楽園の向こうから来た少女
レイシェルハウトは1人、霧に包まれていた。
「どこだッ!? どこだ!!! 出てこい!! 姿を現せ!!!!!!」
彼女は視界の悪い中、冷静さを欠いていた。
敵が未知の存在であるからして仕方ないことだった。
「どこに隠れている!? 臆したか!! お前を見逃すわけにはいかないんだ!!! 再起不能にしてやる!!!!!!」
レイシェルハウトはヴァッセの宝剣とクリスタル付きのショートワンドを振り回していた。
「くっ!! 出てこい!!! 聞こえてるんでしょ!? 出てきなさいよーーーッッッ!!!!」
その時だった。霧の向こうに人影が見えた。
その影は小さく、子供のようだった。
「……ちゃん。………シーちゃん………」
それは絶対に忘れられない声だった。
「その声……まさか、クラリア!? クラリアなの!?」
クラリアと呼ばれた少女は霧を抜けてこちらに近づいてきた。
レイシェルハウトは身構えた。
確かにクラリアは水解症……体が水に解ける病気で死んだはずだ。
今になってこうして現れるということは不死者の可能性が高い。
戸惑う少女は剣とワンドで戦闘態勢を崩さなかった。
「レイシーちゃん。ひどいよ。私だよ? 幻でも、不死者でもない、生身の私なんだよ?」
視界が一気に広がって天高くの光景に戻った。
澄みきったその風景に思わず爽快感を覚える。
そこには間違いなく本物のクラリアがいた。
彼女は走ってきてレイシェルハウトに抱きついた。
しっかりとした実感もあるし、暖かい人間の肌や、息づかいがあった。
不死者でも、死骸粘土でもない。
「ううう………また、こうやってちゃんとした体で、レイシーちゃんと会えるとは思わなかったよ……。水に溶けちゃうのは苦しいし、なにより、悲しかったから……」
彼女は唖然とする親友の肩越しにすすり泣いた。
レイシェルハウトは彼女の肩を掴んで体から引き離し、再度確認した。
「く、クラリア。あ、あなたが生きているのは間違いないと思うの。でも……なぜ? どうやって………」
その問いに死んだはずの少女は笑って見せた。
「私はね、"楽園の向こう"から来たんだよ」
思わずレイシェルハウトは首をかしげた。
「楽園の………向こう?」
軽やかな足取りでクラリアはくるりと回った。
「そ。楽園の向こう。もし、今のまま賢人会で楽園が創られた場合、私はね、死ななくて済むんだ。だってそれが貴女の望む楽園だから」
ただ、それは今まで見聞きした魔術書の性質とは異なっていた。
「でも、でも!! 楽土創世のグリモアで死者が蘇ることはないって聞いたわ!!!!!」
再びクラリアが歩みよってくる。
そして彼女は暖かい手で、レイシェルハウトの手を握った。
「ね? ウソじゃないでしょ? 実はね、貴女が大事にしてくれていたペンダントのおかげなんだよ」
無言のままレイシェルハウトは胸元に隠したペンダントを指でなぞった。
「レイシーちゃんが大切に大切にしていてくれたから、それに魂が宿ったんだよ。ペンダントに入れられた私の身体の一部と貴女のマナが共鳴してね。だから私は蘇れたんだ。いいえ、もともと完全には死んでいなかったの。だから、レイシーちゃん。もう楽になってもいいんだよ。辛いこともたくさんあったでしょ? これからは私も一緒だから………」
レイシェルハウトは涙をこらえられなかった。
両腕でクラリアを抱き締めるとその場で号泣し始めた。
「うああああああああッッッ!!!!」
手から離れた剣と杖は透明な地面に落ちた。
「ちょっと……レイシーちゃん……くっ、苦しいよ………」
あまりに強くしたからか、楽園の向こうから来た少女は窮屈そうにした。
生きているからこそ、こういう反応が返ってくるのだという実感に包まれる。
「あ………ごめん。私ったらつい……」
顔をグシャグシャにしたレイシーは思わず顔を拭った。
「で、でも……楽園の向こうにいくにはどうすればいいの?」
楽園の"こちら側"から"先の"者への問いかけだった。
「なんだ。そんなの簡単だよ。楽土創世のグリモアに自分の楽園を願うだけだよ。大丈夫。他の人たちの楽園も分配して叶えられるからね」
ここに来て現世の少女は違和感を感じた。
「でも……賢人会を開いたら、それは楽土創世のグリモアの思い通り、次の世界大戦の下地になって……。また大勢の人が苦しむことにならないの? 」
それ対してひどく刹那的な返事が返って来た。
「別にいいじゃない。大戦っていっても数百年おきでしょ? そんなの、私たちが生きている間には起きないよ。そんな先のことを考えるよりも、目の前のささやかな幸せを噛み締めようよ。もうこんなチャンス、二度とないんだよ?」
思わずレイシェルハウトは俯いた。
「でも……でも!!」
再び"楽園の少女"は困惑する少女に優しくハグした。
「ねぇ、どうして? どうしてそんなに辛い道を選ぶの? 身体を楽にしすればいいだけなんだよ? これ以上、苦しい思いも痛い思いをしなくてもいいんだよ? 何をそんなに悩んでいるの? どうして、どうしてそんなに傷ついても耐えられるの?」
酷く悲しげな顔をしてクラリアは質問を繰り返した。
今までなぜ、ここまで戦ってきたか、レイシェルハウトにはわからなくなっていた。
「みんな貴女みたいに強い訳じゃないんだよ。わたしだってそう。レイシーちゃんみたいに運命に立ち向かうことはできないんだよ。そういう人たちはグリモアにすがるしかないんだ。自分に火の粉がかからないようにって願いながらね………」
話を聞くにつれ、武家であるウルラディール家の当主は今までが馬鹿馬鹿しくなっていた。
「結局そう。クラリアがせっかく家の呪縛から解き放ってくれようとしたのに、私は頭が固くて……。結局は家の為に生きて、そのためだけに戦ってきたわ。数えきれないほど殺しもした。あの魔術書のこと、否定できないわ。私も同じように生き血をすすって糧としてきたのだから………」
それを聞いた"向こう"の親友は首を横に振った。
「ううん。レイシーちゃん。今ならまだ間に合うんだよ。今までの辛いこともリセットされるんだよ。大丈夫。記憶はなくならないから。仲間の人たちのことを忘れちゃう訳じゃない。だからそんなに怖がらないで。そこに待っているのは楽園なんだから……」
"こちら側"の少女は"その先" に思いを馳せた。
血なまぐさい戦いの思春期は無かったことになり、平和で楽しい青春が送れる。
死んでしまった父に関しては申し訳ないが、サユキやパルフィーと和やかに過ごせる。
襲ってくる刺客や二つ名持ちもいない。
そんな中、ウルラディール家にクラリアが遊びに来る。
ノットラントの東や西は一体となり、互いの交流に蟠りが、なくなった。
レイシェルハウトはそんな楽園を願った。
「そう。そうだよレイシーちゃん。それで貴方の望む楽園になるよ……」
駆け寄ってくる"こちら側"の少女を"向こうの"少女は抱き止めた。
次の瞬間だった。
「ザクッ!!!」
何かが刺さる音がした。その直後の激痛がレイシェルハウトを襲う。
「ぐっ……コホッ…こっ…これは……? く、クラリア?」
クラリアはヴァッセの宝剣を拾い上げて、レイシェルハウトの腹部を深く刺したのだ。
「バーーーカ!!! 俺だよ!!!! 楽土創世のグリモアだよ!!!!!!」
人に化けたモノは剣を引き抜くとレイシェルハウトを思い切り蹴飛ばした。
キックされた彼女は叩きつけられて見えないはずの地面を擦って転げた。
人型は手に持った剣を眺めた。
「ふーん。これがノナネークが落っことした魔剣ジャルムガウディか。アイツ、最近見ねぇな。おおかた悪魔議会でこの星から手を引くことを決めたんだな。 全くチキンなヤツらだぜ」
グリモアは紫色の胎児の姿をした悪魔を思い浮かべた。
少女を装ったモノは下卑た笑い声をあげた。
「ゲヒャヒャヒャヒャ!!! おいおい 俺じゃ、死人は生きかえらないって教わンなかったのかよ!!!!! どう考えてもクラリアは死んでるだろ。それにな、心優しいアイツがそんなムセキニンで、争いを見て見ぬふりをすると思うか!? それはお前が一番知ってるんじゃねーのかよ!? あの世でクラリアが泣いてるぜ!! なぁ!? おい!! 聞いてんのかよ!!!!!!」
グリモアはレイシェルハウトの横っ腹の傷口を蹴り飛ばして抉った。
「ああっ!!! ぐうううううッッッ!!!!」
レイシェルハウトは親友の姿をしたモノに攻撃されるのが苦しくて悲しかった。
いくらそれが本物で無いと頭ではわかっては居ても、切り離すことができない。
「レイシーちゃん。どうして私と一緒に来てくれないの? 目の前の幸せを掴まずに未来に行けると思う? 私は……とてもそうは思えないんだよ……」
わかっている。わかってはいるが、レイシェルハウトはクラリアに刃を向けることが出来なかった。
クラリアは下衆に笑った。
「ギャハハハ!!! なーんつってな。 こりゃ傑作だぜ!!! 百歩譲って俺がニセモノかどうか見分けられないのは仕方ねぇよ。でもな、お前は"楽園の誘惑"に乗っちまった。クラリアの本当に望むことを考えもせずにな!!!! お前にゃ親友である資格はねぇよ!!!!!! ギャハッ!! ギャハハハハハ!!!!!!」
いつの間にかニセモノの手には魔剣が握られていた。
「これで2匹めェェェェ!!!!!!」
ジャルムガウディは的確にレイシェルハウトの心臓を貫いた。
「あ……う……グッ………」
グリモアは刃をグリっと返して止めをさした。
レイシェルハウトはしばらくヒクヒクひていたが、やがてピクリともしなくなった。
鮮血が空を染める。
彼女が死んだのを確認するとクラリアもどきは魔剣を引き抜いて乱暴に放り投げた。
「あー、人間って脆いなァ。例外はいるが、頭か心臓を潰せば生きていることはできない。お前も悪魔や不死者並みにしぶとかったらいい線いってたかもな……。ま、親友を斬れねぇ時点で勝ち目はねぇんだけどな!! グゲゲゲゲゲゲゲゲッッ!!!!」
こうしてレイシェルハウトは絶命した。
「ゲハゲハゲハ!!! あとは最後のアシェとノワレちゃんのバカップルだ。これで終わりかと思うと寂しい気もするが、クライマックスだし盛り上げていこうじゃないの!!!! ギャハッ!!!」
楽土創世のグリモアは仕上げへと向かった。




