握ったその手は暖かくて
コンコン……コンコン……
ガラスのようなものを叩く音が聞こえる。
目を覚ますとそこは奇妙な緑色の液体の中だった。
「ごばぁ!! ばんばぼべ!! ぼぼぼぼ!!!!」
喋ろうとするが、液体が喉までなだれ込んできてゴボゴボとしか言えない。
それでも不思議と呼吸は妨害されず、息が苦しいとかいったことは一切なかった。
足元から網状の足場がせり出してきて、クラティスはリアクターの上で座る形となった。
「クラティス、治療完了です。さぁ、そこのハシゴから降りてきて服をてね」
自分が全裸なのに気づくと彼女はパニクったが、気持ちをなんとかおちつけて魔術修復炉に立てかけてあったハシゴを降りた。
すぐに用意された肌着に着替えるとやっと一息つくことが出来た。
「これがリアクターかぁ……見たことはあるけど使うのはこれが初めてだなぁ……」
向かいの修復炉にも誰か入っていたので隙間からコッソリ覗いてみた。
そこには美しく赤い長髪をゆらゆら揺らして裸のリーチェが浸かっていた。
膝を抱えるように丸まっている。まるで胎児のような姿勢だ。
「そっか……リーチェでも負けること、あるんだな……」
クラティスがまじまじと観察していると、リーチェも治療が終わったようで足場で外に出てきていた。
「やべっ!! とりあえず自分のブースに戻ろう」
彼女が入っていたリアクターのそばでは優しそうなお姉さんが炉と中の液体をメンテしていた。
「あら? 向かいを覗きに行ったわね? ま、女の子同士だからあれこれは言わないけれど……関心はしないわね」
クラティスはウインクにペロっと舌を出してはぐらかした。
しばらくするとリーチェも落ち着いたようだったので彼女に会いに行った。
「よぉ」
「クラティスかぁ!!」
久しぶりの再会に長い赤髪の少女は嬉しそうだ。
「しっかしリーチェ先生、意外と乳デカいのな」
「おまっ、バッカ!! それセクハラだぞ!! ハァ……ま、今に始まったことじゃないが」
呆れる彼女を無視しつつ応援団の少女はリアクターを指さした。
「なぁ、リーチェは今までリアクター漬けになった事あんの?」
「いや、ないけど? どうして?」
クラティスは後頭部に腕組みして魔術修復炉を見つめた。
「なんていうか……大怪我して入った割には気分が清々しいというか。妙な爽快感があると言うか……」
リーチェは驚いたような顔をしてそれに同意した。
「あ、それわかる。体中の疲れがとれた。それに、治療してるのは間違いないんだけどなんか良い夢を見ていたような……。そんな気がするよ」
2人はリアクターの感想やジャングルでの体験を話ながら特設テントを出た。
決して広いキャンプでは無かったが、ジャングルのど真ん中にしては高機能を持った施設だった。
崖の上から密林を見下ろしていたナッガンがクラティスとリーチェに気づくとこちらに歩み寄ってきた。
「どうだリアクターは? 悪くないだろう? まぁ使わないのに越したことはないが……」
グラヴィトン・ボムをモロに食らった方の少女はニカッっと笑いながら答えた。
「いやぁ、もうスゲぇっす!! あれだけ全身バキバキに骨折して内臓も傷を負ってるはずなのにここまで完治できるとかハンパないですよ!!」
それを聞くとナッガンは厳しげな表情をした。
「魔術修復炉は正確に言えばマナの色を元にそれぞれ本来あるべき姿に戻るための装置だ。だから腕や足の切断も治すこともできるし、傷ついた内臓を再生させることも可能だ。ただし、リアクターは万能ではないし、決して過信してはいけない。損傷率が高い部位は当然、再生できない。更にタイムリミットがシビアだ。少しでも炉に入るのが遅れれば後遺症が残ったり、死ぬ。だから前線では治療班に頼ることになるのだ」
魔術修復炉に頼りすぎていたなとクラティスもリーチェも反省した。
「ところで……他の皆はどうなっているんです?」
応援団員はたまらずナッガンにそう聞いた。
「ん? なかなか上出来だぞ。一ヶ月を見込んでいたのだが、ここのところのパーティー結成の早さは目を見張る物がある。流石にファントムズ・ヘイツ相手ではリアクターを使う事態にも陥っているが……」
クラティスは首を傾けた。
「ファ、ファントムズ? ヘイル?」
リーチェが話に割って入った。
「あの青白い象の事ですか? 赤い象に比べて段違いの強さでした……」
教授はコクリと首を振って腕組みをした。
「ああ。その青白い象はファントムズ・ヘイツという。早い話が怨念でパワーアップしたものだな。巨大化したり、不死者化もしたりもする」
クラティスは明るい茶髪の頭をシャカシャカと掻いた。
「あー、もう無茶苦茶じゃないですか!! 私ん時だってグラヴィトン・ボム使わなきゃ勝てなかったし!!」
それを聞いて平然とした表情でナッガンは答えた。
「なんだ。なんだかんだで勝ってるではないか。今はもうヤツらを相手にするパーティーの下地は出来始めている。あとは残りの孤立しているクラスメイトが合流出来るかという問題がある。更にパーティー同士も合流し、かつ互いに意思疎通しながらサーディ・スーパを討つかが問題だ。邪神はそう甘くはないぞ。さて、おしゃべりはそろそろ終わりだ。お前ら準備をしろ」
2人は装備類を確認した。もっともリーチェの武器は髪の毛なので、ほぼ手ぶらの状態でも戦闘が可能だ。
Potを補給して腰のベルトに付けたポーチにいくつか入れた。
一方のクラティスは学ラン姿に白いはちまきをしめていた。
「あ~、やっぱこれだわ。気が引き締まる」
彼女はパンパンと頬を叩いた。
彼女は戦闘フォームが2つある。
1つは今まで戦ってきたチアガール姿での空中コンボを得意とするエアリアルスタイル。
もうひとつは学ラン姿で地上戦にウェイトを置いて、旗の部分を盾に使うヘヴィスタイルがある。
もっとも、コスチュームは気分の問題であってどちらを着ていてもフォームのチェンジは出来るのだが。
「あんたってさぁ、応援団ってより切り込み隊長だよね。もっと激励系の魔術使ってやらんの?」
はちまきを締め直しながら彼女は笑った。
「ジッとしてるのは性に合わなくてね。それに、あたしの応援スタイルはある程度、人数が揃わないと効果が薄いんだよ。最低でも5人くらいはいないとあたしが戦ったほうが早いわけ。そのかわり、大人数になるとバフの効果もぐっとあがるんだけどね」
ちょっと納得行かないような顔をしてリーチェは相槌をうった。
「ま、もしジャングルであったらよろしくね。今度は勝ち残ってみせるから」
「おうよ!!」
クラティスはガッツポーズをとった。
重症を負ったにも関わらずそう言える彼女らだが、そのメンタルとガッツは日頃のスパルタで鍛えられたものだ。
リジャスターが6人が囲む輪の中心に立つとすぐに2人は離れ離れに密林へとランダムテレポートされた。
一方、森の中ではファーリスがファントムズ・ヘイツから必死に逃げていた。
「ハァ!! ハァ!!」
ここのところ、野戦病院の常連だが逃げるのは上手くなっていて回数は減ってきていた。
だが、また今回は追い詰められていた。
彼女が走っていると急に視界が開けた。
「お、小川か……わ、渡るしか無い!!」
ファーリスは恐る恐る水場に足を踏み入れた。
急がないと後ろから象がやってくる。
思ったより川は深く、腰のあたりまで水に浸ってしまっていた。
なんとか渡りきれるかと思ったその時、川底のコケで滑ってしまい彼女は頭まで川にのまれてしまった。
「うわっ!! うわぁああ!! うゴボゴあああぁボガボゴガボ!!!」
ファーリスはカナヅチだったのだ。腰の丈の水の流れでも溺れてしまう。
なんとか必死に水をかいて浮き上がり、沈まないようにもがいた。
するとだんだん水深は深くなり、流れも早くなってきた。近くで大きな水音が聞こえる。
(え……ウソでしょ? ……滝!?)
彼女が流れていく方向に目をやると川がそこで途絶えている。
ファーリスは絶望感に包まれた。もし滝から落ちて無事でも溺れてしまう。
昔のトラウマが蘇り、余計パニックになった。
「ガボゴボボ!!! だべか!!! たずげべーーーーーー!!!!!!」
そのままカナヅチ少女は高い高い滝から落下した。
野戦病院行き確実といったところで思わぬ助っ人が現れた。
彼女が流される少し前……
「あ~ぁぁ♪ ジャングルのみ~ずはう~めぇ~べ♪ ジャングルのみ~ずもうんめ~べ♪ やさいはも~~~っとうんめぇべぇ~~~~♪」
滝壺のフチに腰掛けて田吾作は釣りをしていた。
実は彼も釣りが好きでしばしばアシェリィと釣りの話で盛り上がったりする。
もっとも、高級な竿を買うようなガチ勢ではなかったが。
今の彼はのんびりしていた。最初の頃は仲間と合流せねばという強い思いがあった。
だが、これだけ誰にも会わないと自分一人で遠足を生き抜くしか無いという結論に達し、開き直っていたのだ。
しかし、覆しようのない孤独感には常に苛まれていた。
象との戦いは危険だったが、ここの野菜でパワーアップした彼ならなんとかなっていた。
一人ぼっちなのを除けば完全にマイペース・ジャングル・スローライフである。
「ん? なにか聞こえただ? 上の方から甲高い声が……」
田吾作が上を見上げると女の子が降ってきた。
「うおあぁ!! こりゃいかねーべ!! マイティ・キューカンバー!!」
彼は白黒縞々(しろくろしましま)キュウリを一気に食べると、落ちてくる少女をキャッチしようと位置を調整した。
「ふんぬぅ!!」
無事に彼は落ちてきたファーリスをキャッチした。
「ファ、ファーリスでねっか!! 大丈夫だべか!?」
揺すっても反応がない。慌てて田吾作は彼女を寝かせた。
「ここ、こういう時はまず腹を押して水を吐かせるだ!!」
ムキムキの筋肉で彼女を押しつぶさないように加減して腹部を何度か押す。
しかし、彼女はびくともしない。
青年は戸惑いながら長い群青色の髪の少女の胸に耳を当てた。
ろくすぽ女子にも接してこなかった田舎の純朴男子は死ぬほど緊張した。
「心の臓は……動いてるだ!! かくなる上はまうす・ちゅう・まうすってやつしかねぇだか!?」
そこに下心は一切なく、あるのは戸惑いのみだった。
「男、田吾作!! おなご1人の命救えずになにが救えるか!!」
青年はくちびるをとんがらせてファーリスの唇に自分の唇を近づけた。
「ブフゥゥゥゥゥゥーーーーーッッッ!!!!」
あとちょっとのところで思いっきり少女は水を噴いた。
「ゴッホゴホ!! ゲホッ!! あ、あれ……私は?」
田吾作はびっしょり濡れた顔を肩の手ぬぐいで拭ってにっこり笑った。
「よぉかっただぁ……。ファーリスが死んでしまうかと思ったでよ!!」
水を大量に飲んでいたが、どうやら腹を押したのが効いたらしい。
しばらくすると彼女は落ち着きを取り戻した。
「田吾作、助けてくれて本当にありがとう。流石にどうなることかと思ったよ。こんな高さから落ちたのにその筋肉で支えてくれたのか? 思ったより君は逞しいんだな。見直したよ。これならこの先やっていけそうな気がするな」
彼女がそう言いきると彼は泣き笑いになっていた。
「この1週間、だんれにも会えなかっただ。おら……おらぁ寂しかっただよぉ……」
何度も手ぬぐいで涙を拭う。
個性である団子鼻はもう真っ赤っ赤である。
そんな青年の手をファーリスは手にとって握った。
「はは。男子たるもの簡単に涙をみせるのは感心しないな」
すぐに田吾作も彼女の水で冷え切った手を握り返した。
「おら、もう笑ってんだか泣いてんだかわがんねーべ!!」
2人はひとしきり笑うと息を合わせて密林の奥へと進んだ。




