本とは限らない
ズゥル島というのはノットラントとラマダンザ大陸の中間にある島である。
ここは何もない島ではあるが、戦略的には要所であり、ノットラントを落とすならまずズゥルからと言われるくらいである。
もし羅から不死者軍団が攻めてくるとすればここを落としに来るだろうと予測できた。
というか、確かな情報が学院側には入ってきていた。
「リッチーと組むのは癪に触るが、連中の動向をリークしているヤツがいる。リッチーというのは変なヤツばかりだ。そいつもレアな植物の提供を要求する代わりに情報をやりとりしている」
世界中に散ったOB、OGのリジャスターが集まりつつあったが、校長としてはまだこのカードは切るつもりはなかった。
幼女は臆病なまでの戦い方をしていたが、下手な進軍は無駄な死人を生むという経験則があった。
本音を言えばズゥルに学院生を送りたくはなかったのが、かといってそろそろ手を打たないと戦況は悪化する。
そればかりか楽土創世のグリモアをみすみす逃すことになりかねない。
もうそういう段階に来ているのだ。
教授と学院生達に校長は軽くスピーチした。
「いいな。スパルタ教育組3クラスでロザレイアの連中を止めるぞ。海上まで包囲網を張もはる。ズゥルを中心としてやつらをノットラントに近づけるな。そこで食い止めなければ不死者とザフィアル、そして武家の争いで厄介な事になる。例のマジックアイテムが魔力を吸うに吸ってありえないくらい強力なものになるかもしれん。もしそうなれば賢人会さえ開けないくらい荒れる可能性がある。それだけでも避けねばならない」
初陣に学院生達は緊張した面持ちだ。
訓練していたとは言え、本当の戦場に出たものは少ない。
おまけに派遣先は地獄に近い島。ズゥルである。これで緊張しないというのが無理な話だ。
戸惑いを隠せない学院生達にアルクランツは語りかけた。
「いいかお前ら。たしかにズゥルは危険きわまりない島だ。だが、私は決してお前らを囮にするつもりはない。リジャスターの準備が整い次第、そちらに送るつもりだし、バックアップも欠かさない。だから何としても生き残れ!! そして賢者になれ!!」
戦意が微妙に冷え込んていた中、この激は彼らに勇気を与えた。
その頃、虚都クリミナスではロザレイアが異変に感づいていた。
「おや……? この中にユダがいますね。学院に情報を流している者が……。まぁいいでしょう。その程度、些細な事です。やはりアルクランツはズゥルを占拠下におくつもりですね。不毛な土地ですがラマダンザ、ノットラントを攻められるのは大きい。やはり可能ならば我々も欲しいところではありますね……」
そばに居たリッチーが声をかけた。
「ロザレイリア様はいかがいたします?」
彼女はユラユラとくたびれたローブをゆらした。
「愚問ですね。滅殺される要素が全くないのですから、私も前線に赴きましょう」
するとその場は歓声に包まれた。だが、それは事態を甘くみた極めて迂闊な行為だった。
学院では猛スピードでリッチー・スレイヤーの魔術が確立しつつあったのだ。
これはたまたまニャイラに発現したものだったが、それだけでなく彼女の魔術への深い知識のおかげでシール状に加工できていた。
これを手のひらに貼ると誰でもリッチーの遺品かどうかがわかるようになるのだ。
学院は物凄い勢いでこれを量産し、片っ端からリッチーを撃滅し始めた。
ロザレイリアがそれに気づくのはもう少し後のことである。
ただ、ズゥル自体にはほとんど遺品は無く、リッチー退治は外部のサポートに頼る形となった。
ファイセルは校長室に戻ってきていた。
「んで、どうだった。マッドラグーン。強烈だったろ? 呼ぶのに苦労したんだからな」
青年は俯いて答えた。
「そりゃあ酷いもんでしたよ」
アルクランツは脚を組み直した。
「バカ言え。いまさらお前が負の残留思念とか言うな。でな、お前、チームに所属してるみたいだが一旦解散だ。またそこの2人と組んでもらう」
とんがり帽子はハンドサインを送った。オトナの女性は投げキッスだ。
「なんでわざわざお前らを再編するかっていうとリッチーを遊撃する役割になってもらう。いくら精鋭ぞろいの研究科でも強力なリッチーには歯がたたないケースも有り得る。だからお前らはリッチー検知器を使って連中を叩け。タスクフォースなら持ってんだろ?」
ルルシィはセクシーに胸元からペンダントを取り出した。
そこからかすかな光が漏れて床を指した。
「それは霊園に反映してる。もうオーザは居ないが、カラグサあたりに微妙に反応してるんだろう。相手に照射してもばれないはずだ。まったくお前ら便利な防蟻ばかり装備してるな」
幼女は嫌味をこめつつ不機嫌に脚を組み直した。
「とにかくだ。お前らは学院生がリッチーと接触しないように立ち回れ。もし、交戦状態にあったら加勢して救助しろ。リッチー検知器があるとはいえ、アイツらはテレポートするからな。それとまともに倒そうとするな。どのみち死なんしな。追い払うくらいの気持ちでやれ。そうでなければ疲れる一方だからな」
それを聞いていたファイセルが疑問を投げかけた。
「校長先生、僕らのチームのほうが心配です」
アルクランツは目線を泳がせた。
どうやら部隊の編成を記憶しているらしい。
「リーリンカに、アイネに、ザティス……か。確かに2人、欠けているな。人員を補充してもいいが、中途半端なチームワークは首を締める。難しいところだが対不死者には有利な組み合わせだ。そちらも少人数で回す遊撃部隊にする。矢面には立たせん。心配せずにリッチーに専念しろ。むしろそちらに集中したほうが仲間を護ることに繋がるだろう」
ファイセルは真剣な表情をしてコクリと頷いた。
「ズゥルは手強いぞ。あらゆる過酷な地形が待ち構えているし、動植物は大抵が毒を持っている。解毒方法でも無ければ食糧の現地調達は不可能だ。もちろんライネンテ海軍レーションを持ち込むわけだが、いくら優れものでも有限だ。生徒たちが餓死する前に島を制圧する必要がある。空腹状態は著しく魔力と戦意を削るからな。ズゥルではこれが最大の敵とも言っていい。更に言うまでもなく不死者は腹が減らん。その時点で既に不利なんだよ」
コフォルは神経質にとんがり帽子をいじった。
「ふむ。わざわざそんなに不利な状況で戦うのはやはり虚都を警戒してのことですか。あれはすべての命を巻き込むが、高度な生命である人間を巻き込んだ時のほうが強力な不死者の巣窟となる。ノットラント本土に虚都を創られるとますます手に負えなくなる。だからたとえ不利でもズゥル島で水際撃退する必要があるわけ……と」
アルクランツは小ぶりなキャンディを口に放り込んだ。
「ふ~ん。元タスクフォースだけはある。よく把握してるじゃないか。そういうことだ。何としてもそこで食い止めないとノットラント全土で不死者が出現するようになる。ライネンテより教会が弱いからな。すぐ荒れ地が広がっていくはずだ。それにザフィアルが加わるとなるともう最終フェーズ……楽土創世のグリモアが目覚めるだろう」
それを聞いていたファイセルは首をかしげた。
「あの……楽土創世のグリモアについてですが、魔書だとか、顕現するだとか、目覚めるとか、人を狂わせるとか言われてますが、その正体って何なんですか? グリモアってくらいだから、やっぱり魔導書なんですか? 争奪戦に参加してきた校長先生ならご存知なのでは?」
そう聞くとなぜかアルクランツは渋い顔をした。
「それがだな……不定形なんだよ。液体のときもあれば、金属のときもある。布ということもあるし、エネルギー体の場合もある。グリモアとはいいつつ、本とは限らないんだ」
コフォルとルルシィはある程度、知っている様子だったがファイセルは驚いた。
「魔書ってのは通称みたいなものだ。グリモアという名前がついていれば大抵の者は本だと思うだろうからな。お伽噺として尾ひれがついて魔導書だと思われてきたんだ」
青年は疑問を投げかけた。
「そ、それじゃあどれが楽土創世のグリモアかわからないじゃないですか……」
またもや校長は渋い顔をした。
「いや、おぼろげながらにわかるし。近づけば明らかにわかるレベルだ。だが、厄介なことに暁の呪印の相性でザフィアルとの感度が高くてな。出現したら一番敏感に反応することが出来る。結局は他の連中からかっさらわねばならないというわけだ。幸い、今の所はザフィアルが勝ったことはないがな。というか勝っていたら今頃、世界が滅びているだろ」
コフォルはぼやくようにつぶやいた。
「ザフィアルは不死だが殺せば死ぬ……か」
それに幼女が答えた。
「認めざるを得ないがアイツのデモンの力はハンパじゃあない。そう簡単に首はとれないだろう。それよりもグリモアが手に渡るのを阻止するほうが生産的だ。さぁ、お前らもズゥル行きの準備をしろ。それなりに期待している。生きて帰れよ」
ブロンドの少女は机に腰掛けてひらひらと手を振った。




