恋の屍が二体、恋のキューピッドが一人
ジュリスは人気のない防波堤の縁に座りこんで海を眺めていた。
うっすら弧を描く水平線が美しい。
ミナレートは南国の気候を再現しているので海はサンゴ礁で筆舌に尽くしがたい綺麗な蒼色をしていた。
この防波堤はたまに釣り人が来るくらいで、静かなところだった。
名もなきここで波の音を聞いていると自然と心が癒やされた。
一人、ポツンと海を眺める青年に後ろから声をかける者が居た。
「ガリッツく……あ、いや、ジェリス先輩……?」
声の主は艶のある金髪のポニーテールを前かがみで垂れるラーシェだった。
「おう、悪いな。わざわざ呼び出しちまって。まぁ横に座ってくれ」
深緑の制服の女性は少し距離を開けて脚をぶら下げるようにして彼の隣に座った。
しばらくは沈黙が続き、波の音だけが聞こえていた。
「綺麗な海だな……。変形させられてるときは海を見る余裕さえなかったんだ。ようやく自分が戻ってきた感じがする」
ジュリスは拳を握ったり開いたりした。
「ふふふ。よかったですね。でもまさか中身が人間だとは思いませんでしたよ。ナッガン先生も意地が悪いですね」
元・バケモノの青年は脚をパタパタ振って笑った。
「はっはっは!! ナッガン先生はいつもあんな感じだからな。意外とサプライズ好きで、いたずら心とかあるんだぜ。まぁ無理難題をふっかけることも多いが、そのさじ加減が絶妙なんだ。だからだれも落伍しなずに成長していく。……憧れの先生さ」
またもやジュリスは遠海を眺めた。
その横顔は清々(すがすが)しい顔をしている。
目の保養になるほどの美青年で赤髪が美しくなびいた。
ぼーっとラーシェが彼を見ていると、相手もこちらを見返してきた。思わずドキっとする。
「今日呼び出したのは……お礼がいいたかったんだよ」
セミメンターの女性は首をかしげた。
「お礼……ですか? 何もお礼を言われることはしてなかった気がしますが……」
ジュリスはまた海に視線を移すと続けた。
「君だけなんだよ。ガリッツになった後も逃げ出さなかったのは。他の連中は暴れたり、ドブ臭い、不気味とさんざん言って皆、離れていった。チームメイトでさえな。俺はかけがえのない味方から見放されたんだ。そんな中、文句一つなしに介抱してくれたのはラーシェ、お前だけだったんだぜ……」
彼は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
ラーシェも思わず俯いた。
「……そうだったんですね。それはさぞかし辛かったでしょうね……」
研究生の生徒は向き直って頭を下げた。
「ありがとう。本当に……ありがとう」
深々と頭を下げる彼にラーシェは困惑した。
「せ、先輩。いいですから。顔を上げてください」
顔をあげると青年は苦笑いした。
「でさ、こっからが本題なんだけど……ラーシェ、君は彼氏とかいるのか?」
何気ない質問だと思って彼女は正直に答えた。
「いませんけど……それが何か?」
ジュリスは真顔をすると真剣に頼み始めた。
「俺さ、君と一緒にいたいと思うんだ。あんな俺に優しくしてくれた人が彼女になってくれるんならこれほど幸せなことはない。それに、君は美人だからな。ほっとくと誰かにもっていかれそうで……」
ラーシェは唐突な告白に頭がついてきていなかった。
急な頼みとは言ってもガリッツとしてそこそこ長い期間、顔を突き合わせているので、ごく自然なことではあるのだが。
しかし、今回はケースがケースだけに女性側からするとまだ彼女はジュリスの事を知らなすぎた。
死ぬほど望んでいた彼氏だったが、いざ機会が来るとパニックに陥ってラーシェはうまく返事が出来なかった。
ジュリスはややぶっきらぼうなところはあるが、優しいし、イケメンだし、高身長だ。
ラーシェとしてはドストライクの男性だった。
「ん~。え~。あ~。違うな。いきなり彼女になってくれって頼まれても困るわな。そうだな……。お付き合いを前提にしてお友達から始めませんか? ってとこか?」
ジュリスはにっこり笑ってこちらを見ている。
「あ……え……。そ、その、今日はこれから後輩の指導があるのでお先に失礼します!! それじゃ!!」
しかし、ビビった彼女はコントロールが効かなくなってしまい、脱兎のごとく猛スピードで逃げ出してしまった。
ジュリスはフッっと軽く吹き出して笑った。
「あーあ。フラれちまったか。ま、仕方ねぇな。恋愛に現を抜かしてねぇで学問に専念しろってこったな」
しばらく海を眺めていると背後から声をかけてくる人物が居た。
「ジュリス……やっぱりここにいたのね……」
青年が半身をよじって後ろを向くと紅蓮色の制服を来た女性がそこには居た。
「なんだ。クエリィか。まぁ座れよ」
無言のまま長いダークグリーンの髪色をした女性が隣りに座った。
やがて口を開く。
「コロシアム……見たよ。相変わらずで腕は鈍ってないみたいね……」
ジュリスは黙ったままだ。
「ジュリス……本当にゴメンね。私が悪かった。だから……また前みたいに……」
彼は目線をそらした。
「なんだ? 前みたいに彼氏彼女の関係に戻りたいとでも言うのか? 俺が変形しちまった後、拒絶しておいた奴がよく言うぜ。お前の氷みたいにつめてぇ態度は忘れられねぇな。そんなヤツとヨリを戻す気はこれっぽっちもねぇ。……だが、俺もガキじゃねぇからな。友達で満足するようなら後腐れなしだ」
クエリィは元カレの顔を覗き込んだ。
「そんな!! どうしても、どうしても彼女には戻してくれないの!? あの女のせいでしょう!? 私、聞いてたんだから!!」
元カレは忠告した。
「お前、もしあの娘にちょっかいでも出してみろ。永遠に絶交だからな」
ジュリスはキツい口調で言い放つと防波堤を後にした。
「確かに私が悪かったわ。なのに……なのに許してはくれないの? 私、ジュリスの事……諦められないんだから……」
一方のラーシェは走りながら泣いていた。
「あああぁ!!! なんで私、あそこで返事出来なかったの!? ジュリス先輩となら是非、お付き合いしたかったのに!! いくら本命から告白されたこと無いからって!! 私のバカバカバカ!!」
彼女は海岸線からスタートしてミナレート中を物凄い速さで走り抜けていた。
そのあまりの速度に何が通り過ぎたのかわからない人も多かった。
ビュオッ!!
素逸庵の脇を駆け抜ける。
デッキ席にたままたメリッニとソールルが座って甘味を食べていた。
「ん~? 今の深緑で黄色いの、ラーシェじゃね? なんでこんな街中で全力疾走してんのさ? しかも泣いてなかった?」
すっかり闘技場のキズから回復した橙色の髪のメリッニはイスにのけぞるように座っていた。
「あ、ホントだ。でもタダ事じゃない気がするんだけど。事情を聞いてみようよ」
一方のクールミントカラーヘアーのソールルは提案した。
「店員さん。お代、ここに置いとくよ。じゃあソールル、行くべ」
「うん。なんかメチャクチャなルート走ってるから挟み撃ちにしよう!!」
メリッニはてのひらに拳を押し当てた。
「おうよ!! 親友の悩みは自分の悩み!! なんかヤケッパチじみてるラーシェの話を聞いてやろうぜ!!」
普段はあまり相性の良くない2人だったが、ここぞというときは妙なコンビネーションを発揮する。
「ラーシェ!! ラーシェ!! そんなに顔を真赤にしてどうしたの!!」
集中力のきれたラーシェのスピードはかなり落ちていて、追いつくことが出来た。
「うわ、やっば!! ソールルじゃん!! こんなとこ見られたくないよ!!」
走り回る女学生は涙を袖で拭いながら再加速した。
「ふふ~ん。この路地に追い込めば行く手をメリッニが塞いでいるはず。いくらラーシェと言えど、二人がかりで取り囲めば捕まる!!」
我を忘れて暴走する彼女の前にメリッニが立ちふさがった。
「どうどう!! 止まって止まって!! ラーシェ、そんなに泣いてどうしちゃったのさ!! 水臭いぞ!! 困った時の親友だろ!? アタシたちに相談しな。ね?」
背後から別の気配が感じられる。
「言ってることちょっとクサいけど、メリッニの言うとおりだよ。ラーシェがそこまで取り乱すなんて只事じゃない。私達に話してみたら?」
「う、うう……ひっぐ……」
力の抜けた逃亡者は2人に抱えられてパーラー・コクーンに入った。
ここは繭を模した座席が有り、内部の話し声は外に漏れない仕組みになっている。
密談やアレなうわさ話などによく用いられるカフェでもある。
落ち着きを取り戻しだしたラーシェはジュリスに告白されたという衝撃の事実をポツリポツリと語り始めた。
本来ならここに連れてきた2人が彼女にアドバイスするのが筋なのだろう。
しかし、メリッニもソールルも彼氏が欲しくてしょうがなかったのでこれには大ダメージを受けた。
(ガビーン!! なんてこったぁ~!!! ラーシェが一番乗りじゃ~~~ん!!!!!)
(うぐうっ!! ジュリス先輩ってあの真紅の髪のイケメンじゃん!! ウッソォ!!)
思わず2人はショックを受け、白目をむいて固まってしまった。
ラーシェとのユニコーン娘三人組はなんとなく崩れることがないと思い込んでいたので余計にだ。
「うぐ……ひっく……ううう……2人は……2人はどう思うの?」
「ぐふぅ!!」
「かはぁっ!!」
ジュリスとラーシェががイチャイチャするシーンが脳内再生される。
脳が焼き切れるようなメンタルダメージにメリッニとソールルはテーブルに突っ伏してしまった。
「うう……2人とも……起きて……起きてよ……。ダメだ……誰か……誰か相談にのってくれそうなのは……」
彼女は飲まなかったドリンクの代金をテーブルに置いてヨロヨロとパーラーを後にした。
涙は止まったがぐったりしてしまったラーシェ。
暗い気分で街を歩いているとたまたま買い物袋を抱えたアイネに遭遇した。
「ふんふんふ~ん♪ おわぁっ!!」
反射的に彼女に抱きつかずには居られなかった。
「アイネぇ!! アイネェーーー!!!! うえ~~~~ん!!!!」
普通の人ならたじろぐところだが、アイネは優しく彼女を抱きしめた。
「はいは~い。ラーシェさん、どうかしたんですか~。泣いてちゃわかりませんよ。ウチはお父さんとお母さんがいますから、ラーシェさんの部屋でお話を聞きましょうか」
迷える彼女にとってその顔はまるで天使に見えた。
アイネに悩みを聞いてもらい、励まされた事によってラーシェはジュリスと向き合う勇気をもらった。
その結果、ラーシェは無事にジュリスとお付き合い前提のお友達ということでスタートを切ることが出来たのだった。
一方、うっかり助け舟を出してしまったメリッニとソールルのダメージは深刻で、食事が喉をとおらないほどだった。
当然、ラーシェは心配したがなぜ2人がいきなり調子を崩したのかはわからずじまいだった。




