空を眺めて 雲を眺めて 空を眺めて
「ふぁ~あ。アルクランツ校長だって? 私は人にあれこれ言われてやるのは好きじゃぁないんだけど、彼女に歯向かうと後が怖いからね。しかたない、やるとするか」
中年男性は無気力げにボサボサ頭を掻いた。
「平和を尊ぶの賢人の矜持ってとこ? あ~めんどくさ」
コフォルとルルシィは煮えきらない彼の態度にズッコケた。
(なぁ、彼は本当に賢人なのだろうか……?)
(知らないわよそんな事!! 校長はここだって言ってたじゃない!!)
「準備だけでも一苦労だ。さぁ、来てよ」
彼に手招きされて2人が裏の空き地に行くとそこには驚愕の光景が広がっていた。
まずは草原の上で白く輝く魔法円。その精度の高さと技術力の高さにだ。
こういった術式に詳しいルルシィだが、思わず口をパクパクさせた。
「あ……ありえない。1人でこんな複雑な陣を!? しかも数時間で!? 練り込まれたマナも凄まじい量……」
それはコフォルにもわかっていて、思わず2人は冷や汗をかいた。
「で、そこの真ん中の泉が魔術修復炉。この雲作り用にチューンナップしてある」
(1人でリアクターを立ち上げる!? この短時間で!? この人物、やはり紛(まぎ
)れもない賢人……)
いつの間にかオルバは膝丈のリアクターに浸かっていた。
「おーい。ぼっとしてないで。やるよ」
コフォルとルルシィもそれに続く。
感触は液体だったが、蛍光色がかった黄色をした炉だ。
オルバはダークブルーの小瓶を取り出すと綿あめを練るかのように中の気体をまとめ始めた。
「これが今回、ノットラントにかぶせる雲さ。上空にあるだけでマイルドな鎮静作用があって、怒りや興奮状態になると自然と脱力してしまうのさ。夫婦喧嘩さえできなくなるくらいだから、戦闘なんてもってのほかだね。武器を握っただけでやる気がなくなると思う。あ、これはちゃんと人体で実証済みだから心配しないように」
雲を創る手際の良さはまさに芸術だった。
2人は思わずうっとりとその様に見とれた。
「で、君らだけど脚を根っこにイメージして上に向けてマナを送る感じを繰り返すんだ。それによってパワーを供給して雲を膨らませて、送る。この作業は相当キツい。でも軸は私がやるから君たちに致命的な負荷はかからないだろう。私もまぁ数日寝込む程度だな。リアクターがあるから出来る芸当さ」
オルバは声を上げて幻魔を呼んだ。
「おーい、運天!!」
白い雲に乗った、たぬきが現れた。年季の入った杖をもっている。
「話は聞いとったぞ。おぬし、バーストなんていつぶりじゃ?」
賢人は視線を泳がせた。
「ん~、ファイセルくんを東部にぶっ飛ばした時以来かな」
やれやれとばかりにたぬきは頭をかいた。
「そんなんで平気なんかい……」
不安視する運天を聞き流して続けた。
「ヘーキヘーキ!! 今回は3人いるしね。さ、じゃあ3人で輪になるように手をつないで……いくよ!!」
次の瞬間、一気に3人のマナが上空に吸い込まれ始めた。
「ぐううああああああああ!!!!!!!!!」
「きゃああああああああ!!!!!!!」
コフォルとルルシィは思わずそのショックに悲鳴を上げた。
「…………………………」
だが、オルバは涼しい顔をしている。
「抗うんじゃなくて自然体、自然体だよ」
2人ともコツが掴めてきたのか、だんだん呼吸が安定してきた。
「そうだ、いいぞ。ブーストのエネルギーはOKだ。あとはこれをノットラント上空に送り込んで展開させる。こっからが本番だよ!! いくぞ、運天ッ!!」
いつのまにか重い雨雲のようなダークブルーの塊が出来上がっていた。
「相分かった!! 送って弾けさせるぞ!! 力を込めい!!」
先程より激しい負荷がかかる。
コフォルとルルシィは思わず気絶しそうになった。
するとオルバが2人の腕をひしっと握った。
「おっと先に逝かれたら困る。まだまだ本気が出せるはずだよ。ほら、カラカラになる老木をイメージして」
無茶を言うとコフォルとルルシィは思った。
だが、実際に一番負荷がかかっていたのはオルバだった。
にもかかわらず平然としている。マナの器の底が全く見えなかった。
気づくとリアタクアーの水かさが少しずつ減り始めた。
「お、いいよいいよ。この調子この調子」
そうは言っても2人は既にクラクラして意識朦朧だ。
「全く。依頼しに来たんだから役割は果たしてもらわないと困るなぁ。ちょっと手荒だけど……。おーい運天。ここの2人に電流を流してくれ。結構キツめに」
運天は天候系統を操れる幻魔だったので電気を起こすのはお手の物だった。
「ええんかのぉ。気張るんじゃぞ!!」
彼は杖の先をくるくると回した。
「バチバチバチバチバチ!!!!!!!!!! バリバリバリバリ!!!!!!!」
すぐに強力な電圧がコフォルとルルシィの体に走った。
「あがががががが!!!!!!!!」
「ググググググググ!!!!」
コフォルとルルシィは締め上げられたカエルのようなリアクションをとった。
「お~痺れてる痺れてる。魔力の供給のペースも上がった。いいぞ」
「でもこれ拷問みたいだし、後遺症も気になるからなぁ。まだ雲は展開してないし、休憩を挟むのもやむなしか……ん?」
依頼を受けて来た男女に意識が戻って喋り始めたのだ。
「あが、ま、まだだだ、だいじょ……ぶ」
「ややや、やれま、ふぅ~」
賢人は口笛を吹いた。
「ヒュ~。ガッツあるじゃん。運天、電撃止めて。マナ注入を再開するよ」
電撃が止んで静けさが訪れた。
「いいね。自然体だよ。自然体。種が水を吸い、大地から芽を出し、やがて大樹へと育っていくイメージだ。それを人体で再現する。プランタニーと呼ばれる魔術回路の構築さ。なぁに、コツさえ掴めば誰でも出来る。特に君らならすぐにできるはずだ。まずは自然と体を1つにすること。種を育て上げて雲に育てるイメージだよ」
この時、コフォルとルルシィは確信した。彼がウィザードであることを。
そして3人は深呼吸した。周囲を囲むむせ返るような緑の香りが胸いっぱいに広がる。
「よし。もう一度行くよ。魔術修復炉の液体を脚から胴へ吸い上げる。そして腕で循環させたら頭へと移動。そこから天に集中させる。このままだとまた気絶するから自然体。意識を無にするのと集中を同時にやる。そら!!」
急激なエネルギー吸収が再び起こる。
コフォルとルルシィは何度も気絶しそうになりながらなんとかこれを乗り越えた。
「運天!! クラウドをノットラント上空でバースト!!」
「あいよ!!」
練り固められた群青色の雲は高速で飛んでいった。
「ハァ……やりましたね。オルバさ……うっ!?」
声をかけたコフォルは驚いた。本当に賢人は枯れた老木みたいにシワシワのヨボヨボになってしまったのだ。
「きゃあああああああ!!!!!」
思わずルルシィは悲鳴を上げた。
自分たちも全身が痛く、ろくすぽ動けなかったがオルバは更に重症だった。
「オルバさん……私達への負荷を抑えたからこんなことに……」
リアクターがあればあるいはといったところだが、残念ながら足元の炉はカラカラに枯れていた。
「くっ、なんとか、しなきゃ……。でも、体が……うごかない……」
ルルシィは悔しげに顔を歪めた。
その時、無言だった骨と皮だけの人が喋った。
「だ……じょぶ……。この……ふくろは……じかんが……てば、またわくんだ。だから……あせらず……じっとしてるんだ」
オルバの状態が状態だけに2人は心配で心配でしかたなかった。
だが、30分としないうちに黄色い液体が湧き出てき始めた。
リアクターとしては驚異的な再生の速さである。
足先が浸かると、脚に力が入るようになってきた。
賢人もあれだけカレカレになったのでダメかと思われたが、脚はふっくらと丸みを取り戻し、肌の色ももとに戻ってきた。
胴の半分くらいまで達すると一気にオルバはもとに戻った。
「ふぃ~~~~~~!!!!!! 死ぬかと思ったぁ!! ね、言ったでしょ。カラカラになるって。でも君たちが居なければそれこそ命がけになってたよ。まったくアルクランツめ。今度あったら散々文句いってやるよ。いや、まぁ2度と会うことはないと思うけどね」
まるで温泉に浸かるような心地よさだ。
修復炉でくつろぎながらオルバは言った。
「私は死ねないんだ。ここいら一帯と中部の治安維持と環境保全があるからね。ホラ。よくさぁ、師匠が死んじゃってその志を受け継ぐとかアツい展開があるけど、私はそうなってはいけないんだ。だって私が死ぬと困る人が多すぎるからね。だから薄情だけど、たとえ弟子を見捨てることになっても私は死ねない。それが私の義務でありモットーだからね。もっともコレジールの先生のほうがよっぽど師匠に向いてる、あっちは”殺しても死なない”レベルだし」
それを聞いてルルシィは感動したようだった。
「なんというか……達観してますね。さすが賢人様」
コフォルと同じくらいの人物にそう呼びかけるのはなんだか違和感があった。
「そう、それ!! 賢人って呼ばれるのもなんだかなぁと思うよ。だってさ、朝起きてご飯食べて、空を眺めてお昼食べて。んでまたうつらうつらしながらぼんやりと夕暮れまで雲を眺めて。こんなの賢人でも何でも無いよ。でしょ? なのにありがたがられるのは買いかぶりすぎだと思うんだよね」
思わずコフォルとルルシィは偉大な人物のマイペースさに笑ってしまった。
「ふーむ。そんな面白いこと言ったかね?」
こうして3人は炉に浸かってすっかり体力と英気を養うことができた。




