タコの亜人とインチキドクター
タコ人間のニュルは手負いの状態で興奮して息を荒げた人物に出会い、警戒して思わず武器を構えた。
やがてそいつが近づいてくると彼は驚きの声をあげた。
「ドクか!! なんだドクじゃねぇか!! びっくりさせんじゃねぇよぉ!!」
モンスターかなにかかと思えたが、よく見ればちゃんと人の形をしている。
だが、なんだか雰囲気がおかしい。いつものドクとは何かが違うのだ。
「スハハスハ!! スーハー……スハスハスハ!!!!!!」
奇妙な呼吸の仕方をしている。もしかしたらどこか悪いのだろうか?
「お、おい。ドク。どうしたんだ。そんなおっかねぇ目ぇして」
インチキ医師の卵の目は灯火のように爛爛と鋭く輝いていた。
「おい!! おいったら!! 聞こえてねぇのか!?」
ニュルがそう声をかけるも彼は黙ったまま荒い呼吸をしている。
謎の威圧感に押されてタコ人間の青年は冷や汗をかいた。
しばらくその場を沈黙が包んだ。
無音を破ったのはドクだった。
「だはあっ!? ハァ……ハァ……」
彼は棒立ちから急に前かがみになって膝に両手をついてダラダラと汗を流した。
しゃがみ込みそうなのをこらえてよろけながら体を起こす。
「ニュル。あなたを探していました。血の匂いをたどってここまで来たんです。見たところ、今のあなたはかなり重傷だ。このままでは野戦病院行きで、せっかく私と合流したチャンスを逃してしまう。なんとしても治さねばなりません!!」
急に冷静を取り戻してまともになったドクは一層、不気味だった。
もしこれが普通の医者だったら今すぐ治療に移ろうと思うだろうが、相手はウイルスエンサァである。
確かに医学的な知識はしっかりしているし、ここぞという時にクラスメイトを救っている。
だが、無視できないレベルの副作用……実害が出るのもまた事実だ。
ドクを信用している者でさえ投薬、治療、施術には勇気がいる。
なので、疑り深い者や、リスクを避ける人間、そして信頼に欠ける者は治療の類を拒否することもある。
ニュルは以前、傷口を縫ってもらったことがある。
5分くらいで患部はくっついたが、半日の間、全身がかゆくてしょうがなかった。
だからタコ人間としてはドクには強いネガティブイメージがある。
いくら大ダメージだからといってここでこのインチキ野郎に頼ったら何が起こるかわからない。
ニュルは過ぎたことは気にしないタイプだが、さすがにその時の事はあまりにも酷かったので根に持っているのだ。
おそらくオクトパスラーの特性を知っているドクなら足を再生させる気でいるだろう。
しかし、ちょっと縫った程度であれなのだ。
それこそ足を再生させたらどんな強烈な副作用が起こるかわからない。
「悪ぃ!! 正直言わせてもらうと俺はおめぇの治療の副作用が怖ぇーんだわ。弱虫とでもなんとでも言うがいいさ!! 別にお前という人間を信用していないわけじゃない。ウイルスエンサァが問題なだけだからな!! 野戦病院の手間が増えんだろ!!」
それを聞いた青年は目をそむけた。
「野戦病院に収容されるの、辛いですよね。私は何度も運ばれています。設備は良好なのですが、治療を受けている間のあの惨めな感じ。それを何度も何度も繰り返す……。正直、私はもうあそこへはいきたくありません。しかし、このままではあなたも私もまた野戦病院行きだ。繰り返します。私は行きたくない。ニュル、あなたは?」
自分だけではなかった。何度も何度も治療されては密林に放たれるの繰り返し。
同じクルーに「また来たよコイツ」と内心思われているのではないかという疑心暗鬼
そして、自分の無力を噛み締めさせられる惨めさ。
ニュルとドクは野戦病院でほとんど同じ感情を抱いていたのだ。
言葉は無かったが、ここで2人の意志と気持ちがシンクロした。
「ええい!! もういっそ一思いにやってくれ!! 頼む!!」
タコ人間は苦虫を噛み潰したような顔をしながら途中で切断された足を差し出した。
「心配しないでくださいとは言えませんが、ベストは尽くします」
そう言うとドクは怪我人のそばにしゃがみこんでカバン状の医療キットを取り出した。
「これはまた……無茶な戦い方をしましたね。傷口の損傷が激しい。ですが、幸いあなたには足の再生能力がある。野戦病院で魔術修復炉は使っていませんね?」
タコ人間は樹木に体を預けながら首を縦にふった。
「あぁ、リアクターは使ってねぇよ。医療チームがベッドで完治させてくれぜ……」
手際よく怪我人の血液を採取するドクはしっかり落ち着いていつもの彼に戻っていた。
「それなら治療できる見込みがあるかもしれません。大丈夫。前にあなたから採血させてもらった血液は分析してあります。万が一にと思い、オクトパスラーの身体構造についても勉強しておきました。少なくとも副作用以外は問題ないと思います!!」
彼は慣れた手付きで止血ジェルを患部に塗った。
「いって~~~!!!!」
ニュルは痛みで悶た。
そしてドクはつぶやきながら輸血パックを正体のわからない黄色い薬剤で満たした。
「おい、やっぱやめ―――」
遠慮なくドクターの卵は針をクランケの足を刺した。
「な、なぁ……ちなみにこれ、なんの薬だ?」
恐る恐るニュルが尋ねる。
「別に変なモノは盛っていませんよ。このパックの中身はあなたの血と反応して血液量を回復させるもの。単なる輸血をするにもオクトパスラーと人間の血液は成分が違いますからね。今のあなたは血も体液も流れ出てしまっている。これでは迅速な再生は不可能です」
言われてみると貧血によるふらふらや目眩が少しずつ治まってきた気がする。
またもやドクは医療キットの前に座りこんでなにやら調合し始めた。
「つ……次はなんだ?」
彼は出来上がったわずかな量の薬物を患者に見せた。
小瓶に入ったそれは美しい青色にキラキラと輝いていた。
「オクトパスラー属の傷ついた足の再生を促進する薬です。この薬自体は研究が進んでいるので珍しくも難しくもない薬です。ただ、意識して素材を用意しておかないと作れない薬ではありますが……」
それを聞いてタコ人間のニュルは感動していた。
「おめぇ……わざわざ俺のために薬の用意をしといてくれたのか?」
明らかにやつれたドクだったが、それでも彼はにっこりと笑った。
そして彼は青い薬剤を輸血パックに注ぎ足した。
「すまねぇ……。すまねぇ……」
下を向いていてわからなかったが、ニュルは密かに声を押し殺して漢泣きしていた。
「くっ、私も限界です。とりあえず誤魔化し程度に消臭剤を……」
手術後の青年は辺りに臭い消しを撒くと力なくカバンのそばに座りこんだ。
「あとは運に頼るしか無いですね……。ニュル君に見張りをさせるのは酷というもの。後少し、私がこらえねばならないでしょう」
気づくとドクは戦意高揚剤に手をかけていた。
「おっと……いけないいけない。割と綺麗なドラッグとはいえ、薬漬けは勘弁です。廃人にはなりたくありませんし……」
青年はバタンとトランクを閉じてそれに腰掛けた。
彼が綺麗なドラッグというだけあってこの薬には禁断症状があまりない。
もっとも、”あまり”なので、あるにはあるし、それが問題にもなっているのだが。
強い意志を持たなければ流されてしまっても恐ろしくはない代物だ。
この悪い遊びは家から除名された直後に覚えたものだった。
だが、インチキと名高いファーナズ医師にそれを咎められるとは夢にも思わなかった。
ドクは腕を組んで医療トランクを枕にジャングルの夜の空を見つめた。
「ファーナズ先生はさぞかし怒るだろうなぁ。彼はドラッグの類は全否定だったからな。でも、先生と出会わなければ今頃は麻薬にでも溺れていただろうなぁ。やっぱもう戦意高揚剤はやめよう」
師匠の悲しげな顔が思い浮かんだ彼はトランクを開け、液体状のの合法ドラッグを地面に撒いて捨てた。
「こんなもので目覚めるとは皮肉なものですね……。でももう私にこれは必要ありません。強い意志をもってして誘惑を断ちます。ファーナズ先生、見ていてください」
薬物を廃棄し終わるとまたもや青年はトランクに座った。
そして視線を正面に移した。
「さて……問題は副作用だな……。今のところはまだ症状が出ていないようだけれど、これはかなり酷い副作用を覚悟しておかないといけないかもしれませんね。そしたらニュルにさんざん怒られてまた信用されなくなるかもしれませんね……。まぁ考えてもしかたありませんね」
色々あって疲れ切ってしまい、2人は朝まで密林の中で眠ってしまっていた。
「ハッ!!」
慌ててドクは辺りを見回した。
「良かった。ジャヤヤ象やモンスターには襲われていないようですね……。っと!! ニュル君は!?」
彼が樹に寄りかかったタコ人間を見ると無事に足が再生していて、10本に戻っていた。
「おお、やった!!」
思わずドクはジャンプして喜んだ。
「ク……シ……ク……」
ニュルのほうから声が聞こえる。
「シク……シクシク……」
何があったのか、彼はすすり泣いている。
「ニュル君!? 大丈夫ですか!? 傷がいたんだり、異常がありますか!?」
それを聞いて10本足の亜人は首を左右に振った。
「違う!! 大丈夫。大丈夫……なんだが、昨晩から漢泣きが止まらねぇのよ!!」
治療した青年は額にてのひらをあてた。
「あちゃ~……副作用ですね。まぁ軽かったほうかな?」
「軽いじゃねぇよ!!」
こうしてなんとか2人は密林の夜を乗り切ったのだった。




