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楽土創世のグリモア  作者: しらたぬき
Chapter2:Bloody tears & Rising smile
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貴女の生きる理由 私の生きる理由

 その日の夜中、レイシーはベッドの上で何者かに首をしめられているのを感じ、息苦しさに目を覚ました。目を見開き首を絞めている相手を確認すると、彼女は戦慄した。


 そう、またアーヴェンジェが襲撃をかけて来たのだ。両腕で思いっきり首を絞められている状況には昨日の出来事が夢であることを否定するような連続性があった。抵抗しようともがこうとするが、体が全く動かない。


「ヒィーッッヒッヒッヒ!! お前がどこに逃げたって逃すもんかい!! アタシャ死して初めて”不死”を得たんだよォ!! 死んだけれども死んでいないのサ!! お前みたいに小便臭いガキにこの快感がわかるかい!? 生にしがみつくってのはみっともない事だってこうなってみて初めて分かったんだよォ!! これもクレイントス様のおかげさね!!」


 まただ。泥の魔女は壊れた蓄音機のように同じ言葉を繰り返している。隣に寝ているサユキに助けを求めようとレイシーは首を横に向けた。


 そこには血の気の引いた真っ青な肌の色をして口から大量に吐血し、絶命している彼女の姿があった。まただ、まただ、まただ。息はつまりどんどん意識が遠のいていく。


「苦しいのは死ぬ瞬間だけさね!! 不死ってのはいいモンだよォ!! アンタもクレイントス様の素体として不死を得ることが出来るんだから幸せもんだねェ!! ホンネを言えば私ゃ、アンタが憎くて憎くてたまらなくてねェ!! ミンチにでもしてやりたいところなんだが、クレイントス様がおっしゃるんならしょうがない。場合によっちゃ私の妹分にしてやっても構わないヨ? ただし、土下座してアタシの靴を綺麗に、綺麗に、綺麗に舐めたらだけどねェ!!」


 苦しい。そろそろ限界だ。意識が遠のいていく。こんなところで死ぬのだろうか。いや、死ぬことさえ許されず、アーヴェンジェのように醜い死の傀儡として飼われ続けるのだろうか。


 いつの間にかゆらりとクレイントスが顔をのぞかせた。アーヴェンジェの背後から首を絞められているレイシーを観察していた。


「あぁ……素晴らしいですねぇ。アーヴェンジェ、質の高い素体なのですからくれぐれも丁重に扱ってくださいよ。あなたとは比べ物にならないくらい純粋な器なのですからね」


 もはやこれまでと思った瞬間、誰かが寝室の扉を勢い良く開けた。廊下から灯りが差し込んで、扉を開けた人物がランタンを灯した。逆光のために眩しくて顔を確認することが出来なかったが、ランタンを付けた直後にアーヴェンジェとクレイントスが急に苦しみ始めた。


「ぎいいいぃぃィィィやあああああああアァァァァーーーーーーーーーッッッ!!」


 特にアーヴェンジェの苦しむ様は尋常でなかった。すぐにレイシーの首を絞めていた腕を離し、自身の胸を狂ったように掻きむしった。


 レイシーは首絞めから開放され、思いっきり深呼吸をした。そうしているうちにもアーヴェンジェは叫びながらもがいていた。彼女が引っ掻くたびに、その体はバラバラと崩壊していき、肉片があちこちに散った。


 そして彼女を構成していた肉塊はあるべき姿である悪臭を放つ腐肉へと戻った。覆いかぶられていたため、ボトボトと腐った肉の塊がレイシーの服を汚した。


 クレイントスもたまらないとばかりにローブの布で光を遮るようにランタンの光から頭を守った。ランタンの光がローブに当たると彼から白い煙が上がり始めた。これほどクレイントスが狼狽するのは初めてだ。なにやら焦った様子でぶつぶつとつぶやいている。


「次元干渉だと!? 馬鹿な!! ……ほぉ、つまりそういう……フン。小癪な……」


 クレイントスは意味深なつぶやきを残して跡形もなく掻き消えた。トドメを刺したようには見えなかったため、おそらく逃げたのだろう。


 2人を撃退したのを確認するとランタンを持った人物が徐々にベッドへ近づいてきた。レイシーが半身を起こすとランタンに照らされて相手の顔が見えた。


「クラリア……クラリアなの?」


 気づくと2人は草原の真ん中に居た。一面に広がる草原で、なだらかな丘が遠くに見える。真っ青な空にはゆったりと雲が流れ、日光が気持ちよく降り注いでいる。


 そよ風は優しく肌を撫で、ランサージュの花がそここにそよいでいた。蝶が花のまわりで楽しげに戯れている。思わずうとうとしそうなのどかな風景だ。


 急な日光に思わずレイシーは腕をかざして光を遮った。段々目が慣れてくるとハッっと思い返したように彼女は自分の胸元を見た。


 強い嫌悪感を感じていたアーヴェンジェだったモノが無くなっていて、服が綺麗になっているのに気づいた。マルム綿で編まれた高級品の寝間着のワンピースの裾が白く、美しく風になびいていた。


 ランタンの持ち主はやはりクラリアだった。クラリアはレイシーに優しく微笑みかけるとランタンの火を消し、立ったまま遥か遠くを見つめた。そよ風が彼女の髪と彼女の白いワンピースをなびかせた。


 彼女にこんな能力があったとは予想もつかなかった。イクゾーシス(除霊術)の類だろうか。レイシーは立ったまま黙っているクラリアを不思議に思って声をかけた。


「……クラリー、座らないの?」


 彼女はにこやかな表情のまま首を横に振った。そしてしばらく眩しげに空を仰ぐいだ後、空を見つめたままレイシーに向かって質問を投げかけた。


「レイシーちゃん、人は何のために生きるのかな?」


 彼女の柄に合わない大人びた問いにレイシーは困惑した。無垢な子供が抱く疑問にも思えるが、ともするとかなり哲学的な問いとも捉えられる。


 クラリアの様子からして彼女が期待されているのは後者の答えだろう。レイシーはそんな事を考えたことさえ無かったので、回答に困った。


「あっ、今、なんだか難しい事を考えたでしょう? もっと、もっと気楽に。貴女が思う“生きる理由”が聞きたいな……」

「私は……私は立派な武士になって、ウルラディール家の名に恥じぬ当主として誇りを持って……そしてお父様の意思を継ぐために生きているわ……」


 それを聞いたクラリアは苦笑いを浮かべて振り返った。彼女はまさに予想通りの回答をしてきたなと言わんばかりだった。そして満面の笑みを浮かべてレイシーの鼻の先っぽをいじわるげに指先でつついた。


 鼻をつつかれたレイシーは予想外の反応に思わず目をパチクリとさせた。生まれてこの方、鼻先をつつかれた事など無かったからだ。


「レイシーちゃんならそう言うと思った。カタブツだものね。それもとってもステキなことだと思うよ。でもね、それは本当に”貴女自身の決めた、貴女の生きる理由”なの?」


 そう問われるとレイシーはまた黙りこくってしまった。まるでこの問答が自分をおちょくるために用意されたものであるような気分がして顔をクラリアから背け、不貞腐れたような態度をとった。


 だが、そうやって聞くからにはクラリアには何か誇れるような”生きる理由”があるのではないかと疑問に思い、レイシーはすぐに機嫌を直して彼女に聞き返した。


「そういうクラリーは、生きる理由がはっきりしていて? 私に聞いておいて、そうやっておちょくるからにはさぞかしご立派な理由をお持ちなんでしょうね?」


 レイシーの嫌味を織り交ぜた質問に反応してクラリアは素直に深く頭を下げた。今までのレイシーならばこの程度の詫びでは焼け石に水で怒りが収まらなかっただろう。


 だが今の彼女はこの反応を見て思わず「水臭いからやめてほしい」と感じた。クラリア相手だからそう感じたのだろうか。


「いいの。クラリー。私、気にしていないから」


そう声をかけるとクラリアは静かに顔を上げて語りだした。


「馬鹿にするつもりなんてないの。実のところ、私はレイシーちゃんみたいに立派な生きる理由なんて無いんだ。だからそういういうの、すっごく羨ましくて。でもね、一応私にも、あるんだ。”生きる理由”が」


 レイシーは興味ありげに半身を完全に起こして膝に手を置き、やや前傾姿勢になってクラリアの方を見つめた。


 期待の眼差しを感じたクラリアは恥ずかしげな素振りを見せて、思わず視線をそらすように手を後ろに組んでレイシーに向けて背を向けた。そのまま青空をまた仰いでつぶやくように言った。


「私は、みんなと”忘れられない思い出”を作るために生きてるんだ。どう? なんの変哲もない面白くない理由でしょ? でもね、私にはとっても、とっても大切なんだよ」


 それを聞いたレイシーはまたもや難しい顔で考え込んだ。だがそうやってまた考えこむと”自分の生きる理由”から遠ざかってしまうと思い、直感に任せてあれこれと思いを巡らせた。


 忘れられない思い出……それは自分にも無いわけではない。彼女の脳裏にサユキ、パルフィー、そしてアレンダ達の笑顔がよぎった。数日間だったが彼女たちと過ごし、そして戦い抜いたこの旅のことを自分が一生忘れることはないだろうとレイシーは思った。


「……それは……クラリーの生きる理由は自分自身で考えたことだし、とても素敵な事だと思う。……それに比べて私がさっき言った”生きる理由”は……」


 そこまで聞くとクラリアは寝間着の裾をひらりとなびかせながら急に振り向いて人差し指を立てた。そして自分の唇にあてがって歯を見せ「沈黙」のジェスチャーをした。


 すぐにリラックスした姿勢に戻った彼女は向日葵のような明るい笑顔を見せてレイシーに語りかけた。


「人それぞれの”生きる意味に”優劣”や”善悪”なんて無いの。だから、貴女の信じる理由、それが全て。別に急がなくていいんだよ。それに、同じ人でも”その人の生きる理由”は刻々と変わっていくし、答えなんて無いんだから。あ、答えがない問答は非生産的だなんて言わないでね! このやりとりも私の、かけがえのない”忘れられない思い出”なんだから!!」


 レイシーは難しいテーマに俯きがちだったが、最後にそう彼女がまとめたのを聞いて、なんだかとても救われた気持ちになった。


 そしてなんだか彼女の抱える心の重荷のようなものが降りていく感覚もあった。気づくとレイシーはクラリアに向けて今までにないくらい自然な笑顔を返していた。


「そうそう!! やっぱりレイシーちゃんは笑った方が可愛いと思うんだ!! もし、”貴女の生きる理由”、見つかったら私に教えてよ。そしたらまた教えてよ!!」


「……様……。シーお嬢様……。レイシーお嬢様」


 その声に反応して目を開けるとサユキがレイシーの肩に手をかけてやさしくゆすっていた。純白のカーテンに陽光が透け、小鳥が朝を告げるようにさえずっていた。どうやら長い夢を見ていたらしい。半身をベッドから起こした。


「ご起床なされましたか。昨晩は熟睡なされていたようで何よりです。それに、とても安らかな寝顔をなされていましたよ。目の下もクマもすっかり消えてしますし」


 昨日までならば「死んだはずのサユキが!!」と彼女をはねのけかねないところだったが、今朝はとても気分が落ち着いていた。サユキの指摘を受けて目の下を指でなぞった後、はにかんでサユキに苦笑いを見せた。


 普段、レイシーの見せない表情にサユキは一瞬固まったが、すぐに優しく笑顔を返して着替えの準備を促した。心なしか、彼女の寝間着からは太陽の香りと草原のような青臭い匂いがした。


 その日以降、彼女の元にアーヴェンジェが現れることはなくなった。


ウルラディール家一行は回復したランカースと当主のジーベス、そしてクラリアに見送られていた。レイシーは昨晩の出来事は夢ではなく、もしかして実際にあったことなのではないかと少し思った。


 だが、有り得ない出来事の連続だったために、やはり夢だろうと思い直してクラリアに夢の話をすることはなかった。そう、きっと恐ろしいほどリアリティのある夢だったのだと彼女は自分に言い聞かせた。ボーっと考えているとランカースが前に出てきた。


「やぁ、昨日はこっぴどくやられてしまいましたね。だけど本気でやられていたら今頃、未だにベッドの上だったかと。情けないのですがこれが私達の実力です。今回の親善試合はとてもいい経験になりました。我家も負けてはいられませんからね。一丸になって精進する事にしますよ」


 ランカースはそう言ってからウルラディール家の面々に感謝のお辞儀をした。顔を上げて少しすると何やら思いついたようで、少し視線を泳がせたあと、レイシーの方を見て今後の予定について尋ねてきた。


「ところでレイシェルハウトお嬢様は年末の裏鼠閣下の月の東西模擬合戦には出られるのでしょう? きっとそれが貴女の公式戦デビューの場になるはずです。いや、本当に我家は親善試合を貴女達と組んでおいてよかった。合戦でぶつかり合ったら目も当てられない結果になっていたでしょう。貴女方の実力は確かなものだと私は思います。きっと合戦でも活躍間違いなしでしょう。お嬢様、そして皆さんのご健闘をお祈りしていますよ」


 ランカースはこちらの4人と握手しあって互いの健闘を祈った。クラリアもそれに続いて家の元達と握手していった。最後に額いっぱいの汗を拭ってからレイシーの両手を取り、胸の高さまで上げた。


「次はいつ会えるかわからないけれど、寂しくはないよ! だって、今の私の中には確かにレイシーちゃんが”生きている”から。もし、もしも、レイシーちゃんも同じように私のことを思ってくれれば離れ離れになることなんて怖くない。そうでしょ? たとえどこに行っても、どれだけ離れても……だから、そんな寂しげ顔はしないでよ」


 レイシーはクラリアから指摘されて初めて自分が悲しげな表情をしていることに気づいた。全く意識していなかったが、彼女は徐々に自然な感情表現が出来るようになり始めていた。


 今までは威張るか怒るかのどちらかといっていいほど歪な性格をしていたが、今はしっかり喜怒哀楽を感じ取ることが出来る。相手の気持ちを汲むということも少しずつ理解し始めていた。逆に寂しげな顔をしているクラリアにレイシーは声をかけ返した。


「そうね。二度と会えないわけじゃないのだし、そんなに悲しい顔をするのはおかしいわね。ええ、私もどれだけ離れていても貴女が傍に居てくれる気がするの。だから、クラリー、笑ってお別れしましょう!! さよならはいわないから!!」


レイシーはにっこりと笑いながらクラリアが握っていた手を握り返した。クラリアもそれに笑みを返して2人で軽く手をゆすった。その仲睦まじい様子に両家の者達の顔はほころんだ。


 だが別れの場だからだろうか、どこか淋しげな表情を浮かべるものも居た。名残惜しげに2人は手を離して、両家の別れの挨拶は終わった。


 レイシー達は足早にバウンズ家のあるティライザを発ち、ダッザニアを経由してウォルテナへと帰っていった。帰りの馬車の中でレイシーはクラリアからもらった連絡先の紙を大事そうに懐のポケットへと入れた。行きの困難がまるで嘘のように、帰り道はあっさりと屋敷まで帰り着くことが出来た。


 屋敷の門にピリエー馬車が着き、敷地内へと入って行った。心なしか迎えに出ている武士や使用人の数は少なかった。帰る日時の連絡もしていないし、おそらく各々の用事で忙しいからだろうとレイシー達はあまり気にはかけなかった。


 そのまま4人は当主の間に向かい、父のラルディンに4人全員無事である姿を見せ、今回の旅の報告をしたのだった。それを聞いたラルディンは終始険しい表情をしていたものの、満足気に頷いた。

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