数多の生贄を欲する悪魔の魔書
後日、指定された日時にナッガンはファネリの教授室を訪ねた。
両開きの扉をノックする。すると返事があった。
「入ってええぞい」
入室の許可が出たので彼は扉を開いた。
「失礼します……ん?」
するとそこには意外な面々が居た。
ファネリ1人だけではなく、その両隣にケンレンとバレンが。
その手前の椅子にフラリアーノとバハンナが居たのだ。
これは確か先日の飲み会のメンツと一部、かぶっている。
「ファネリ教授……これは……アタックチームに関する相談ではなかったのですか?」
やや戸惑う教授を前に白眉で白ひげのマジシャンズハットの老人は開いた席を指差した。
「まあまあ。その席に座りたまえ」
すぐにナッガンは堂々とした態度を取り戻してイスに深く座り込んだ。
すると部屋に白いモップみたいな犬のような校長が入ってきた。サーテンブルカンである。
彼がこうやって出向いてくるのは非常に珍しい。
ナッガンとバハンナは呆気にとられたが、そんな中でフラリアーノガ挙手した。
「フンム。なんだねフラリアーノくぅん」
校長はファネリの隣に移動しつつ、召喚術の教授を指さした。
「はい。私は今まで識らぬ者を徹底的に演じてきましたが、実は師匠がナレッジなのです。ナッガン教授とバハンナ教授はこれ以降の話を聞いて気分を害するかもしれません。ですが私としても心苦しかったのです。あなたがたを欺いたり、馬鹿にするなどの悪意があったわけではありません。お許しください」
突然、フラリアーノがわけのわからない前置きをしたので彼以外の2人は混乱した。
バレンもファネリも首を縦に振った。
「実はな、俺らも」
「ナレッジなのだよ」
息ピッタリに彼らはそう言った。
「識らぬ……者?」
「ナレッジ……?」
招かれた教授ナッガンとバハンナはますますわけがわからなくなった。
思わずファネリがタバコをふかすと部屋はぼんやり緑色に染まった。
「おい、煙いぞ!!」
今まで聞いたことのない女の子の声で校長が怒鳴った。
「あ、ああ、ああ。ついクセで。すいませんですじゃ」
サーテンブルカン教授は指揮棒を取り出して一振りした。
すると部屋の煙は消えて、ファネリのデスクには幼女が座っていた。
極上のブロンド、宝石のようなくりっとした蒼い瞳、天使のような白いワンピース、子供っぽい真っ赤な靴
そんな見た目をした人物がいきなり現れたのだ。ナッガンとバハンナは身構えた。
「そんなブッソーな顔しないでよ。これがサーテンブルカンの真の姿。アルクランツっていいま~す。よろしくね~」
ゆる~い態度にその場が脱力したが、すぐにその空気は引き締まった。
彼女以外の全員が冷房もたいていないのに激しい悪寒を感じたからだ。
「まぁこのプレッシャーがわからないほどのメンツじゃないわな。私の実力に関しては今のでわかってくれたと思う」
その直後、彼女はタクトでフラリアーノを指定した。
「そう。フラリアーノはナレッジなんだよ。こういう場には呼んだことがなかったけど把握はしてる。師匠は……コレジールのジジイか。アイツ、ウザいから出禁にしたけどいいよな? どーせ大した用ないだろ?」
珍しくフラリアーノは困り顔をして手を左右に振った。
「ええっ!? 道理で最近、訪ねてこないなと……。師匠は根無し草なんですから、落ち合える場所が無いと困ります。可能ならばプロテクトを解除しておいてください」
アルクランツは不機嫌そうに舌打ちした。
「チェッ。あんなジジイに校門をまたがせたくないなぁ。でもまぁ腐れ縁だし、信用できるヤツだしな。わかった、アンロックしとく。それはそうと識らぬ者たちをほうっておくのは感心しないな。新顔のあたしが説明するより、馴染みのファネリが説明したほうがいいだろ。んじゃ、説明してやってくれ」
「オオッホン!! 僭越ながら私めファネリが―――」
「だーっ!! 前置きが長い!! とっとと説明しろよぉ!!」
こうしてファネリはナッガンとバハンナにナレッジの事、ノットラント内戦の真実、そして楽土創世のグリモアについて解説した。
丁寧に説明したが、それを聞いた2人はあまりの突飛な話に衝撃に言葉が出ないようだった。
ナッガンがひねり出すようにつぶやく。
「そ……それでは……リジャントブイルがラマダンザとの武力衝突のために訓練していて、その駒であるというのは……」
アルクランツはデスクに座ったまま足をパタパタさせて答えた。
「うん。それ、完全なウソっぱち。ナッガン先生の認識は賢人会の狙い通り、バイアスがかかったものに過ぎないんだわ」
バハンナも疑問を投げかけた。
「な、なぜ私達を……? も、もしかして、先日の飲み会の面々は……」
無邪気な幼女は彼女を指さした。
「ザッツ・ライト。さっきもファネリの坊主が話したように、ルーブや教会は戦力を増強している。こっちとしてもナレッジの後継の育成は急務と踏んだんだよ。だから、このあいだの飲み会のテーブルに座った連中は全員ナレッジに勧誘してあるわけ。あんたら3人だけここに呼ばれたのは腕の立つ3人だったから。残りはサポーター兼テクニカルアドバイザーとして活動してもらうことになってる」
ファネリは期待の眼差しで部屋の面々を眺めた。
「バハンナ先生は教授の中ではナレッジで一番若い。かつ、女性メンバーの層の強化で。戦闘力は申し分なし、総合力はかなり高いと評価されておりますじゃ。自信を持って活動するがええ」
そう言われても彼女はまだ事情が飲みこみきれていなかった。
「30代前半はフラリアーノ先生、ナッガン先生、そしてバレン先生じゃ。ここらへんは文句なしじゃの。まさに旬といった感じのフレッシュな3人組じゃ。アタックチームの編成も期待しとる。ナッガン先生だけ今まで識らなかったわけじゃから、驚くのも仕方がない。ただ、この間言ったように力の入れどころを間違っておるだけじゃ。敵はラマダンザなどではない。まぁじきにわかることじゃろう。今すぐ全部理解する必要はないしの」
それを聞くとナッガンは腕を組んだ。
「私はこれでもM.D.T.F(魔術局タスクフォース)の部署の出……その話は聞いたことがあります。しかし、それはあくまで与太話としてのもの。真実とは到底思えないのですが……」
それを聞いたアルクランツが首を傾げた。
「お前は教官だからなぁ。いたずらに混乱を招くような情報は封印されるはずだ。もっと任務遂行に特化したりしてる連中は皆、識ってると思うぞ。M.D.T.F(魔術局タスクフォース)は裏の世界にも詳しいからな。前に聞いたことがあったけど、結構ナレッジが居た気がする……って、ナッガン、お前やっぱり……」
元、地獄教官は謎だらけの展開に眉をひそめた。
「やっぱり。お前、記憶を上書きされてるよ。きっと前はナレッジだったんだ。でも、教官職につかせるにあたってそれが邪魔になった。それを押し殺すくらいの技術力を連中は持ってる」
アルクランツは指揮棒をトンボの前に見せるようにクルクルと回してみせた。
ナッガンの視線がグルグルと回っていく。少しすると彼の意識はシャットダウンさせられた。
そうかからないうちに目を覚ます。
「……ウッ。頭が……これは……。モヤが溶けていくようだ……。あの与太話は決してデタラメでは無かった……。ノットラントの内戦……楽土創世のグリモアの真実……。そして、魔術局には賢人会のメンバーもいたはずだ。そして連中に記憶を封印されたことも……今、思い出しました。これも……楽土創世のグリモアの魔力なのですか?」
怯える子羊のように不安定になる教授をアルクランツは落ち着かせた。
「いや、個人レベルの記憶の封印や改変はレアな能力者ではあるが、存在する。M.D.T.Fにそんな術者がいるんだろう。ただ、例のブツの魔力はそんなもんでは収まりきらない。それこそ、いとも簡単に全人類の意識を改変することも可能だよ」
あまりにスケールのでかい話にナッガンも、脇で聞いていたバハンナも黙り込んでしまった。
呆然とする男性教授に突きつけるようにして校長はタクトを向けた。
「あー、あとナッガン。お前、気づいてないと思うけど魔術局の犬だから。泳がせておいたけど、お前は今まで無意識レベルであちらさんに学院の情報を送ってるんだ。機密情報はあたしがフィルタリングしてダミー化してあるからあくまでそれっぽい情報に過ぎないんだが。なんでそんな事をしたんだと思う?」
別に後ろめたいことはなかった。彼自信は粉骨砕身して学院に尽くしてきたのだから。
それはともかく、魔術局が情報を抜いているという事実に彼は激しく動揺して立ち上がった。
「バカな!? まさか、魔術局が楽土創世のグリモア争奪戦の仮想敵として学院を見ているとでも!? た、確かに魔術局は大きな部署ではありますが、戦力になりそうなのは少数精鋭チームのM.D.T.Fくらいしかありません!!」
アルクランツは肩をすくめた。
「もしも、もしもの話だ。M.D.T.Fがルーブ側についていたりしたらどうなる? 教会の下部組織でいるよりはいい思いできると思うんだケド。どうよ? 争奪戦の怖いところは今日の敵は明日の友、今日の友は明日の敵って事なんだ。権利の分与ができるってのがこのマジックアイテムの最悪な点だ。腹の中を探り合いながら戦をすることになる。一人でも多くの犠牲者を望む。まさに生贄を欲する悪魔の魔書なんだわ」
ナレッジになるのは痛みを伴う。
それはアルクランツ以外の全員が識るところだったので誰もがナッガンとバハンナの事を心配した。
だが、痛みなくして前に進むことは出来ない。この場合はそれもまた残酷な真実だった。
最後に校長が声をかけた。
「急には無理なのはわかってる。だが、あたしたちは進まねばならない。明日からはナレッジとしての自覚を持って生きるんだね。あ、あとあたしからは”意志”をプレゼントしておくよ。この件に関して口が裂けても関係者以外には口外できないっていう”意志”をね。おっと、魔女とか呪詛とかいうんじゃないよ? ましてやこれは強制でも禁止でも何でも無い。だって”あたしの意志”なんだから、従わずにはいられないよねェ? グフフフ……」
その部屋の彼女以外の人々は皆、全員ぐっしょりと脂汗をかいていた。




