大胆不敵な虚言
ラーシェは未だに自分がどうなってこうなったのかを全く理解していなかった。
(えっ……どうして、私、ジュリス先輩と……下着姿で……そんな!! どーしよ!? 全然記憶に無いよ!! お酒一気飲んだのは覚えてる……でもその後……覚えてない!! でもコルセットがそんな簡単に脱げるわけないし!!)
彼女はぱっさりと脱げ落ちたコルセットを見つめた。
もっとも、ジュリスが実際に手を出したのは縛りヒモを解いただけであって、あとは酔っ払ったラーシェの寝相によるものだったのだが。
上下の黒い勝負下着だけになった女性は激しく戸惑った。
(えっ……ここ……ホテルだよね!? その割にはジュリス先輩は服着てるし、ソファーで寝てるし……。え? これ、どういうことなの?)
彼氏に目をやるとスカイブルーの上着を肩からかけてソファーで熟睡している。
(えっ……でも普通、こういうのってカレシも服、脱いで並んで寝てるはずだよね……? う~、頭痛った~い……)
思わず唸り声をあげるとジュリスが伸びをして目覚めた。
「う、う~~~ん」
起きるなりソファーで半身を起こして寝ぼけ眼で頭をワシャワシャとした。
(うっわぁ!! ヤッバッ!!)
ラーシェはパニックになってベッドで眠ったふりをしたが遅かった。
「おはよう。昨日は眠れたか?」
今更になって狸寝入りを決め込むわけにも行かず、首だけ布団から出して彼女はカレシのほうを見た。
「お、おはようございます。昨晩はその……す、すいませんでした」
横になったままペコリと女性は頭を下げた。
ここで紳士的な返しも出来たが、昨日のお返しとばかりにジュリスは意地悪げに笑った。
「ああ。いや、気にしてねぇよ。それより、昨日の晩の君は激しかったな。まさかそんな積極的だったなんて……。俺もすっかりバテちまってこんな時間まで寝ちまったよ……」
もちろん2人は一線を越えてなどいない。
だが、ジュリスはあえて思わせぶりな発言で彼女を揺さぶった。
彼は言葉遣いや態度ともかく、根は極めて紳士的な男性である。
しかし、こういう局面でグイグイ攻めてくるのが完全な優男であるファイセルとの決定的な違いだった。
もっとも、この虚言はかなりの力技だ。
しかし、ラーシェとの今後の真剣な付き合いを測るには避けては通れない道だった。
実際、そういう間柄にいつなってもおかしくないわけであるし。
それに細かいことはあとでいくらでも言い訳できるが、ここで彼女をうっかり離してしまうともう二度と捕まらないと青年は確信していた。
もちろん年頃の女子を騙くらかすというのに良心の呵責がないわけではなかった。
しかし、ここまで関係が進展したと思い込んでいる本人とのムードを台無しにしてしまえばそれこそ今後の悪影響は避けられないだろう。
下手をすれば初めてづくしの彼女自身に男性不信のトラウマを埋め付けかねない。
荒っぽい手段ではあったが、この状況で下手な誤解なしに精一杯の思いやりを働かすとすればこうするほか無かった。
ラーシェは恥ずかしがってベッドに潜り込んでしまった。
カマトトなどではない。大真面目である。
「ほほっ、ほんとに私……センパイと……そそっ、その……」
口ごもって大事な言葉が口にできない。
ジュリスは微笑みを浮かべたまま首を左右に振った。
「いいっていいって。そういう野暮なことは口に出さなくて。お互いの知らないところを知る機会だった。そう思うことにしようぜ。さ、服を着なよ。いつまでもそのまんまじゃ風邪引くぜ」
先輩はソファーに座ったままくるっと向きを変えてラーシェに背を向けた。
振り向いた方は釈然としない顔色だ。
(う~ん……マジで昨日の晩の記憶がねぇみたいだな。まぁあんなアルコール度の高ぇ酒を一気飲みしたら意識もブッ飛ぶのも無理はねぇんだが……。にしても至ってジェントルな態度をしたのにちょっかいだした事になるわけか。なんだかなぁ……)
ボーッとしながら彼が窓の外の朝日を眺めているとラーシェがシャツの袖を引っ張った。
「ん? 着替え終わっ……ん!?」
カノジョは不意打ちで振り向きざまのカレの頬にキスをした。
気持ちの切り替えの早く、ポジティブなラーシェは勝ち気な表情で笑った。
「へへ。先輩のほっぺキス、も~らい!!」
ジュリスの葛藤はこの口づけによって一瞬で吹き飛んだ。
「こ~い~つ~……手間かけさせやがって~!!」
グッっと力を入れて彼女の両腕を握り、彼はラーシェをベッドに押し倒した。
それなりに力がある彼女でもとっさのことに反応しきれなかった。
年上の男性はそのままカノジョを見つめた。
互いに濃厚な視線のやりとりが交わされる。
女性の心臓はドキドキと脈打って今にも爆発しそうだった。
「せっ、せんぱい……わた、わたし……」
すぐにジュリスは力んでいた力を抜いて優しく両手を手放した。
「なーんてな。昼間っから盛ってねーで帰るぞ。さすがにこんなに明るいのにレディをひん剥くほど分別のない男じゃねーしな」
それを聞いてカノジョはとても安心したようだった。
それもそのはず、昨晩に酒を一気飲みした後の記憶がまったくないのだから何をどうしたかなんて覚えているわけがないのである。
いざその時が来たらどうしようかと内心、気になったりはしていた。
「ベロンベロンに酔ってたら何も覚えて無くて面白くねぇだろ? だから次はシラフにしとこうぜ」
その提案にラーシェは顔を真っ赤にして激しく狼狽した。
「はははっ、恥ずかしくて、そそそっ!! そんなことが、でででっ、出来るわけないじゃないですかぁ!!」
上着を羽織った男性は相手に向けて指を指した。
「その喋り方……フォリオみたいだぞ」
しばらく2人は沈黙した。
「くくく……あはははは!!!!」
先に笑いだしたのはジュリスのほうだった。
「そ、そんなぁ。気の毒ですよ。でも言われてみれば……ふふ、ふふふ……」
場が和んだのでカレシはカノジョに聞いてみた。
「で、こうなっちまったけど、君は俺とこういう関係になってイヤじゃなかったのか? 俺が一方的に手を出してしまっていたのならそれはそれで問題だからな。そこんとこハッキリしておかなきゃならない」
ラーシェはストローハットで口元を隠して彼から視線をそらした。
「その……なんて言っていいか。あまりにも急だったので。心の準備も出来ていませんでしたし……。実のところ、あんまり覚えてなくって。あぁ、でも先輩とがイヤっててことは一切なかったですよ。むしろ嬉しかったっていうか……。えへへ……恥ずかしいですね……こういうの」
カノジョは身をよじってモジモジした。
なんだかんだでジュリスの大胆不敵な虚言は大成功だったというわけである。
半ば賭けに近いものもあったが、覚悟を決めてラーシェを手繰り寄せた青年の勝利だった。
彼は心の中で大きな安堵のため息をついた。
同時に完全にラーシェが事後ムードになっていることを重く感じた。
(まぁ俺は女遊びする質でもねぇし、別にいいんだけどな。負わなくても良い責任を負っちまった気がするぞ。ラーシェ一途で大事にしていけばそこらへんは問題ねぇだろう。後ろめたいことはねぇはず……)
自分で意地悪げに虚言を吐いたのだから因果応報なのだが、なんだかスッキリしない。
結果オーライだったのでジュリスは深く考えるのをやめた。
「じゃあ、晴れてこれで正真正銘の恋人だな!! つってもそんな肩に力入れなくていいぞ。もっと自然体で接してくれよな。君は力むと姿勢に出るからすぐわかるんだよ。そーいうとこも健気ではあるんだが……」
ラーシェはまた恥ずかしそうに帽子で顔半分を隠した。
「それに、そんな焦らなくたっていいだろ。普通、デートで焦ってテンパるのは男のほうだぜ? ましてや初デートなんだから過度な期待はしてなかったよ。くれぐれも次は古酒一気飲みとか止めてくれよ?」
カレシはイヤミにならない程度にカノジョを嗜めた。
「いいか? 君は笑ってるだけで魅力的なんだ。だから自ずと周りに人が寄ってくる。何か特別な事をしなけりゃいけないって考えは止めるんだな。だから、ありのままの君を見せてくれれば俺はそれでいい。ちょっと欲を言えば俺だけにしか見せない面も見せてくれれば……」
ジュリスはさらりとキザなセリフを言ってのけたが、イケメン無罪で発言が説得力に満ちていた。
それを聞いたラーシェは意外そうな顔をした。
しばらく黙っていたがやがて、白くて美しい歯を見せてニカッっと笑ってみせた。
「そう!! それだよそれ!! それだけでいいんだからさ。次のデートからは肩の力を抜いてくること!! これ課題な。達成できなかったら単位没収!!」
「え、ええ!? 単位って何のですか!?」
カレシは指を振って答えた。
「恋人単位だ!!」
ジュリスは割とマジだったが、ラーシェは苦笑した。
「あは……あはは……。それ先輩の当てつけじゃないですか」
2人は仲良く寄り添ってチェックアウトの時間まで過ごすとホテルを出た。
昨日、今日と連休で今日も暇はあったが初デートということで最初から1日でお開きにする予定だった。
ラーシェはホテル前で背伸びしてジュリスの頬にキスをした。
お返しにカレシのほうはラーシェをハグした。
カレシも寮住まいだったが、帰りがけに野暮用があるとのことでホテルの前で解散した。
その3分前、ラーシェと同じチームでカレシ無しのメリッニとソールルは今日も無邪気につるんでいた。
「あいかわらずあっちーねー」
「ミナレートはそういう気温設定なんだからしょうがないでしょ……お?」
金髪のポニーテールに見たことあるような丈の白いワンピース。
あれはラーシェに違いない。声をかけようとしたメリッニをソールルが止めた。
「待って。脇に誰かいる。あの赤くて長めの髪は……」
「ウッソ!? ウワサのジュリス先輩じゃん!! しかもホテルから出てきてね!?」
遠くで何を喋っているかはわからないが、とても親密そうである。
2人は揃って興奮しだした。
「え、え、あれって……マヂヤバくね?」
「ほ、ほ、ホテルからって……ヤバイね……」
2人が物陰からガン見しているとさも当たり前のように2人はキスとハグをキメて別れた。
死ぬほどカレシの欲しい2人に1抜けしたラーシェのこの姿は滅茶苦茶キツいものがあった。
まるで生きながらにして拷問を受けているようなものだ。
「うっ、うおえぇぇぇ!!!!」
「あぐあぐ……ゴボガボゴボ……」
2人はメンタルダメージのあまり、泡を吹いてしばらく気を失ってしまうのだった。
これはもう不幸で気の毒な遭遇としか言いようがなかった。




