昼寝のジャマをしないでよ
賢人と言われる人々は常に血の滲むような努力し、人の為に役立っている。
そう思われがちだが、非常にマイペースな賢者も中には存在する。
朝というか昼に近い午前11時過ぎ、冴えない無精髭の男はハンモックから起きた。
「ふぁ~あ。あ、今日もこんな時間かぁ……。さて、ぼちぼち起きるかね」
彼の名はオルバ。雲を作って操る創雲の二つ名を持つ賢人だ。
ファイセルとアシェリィを育て上げた師匠でもある。
出来れば後を継いでほしいとは思っているが、後継者目当てというわけでもなかった。
樹をくり抜いた家に住んでいて、もちろんドアも木製だ。
外に出ると暖かな陽光が彼を照らした。
そのまま人を寄せ付けない結界霧を抜けて近くの塩湖”ポカプエル湖”へと歩いていく。
少し前まではこの湖は非常に過疎っていて、物好きな人しか訪ねることが無かった。
しかし、アルマ村が発展して交通量が増えた結果、ここに寄る人はかなり増えた。
ピクニック、観光、賢人探しなどで人が来ない日が無くなってしまったほどだ。
オルバは以前の静かな湖が好きだったが、これはこれで悪くないと思っている。
ただ、毎日のように通う人もいるのでしょっちゅう湖に姿を現すと不思議に思われかねない。
こんなどちらの街からも遠い場所に住人がいるはずがないからだ。
特に彼に弟子入りしたくてオルバ探しをしている子どもたちに見つかってしまうと非常に都合が悪い。
弟子はもう足りているし、彼ら彼女らには申し訳ないが正直めんどくさかった。
簡単に見つかるわけもないのだが、賢人は妙に用心深い。
それにこう人目につくと思うように”仕事”も出来ない。
仕方ないので彼は裏庭に水を引いてある程度の大きさの湖を新たに”創った”。
成分は本体の湖と変わらないはずだし、互いに繋がっているので薬品などを混ぜればそれがそのまま反映される。
静かな環境のまま安定して雲創り出来るというわけである。
「しっかし、さすがに疲れたな。湖の地盤を形成するのに地面・岩属性の幻魔に多くマナを支払ってしまった。彼らとはあんまり仲良くないからなぁ。一晩寝ても全身がだるい……」
もっとも彼の場合は毎日、早寝遅起きなのだが。
「えっと……水を引いてからそんなに時間が経過していないから……水の性質が安定していないはずだ」
そう言いながらオルバは試験管から透明な液体を小さな湖面に垂らした。
しばらくすると人差し指くらいの小さな女の子の妖精が姿を現した。
「えっと、確かリーネが5thだったね。その後、もう1人妹が出来たから君は暫定的に7thと呼ぶことにしよう。早速だけど、7th、この湖の性質分析の結果を教えてくれない?」
生まれて間もないからか感情の起伏がないようで、抑揚のない発音で彼女は喋った。
「はい。Master。この湖のポカプエル湖との成分一致率は77%です。平均水温差0.8℃、phはほぼ同値です。塩分濃度は0.85倍。初期値にしてはおおむね良好ですが、不純物も14%ほど混じっています。ただ、地・岩石エレメンタルで形成された湖のため母体より地属性が37%高いです。また、森の中に存在するため、母体と比べ樹木属性のエレメンタルが26%高くなっています。農業や飲料用の雲を創るには全く支障ありません。ただこれでは精密な成分コントロールは難しいでしょう。早急な水質の改善を推奨します」
オルバは顎に指を当てて考え込んだ。
「ありがとう。7th。う~ん、思ったより純度が低いな。ダムとかは作り慣れてるけど、さすがにデリケートな水質環境を作ろうとすると苦労するもんだな。やれやれ……」
雲の賢人はあまり意識していなかったが、彼が行っている行為は理想の成分の液体を追求する事である。
それはもはや錬金術の領域に足を突っ込んでおり、召喚術を使うか、調合するかのアプローチの違いはあってもやっていることは変わらなかった。
「そうだな。7th、一度、試験管に戻ってきておくれ。君をこの湖の守護精霊に任命するよ。セヴンス・レイク……これが新しい湖の名前にしよう。君の術式を書き換えて微調整しながら本体の湖とのシンクロ率を上げる役割をしてもらいたいと思う。大事な役割だよ。よろしく頼むからね」
試験管の中の液体はチャプチャプ揺れてキラキラと光った。
「了解ですMaster。何なりと御用をお申し付けください……」
彼女は無機質なやりとりしかしなかった。
だが、あのリーネでさえ生まれた直後は彼女とほとんど同じだったのである。
まるで人間のように成長する妖精達に関してオルバは想定外だった。
成長する設定などどこにも織り込んでいないのに彼女らは自然と人格を持ち、個性を確立していく。
人とのふれあいで育っていく彼女らに今の賢人は可能性を見出していた。
「ふっ……きっと”キミ”のおかげなんだろうな。おっと、もうお昼の時間だ。7th、家に帰ろうか」
味気ない返事が帰ってくる。
「了解です。Master」
かなり自宅に近い場所に新しい湖を作ったので、歩いて数分も経たずに樹の家へとたどりついた。
家の前の開けた草むらには3mはあろうかという美しい蒼色の狼が座っていた。
「やあアルルケン。ご苦労さま。で、パトロールの結果は?」
丘犬と親しみを持って地元民から呼ばれる彼は鼻をスンスンと鳴らした。
「おおむね問題ねぇよ。荒れ地の発生は無かった。ただ、無縁仏が1体ゾンビ化しててな。手堅く浄化してきたが、穢が生じている可能性もある。一度周辺を洗ったほうが良いだろうな。シリルの郊外から南に5kmの森の中ってとこか」
狼型の幻魔、アルルケンは極めて鋭い嗅覚の持ち主で、異変を迅速に察知することが出来る。
それを聞くとどこからともなくオルバはサモナーズ・ブックを取り出した。
「サモン!! エリアル・コンベアラー!! 運天!!」
すると高速で雲に乗った仙人のようなタヌキが現れた。
「なんじゃいオルバ。して用件は?」
彼は目を細めて手に持っている杖を手入れしていた。
「ポエッシーに指示を出して水分を大気中に上げるから、出来た雲をこのあたり一帯に拡散させて欲しいんだ。ポエッシーのサインで気体は水滴に変わる。その恵雨でエリアを浄化しよう。定期的にやっておかないと荒れ地が発生しかねないからね」
運天は了解はしたものの、疑問を呈した。
「しかしオルバよぉ。ポエッシーのやつじゃが、湖に人が増えたせいで完全に悪目立ちしておるようじゃぞ。アヤツ目当ての観光客もかなり増えておる。おとなしいヤツじゃから危害は加えんと思うが、見世物のようでちと気の毒ではないかの?」
高位の幻魔は主やマスターと契約主を呼ばなかったりもするし、中には人並み、人以上に知恵の働く者もいる。
「だいじょぶ。だあいじょぶだって。ポエッシーはあれでいて結構、人懐っこいんだ。でっかいから皆、怖がって近寄らないけど、本人はむしろ来客が増えて喜んでるよ。想定以上のポテンシャルを発揮してるしね」
ポエッシーは非常に首の長い水竜のような姿をしているが、そのフォルムや見た目、淡いピンク色の体色などからチャーミングで可愛らしい感じすらある。
ポカプエル湖だからポエッシーとオルバが名付けた。極めて安直なネーミングである。
背中にいくつもの噴出口が空いており、水を飲んでそこから吐き出すと霧や雲を生成できるという能力を持つ幻魔だ。
雲を作ったり、送ったりするのは大抵、このポエッシーと運天だけで可能だ。
雲を創るのはともかく、それを広い範囲に送り届けるには多大な労力とマナが必要となる。
よって、運天を召喚して雲を押し出している間は気が抜けない。
油断して集中力を欠くと負荷に耐えきれず、気絶してしまいかねないのだ。
オルバは慣れないうちはしょっちゅうこれをやらかして気を失っていた。
もっとも、弟子のアシェリィのほうが派手にこの気絶をやらかしたのだが。
幻魔が見込みのある格下の召喚術者に能力の使用を許可することがある。
これはソウル・インヴェスト、魂の投資と呼ばれる契約である。
投資とはいうが実際はローンのようなもので、払った分の分割払いが終わるまでは肉体活動や精神が停止してしまう。
実力のついた召喚術師でもうっかり荷の重い契約してしまうことがあるので用心せねばならない。
ポエッシーの雲作り、運天の雲運び、アルルケンのパトロール、カッゾの結界霧、そして7thの維持。
オルバは5つもの召喚術を同時行使しているのである。
これはもう超人的としか言いようがなかったが、彼はこれを涼しい顔をしてやってのける。
召喚術師でないファイセルにはいまいちわかりかねるが、アシェリィからすれば頭が全く上がらないのも無理はない。
彼女の場合は下手すれば1体召喚でも気絶してしまう事があるからだ。
賢人はふらりと家に帰り、水色に近い青色をしたアザリ茶を淹れた。
アザリ茶は頼国南部、ラーグ領名産のお茶だ。
クセが少なく、口にした瞬間にほのかな甘さと香りがする。
この一帯ではどの家庭でも飲まれているメジャーな飲料だ。
それに白ミミズのあんを練ったものを中に詰めて、サザ竹の葉でくるんだサザ草だんごを取り出してきた。
街であるシリルはもうちょっと垢抜けたものを食べているが、アルマ村などはこういった伝統的な草だんごが主食である。
しばしば仲間から茶化されるがアシェリィも好物は草だんごである。
「いただきま~す」
マイペースに拳より少し小さい草だんご3つとアザリ茶を味わって彼は満腹になった。
(う~ん……最近報告に来ないけどリーネは元気でやってるかな? まぁいっちょ前に反抗期が来てるみたいだけど……)
お腹がいっぱいになったオルバは眠くなってきた。
「ふぁ~あ……昼寝でもするかな」
彼は2時間そこそこしか起きてないのにまたハンモックで昼寝を始めた。
傍から見たら「なんてぐうたら生活だ」と思われるだろう。
しかし、彼はこうして眠っている間もマナを消費して24時間、精神を酷使し続けているのだ。
とてもマイペースではあるが、彼も血の滲むような努力をしている賢人の1人だといえるだろう。
雲の賢人が眠りかけると一般人がたどり着けるはずのないドアが誰かにノックされた。
「んん? また国立魔術局の人? 悪いけど、今、昼寝中なんだよね。邪魔しないでよ」
そう言いながらオルバはドアに枕を投げつけたのだった。




