新世界に祝福されていない
リジャントブイルの校長は激務に追われていた。
主に申請書類のチェックが多く、地道に指でマギ・スタンプを押していた。
「なんでこんなにアナログなんだ!! 学内に魔術システムがあるんだからいちいち書類提出制にしなくてもいいでしょ!!!」
それをリーリンカがサポートしていた。
「校長の仕事はそういう形式ぶったもんだろ。ほれ、ノットラント外交官からの書簡だ。これはしっかり読んで、返事を返さないとだぞ」
ファイセルは机に突っ伏した。
結局、サプレ夫妻は密かに校長室に住んでいる。
前アルクランツ校長もきっとこうしていたのだろう。
ただ、彼女のコレクション部屋では狭すぎた。
そのため、そことは別に2人暮らし用の部屋を寮と同じシステムでコピーしていた。
この世界にも慣れつつあって、そろそろ子供が欲しいななどとは薄々、思っている。
夫には肉体が無いが、制服が帯びるマナからエッセンスを抽出すれば子を授かるのは難しくなかった。
だが忙殺されて育児どころでは無い。
それに今はまだ仕事に専念したい。2人とも校長家業にやりがいを感じていた。
「えーっと、次は面会? フライトクラブ顧問の依頼で大会の壮行会のスピーチ打ち合わせ……。えっ!? もう壮行会!? リリィ、あと何日!?」
妻はあきれたようにつぶやいた。
「2日後だ。だいたいな、受けたのお前だろ。責任が持てない仕事は受けるなとあれほど……」
それでも頼まれると断れない。良くも悪くもファイセルらしい仕事っぷりだった。
そんな中、予定が自動的に書かれるボードに新たな文字が刻まれた。
「あー、もー!!! さばききれな……ん!?」
思わず彼はボードを二度見した。
"面会申請 アーシェリー・クレメンツ、シャルノワーレ(以下略)……分類、その他"
ファイセルとリーリンカは立ち上がった。
「アシェリィとノワレさんか!!! こちらに向かってるのは知っていたけど、この状態ではこちらからは行けなかったから」
妻の表情が険しくなった。
「しかし、記憶が残っているとも限らん。もしかすると改変されたナニかが来る可能性もある。気を抜くなよ」
彼女はボードの順を入れ換えてアシェリィ達を先に通した。
しばらくしてノックの後に校長室の扉が開いた。
アシェリィ、ノワレ、ファイセル、リーリンカがここに再会した。
4人に緊張が走る。互いに記憶が改変されている可能性があると思ったからだ。
ファイセルは気を効かせて少女らに尋ねた。
「どう? 新しい世界には慣れた? 僕らはようやくってところ。どうやら周りの人達は前の事を覚えてないみたいだね。その代わりに創世で塗り替えられて、改変された記憶を持ってる。知らないはずの事を知っていたり、関係性が変わったりしてないかい?」
もし、アシェリィとシャルノワーレの記憶が改変されているなら「新しい世界とは何か?」と聞き返してくるはずだ。
そう彼は踏んで問いかけてみた。
彼女らの顔を見ると目が潤んでいるのがみてとれる。
「ファイセル先輩は……ファイセル先輩は、本当に私たちの事、わかるんですか……?」
アシェリィは声をつまらせて質問に質問を返した。
「アルマ村のアシェリィに、学院で彼女と同じクラスのノワレさん。それに、レイシェルハウトさんを加えた4人で一緒に寄生者を倒した。そして僕で創世を叶えたじゃないか。忘れるわけがないよ。まぁ、色々大変なことになったけど……」
彼の発言には前の世界との矛盾点がなかった。
なにより、誰よりもファイセルはファイセルらしかった。
アシェリィとシャルノワーレは校長たちに駆け寄った。
たどり着いた旅人達は泣きじゃくらずにはいられなかった。
それをリリィが受け止めた。彼女も涙を隠せなかった。
「はは。でかい子供だな。私たちだって不安だったんだぞ。お前らと同じようにな……」
ファイセルはにっこり笑って頷いていた。
その場が落ち着くと4人は情報交換をしあった。
先に新世界に馴染んだ校長たちから色々な話を聞くことができた。
「そういえば、ラーシェ先輩とジュリス先輩は? ここには居ないんですか?」
そうアシェリィが聞くと校長たちは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ま、まさか……」
ノワレは口を手で隠した。
そしてファイセルは重い口を開いた。
「ラーシェは元気でやってるよ。だけど、ジュリス先輩にかかった封印呪文は恐ろしく強いものだったんだ。今は介護施設で暮らしているよ。会いには……いかないほうがいい」
更に彼は念を押した。
「クラスメイトにも会わない方がいい。死んじゃった人の存在はこっちでは完全に消滅してるんだ。つまり、最初から居なかったことになってる。たとえ親友でさえ残酷なまでに覚えていないんだよ。それって相当、辛いことだよ。前の世界の話をすれば変な顔をされたり、からかわれたりする。それでも会うつもりがあるなら覚悟を決めた方がいいよ……」
ファイセルたちは伏し目がちになった。
よっぽど痛い目にあったのだろう。
それでもアシェリィ達はクラスの様子が気にかかっていた。
ここまで来て誰からも無かったことにされては死んでしまった人達も浮かばれないだろう。
そう腹をくくった2人はしばしファイセル達に別れを告げてナッガンクラスを目指した。
だが、元あった部屋には別の名札がささっていた。
それを見てアシェリィは内蔵が飛び出るほど驚いた。
「ウィ、ウィナシュ師匠が担任!?」
思わず彼女は教室のドアを開けた。
授業中だったらしく、クラス中の視線が刺さった。
「おい、どうしたアシェにノワレ。休暇とってもいいが、申請書くらいは出せ。たまげるだろ」
人魚の教授はそう言うと席に座るように2人に促した。
授業の内容は全く頭に入って来なかった。
それが終わると誰かが声をかけてきた。
「おい、アシェ。おい、アシェ」
聞きなれた声だ。声の主のほうを見るとそこにはモグラ亜人の少女がいた。
「キュワァ!? なんでこんなところに!?」
亜人は目をパチクリさせた。
「なんでって、クラスメイト。アシェ、キュワァとクラスメイト」
またもや世界が改変されていた。
「きょうもみんなでつりする。のわれはへたっぴだからおしえてやる」
ノワレは初対面なのに友人のような扱いを受けた。
もはやそれにも慣れて受け流した。
するとウィナシュ教授がやってきた。
彼女も腕利きではあったが、一介のリジャスターだったはずだ。
弟子は思いきってマーメイドに尋ねた。
「あのぉ……ナッガン先生はどうしてますか?」
教授はキョトンとした。
「ナッガン? 誰だいそいつは。そんな教授はリストに載ってないぞ」
そう来るとは予想していたが、現実となると堪えきれないものがあった。
周りを見渡すとクラティス、ジオ、キーモ、ガン、リーチェ、ファーリス、それにキュワァとラヴィーゼが加わっていた。
元のメンバーは5人しか残っていなかった。生きているものもいるが、クラスに残ったのはこれだけしか居ない。
田吾作の死によって廃人になったと聞いていたファーリスが復帰している。
それを嬉しく思ってノワレは声をかけた。
「ファーリス!! 元気でして? わたくし、心配していましたのよ?」
すると彼女は怪訝な顔をした。
「心配? どうした。私はいたって元気だぞ? 心配されるような覚えは何もないが……」
シャルノワーレは首を左右に振りながら後ずさった。
よく考えれば田吾作の存在自体が消えたことによってファーリスは精神を病まなかったことになっているのだ。
恋人にも関わらず、全く覚えていない。
こちらのほうが幸せなのかもしれないが、アシェリィもシャルノワーレも激しいショックを受けた。
ファイセルが皆に会わない方がいいと言ったのはまさにこういったことだった。
覚悟はしていた。していたが、想像以上に精神的なダメージは大きかった。
この出来事によって、すっかり2人は疑心暗鬼になってしまった。
慣れ親しんだ人でも、それはどこかが違う別人なのだと。
そう思うともうクラスには戻れないと強く感じるようになってしまった。
上手くやっていくには新世界の人物を演じねばならないわけだし。
ここがパラレルワールドであることを確信させられる出来事でもあった。
2人は早々とクラスを抜けて校長室に戻った。
彼女らはあきらかにげんなりしていた。
「行ってきたんだね? これが答えだよ……。こうなってしまうともう戻れないよね。今は休んで考えをまとめるのがいいと思う」
あれだけ恋しく思えた七色の学院が今は灰色で、歪んで見えた。
変われる勇気を望んだ少女は肩を震わせた。
「結局、変わることを恐れない勇気ってなんだったんですかね……。変わってしまうことがこんなに怖いなんて。そんな勇気なんてない。願いが叶ってないじゃないですか!!!」
シャルノワーレも首をひねった。
「私も隣人愛を望みましたが、いままでの旅で盗人や詐欺、非合法の奴隷などは無くなっていませんでしたわ。融和や知恵ほど影響を感じないというのが正直な……あっ!!!」
ノワレは黙りこんだ。
校長は重苦しい空気をやぶって話を進めた。
「これは推測なんだけど、君たちは1度死んでる。だから願いが叶わなかったのかもしれない」
アシェリィ達は愕然とした。
自分達は新世界に祝福されていない。
心のどこかでは思っていたが人から言及されるとなると、それが決め手になった。
「待って。今、ノットラントから書簡があってね。初代大統領……レイシェルハウトさんが1週間後に表敬訪問してくださるそうなんだ。きっと僕らに会いに来る気だね。彼女に会ってから答えを出しても遅くはない。そう思わないかい?」
ファイセルはミナレートのホテルを手配してくれた。
取り残された2人はしばらく悄気ていて、ろくすぽ会話をかわせなかった。
だが、レイシェルハウトがやってるくる日が近づくと一抹の希望を抱き始めていた。




