キツネと女豹~M.D.T.Fの迷コンビ~
中年の割に若々しい風貌の男性はため息をついて羽ペンを置いた。
シュッと縦長でほっそりとしたキツネ顔をした男だった。
ここは王都ライネンテの高級ホテル「サウザンズ・レガシィ」の8階だ。
クマを作ってけだるそうに栄養ドリンクをあおった彼が窓の外を見ると何者かが飛び込んできた。
「またキミか。ネラ……あれほど窓から入ってくるのはやめろといっただろう?」
美しい長髪の女性は髪をかきあげて微笑んだ。
「あらフォレル。玄関から入るのなんてめんどくさいじゃない。それに、私なら足はつかないわ」
フォレルと呼ばれた男性は小さな瓶の中身を飲み干すと愚痴を言った。
「全く。今まで見つからなかったからいいものの、慎重さに欠けるバディにはヒヤヒヤさせられるよ。そりゃあ実力は買うけどね」
もう諦めたとばかりに彼は鼻で笑った。
フォレルとネラ……彼と彼女は魔術局の中でも危険だったり、厄介な問題に対処する部署に所属している。
何度かファイセルやアシェリィの窮地を助けた事がある。
彼らは通称M.D.T.Fと呼ばれている。
名前はどちらもコードネームで、ミッションのたびに変わる。
故に2人とも互いの本名を知らない。それどころかあってないようなものになっている。
2人はタッグを組んで長いが、極めてドライでビジネスライクな関係である。
それに、タッグとは言うもののピッタリくっついて行動するわけではなく、時に個別行動を取る柔軟性のあるバディである。
エージャントの半数近くが着任後、すぐに死亡してしまう中、これだけ長く生き延びているのは2人の実力と相性のおかげだった。
「で、斬宴のモルポソの死体に関しての分析結果は?」
ネリは部屋にネコのように転がり込むとベッドに腰掛けた。
「完全一致。紛れもないモルポソ本人よ。これで長いこと国軍の手をやかせてきた厄介者が片付いたわけね。倒したのは多分、コレジール老よ。一緒にファイセルくんもいたけど、彼には荷が重い。それにあの激しい死体の損壊。前者と見るのが妥当でしょうね……」
フォレルはなにか引っかかるような様子で部屋をウロウロした。
「コレジール……先の大戦のコレジール老か……。いや、何、気にするほどのことではないのかもしれないが、戦前の記憶を持つ者達……”ナレッジ”の活動が世界中で活発化している気がするんだ。となるとこれは穏やかじゃない。まぁ現段階では私らに何も出来ることはないんだが」
それを余計な杞憂と流すこと無くネラは真顔で答えた。
「ええ。注視しておくべきと上に報告しておくわ。それはそうと、秘密結社ROOTSについての調査は? 悪質な集団ならば然るべき対応をとるべきだと思うわ」
男性は机の上の書類を指さした。
「今しがた徹夜でレポートを書き終えたところさ。結論から言うとROOTSの活動は今の所、ウルラディール家の奪還に向けての土台作りだけに集中している。戦闘人員、装備、兵器、マジックアイテムなどの確保が主なものだ。もし、勝てた場合に武士としての後ろめたいところがあってはならない。だから活動理念がクリーンで、犯罪行為は行っていないし関与もしていない。それが理由でパトロンが多くてね。順調に組織を大きくしている」
女性はブーツを脱いで素足をベッドに投げ出した。
そのマイペースな様子はまるでネコである。
美しい黒髪の長髪からかまるで黒猫を彷彿ともさせる。
キツネとネコのコンビと例えられることもあるとかないとか。
「で? どれくらいでROOTSはウルラディールの屋敷を落とせそうなの?」
フォレルは投げ出されたグラディエーター・サンダルを揃えて置いた。
「元々、ルーブ派の武士はかなりの数が居た。今はカネをジャブジャブつぎ込んで更に戦力を増やしている。それこそ世界征服でもしようかって勢いだ。ただ、所詮は烏合の衆だから質ではROOTSに敵わない。その量を質が上回るには……おそらく早くとも3年はかかるだろうな」
オトナの色気のある女性はゴロンとベッドに寝転んだ。
「へいへい。気の長いこって。ルーブが世界征服する前に奪還できるといいですねェ」
茶化すように彼女はそう言った。
フォレルは額に手を当てて首を左右に振った。
「ROOTSはまぁ良いとして、”ザフィアル”が新しい教祖を担ぎ上げて少しずつ人数を増やしているらしい」
ネラはぴょこんと飛び起きた。
「ザフィアルってあの”滅亡によって世界は救済される”って主張してるカルト教団でしょ!? 寂れたはずなのになんでまた急に……。今時分、滅亡願望なんて流行らないでしょうに」
ベッドに腰掛けた男性は肩をすくめた。
「わからない。まだ調査が行き届いていないというのもあるけど、これに関しては解せない事だらけだ。だが、悪い動きであるのは間違いない。”ナレッジ”の活性化よりむしろザフィアルのほうをマークするよう上に言っておいてくれ」
女性は頷くとポシェットから何か取り出した。
「おっ、そうだ。珍しくプライベートな手紙を預かってるよ。カノジョ?」
封筒を受け取るとフォレルはすぐに彼女説を否定した。
「そんなわけがあるまい。目が回るほど多忙だというのに彼女を作っているヒマがあるか」
「M.D.T.Fの君へ byナッガン・イルストリー」
そう封筒には書いてあった。
「ナッガンか……懐かしいな。確かミナレートのリジャントブイルに教職として引き抜かれていったはずだが……」
男性エージェントは本文に目を通した。
―――久しいな。お前には呼び名がいくつもあったな。今もその調子なのだろう? 私もこちらに来てだいぶ落ち着いたので文をしたためることとした。この文が帰ってこずに届いているということは息災なのだろう。もし、帰ってきたら冥福を祈るとしよう―――
彼が手紙を呼んでいる間にネラは表紙の文字を読んだ。
「ナッガン・イルストリー……って地獄教官ナッガンじゃん!! あなた、もしかして同期だったの!?」
手紙を読むのを止めて彼女の質問に答える。
「ああ。そうだ。俺は訓練後、すぐにM.D.T.Fエージェントに、アイツは教官育成課程に進んだ。その優秀さで若くして教官の立場になった。そのあまりに苛烈な指導から地獄教官と呼ばれた。それがナッガンだ。ただ、M.D.T.Fの宿命で卒業生から死者が多数出ている。そのたびに鬼と言われたあの男でさえ涙を流したものだ。見ろ、ここに書いてある」
女性エージェントは手紙を覗き込んだ。
「俺はよくも悪くも相変わらずだ。もっとも”地獄教官”という微妙なアダ名までは引き継がれなかったようだが……。だが、ここの良いところは教え子が死なないところだ。もっとも今は蝶舞う花園のような場所だがそこで育てているのは毒蜂だ。場合によっては教え子たちが戦死する可能性もあり得る。果たしてぬるま湯に浸った俺にその覚悟ができるのだろうか?」
M.D.T.Fで国の内情や海外の動向を知っている2人はこれを読んでなんとも言えなくなった。
割と平安な今の世の中からすればそれは考え過ぎなのかもしれない。
それでももし、戦争になったらリジャントブイルは要塞として矢面で戦うことになる。
学院生の学生証には「有事の際は命をかけて学院のために尽力すること」という誓約が記載されているのだ。
武力衝突が起これば敵も味方も死者0人というわけにはいかない。
これに関して多くの学院生は臭いものにフタをして過ごしている。
自分たちは平和な世代で良かっただとか、昔はひどかったらしいとかほとんどが他人事なのである。
明日、戦になったらどうするのか?
その想像力や、決断力が欠け落ちた集団が今の学院である。
もちろんしっかり考えている者もいるが、今日明日に開戦と言われればうろたえてしまうだろう。
もっとも、彼らが無料に近い環境でこれだけ高度な教育を享受していられるのは有事の際の駒となる契約をしているからこそだ。
職業軍人でこそないものの、学院生がもし戦死してもそれは自らで選んだ道であり”自業自得”なのである。
後で「リジャントブイルになんか入るんじゃなかった」と喚こうがそれは後の祭りでしかない。
戦で名を馳せた魔術師たちを輩出した学院だと知って入ったのならなおさらだ。
だが、彼らだけを責めるのは筋違いである。
長い年月が戦争の記憶を風化させてしまったのも平和ボケの一因だ。
いや、抜け落ちたというべきだろうか。不思議と今まで戦争の経験を語るものはいなかった。
それもあって今となっては内外含めて学院を戦争の道具と思う者はほとんど居なくなっている。
むしろ、戦闘力が求められるトラブルを対処してくれるお助け屋的な側面が強い。
国軍は人員は多いが、個々の力が不足気味で、難しい問題に対する解決能力に乏しい。
国家として最低限の治安を維持する程度の力しか持ち合わせていないのだ。
教会は武力はあるがそれをすべて外部に当てることはなく、なぜか出し渋っているフシがある。
そうなると自然と腕っぷしの必要とされる案件は学院生やリジャスターに回ってくるのだ。
人助けの何でも屋。その響きが余計に自分たちが戦争の駒であるという自覚を学院生から奪っていった。
キツネ顔の男はベッドでうつ伏せになり、足をパタパタさせる女性に尋ねた。
「君は勘がいいからな。聞いてみたいことがある」
ネラは振り向いてニタッっと笑った。
「なぁにぃ? 私の3サイズなら知ってるでしょ?」
「上から92-53-86。バストは4cm盛っていて、ウェストは3cm細く自称している。ヒップだけは偽装していない」
男性エージェントは無感情かつ事務的に答えた。
デリカシーが無いのではなく、彼女の態度を皮肉ぶって答えたまでだった。
「あんた……それだからいい歳してカノジョもできないのよ……。で、何? ホントに聞こうとしてたコト」
ネコというか女豹のような女は意地悪げに上目遣いをした。
「…………この先、荒れると思うか?」
そう聞かれた女性はしばらく黙っていた。
「ずいぶん漠然とした質問ね。大抵、こういうのは荒波に揉まれるのがエキサイトで楽しいんだけど……。多分、この波は乗りこなすには大きすぎる波だわ。どれくらいかって言うと今までなんだかんだで続けてきた私がM.D.T.Fに辞表書くレベルかな。まぁ辞表書いてもどこにも逃げ場はないから結局、辞めるタイミングなんて無いのよ……」
ちらりとネラの方を向くと彼女は視線を落として儚げな表情をしていた。
それを聞いたフォレルはベッドから立ち上がってホテルの窓から夜景を眺めた。
「君の勘が外れたことはない。大波荒波……か。目と耳を塞ぎたくなるような事態はまっぴらゴメンなんだが……。それはそうと、仕事が終わったらちびちびやろうと思ってた30年モノのデュ・ガルムがあるんだが、一杯やらないか?」
ネラは起き上がると両手で自分の胸元を覆った。
「あら? オトナの女を酔わせて何する気? 襲っちゃやあよ♥」
男は全く気にかける様子もなく、どっかり椅子に座りグラスに古酒を注ぎ始めた。
「んもう!! 本当につれないんだから!!」
フォレルはグラスを突きつけておちょくるように笑った。
「フッ。君こそそんな気はこれっぽっちもないクセに。よく言う」
女性エージェントは酒につられてベッドから転げ落ちるように駆け出した。
そして彼の隣のイスにちょこんと座った。
「へへ~。すいません。すいませんからデュ・ガルムを!! どうか!!」
そして2人はなんだかんだで笑い合いながら古酒を飲みかわすのだった。
普通の男女間の関係とは明らかに違うし、同僚と言うにも違和感がある。
そんな絶妙な距離感が彼らが任務で生き残れた理由なのだ。




