塩辛い涙は海とコーヒーに溶けて
クリジュナの実戦経験の後、アシェリィは人気のない例の堤防にやってきていた。
水中から何者かが浮かんできて気配を殺しこちらを覗いている。
それはザバッっと水面から半身を出すと声をかけてきた。
「アシェ、ピンクのパンツ丸見えだぞ☆」
「ッッ!!」
少女はすぐにスカートの裾を押さえつけてパンツを隠した。
アシェリィは師匠のマーメイド、ウィナシュ先輩に会いに来たのだ。
彼女は見てくれにこだわりがなく、いままで黒髪を前にだら~んとたらした水死体のような見た目をしていた。
だが、アシェリィがピンクの髪留めをプレゼントしてからは素顔がよく見えるようになった。
第一印象に反してとても端正な顔立ちをした美人である。
長く美しい黒髪、日光を反射するピンク色の美麗なウロコ。
彼女は同性からしても見惚れるようなルックスをしていた。
前はシャツに赤い下着が透けてもあっけらかんとしていたが、ちょっとは気にするようになったのか透けないTシャツを着ていた。
白地にハートのマーク、そして「I LOVE OCEAN」のロゴというなんとも言えないセンスのTシャツである。
師匠である彼女にアシェリィが会いに来たのは直接ではないにせよ、自分が二つ名を殺したことについての意見が聞きたかったからだ。
ジュリスでもアドバイスがもらえると思われたが、彼が人を殺めているようにも思えなかった。
担任のナッガンに相談しても良いのだが、彼の場合はそれこそ狩咎の二つ名で通っているくらいだ。
罪人とは言え、人を殺すことが前提の仕事をしていたのである。
ラヴィーゼのように普通の感覚ではないのは明らかだった。
そうなると間を取って多く実戦を経験しているウィナシュに相談してみるのが妥当と思えた。
「…………ウィナシュ先輩は……人を殺したことがありますか?」
人魚は水面から跳ねてアシェリィのとなりに座り込んだ。
「んあ? なんだ? 藪から棒に。そりゃあ両手の指に収まらないくらいには殺ってるが……。さては、アシェ、誰か人を殺したな?」
暗い表情で少女は遠足の一部始終を語った。
ウィナシュは割とドライな態度だった。
「フーム。それは仕方がないんじゃね? 正当防衛だし。あなたを殺しますよ~って言ってる相手にむざむざ殺されるのはおかしいだろ。その抵抗の結果、相手が死んだのならそれはもうどうしょもない。自分の命の糧になったとでも割り切るこったね」
殺した相手を自分の命の糧とする。
これはとても身勝手な解釈ではあったが、アシェリィは救われた気分になった。
「あ~、ちなみにあたしも好き好んで殺ったことは一度もないぞ。こっちからケンカをふっかけることはほとんど無い。それに戦う理由は自己防衛とか、仲間を守るためだしな。嫌な思いはさんざんしてるけど、後悔したことはないよ。それに、アシェが倒したのはテロリストだったんだろ? 今後の犠牲者を食い止めたって事だ。それに3人とは言え、あんたの歳で二つ名を狩ったのは大金星だ。胸を張っていきな」
気づくとアシェリィはウィナシュの胸元に抱きついて泣いていた。
「うっ、うう……うううう……、先輩……、わたし、わたし……」
マーメイドは少女を抱き返して頭をポンポンと叩いた。
「おやおや。あまえんぼだねぇ。でも、これは大なり小なり誰もが通る道さ。胸貸してやるから今は思いっきり泣きな。荒っぽいけど早いうちに修羅場をくぐったのは正解だったね。一見すると無茶苦茶だが、いい先生を持ったってそのうち思えるよ」
ウィナシュは思ったより自分が師匠らしくなっていることが気になっていた。
(あれぇ? 前は釣りがすべてだったんだけどな……。らしくない。弟子をとってヤキが回ったか……。でも、こういうのも悪くはない気がするよ)
ウィナシュはアシェリィの肩を叩いて言い聞かせた。
「いいかアシェ。世の中、好意的じゃない奴なんてごまんといるんだ。特に冒険者志望ならわかると思うが、冒険者狩りは結構居る。相手がこちらを本気で殺す気でいるのに、生半可な態度で挑むとあっさり殺られかねないんだよ。だからそういうときはこっちも命をかけて全力で戦う必要がある。今回だってまさにそうだ。いいね。今後、そういうことがあったら本気でかかること。じゃないと死ぬよ。そして非情ではあるが、いつまでも後に引きずらないことだね」
アシェリィはしばらく泣くと落ち着いたのか、目を真っ赤にしてはにかんだ。
「あはは……ウィナシュ先輩、なんか、わたしぐちゃぐちゃで……すいません」
それに対し、先輩は破顔一笑で海水でグッショリのハンカチーフを手渡した。
気遣いはありがたいのだが、これで顔は拭けない。
「あ、そういえば先輩!! 私、水中でも呼吸できるようになったんです!!」
それを聞いてウィナシュは驚いた顔をした。
「それ、アレか? 水属性の幻魔との契約がうんたらかんたらのヤツか? 早速試してみよう!!」
その頃にはアシェリィの感情はすっかり平常運転に戻っていた。
「え~っと、こうやって、こうで、ああで……。アクアルール・フォルム・チェンジ!!」
彼女が念じると髪の毛の色がまるで波打つ浜のような青と白色に変化した。
髪の毛の色が波打っていてとても美しかった。
「おー!! すっげ~!! マジじゃん!! このフォルムが続いてるうちは多分、溺れないと思うぞ。何分くらい維持できそうなんだ?」
波打つ髪を振り乱してアシェリィは考え込んだ。
「う~ん、遠足でショックを受けて以来、すっかり忘れてまして。試してみたことがないんですよ。でも氷のアイシクルールは5分くらいは持ちましたし、相性のいいアクアルールならもっと長く水中で活動できるかも知れません。確か海とか塩湖とかでも使えるはず」
「へっへっへ……」
ウィナシュは不審者のような笑いを浮かべ、油断していたアシェリィを海に引きずり込んだ。
「ザブーーーーーーン!!!!!」
アシェリィは浮力で体が浮くが、人魚は肩を組んで離さない。
「ボゴ!! ボゴボゴボゴ!!!!!」
突然の事に彼女は驚いて思いっきり海水を吸い込んだ。
絶対に苦しいはずだったのだが、どういう仕組か自然と体の状態は維持されている。
塩辛くもないし、体に違和感もない。そして息苦しくもない。
呼吸をしてもしなくても息苦しさには全く関係がない。
まるで海と一体化しているような状態なのである。
そして水中なのにクリアに音が聞こえる。
「ちょっと、一緒に泳いでみっか!!」
そう言うとウィナシュはアシェリィの両手を引いて泳ぎ始めた。
美しい海藻、珊瑚、魚たち、海の生物、煌めく陽光。
まるで魚のように美しい海を泳ぐ。夢のような時間だった。
「おい!! すげ~そ!! 10分突破だ!! まだいけんのかよ!?」
その日は2人してクタクタになるまでマーメイドと泳いで遊んだ。
なんだか体にまとわり付いていた怨念のようなものが洗い流された気がした。
人魚は弟子を心配していたが、アシェリィは想像以上にたくましかった。
キャルクでの戦いでまた1つ、前進することができた。そう割り切るようにしたのである。
悪夢や幻聴が彼女の足をがっしりつかんで引っ張ったが、取り込まれること無く力強く立ち直った。
それに、彼女は1人だけ苦汁をなめたわけではなかった。
不幸中の幸いではあるが、同じ経験を分かち合った仲間がいる。
リコットやラヴィーゼとの絆も一層、深まり彼女らと一緒に過ごす時間も増えた。
やはり生死をともにしたチームというのは強いものである。
どうやったらキャルクをよりうまく撃破できたか。
真面目に作戦やフォーメーションを考えるなどしてどんどん意識は高まっていった。
気づくと見違えるほど練度が上がっており、フラリアーノが驚くほどだった。
遠足といいつつ討伐戦に引っ張っていった彼が一番、彼女らを心配していた。
詳しいことを説明せずに参加させたのだ。恨まれてもおかしくはない。
だが、それは杞憂だった。
3人は今までと変わらぬ態度で教授と接した。いや、より親密になったかも知れない。
それを見守っていた教授は遠足を振り返った。
(ふむ……。荒いやりかたではありましたが、やはりこの3人は伸びましたね。他の先生方の判断は正しかったということですね。相手が慢心していたとはいえ、キャルク・ナンテに対してほとんど毒弾を使わせずに勝ちましたし。それだけ3人のチームワークにスキが無かったということです。強烈な毒素を食らうかとスタンバイしていたのですが、喚ばなくても問題ありませんでしたね)
少ししてアシェリィ、ラヴィーゼ、リコットはフラリアーノの教授室に呼び出された。
メンタル面のケアを行うためだ。
3人が入っても余裕のある教授室でフラリアーノは深く頭を下げた。
「まずは謝ります。すいませんでした。実のところ、キャルク・ナンテが氷結窟に潜伏しているという情報はすでに入ってきていたのです。ですから二つ名との戦闘は想定通りだったのです。それを曖昧にしたまま遠足として貴女たちを連れて行ったのは申し訳なく思います。私が付いていたとは言え、相当ハードな戦いになるのは明らかでしたから」
3人は伏し目がちになったがすぐにまっすぐ教授の顔を見た。
「実はこのような課題を課されたのは貴女達だけではありません。ここ最近、計画的に厄介な二つ名の討伐が学院主導で行われました。犯罪者やテロリストを中心とした危険人物達ですね。ですから貴女方はそのうちの1チームであって、他にも二つ名を狩った生徒が大勢いるということです。ですから気休めにしかなりませんが、苦い思いをしたのは皆、同じということです」
ラヴィーゼは後頭部に手を組んでひねくれた態度をとった。
「秩序を守るためには組織的な殺人も辞さないってことかい? また野蛮な話だなぁ」
フラリアーノはデスクに両肘をついて手を組んだ。
「否定できませんね。しかし、忘れてはいけません。我々は力不足な国軍の警備の代わりも担っているのです。国軍がまともに二つ名の相手をしたならおそらく1人あたり10人で当たっても勝てません。そういった犯罪者やテロリストを野放しにする訳にはいきませんし。国内の”武”を一手に引き受けるのがリジャントブイルですからね。見た目は華やかですが、中身は血みどろなのです。それは学今回の件でわかったところでしょう。ただ、学院は力の使い方を誤らないように運営されています。教会のようにむやみに武力を拡大し続けることはないのです」
先輩や師匠から聞くことはあっても、学院が物騒な事を身を持って知るのは入学して半年以降くらいの話だ。
もっともアシェリィはナッガンのスパルタ教育で慣らされていたが。
そのため、対象の殺傷の有無の問題はあってもそれ以外はそこまで苦労しなかった。
リコットなどの普通のクラスの生徒が一番しんどい思いをしたことだろう。
もっともラヴィーゼのようにゆるいクラスでもツワモノが混じっていたりするが。
部屋に焚かれた不思議なアロマのおかげだろうか。
いや、これはそういう幻魔なのかもしれない。
「まぁ、いきなり二つ名をけしかけられたのは感心しないが、先生もしっかり体張ってくれたしな」
「あたしらをかばって人質になるとか、ちょっと感動しちゃったし……」
「私達が生き残れたのも先生のおかげだもんね」
緊迫した空気は解け4人はまた遠足で観光しているときのような雰囲気に戻った。
「クラーナ高原のコーヒーでも飲みましょうか。私の好物なんですよ。シュガーとミルクたっぷりでないと飲めませんが……」
そう言うと3人娘は和やかに語りだした。
「なにそれだし~~~女の子みたいだし~~~wwwww」
「漢はやっぱりブラックだよなぁ?」
「わたしもシュガーとミルクたっぷりでお願いします!!」
他愛のない話でコーヒーブレイクは過ぎていった。




