運命的なものを感じますわ……
遠足開始から1週間、アシェリィはようやく自分の置かれている環境に気づきつつあった。
頭上に気配を感じて見上げると人影が樹の間を縫って見えた。
ジャングルで迂闊に声を上げるのは危険に直結するが、今まで誰にも気づかれなかったので思わず叫んでしまった。
「あれは……ノワレちゃんだ!! お~い!! ノワレちゃ~ん!! ノ~ワ~レ~!!」
ヤケクソでこれだけ大声を出せば気づいてくれるに違いない。
そんな彼女の希望はあっさり打ち砕かれた。
「うそ~ん……。これで3人目だよ? すれ違うっていうか明らかに視界に入ってるのに……」
少女はその場に座りこんで両脚を投げ出した。
すると、手元になにかが居るのに気づいた。
「チチ……チチチ……」
小さな緑の小鳥が地面をつついている。
アシェリィはなんとなく、その小鳥に手を伸ばしてみた。
普通、警戒心の強い野鳥はこんなに接近されたら間違いなく逃げるはずだ。
むんずっ!!
なんと、気づくと彼女は小鳥を軽く手で握っていたのだ。
ハッっとして手を開くと小動物は驚いて飛び去っていった。
「ウソ……。何コレ……。もしかして、森に一体化しすぎてるの? だとしたら今までの説明もつく……。だってあまりにもモンスターに襲われないし。きっと傍から見たらはっぱちゃんみたいに見えてるんだろうなぁ」
実際、アシェリィは密林の魔物とは数えるほどしか戦っていなかった。
ジャヤヤ象に関しては一戦もしていない。至近距離で観察していた程である。
彼女は他のクラスメイトとは全く別の視線でジャングルを歩いていたのだ。
また合流のチャンスを逃したと思われたが、まだ近くにノワレは居るはずだ。
少女はサモナーズ・ブックを素早く取り出して、表紙に手のひらを置いた。
「むわっ!! 青臭っ!! こりゃ森の一部になっちゃうわけだよ!! ええと……人間のエレメンタルに近いのは……血とか!?」
召喚術の使い手は親指の先を八重歯で切って表紙に押し当てた。
そして同時に再びエルフの少女の名前を精一杯叫んだ。
もうリスクがどうとか言っていられなかった。彼女も孤独に耐えかねていたのだ。
「ノワレちゃ~~~~~~ん!! ノ~~~ワ~~~レ~~~ッ!!!!」
思いっきり叫んだら気分がスーッとした。これが吉と出るか凶と出るか。
しばらくすると頭上からハラハラと葉っぱが落ちてきた。見上げるとそこには確かにノワレの姿があった。
音も立てずに彼女は樹上から着地した。
「ノワレちゃん!!」
思わずアシェリィはノワレに駆け寄って抱きついた。エルフは樹木に近い存在だが人間と同じ体温をもつ。
確かな人肌の温かみが感じられる。気づけばアシェリィは泣いていた。
「う、うう、う……。寂しかったよ~~~」
突然抱きつかれてノワレは少し驚いたが、すぐに優しく抱擁し返して彼女の後頭部をなでた。
「あらあら……しょうがないお方ですわね……」
エルフの元姫君は優しく少女を抱きしめた。
しばらく泣きじゃくると少女は落ち着いて、いつもの元気なアシェリィに戻った。
それを見てノワレはホッっとして笑みを浮かべた。
一方の人間の少女は恥ずかしかったのか目線をそらした。
そして2人は焚き火を囲って焼き魚を頬張りながらここまでの孤独な1週間をさんざん愚痴りあった。
そして互いの体験を共有し始めた。
「……そういうわけで、私は象とは全く戦ってないんだ。敵意も向けられてないから力量の差もよくわからない。ただ、大きくて強そうだなって思うだけ。ノワレちゃんは?」
エルフの少女は額に手を当てて首を左右に振った。
「ハァ……。なんとも呑気なことですのね。まぁ私も極力戦闘は回避してきたので人のことはいえませんわ。ただ、どうしても避けられない戦いで数匹は倒していますわね。矢の消費が激しくて一度に数体を相手にするのは厳しいですわ。相手はかなり硬いですし……」
アシェリィは不思議な顔をして尋ねた。
「あれ? ノワレちゃんの矢が無くなったのを見たこと無いけど、どうなってるの?」
そう訊かれてノワレは指を振りながら答えた。
「あら? 言わなかったかしら。このエルフ特製の矢筒はチャージ式なのですわ。戦いながらシード・アウェイカーで筒の中の弓矢の種を高速成長させてますの。木製の矢ということになるけれど、鉄の弓矢と性能に遜色はありませんわ。まぁさすがに銀の矢とかには劣りますわね。それに完全に打ち尽くしてしまえばしばらくは射てません。まぁ、そういう場合は……」
エルフの少女は腰にぶらさげた小袋から種を取り出して握った。
すると、すぐにその目に見えないほどの小さな種が立派な矢に成長した。
「おおっ!!」
アシェリィは思わず目を見開いた。
「シード・アウェイカーは一応、奥の手という事にしてますの。ですから皆からは弓の印象が強いでしょうね。本来はこれも織り交ぜて戦うバトルスタイルですのに……」
T3Dなどもこの魔術に当たるが、T3Dは負荷が高すぎてよほどのことでも無い限りは使えなかった。
それに、T3Dは制御が効かない。周りを壊して回るわけにもいかないだろう。
彼女はイクセントとの死闘を懐かしく思い出していた。
「ん? サブの武器も変わってるね。大きな斧じゃなくて、小ぶりな剣だね。品がいい感じがするけど、その剣にも何か記憶が?」
まさか馬鹿正直にソード・オブ・ヴァッセ(SOV)の事情を話すわけにも行かなかったのでシャルノワーレは適当にやりすごした。
「ええ。神殿守護騎士のお下がりですわ。この剣はいまひとつですが、流石にあの大きさの戦斧はこの密林では邪魔になってしまいますから……」
彼女は質問に答えているうちに、重要なことを聞くのをすっかり忘れていた。
「ハッ!! アシェリィ、貴女、青白い象は見まして?」
びっくりするほどの剣幕で彼女はアシェリィにそう聞いてきた。
「う……ううん。私が見たのは赤いのだけ。っていうか青白いのも見たの?」
ノワレの顔色が悪い。浅葱色の汗をダラダラ流している。
「赤いヤツはなんとかなりましたの。でも青白いやつは非常に好戦的で鼻がぐいーんと伸びますの!! 悔しいながら、私は逃げるしか出来なくて。それがずっと追いかけてきますのよ。危うくに追いつかれるかと思いましたわ」
樹上での移動速度がトップクラスのノワレが逃げるのに苦戦したというくらいだ。
かなりのスピードを持った魔物であることに間違いはなかった。
その体験を聞いたアシェリィは難しげな顔をして顎に指をやった。
師匠のオルバ譲りのクセのある仕草である。
少し考えると彼女は口を開いた。
「私さ、遠足が決まってから、何かの役に立つかと思ってダッハラヤに関する冒険譚を読み漁ったの。邪神サーディ・スーパはダッハラヤ現地のピエロみたいな見た目だとか、大人数のパーティーを狙うとか書いてあったよ」
とても有益な情報にとんがり耳の少女は耳をピクピクさせた。
「でね、ジャヤヤ象って赤いらしいんだ。これは私も見たから確信できる。それだけじゃなくて象牙狩りが始まると決まって強力な青白い象が出現するんだって。なんでもサーディ・スーパの憎しみのせいらしいよ。”亡霊の憎しみ”で生まれるモンスターだからファントムズ・ヘイツって呼ばれてたみたい。F・H。だからきっとノワレちゃんが追い回されたのはそいつに違いないよ」
焚き火の燃える音だけが聞こえる。
切り出したのはアシェリィだった。
「1人じゃ勝てなさそうでも、2人なら勝てるかもしれない。どう思う?」
エルフの少女は真剣な顔をしたまま俯いた。
「正直なところ、私と貴女では歯が立たないでしょう。よしんば撃破したとしても相打ちで野戦病院行きは免れないと思いますわ……。チームワークのとれたメンバーが3人は居ないとまともにやり合うのは……」
その答えにアシェリィは首を横に振った。
「ノワレちゃんはリスクを減らしていきたいのはわかるけど、今後のことも考えて挑んでみるのもいい経験になると思うよ。死ぬほど痛い思いをするかもしれないけど、遠足ならヘルプは来るからね。本当に殺されちゃうわけじゃないし」
修行で何度も致命傷を負った彼女は良くも悪くもメンタルが強くなり、この程度ではビクともしなくなっていた。
一方のノワレは彼女に呆れると同時にその危うさが気になってしょうがなかった。
もちろん、アシェリィはアシェリィでレッドラインを超えないように動いているのだが、ノワレからすれば彼女は既にラインを越えていた。
誰かが止めなければ彼女は近いうちに死ぬ。それぐらいの危機感をノワレは抱いていた。
もっともそれはそれで過保護な杞憂であり、アシェリィはそんなヤワではなかったりするのだが。
いつのまにかエルフの少女の顔はこわばっていた。
それを見て召喚術師の少女が声をかける。
「まぁまぁ。ノワレちゃんそんな怖い顔しないで。何もこっちから積極的にしかけるわけじゃないって。襲われたら応戦するくらいの感覚だよ。イヤだなぁ。私、別にマゾでもないし、戦闘狂でもないし。戦闘回避ができるならそれに越したことはないんだから。あ、コレ冒険家の鉄則ね」
我に返ったシャルノワーレは穏やかな表情を取り戻した。
「ええ。わたくしとしたことが……オーバーでしたわね。そのスタンスには賛成ですわ。まずは赤い象を倒しながらパーティーメンバーを増やしていきましょう。ファントムズ・ヘイツが出たその時は―――」
2人は視線を合わせて息ぴったりにハイタッチした。
「ふふ……ポヨパヨの時といい、本当に貴女とは縁がありますわね。運命的なものを感じますわ……」
心なしかノワレの頬は赤く染まっている気がする。
「はは。そうだね!!」
だがアシェリィは大して気にするでもなく無邪気に笑みを浮かべていた。




