氷結窟に木霊する呪詛のごとき断末魔
3人娘達と毒弾のキャルクの激戦は続いていた。
アシェリィがルアーを投げてスキを作ったことによってリコットに余裕が生まれた。
ほぼ同時に彼女は美しいライトグリーンに輝き出した。
そして滅多に取り出さないサモナーズ・ブックをサラリと撫ぜた。
「テンペースト・クロン・ライムグリーン!! サモン・ジルニィ!!」
彼女がそう詠唱すると急な旋風が巻き起こって魔神の姿になった。
「いくし!! ソニック・ゴッズ・フューリィィィィ!!!!!!」
目にも留まらぬ速さで風の魔神はパンチを放った。
ただのパンチではない。衝撃波を帯びた範囲攻撃だった。
二つ名はそれを鮮やかに横にローリングしてかわした。
ギリギリではない。まだ余裕が見て取れた。
「ハッ!! そのくらいの速さであたしに当たるとでも?」
この直後、キャルクはアンカーとワイヤーで上に逃げるだろうと読んだリコットはすかさず先手を打った。
「まだだし!! 上に逃げてもムダだし!! スクリュー・クリュー・アッパーレイドッ!!!」
逃げ道を予測して、リコットの魔神は激しい暴風を帯びたアッパーを繰り出した。
狙い通り、彼女は天井にアンカーを打ち込んで上昇していっていたところだ。
だが、相手のほうが一枚上手だった。
並外れた反射神経で即座に攻撃を察知して別の柱にアンカーを打ち込み、横方向に回避したのである。
「ホラホラァ!! ツメが甘くて次の動作が丸見えだよォ!! 所詮はメスガキに過ぎないってこったねェ!! こちとら伊達に二つ名やってねぇわァ!! あたしのキャリアを甘く見るんじゃないよォ!!」
攻撃を避けられてしまったリコットを反動が襲う。
「がぁっは!!」
胸を押さえ、その場にかがみ込んでうずくまってしまった。
「くっ……こ、これだから、ガチの召喚は……きらいだし……」
キャルクはにんまりと笑みを浮かべた。
「はい二匹目~~~。残るは小賢しい釣り竿のメスガキと、その保護者か。おい、スーツの野郎。お前がスタンバってんのはわかってんだよ。その術式を発動してみろ。このピンクのメスガキの命はねーぞ?」
怒ッ弾はアンカーをリコットのそばに向けて放ち、グルグルと巻きつけると自分へと手繰り寄せた。
そして横たわる少女の脇腹を蹴った。
「うぐぅ!! だし……」
さすがにこれには従わざるを得ずにフラアリアーノ教授は背後の印を足でかき消した。
それと同時にそばにいたアシェリィに小さな声で伝えた。
(気づいていますか? ラヴィーゼさんはやられたフリをしているだけです。あの骨の鎧はフルフェイスですからね。よほど強烈な毒でなければ耐えられます。ですから貴女はラヴィーゼさんと協力してキャルクを討ってください。私がオトリになって気を引きます。大丈夫。もしもの時の策はあるので。ただ、一番確実なのがオトリ作戦です。活動限界には気をつけて。頼りにしていますよ)
彼はこの状況だと言うのににっこりしていた。
今回は細目だから笑っているよう見えたわけではない。勝算あっての笑顔だった。
そして教授は両手を上げて立ち上がった。
「すいません。私が投降しますから、どうかその2人の命は助けていただけないでしょうか?」
これには氷の地べたに両膝をついて、ダウンしているフリをしたラヴィーゼも焦った。
(オイオイ、マジか!? 先生が投降!? アシェリィとあたしの2人であのオバサンをぶっつぶせってことなのかよ? リコットが健在ならともかく、こりゃかなりキツイぜ? さて、どうしたもんかな。なんとかアシェリィと連携がとれねーかな)
そうこうしている毒弾はフラリアーノに指示を出した。
「素直なやつは嫌いじゃない。いいかい。両手を上げたまま、ゆっくりとこっちに歩いてくるんだ。そうしたら後ろを向きな。安心しなよ。あんたみたいないい男は悪いようにはしないからさァ……」
凶悪な人物である。そうは言っても何をされるかわかったもんではない。
そして教授はゆっくりと一歩ずつ前に歩き始めた。
(このままじゃまずい!!)
ラヴィーゼが危機感を強めた直後、目の前に氷の結晶をまとった小さな女の子の妖精が出現した。
(これは……アシェリィの幻魔か!!)
1cmあるかないかの本当に小さな妖精である。
彼女はささやくように小声でしゃべった。
(わたち、ポポワっていいまちゅ。ごしゅじんしゃまにたのまれてきまちた。しぇんしぇーがつかまるまでに、ごしゅじんしゃまがすてみでてーこーするのでラヴィーゼしゃんはオバサンをしとめることだけにしゅーちゅーしてくだちゃいとのことでしゅ。ではでは~)
そう言うと氷の可愛らしい妖精は溶けるように消えていった。
(へへっ……あんのバカ。捨て身かよ。性に合いすぎててシャレになんねーぜ。ならあたしだって腹くくんなきゃな!! 二つ名狩りとは上等じゃねぇか。遠慮無しでぶっ殺す気でいくぜ。オ・バ・サ・ン!!)
アシェリィはメッセージが届いたのを確認すると教授の背中越しに攻撃に出た。
「リコットから離れて!!」
うまい具合にルアーの軌道をカーブさせてフラリアーノの死角からキャルクに襲いかかった。
一方の相手は持ち前の異様なまでの反射神経で飛んできたルアーを回避した。
回避すると同時にリコットを結んだほうのワイヤーを切ってフリーにした。
「まだまだ!! 弾けルアー!!」
アシェリィが竿に力を込めると糸の先端のルアーが小爆発を起こした。
「チィッ!! うざったいねェ!!」
キャルクは両手からアンカーを発射して洞窟内を縦横無尽に飛び、爆発の破片を避けきった。
「ウィナシュ流はこんなものじゃない!! ひっかけルアー!!」
あっという間に糸の先端がルアー・チェンジされた。
これは彼女の実力というよりはブランド品、エヴォルブ・スコルピオゆえの離れ業だった。
床に落ちていたひっかけルアーは飛び上がって空中の敵の裾に刺さった。
「今だっ!! 全力巻取りーーーー!!!!」
踏ん張った状態のアシェリィがキャルクを引っ張り始めた。
これも高い額をはらっただけあって二つ名のワイヤーの性能をわずかに上回っていた。
拮抗してはいるが、ジワジワと距離が縮んでいく。
「ぐっ!! こんのメスガキッ!! まぁワイヤー使いならいざというときのために切断手段を用意しておくものさね。スカートの裾をコイツで切り下とせば……」
中年女性のヒールのかかとから隠し刃がせり出した。
スカートごと刺さったルアーを切り落とそうとしているらしい。
ここで大きなスキが出来そうだったが、相手に抜け目はなかった。
キャルクは片手のアンカーの照準をリコットに合わせた。
もし直接、打ち込まれたら体を貫通する威力はある。頭部に打たれたら即死だ。
「おっと。スーツの男。動くんじゃないよ。ピンクのメスガキが死ぬよ?」
強敵だと認識しているからか、二つ名の意識はフラリアーノへ集中した。
その動作を見たアシェリィは両膝をついたまま沈黙しているラヴィーゼにアイサインを送った。
反応がないのでそれが届いたかどうかはわからなかったが、彼女は釣り竿をギュッと握ると思い切りジャンプした。
そして空中でフルパワーの巻取り始めたのだ。
一気に天井からぶら下がる毒弾と巻取りで近づくアシェリィの距離が急速に迫る。
(アイツ!! 無茶やるぜ!! ほんとに捨て身のタックルをしやがった!! 相手はフラリアーノ先生に気を取られてるからこれは間違いなくクリティカルヒットする!! だけど、所詮はアシェリィのタックル。ろくなダメージにはならないはずだ。ならば、あたしがタックル直後に決めるしかない!!)
さすがのキャルクも視界の外からいきなりすっ飛んできた予想外の少女を反射神経でどうにかできるわけもなかった。
そして、思いっきり体当たりを受ける形となった。
「ぐっ!! なっ!? 体当たり……だと?」
だが、そこは手練だけあって、彼女の思考の切り替えは早かった。
「直撃!? だが痛みは殆ど無い。なにか特別な効果があるでもない。苦し紛れの捨て身ってとこかい? バカなメスガキだよォ!!」
アシェリィはタックルの勢いで跳ね返って少し距離が出来た。
キャルクの敵意が体当たりをした少女に移る。
そのほんの僅かなスキをラヴィーゼは見逃さなかった。
「その命、もらった!! 怨・黒死苦斬!!」
彼女は骨の大剣を思いっきり振りかぶって二つ名めがけて投げつけた。
真っ黒なオーラをまとった大剣はキャルクの死角から飛んできて、彼女の上半身をパックリ半分にかち割って天井に刺さった。
切れた断面から血飛沫が吹き出る。
「ぎゃあああああ!! ……い、痛い。痛い痛い痛い!!!!!!!! な、なんでだい!? こ、こんな傷を負ってるのになんであたしは死なないんだい!? ああああああああああ!!!!!」
ラヴィーゼは立ち上がって手のひらをパンパンと叩いた。
「黒死苦斬を喰らった者はすぐには死なない。苦しんで苦しんで苦しんだ末に死ぬから抵抗もできない。人殺しのあんたにゃピッタリの技だよ」
毒弾は5分ほど悲鳴を上げ続けた後、断末魔をあげて絶命した。
アシェリィとリコットは思わず目を背け、耳をふさいだ。
ラヴィーゼは自業自得とばかりに呆れた顔をしていた。
二つ名は体をよじりまくっていた。
そのため、パックリ割れていた胴体がもげてワイヤーでぶらさがった片腕の付け根だけが残る形となった。
胴は無残に地べたに落下した。その死体は瞬きする間に血までカチコチに凍っていた。
本気で呪われると思うくらい毒弾の最後は凄まじかった。マンドラゴラどころではない。
戦いはこうして終わったが、アシェリィとリコットは力を使い果たし寒さで衰弱していた。
「ラヴィーゼさん。リコットさんをこちらへ。私はアシェリィさんを連れてきます」
「OK」
2人の迅速な対処で無事に彼女らは保温されて大事にはならずにすんだ。
一息ついてラヴィーゼがフラリアーノに尋ねた。
「なぁ、先生。なんだかんだで殺っちまったけどいいのか? 本当は生け捕りにするつもりだったんだろ?」
教授は首を横に振った。
「いえ……かまいませんよ。あわよくばとは思っていましたが、我々に課せられていたのは生死を問わぬ討伐ですからね。あのぶら下がっている腕を持ち帰れば本人確認は出来ますし」
アシェリィとリコットはやむを得ないとは言え、これが初の人殺しの経験となった。
「2人共、よくやりましたね。負の残留思念といって、強敵を倒した後に悪夢や幻聴、幻覚が起こることがありますがじきに落ち着いてきます。戦いで生き残るには誰しもが通る道なので、仕方がないと割り切ってください。酷ですが、命をかけた戦いの経験が自分の命を救うことがあります。後味の悪い体験なのは百も承知ですが、この修羅場を切り抜けて生き残ったのは大きい。今はそう思ってください」
青ざめた顔色でアシェリィはラヴィーゼに聞いた。
「ラヴィーゼは……平気なの? ……人を殺したことは?」
彼女はケロッとした様子で答えた。
「いや、今のが一発目。あたしの場合は常日頃から死体とかいじくり回してるからおたくらとはちょっと感覚が違うんだよ。生と死の境目があいまいっていうかな~。でも負の残留思念はけっこう味わってるぜ。慣れないうちは気持ち悪いがそのうち気にならなくなる。あんまり気に病まねーこったな」
遠足と言うにはあまりにもヘビーな旅は終わった。
アシェリィもリコットももれなく悪夢を見たが、次第に気にしなくなっていった。
頭が思い出すのを拒んだというのが正しいのかも知れない。
ただ、過程に差こそあれ学院生が結果的に人を殺すのは珍しいことではない。
フラリアーノが言うように命をかけた実戦経験の有無が自分の生死を分けるケースもあるわけであるし、中には積極的に戦う者も居る。
アシェリィもリコットもこんな体験は二度とごめんだと思っていた。
かといっていきなりキャルクより強い相手と実戦するはめになっていたら間違いなく死んでいたとも考えていた。
そういった意味ではアシェリィ達は貴重な経験をし、確実に成長したとも言えるのだがそれを良しとするかは人によりけりだ。
3人にとって得たものは大きいが、同時に非常に強い苦味を伴う遠足となったのだった。




