膨れて容器の外まではみ出してきた。幻魔界で何か起こっているらしい。
「そんなに貢物とかおさけとかいらないですから! あ、あ~大勢の方が来すぎですぅ~!! ちょっと押さないで押さないで!! 並んで並んで!!」
リーネはそのまま膨れ続け丸々と太り、ビンの倍くらいの大きさになってしまった。
破裂寸前と言ったところだ。ファイセルは慌てたが、何か打てる手があるわけでもなく、見守るしかなかった。
「ぽひゅ~~~」
空気が抜けるようにしてリーネが元の大きさに戻っていく。混乱が収束していくようだ。
どうやら大きな富を儲けたのはファイセルだけではなかったようだ。
「大丈夫? まだ旅が始まったばかりだけど、問題なく水質チェックできそう?」
ビンを覗き込んで尋ねる。
「はい……まだ少し手にした大量のマナに混乱気味ですが、水質チェックは出来ます。周りの方々はなんで水質チェックなんて地味でおきゅーりょ~の少なそうな事やってんだってつっついてきますが……」
ファイセルは安心したようにうなづき、ビンのフタを閉めて腰にビンをかけた。
「よーし! 地図を見るに隣街のカルツまでは水源が無いね。カルツは人通りや物流が多いんだ。だから、この高額なウロコを高値で売れると思うんだよね。これ以上、南下するとこんな高い物買う人がいなくなっちゃうし」
ファイセルは服に付いた葉っぱをはらいながら、森から抜けて街道に戻りつつそう話した。
最寄りの町、「カルツ」を目指してファイセル達は歩みを進めた。