しょっぱい涙は海に溶けて
レイシェルハウト達が猛スピードで屋敷へ戻っている頃……。
シャルノワーレはウルラディールの屋敷の裏山のヴァルー山に登っていた。
仇のリッチーである悦殺のクレイントスを討つためである。
しかし、リッチーを撃滅するには3つの遺品を破壊せねばならない。
当然、遺品は厳重に管理されていると思っていい。
だが、逆になんでもないものを指定する狡猾なタイプも居る。
唯一、弱点が有るとすればリッチー本人には一度決めたらそれを動かすことが出来ないということだ。
場所さえわかってしまえばあるいはといったところだが、リッチーは賢い者ばかりである。
いくつか前例があるらしいが、撃滅したという話はあまり聞かない。
まるで雲を掴むような復讐なのである。
雪山を独り歩いていると誰かが向こうからやってきた。
吹雪の中、近づくに連れて顔が見えてきた。
「あッ!! 貴女は……忘れもしませんわ!! ニャイラさん!!」
ノワレはしばし復讐を忘れてメガネの女性に駆け寄った。
「随分と成長したみたいだね。で、今回の収穫はどんな感じ? クレイントスのラボはいくつあった?」
エルフの少女はマギ・マップを取り出して宙に広げた。
「4つ……ですかね。そのうちシェオル・ケルベロスが護っているのが3箇所。残り1つはぽっかり入り口が開いていましたわ」
ニャイラは首を左右に振った。
「ううん。違うよ。もっと観察して。センスを研ぎ澄ますんだよ。ラボは全部で6つあるはずだよ。シェオルが3匹ってのは当たってる。でもこれじゃますますどれが罠なのかわからないね。下手をするとラボの中にもなにか潜んでいるかもしれないし……。それはそうとどう? サシでケルベロスには勝てそう?」
シャルノワーレは思わずのけぞった。
「そんな!! 絶対に無理ですわね。チームで挑んで1匹勝てるかどうかってところですわ。あの殺気に満ちた眼光を前にすると……」
ニャイラは山を見渡した。
「う~ん。主の気配はしないね。さしずめリッチーも忙しいってところかな。いつ楽土創世のグリモアが出現しても良いように爪を研いでいるはずだよ」
とんがり耳の少女は驚いた顔をした。
「ニャイラ先輩……貴女、ナレッジに……? 真実をお知りになったんですの?」
分厚いメガネの女性はワシャワシャと後頭部を掻いた。
「いやぁ、知りたくて知ったわけでもないんだけど、気のあった……いや、親友のリジャスターが教えてくれてね。そりゃ最初に聞いた時は脱力しちゃったけど、あの屋敷の人達はウソをついてるって雰囲気じゃないんだもん。前の争奪戦の経験者も居るし疑う理由もないのさ。でもかといって楽園を創れるって言ってもパッっと来ないよね。少なくとも私はね」
ニャイラと合流したので2人は山を下り始めた。
「ノワレちゃんは望む楽園とかあるの?」
何気なく先輩が尋ねる。
「私は……そんなに大きな望みはありませんわ。ただ、好きな人と一緒にいられる世界を望むだけです」
その望みはアシェリィが想っていることと全く同じだった。
「あちゃ~。アツいね~。お姉さん、応援しちゃうゾ」
今度はノワレが聞き返した。
「ニャイラさんはお付き合いしてる人とかお慕いしている方はいますの?」
問われた女性は指を振った。
「愚問だね。20も半ばを過ぎたリッチー研究家にそんな存在がいると思う? あ、でもチャンスがあればあるいはいいなァとか思うよ……」
2人は笑い合いながら久方ぶりの再会を喜んだ。
ちょうどその頃、レイシェルハウト達を乗せたアイスヴァーニアンが屋敷に到着した。
無事に到着した屋敷所有の成体は幼体であるファオファオに毛づくろいをしていた。
すぐにアシェリィはベットに寝かせられ、リコットの棺桶は教会へ送られた。
ラヴィーゼは腕を組みながらため息を付いた。
「ハァ……。リコットの処置は終わった。これで不死者になって内側からカンオケを叩くような事態にはならないだろう。ライネンテに帰るまでは教会に居てもらう。まぁノットラントは寒いから平気だろう」
死霊使ゆえの技術だった。
一方のアシェリィは生きてはいるらしいが、ピクリとも動かない。
肌も冷たく、死体とそう変わらないような状態だった。
レイシーは入学直後、氷海ツアーを喰らったのを思い出した。
あの感覚がフラッシュバックして思わず身震いする。
フラリアーノの話からするにあの後も魂の融資で仮死状態に陥っていたらしい。
生命活動維持に必要なマナは膨大だ。
そのため、足りなかった分のマナをそこから補うというのが魂の融資である。
マナを回収できるという前提で力を貸すことから融資と形容される。
ノワレとニャイラは明るいムードで語っていたが、なにかイヤな予感がした。
アイスヴァーニアンが2頭になっていることに気づいて、衛兵に尋ねる。
「あっちの小さいほうは誰が乗ってきたのかしら?」
見張りは敬礼をしながら答えた。
「ハッ!! リジャントブイルからの援軍です」
メガネの女性は首を縦に振った。
「ふむふむ。アシェリィ以外にもリジャントブイルの関係者が来たんだね」
それを聞いたエルフの少女は顔色が変わった。
「アシェリィ!? それはアーシェリィー・クレメンツのことでして!?」
剣幕に圧倒されながらリジャスターは答えた。
「え? あぁ、うん。そんなファーストネームだった気がするよ。知り合いなのかい?」
シャルノワーレは頭を抱えた。
「あの娘がどうしてここに!? 不毛な争いに巻き込まれないように雲隠れしたというのに!! これでは彼女のためにはならないではないですわ!! なんでこんなところに来たか問い詰めてやらないとなりませんね!!」
水色の髪の乙女はニャイラを置いて、ツカツカと歩き出して門をくぐった。
そして屋敷に入るとそのまま主の間に入った。
「レイシー、アシェリィが来たというじゃありませんか。どういうことですの!?」
レイシェルハウトは落胆した様子で視線を下に向けた。
「ただ屋敷に来ただけならよかったですのにね。今の彼女は仮死状態ですの。時間が経てば必ず復活しますが、いつになるかはわからない。だから正直なところ、今は死体とほぼ変わらない状態ですわ。会いに行ってみてはいかが? 部屋は……」
シャルノワーレは重い体を引きずって指定された部屋の前に立った。
変わり果てた姿の恋人など見たくはない。彼女はますます気が重くなった。
ドアを開けるとそこにはアシェリィとフラリアーノが居た。
「ああ、シャルノワーレさんですか。そろそろ帰ってくることかと思って待っていましたよ」
目線を上げたノワレは酷く驚いた。
「先生……!! ひ、左腕が!!」
跡形もなく吹っ飛んだ左腕がなんとも痛々しい。
「私の腕はどうでもいいんです。その気になれば右腕だけでもなんとかやれますし。命を落とさなかっただけ幸運としか言えませんね。それより―――」
フラリアーノは丁寧にアシェリィの状況とソウル・ファイナンスについての解説をしてくれた。
「あれだけの巨大なゴーレムを瞬時に葬りさったのです。かかった負荷は相当なものでしょう。1ヶ月では済まないでしょうね……。貴女は出来る限りアシェリィと一緒に居てあげたほうが良い。誰かの支えがあれば復帰が早くなるかもしれませんからね」
ノワレは泣きながら仮死状態の少女に抱きついた。まるで粘土に触れているような感触だ。
「こんな形で……こんな形で再会するならわたくしと一緒のほうが良かった……。もう離しません……。離しませんからね……」
彼女は乱れだアシェリィの髪を手ぐしでとかしてやった。
触れた顔は造りもののように冷たかった。
「私がいつまでもメソメソしていても仕方ありませんわ!! 辛いのはアシェリィなんですから!! さ、元気におなりになって!!」
エルフの少女は人間の少女の額にキスをした。
―――ゴポポ……ゴポポポポ……
アシェリィはどこかの水の奥に沈んでいく感覚を感じていた。
(これは……そっか。ここは幻魔界。また私、やっちゃったんだ……)
更に深く深くへと沈んでいく。
(ここは……どこかな? ポカプエル湖? それにしては深い気がするけど……。透き通ってて、魚が居て、サンゴもある。海かな? 綺麗だなぁ……)
やがて彼女は底にたどり着いた。すると巨大な蒼いドラゴンがこちらをのぞき込んでいた。
驚いて飛び上がろうとしたが体は動かない。
「フフフ……何も取って食いはしませんよ。安心なさいアシェリィ……。ここは幻魔界とあなたの潜在意識の狭間……」
女性の声が帰ってきた。
前にもこのドラゴンには会ったことがある。
体格は大柄な龍より流線型のフォルムだ。羽が美しいウロコになっている。
全身も七色に光るウロコで包まれており、キラキラと光っていた。
「あ、あなたは海龍様!?」
龍は頭を垂れて頷いた。
「ええ。そうですよ。お知らせがあってまいりました」
アシェリィはなんだろうと疑問に思った。
「今のあなたは仮死状態です。食事や排泄の心配はありませんが、契約のマナを支払うまではそのままです。で、ですね。あなたはこのままだと……」
少女はゴクリとつばを飲んだ。
「人間界歴にして5ヶ月は拘束されます」
驚きのあまり跳ね起きようとするが体は動かない。
「そ、そんなぁ!! こんな状況で5ヶ月も眠ってられません!!」
海龍は美しいヒレのついた尾っぽをユラユラと揺らした。
「そこで朗報です。あなたの契約したアクア・ドレークは悪質な取り立て屋として有名なのです。ですので私が厳重に注意しておきました。その契約の罰則で浮いた分を含めると3~4週間で目がさめることになるでしょう」
召喚術師は大きなため息をついた。
「ハァァァ……。それでも1ヶ月くらいはかかっちゃうんですね」
ドラゴンはヒゲの毛づくろいをはじめた。
「まぁここには水属性の幻魔がたくさんいるので退屈はしないでしょう。彼らも滅多に来ない来客に興味津々(きょうみしんしん)のようですし。それにここで瞑想をすれば通常の空間よりはるかに魔力が伸びるはずです。焦らず取り組むことですね」
少女はぼんやりとしながら左手を水面に伸ばしてフラフラと振った。
すると見知った顔がずいっと目の前に現れた。
「り、リコットぉ!? あ……でもここは私の潜在意識だって……。あれは悪夢じゃなかったんだ……。リコット……ホントに死んじゃったんだね……。確か先生も片腕が……。私はもうあんな思いはしたくない。海龍様、私、強くなります!!」
ガヤガヤと野次馬の幻魔が集まる中、アシェリィは精神を集中した。
するとアシェリィの中のリコットは満面の笑みでハンドサインを出した。
「アシェリィ、あんたは生き残れし……」
手を伸ばすが彼女はそれをかすめて泡となって消えていった。
「リコットオオオオオオォォォォッッッ!!!!!」
こうしてしょっぱい涙は海に溶けた。




