旦那も嫁も危機一髪
ファイセルが戦っている頃、彼の妻であるリーリンカもまた戦っていた。
彼女は魔法薬学担当のヴィンズ教授と相談していた。
「先生、休日にフィールドワークで少し南のトカレ村に立ち寄ったのですが、多くの人が涙とよだれを頻繁に拭っていました。これはもしかして風土病の”青トカレ”なのでは……?」
白衣を着た優男風の男性教授はイスを回転させてこちらを向いた。
「うん。マイナーな病気だけどよく勉強してるね。最初は目や口から体液が流出し始めて徐々にそれが青くなっていく。最終的には血まで真っ青になってしまい、衰弱しきって死んでしまう病気だよ。伝染病じゃないから伝染る事はないんだけど、何しろ見た目のインパクトが凄いからね。差別の対象になりがちなのさ。しかし、はて……最近は青トカレの話は聞かなかったんだけどなぁ」
教授はしばらく目線を泳がせたがすぐにリーリンカに視点を戻した。
「そうだ。君が調査にいってくれるとありがたいなぁ。大事にはしたくないから他言に無用で1人で行ってくれるのが好ましい。解決出来ないようなら連絡をくれればヘルプを送るよ。もっとも、私の見込みでは君1人でなんとかなると思ってるんだけどね。まぁ目撃してしまったのが運の尽きってとこかな」
期待されるのは嬉しいが、同時に責任重大でもある。
「風土病対策のいいシミュレートにもなりますし、私が引き受けます。こんなことで死人を出したくないですし」
ヴィンズはウインクして彼女を指さした。
「Good!! それでは早速向かってくれたまえ!! 公欠扱いにしておくから」
リーリンカはありったけの道具と調薬素材をリュックやらポーチに詰め込んだ。
もしかして青トカレ以外に戦闘などで薬を使うことがあるかもしれない。
もっとも、ミナレートからトカレ村は非常に安全な道のりでモンスターに襲われる危険性はゼロに近かったが。
肉体強化が得意でない彼女は息を荒げながら半日かけて例の村についた。
もしザティスが同じ条件で走ったとすると1時間かからずに到着してしまうだろう。
リーリンカは大荷物を下ろして村の広場のベンチに腰掛けた。
だが、明らかに様子がおかしい。村に誰も居ないのだ。
村の外部の目撃者が居ないという意味では好都合であるのだが。
ボーッと建物を眺めていると誰かが深緑色の制服の裾を引っ張った。
「おねぇちゃん……」
小さな女の子の声がする。声の方を振り向くと真っ青に染まった目から大量の青い涙を流す少女が目に入った。
「う、うわぁっ!!」
おもわずリーリンカは飛び退いてしまった。
「お、おねぇちゃん……私、怖いの? 私、ヘンなの……?」
とても幼い少女は真っ青な目から青い涙と唾液を垂らしている。
学院生はすぐに我に返ってしゃがみこむと女の子の肩に優しく手をかけた。
「大丈夫。怖くないよ。それより、あなたの名前は? お父さんとかお母さんは?」
(まずいな……。もう結構、進行してるぞ……)
青トカレ病の少女は首を左右に振った。
「あたし、パルミ。おとーさん、かーさん、ねたきりなの。パルミと、ダムンおじさんだけがまだうごけるの。でもパルミもなんだかきもちわるいよ……ゴホッ、ゴホッ」
口元を押さえた彼女の手のひらは真っ青に染まっていた。
「とりあえずダムンおじさんの話が聞きたいな。案内してくれる?」
まだあどけない村娘はコクリと頷くと薬師を食堂まで案内してくれた。
店内に入るとカウンターに男性が突っ伏していた。
「はい、いらっしゃい……」
店主はかろうじて顔を上げた。
「あんたは……旅のお客さんか? こ、こんな状態ですまないが……」
リーリンカは駆け寄ってマスターの背中をさすって気を使った。
「やめろ!! 店をやってる場合か!! 相当つらいだろ……。無理に喋るんじゃない。答えるだけでいい。なにか最近この村で変わったことはなかったか?」
今まで発生しなかった風土病がいきなりぶり返したことにはなにか理由があるはずだ。
「かわった……こと? 特に変わったことは……。あ、いや、珍しい野菜を売る店のアンケ婆さんが亡くなったくらいか……。普通の八百屋より美味くて評判がよかったんだ……ゲッホ!!ゲホッ!!」
まだ情報が足りない。彼には悪いが質問を追加した。
「そのアンケ婆さんの言動や行動に変わったところはなかったか?」
マスターは苦しそうに再度、体を起こした。
「そうだな……。しきりに弟子になる……人物を探していた。婆さんの野菜は評判が良かったが、同時に……得体のしれない植物も育てて居た……。だから、弟子になろなんて変わり者はいなかった……。しかし、婆さんも……急に逝っちまったもんだ。……あれじゃ無念だろうよ、ゴッホゴホ!! せめてパルミがもう少し大きければ……。あの娘はまだアンケの死を……理解できていないんだ……」
それを聞いて青い長髪の美少女は目を見開いた。
「もういい!! 喋るんじゃない!! それだ!! その御婦人の家はどこだ? 案内してくれ!!」
テーブルに突っ伏すマスターの代わりにパルミが村の中を案内してくれた。
アンケの家はこじんまりとしたやや縦長の建物だった。
「カギがかかっている!! ダメか!!」
すると付添の幼子はリーリンカのすそを引っ張った。
「あたし、よくあそびにきてたんだ。こーやってね……」
パルミは家の陰に回り込むと壁をリズムよくノックした。
「おばあちゃんねたままおきないのかなぁ」
そうつぶやく彼女のわきに今まで見えなかったドアが出現したのだ。
「これは……魔術的結界!! アンケは魔女だったのか……」
入ってみると至って普通の間取りだったが、よく目を凝らすとテーブルとテーブルクロス、そしてイスの位置取にも魔術的結界が成立していた。
リーリンカはテーブルの周りを右に3回、左に3回とめぐり、イスを全て引いた。
そしてテーブルクロスに両手を置くと音を立てて天井裏への隠し階段が出現した。
「ビンゴ!!」
彼女がそこへ登ると巨大な錬金釜が置いてあった。
天井は不思議な素材で半分透けていた。これなら釜の中身を村中に分散させることが出来る。
きっとその老婆はここから薬物を村に充満させ、病気を防いでいたのだ。
だが、釜の中を覗くと中は空っぽだった。
「これじゃあ病が戻るわけだ。すっからかんではあるが、ちゃんと液体を霧状にして撒く魔法円は底に刻んである。これなら必要な薬品だけ用意できれば村中に風土病を治療する気体で満たすことが可能なはずだ。多分、家の中までも届くだろう」
リーリンカはリュックやポーチを床に置いて釜の質を観察した。
「ふむ。なかなかいい作りだな。どうやって大量の薬を調合、投薬したものかと悩んでいたところだったが、おあえつらむきの一品じゃないか。錬金釜からアイテムを生成する錬金術はサッパリだが、魔法薬学でも優秀なマジックアイテムとして使うからな。まぁここまで本格的なものはいささか値が張るが……」
薬使いは拳ほどの地味な灰色の石を釜に入れた。
「S・S……しばらくの間、浸かっているものと同じ液体が湧くマジックアイテムだ。まぁ血液など高度なものには使えないが」
そして彼女は腕をまくった。ここからが本番である。
たとえ調合に失敗したところで直接的な悪影響は出ないだろうが、村人たちはもうそう長く持ちそうでは無かった。
迅速かつ確実に治療薬を完成させないと死人が出る。
リーリンカの額から汗が滴った。
彼女は分厚い本の栞の頁を開いた。
「えっと……青トカレの治療薬の材料はアザリの葉にドラゴンもどきのしっぽ、黒樹木の涙、ラバル塩、暴れ魚のはらわた、そして長寿ワイン!! よしッ!! 全部揃っている!! あとはこれを調合比率通りに混ぜて、かき混ぜるだけ!!」
しばらくすると手応えがあった。釜の中の液体がゴポゴポと泡立ちながら増えっていったのである。
やがて錬金釜からは無色透明の湯気のような気体が立ち上り始めた。
「効果を確認しないと!!」
リーリンカが階段を降りるとパルミが机に突っ伏していた。
「おい!! パルミ!! 大丈夫か!?」
彼女を支えて仰向けにすると学院生はぎょっとした。
まだ真っ青な涙とよだれが止まっていないのである。それどころか着実に悪化している。
リーリンカが強いのはこういう時に焦らない冷静さを持っていることである。
彼女をイスに座らせると薬作りの女性は瞳を閉じて考え込んだ。
「ふむ……。時に病気は変異することがある。そうなったら当然、治療薬も変わるものだ。青トカレが変化しているとでもいうのか? その割には今まで抑え込んでいられた。という事はレシピになにか加えていたことになるな。やっぱり”変わった野菜”か?」
彼女はどこかに治療薬の成分表でもないかと物色したがそれらしいものはない。だが、新たな発見はあった。
イスをテーブルと反対方向へ向けて壁にくっつけたのである。
パルミのイスもちゃんと移動させた。すると軽く建物が振動した。
テーブルの下を覗くと下り階段が出現していた。
「ずいぶん念入りだな。この村はマナの無いエンプが多いようだ。自分が魔女だとバレたくなかったんだろうな……」
彼女が階段を下りきると地下室が姿を表した。
その光景を見て思わずリーリンカは立ち尽くした。
そこには大量のプランターに植物が栽培されていた。
「な、なんだこれは……オオアカアサガオに、ハチアロエ、クロヘビの実……毒を持つ植物ばかりじゃないか……。もしかして、これを混ぜて治療薬を作っていたとでも言うのか? こんな組み合わせ、薬本にはないぞ……」
栽培されていた植物はどれも微毒だったが、流石に適当な配合で村に散布するにはリスクが高すぎる。
彼女が肩を落としながら階段を登っていくとパルミが歌を歌っているのが聞こえた。
「ハ~チアロエは……おっきいのにほん~♪ オオアカアサガオタネ……ひとつまみ~♪ クロヘビの実……はんじゅく4コ~♪ こーれでおくすり……かんせいかんせ~♪」
いきなり薬使いが現れたので彼女は驚いた様子だったが、さっきの歌っていた歌について語った。
「へへ~。こればあちゃんのおうた。どくのあるしょくぶつだからひみつだよって」
それを聞いてリーリンカは閃いた。おそらくこの歌の内容こそが治療薬のレシピだと思ったのだ。
どれも毒物ではあるが、組み合わせによっては無毒化も可能であるしむしろ良薬として機能する場合もある。
だんだん弱々しくなる少女の歌を頭にすり込みながらリーリンカは地下室の植物を採集した。
そして一気に階段を駆け上がった。
「このままこれらを村には流せない!! でも幸い、どれも微毒だ。私が実験体になれば無毒化できる組み合わせかどうか検証できる!!」
彼女はここぞという時の勇気があった。
釜から液体をすくって配合率を計算した地下の植物を足した。
「んぐっ!!」
そしてリーリンカは豪快に毒物を入れた液体を一気飲みした。
「…………………………まずい」
顔を歪めて歯を食いしばっていたが、どうやら悪影響はないらしい。
飲んで問題ないのだから散布するくらいなら大丈夫だろう。
すぐに彼女はパルミの歌どおりの分量で地下室の植物を釜に入れた。
シューシューと音を立てて無色無臭の気体が村中へと散布された。
急いで階段を降りるとパルミが床に倒れ込んでいた。
「ウソだろ……手遅れ……だったか?」
「ん……んん……」
よく見ると彼女の体から溢れていた真っ青な体液は止まっていた。
「パルミ!! 具合は?」
少女は笑いながら首を縦に振った。
「うん!! だいじょぶ!! ダムンおじさんのところにもいってみようよ」
リーリンカとパルミが建物の外に出ると今までがウソのように村人が行き交い、村は賑わいをとりもどしていた。
「ッッッはあああああぁぁぁ!!!!」
思わず薬師はアヒルずわりで座り込んでしまった。
「おねーさん、へーき?」
さっきまで弱りきっていた少女に心配されてしまった。
「おねーさん、パルミね、れんきゅんじつする~」
「ああ、大きくなったらな……。にしても全く心臓に悪い。こういう安請け合いはするもんじゃないな」
ファイセルとリーリンカの夫妻は全く同じことを考えていたのであった。




