屈辱のボディーブロー
指揮官のファネリ教授はコフォルとザフィアルが相討ちになったのを確認した。
そして、黄金色の蜜で固まった悪魔を回収するように指示した。
だが、突然として悪趣味なオブジェはシュッと地面に飲み込まれてしまった。
ファネリは司令塔の手すりを思い切り叩いた。
「なんと!!!! 取り逃がしたじゃと!? しかし、一体どこの誰がそんなマネを!?」
その頃、ノットラントのどこかにあるラボへザフィアルの塊は転移させられていた。
黒幕は悦殺のクレイントスだった。
彼は目をキラリキラリと輝かせて舐めるようにウルティマ・デモンを観察した。
「究極という割にはあっけない。しかし、ここまで間近で暁の呪印を観察できる機会はなかなかありませんよォ……」
不死者はガサガサと術式を宙に書きなぐった。
なんと短時間でこの魔術を解析しようとしているのだ。
何百年もかけて、ザフィアルの編み出した呪印を分解して再構築していく。
「ふむ。一見して高度に見えますが、バラして見れば基礎魔術と簡単な応用を知恵の輪のように組み合わせただけですね。これはさすがに拍子抜けです。ですが、印そのものには光るものがある…」
この時、リッチーは強い好奇心に惹かれしまった。
霊体である自分にこれを刻んだら果たしてどうなるのかを。
「今までは実体のある者が纏っていたもの。これを私に刻むともしかしたら爆発して滅びるかもしれない!!!! あぁ、それでも試してみたくなるのがリッチーの性!! 行きますよぉ!!!!」
クレイントスは暁の紋様を背中に写し取った。
ぼんやりと妖しく印が浮かび上がる。
そしてクレイントスのローブは漆黒から真紅に変化した。
「おお………。これはこれは。属性が変わりましたね。もはや光など恐るるに足らずといったところでしょうか。おまけに溢れ出るエナジーを感じますよォ……」
まるで血にまみれたようなリッチーは蜜漬けのにザフィアルをちらりと見た。
「ぬぅん!!!!」
実体の無いはずのクレイントスの強烈な回し蹴りがオブジェにヒットした。
この衝撃によってラボは半壊した。
「いいですねぇ…。い~いですねェ!!!!!!! これだけカードが揃えばあるいは。ロザレイリアさんも射程圏内ですね。あとはまだ勢いを残している学院の方々ですが…どれ…」
不死者は壁にめり込んだザフィアルを乱暴に引きずり出した。
今まで呪印にしか興味は無かったのでこの扱いである。
「ふーむ。まだ悪魔の取り巻きが滅んでいないところを見ると、この方はまだ生きていますね。そうですね。せっかくですから最後まで究極悪魔を演じてもらいましょう。究極、究極、究極…? 自分で名乗ってるんですよね? フフフフッッッ!!!!」
真紅のリッチーは悪魔の背中を削りながら紋様に書き足した。
「これで良しと。私の都合が悪くなったら呪印が暴走して勝手に蒸発してしまうでしょう。本人からのコントロールは不可能。間違いなく滅しますね。あとは、この蜜を溶かして再び戦場に放り込むと。ここでのザフィアルさんの記憶は残りません。また世界滅亡とかなんとか言って踊ってくれるでしょう……」
皮肉たっぶりにクレイントスは笑った。
「おやおやぁ? 確かアルクランツ先生も例のブツを横からかっさらうつもりでしたね。それがどういうことでしょう。結局、美味しいところを持っていくのは私になりそうですねぇ!!」
ちょうど彼が悦に入っているところだった。
ウィナシュの班に動きがあった。
瓶底眼鏡に大きなリュックを背負ったニャイラはマップを開いていた。
「地図はもうダメだね。リッチーの反応はなくなっちゃったよ。きっと何らかの力が逆流したんちゃったんだね。これはトップクラスのリッチーじゃなきゃ出来ないよ」
周りが声をかけようとするとニャイラは素早く指を唇に当てて沈黙のジェスチャーをとった。
(待って。2体くらいふわふわしてる人がいる。片方はロザレイリアだね。もう片方は……。何か得るものがあるかもしれない。釣ってみるよ?)
他の3人はコクリと頷いた。
するとニャイラは鞄から黒くてうっすら光る木の実を取り出した。
(モリメーメントの果実だよ…。リッチーの好物なんだ)
それに引き寄せられるようにして真紅のローブが飛び出してきた。
「あーっ。キミはクレイントスくんじゃないかぁ。なんか赤くなってるけど…。でも、こんなところに好き好んで出てくるリッチーはキミくらいしかいないよ」
マーメイドのウィナシュは尋ねた。
「おい。ニャイラ、知り合いか? 」
そう問うと同時に超高速の矢がリッチーを襲った。
シャルノワーレはあっという間に激昂して、弓をひいたのだ。
「クーーーレーーーイーーーンーーートスゥッッッーーーーー!!!!」
彼はエルフの里を蹂躙した仇だ。
だが、悦殺はあしらうようにしてテレポートで回避した。
「おっと、おおっとおぉ」
ウィナシュは混乱した。
「こっちも見知り合いなのか!? わけがわからなくなってきたぞ!!」
すぐにアシェリィが説明した。
「この人、ノワレちゃんが復讐を決めた相手なんです!!!! みんなも手伝っ……」
その一言をシャルノワーレは遮った。
「アシェリィ!! これはわたくしの問題!!!! 手を出さないで!!!!!!」
鬼気迫る制止に思わずノワレ以外は固まってしまった。
「シード・アウェィカー!!! プランツ・グラトニーネ!!!!」
シャルノワーレは腰袋から種を取り出しつつ念じた。
クレイントスの下からトラ挟みのようなものが飛び出す。
食虫植物の化物である。これによって動きを封じようというのだ。
だが、これもテレポートで回避されてしまった。
エルフはすかさず1本の矢を天に向けて放った。
「ミルキー・ウェル・ブレイキング!!!!!!」
無数の矢の雨が降り注いだ。
だが真紅のローブは瞬間移動したり、体をよじって薄っぺらになったりした。
失望の念を隠せずに彼はぼやいた。
「残念ですよ。エルフのお姫様。前回に会ったときから何1つ成長していない」
その直後、ノワレの顔の真ん前にクレイントスが現れた。
「フッ!!!」
リッチーのボディブローが直撃する。
実体はない。だが確かに殴られている。
「ごほっ!!」
またもやテレポートして今度は脇に回って今度は脇腹にブローを決めた。
「ぐっふ!!」
そのままクレイントスはシャルノワーレの周りをぐるぐる現れては消えを繰り返した。
転移を繰り返しながら、弱点を突く嫌らしい弱パンチを連続で決めていく。
この人をなめ腐った攻撃は非常に屈辱的だった。
至近距離だったので、誰も助けに入れない。
「やれやれ、しょうがないお嬢さんだ。どうですか。埋めようの無い実力差というものを実感できましたか?」
だが、とんがり耳の少女は弓を地面に突き立ててなんとか立っていた。
「くだらない。誠にくだらない。こんなの殺し合いとはいえませんね。ここで貴女を殺すのは他愛の無いことです。ですが、それでは貴女の決死のリベンジという愉しいシチュエーションが潰れてしまう。まぁこの短時間でそこまで達するとは思えませんが、私はどちらかといえば"芽"は大事にする質ですからね」
真紅のローブはノワレの眼前で肩をすくめた。
「ぐっ!!! ゆ、許すまじクレイントス……」
そう言いながら彼女はよろけながら弓で殴りかかった。
言うまでもなく、クレイントスはひらりとそれをかわした。
「そうですねェ……"宿題"を出しておきましょうか。あなたが恐怖を克服できるかです。これだけこっ酷くやられたのに本当に躊躇することなく次も私に勝負を挑めるでしょうか? まぁ望み薄かもしれませんが…ネッ!!!!!!!」
リッチーは倒れかけのエルフをたたき起こすとアッパーを決めた。
高く打ち上がった後、ノワレは落ちてきてドサリと音をたてた。
ウィナシュとアシェリィが駆け寄る。
ニャイラはあえて残り、クレイントスとの会話を試みた。
「キミ!!! 殺戮のユートピアを創るって言ってたけど、それは本気なのかい? 目星はついてるのかい?」
不死者は自信ありげだ。
彼の場合は慢心がなかった。そういうところは抜かりないのである。
あと一歩というところで有頂天になる小物とは格が違う。
「ええ。あとは邪魔者を妨害しつつ、この戦が続けば私の楽園が出来ます!!」
ここまで彼が密に絡んでいるとは誰も想定しておらず、ニャイラが初めて聞き出した情報だった。
2人が会話しているとその場の全員が違和感を感じた。
(ぐにょ~~~ん。ぐにょぐにょ~~~ん)
ニャイラは辺りを見回した。
「ま、まただ! この目の眩む感覚!!!」
クレイントスは両腕をのばした。
「そうです!!! いましばらくかかりそうですが、楽土創世のグリモアは確実に近づいている!!!!! フフフフフフッッッ!!!!!!!!」
彼は不気味な笑いを残して消えていった。
それをよそにシャルノワーレに2人が駆け寄った。
「おい、大丈夫か!!」
「ノワレちゃん!! ノワレちゃん!!」
その後、彼女は手当てを受けたが後遺症どころか、痣1つ無かった。
クレイントスのあれは完全にお遊びだったのである。
ダメージこそ少なかったものの、彼の言うとおり圧倒的な実力差は否めなかった。
それでもエルフは歯をくいしばって立ち上がった。
あまりの屈辱によって彼女は完全に復讐鬼と化してしまった。
彼女にはクレイントスばかりが目にはいる。
共に愛を語ったアシェリィでさえ霞んでしまうのほどのものだった。




