記憶を追うあの娘のトラウマ
フレリヤは自分の正体を知るウルラディール家の者が向こうからやってきたと聞いてドキドキしていた。
ボルカが優しく声をかける。
「大丈夫よ。フレリヤ。元は仲間だった人たちなんだもの。そう身構える必要はないわ。ただし、無理にあなたから記憶を引き出そうとすると苦しむことになるかもしれない。私がその間に入ってあなたのフォローもするわ。だから大丈夫。安心して」
とはいえ、フレリヤの表情はややこわばっていた。
過去の自分と向かい合う事がこんなに怖いことだなんて思いもしなかったからだ。
気づくと2人はファネリ教授の部屋の前に着いていた。
「じゃあ、私が先に入って少し話をしてくるわ。呼びに来るから待ってて」
猫耳たぬきしっぽの亜人の少女はじっとり汗をかいていた。
「うっ、この部屋、煙たいわね……。いくら健康に害がないマギ・シガレとは言え限度ってものが……。あ、すいません。あなた方がウルラディールのえっとレイシェルハウトさんとサユキさんで間違いないですね?」
ちびっこお嬢様と長身美女は揃って首を縦に振った。
「私、希少生物保護官兼、当校の教授のボルカです。希少生物だからといって過保護に閉じ込めるのには反対派でして。ですから出来れば今回の亜人の娘はあなた方の元へ戻るのが一番だと思っています。ですが……」
「ですが……?」
サユキが怪訝な顔をして反芻した。
「彼女は……記憶喪失なんです。それも重度の。過去の記憶に関係することに触れれば触れるほど精神的ダメージを負ってしまう。また、ここに流れつくまで彼女に何が起こったのは私にはわかりませんが、心的外傷(PTSD)も併発していると思います。だから、自分にとって苦しい記憶を掘り下げようとすると酷く苦しむのです。夜な夜なうなされていますし、よっぽど辛い目にあったのでしょう」
それを聞いて彼女を知る2人は目線を床に落とした。
「約束してください。彼女が苦しみだすようであればすぐに面会を止めることを。彼女はもうあなた方の知る娘ではない。フレリヤとして毎日を平和に過ごしているただの少女なのですから……」
亜人の娘に会える。そう聞いて心躍ったレイシェルハウトとサユキだったが、思いもせぬ事態に戸惑いを隠せなかった。
「しかし、かといってあなた達をシャットダウンするだけでは何の解決にもならない。それに、フレリヤが知りたいと思っている自分の過去を閉ざす事になってしまいます。フレリヤは離れていてもすぐにお二方に敏感に反応しました。これは会わせてみるべきだろう……と。長くなりましたね。今からフレリヤを連れてきます。くれぐれも言われたことは守ってください」
ボルカは両手扉の片方を聞いてあけた。
するとソロリ、ソロリと大きな体格で猫の耳、たぬき尻尾の少女が現れた。
キョロキョロとあたりを見回している。やがてこちらに気づくとボルカに連れられて大幅のソファーに座った。
それに向かい合うようにウルラディール家の娘たちはイスにすわって向かい合った。
最初に話しかけたのはフレリヤだった。
「こんにちわ。ん~、あ~。あなたらが指名手配のウル……ナントカ家の人ってこの人ら? 全然、似顔絵と違うじゃん。う~ん、ピンと来ないな~」
長いこと会っていなかったがそれは紛れもなくパルフィーの声と仕草だった。
記憶喪失とは言え、元気で生きていてくれることに感謝して2人は泣きそうになった。
「パルフィー!!」と叫びたいのを我慢して優しくサユキが声をかけた。
「フレリヤさんですね? 元の名前は覚えていますか?」
とりあえず声をかけてみると思いもしない反応があった。
フレリヤが耳をピンと立たせてパタパタと頻繁にはためかせ始めたのだ。
「ん? おっ!? こ、この”声”は……」
少女の視線はぐるぐる回るようにせわしなく移動していた。
「……もしかして、声に反応しているんじゃなくて? ね? パルフィー」
レイシェルハウトも覗き込むように一言かけてみた。
するとフレリヤは思わず頭を抱え出した。
「おお、おおお!!!! この声、聞いたことある!! 見た目は全然わかんないけど、この人ら、間違いなく知ってる人だよ!!」
聴覚が敏感な彼女は声で人物を把握しているところも多いらしいとは知っていたが、予想以上に人物と声を結びつけていたのだ。
「雪の降るおっきな屋敷……真っ赤な髪の女の子に……白いワフクに黒髪の……」
ポツポツと自分の記憶を確かめるように少女は語りだした。
「お、お、おお嬢に……サ、サ、サユキ…………?」
引き続き声をかけ続けようとした2人をボルカが止めた。
「待って。ここからは本人に任せないと負荷を与える可能性があります。聞きに回ってください」
亜人の少女は頭をかかえたまま記憶の軌跡を追い始めた。
レイシェルハウトとサユキの声が呼び水となって徐々(じょじょ)に彼女の記憶は戻りつつあった。
「そうだ……あたし、人をムシみたいに殺してたよ。野盗とか山賊とかさ。で、でっかいゴーレムとかと戦ったりしてさ……。月日輪廻っていう人殺しの流派……あたしを追ってきた連中はそのことを言ってたんだろうな。忘れもしない」
まさか流派の名前まで出てくるとは思わず、聞き手の3人は驚いた。
「色々あったけど、あたしが人殺しなのは思い出した。それは揺るぎない事実……。そんなサイテーな思い出、いらないよ。いや、今はもうそれはいいや。そんでもって、確か……。あたしとそこの2人のリジャントブイル行きが決まってあたしと……あたしと……」
突然、彼女がくちごもった。そして急に息を荒げ始めた。
「ハァ……ハァ……!! あ、アれんだ……アレンだ……。アレンダなんだよ……」
ボルカにはわからなかったが残りの2人に衝撃が走った。
アレンダと言えば一緒に船に乗って逃亡を手助けした武家の娘である。
「ハァ……ハァ……!! お嬢達をライネンテに送るには船の風の石を壊す必要があって……。ハァ……ギリギリ間に合うかってところでアレンダがあたしを……。ハァ、ハァ。かばってくれて!! その時、アレンダは腕と太腿を食いちぎられて……ううっ!!」
フレリヤはギュゥっと頭を抱え込むようにして大きく前にかがんだ。
「ああああっ!!!! 痛いッ!!!! 体が裂けるッ!! ……あたしが殺してきた連中もこんな気分だったんだろうか!? ……うああああッッッ!!!! ああああああああ!!!! 体がちぎれるぅぅ!!!」
おそらく彼女の中で風の結晶石の起こす衝撃、斬撃に巻き込まれた瞬間がフラッシュバックしているのだろう。
彼女のこれほどの爆発的な記憶と感情の発露をボルカは今まで観測したことがなかった。
だが、荒っぽい亜人などでは珍しくない事だったので、彼女は手際よく鎮静剤を取り出してフレリヤの二の腕に注射した。
激しく喘いでいた荒い息遣いが治まっていく。
様々な感情が入り乱れてフレリヤの顔はもうぐちゃぐちゃだった。
ボルカは震える亜人の少女の背中をさすった。
「やはり起きてしまいましたね。記憶を取り戻すには相応の痛みが必要だとは思っていましたが……。私が反省すべきです。今後についてですが、緩やかに打ち解けながら心的外傷(PTSD)の治療が出来ればと思っていたのですが、これは厳しいかもしれません。彼女にとってこれ以上の過去を辿るのは苦痛にしかならない可能性が高いです」
それを聞いていた面会相手の2人は黙り込んでしまっていた。
「それに、あなた方はあわよくばフレリヤを再び戦力として数えようなどと考えていたのかも知れませんが、今の彼女にそれは酷です。こんな状態で戦っていたら心が壊れて、本当にただの人殺しになってしまうでしょう。彼女のことを真に思うのならこれ以上、深入りしないことです。元の環境に戻す努力をするとはいいましたが、これは例外です」
それを聞いたレイシェルハウトはすくっとイスから立ち上がって深くお辞儀をした。
それを追うようにサユキも席を立って頭を下げた。
「ボルカ教授。今回の面会、本当にありがとうございました。それにパル……いや、フレリヤさん。思い出したくないことを無理に思い出す必要はないと思います。特に我々とつるんでいると今後ロクなことがないのは目に見えています。ですから私達の事はきっぱり忘れて、ここでお友達みんなと楽しく過ごしてください。かつての親友としては一番それを望んでいますから……」
声が震えているのに気づいてサユキがお嬢様の顔を覗き込むと彼女は顔を真っ赤にしてしゃくりあげていた。
思わずサユキの頬にも涙が伝った。
かつて生き死にを共にした相棒がこうなってしまっていては、ショックを受けるなというのが無理な話だった。
だからこそ、いつものように彼女らしく笑っていてほしい。
そうレイシェルハウトとサユキは望んで部屋を去った。
「ハァ……ハァ……フゥ……。……なぁ、ボルカ。本当にあれで良かったんだろうか? トラウマが浮かんでくるのは死ぬほど辛いけど、あたしはまだ知りたいことがあるんだ。私達じゃわからないことだらけじゃないか。それに見たか? あの2人のあんな悲しそうな顔。自分で言うのもヘンだけど、よっぽど愛されてたんだと思うよ。本当に、本当にこれでお終いでいいのかな? あたしは……あたしは……」
ボルカは無言のままフレリヤの後頭部をポンポンと撫でた。
「あたし、難しいことはニガテだし、何が正しのかもわからない。それでも、それでも考えてみることにするよ。いつもみたいににっきをつけながらさ。にっき……にっきか。きっとここで投げ出したら死んだじっちゃんが怒ると思うんだよな。書きごとをして心を落ち着けろって教えてくれたのもじっちゃんだしな。あたしの……あたしのせいで死んじゃったけどさ……」
フレリヤとしての記憶はじっちゃんが長老の村から始まった。
名付け親もそのじっちゃんである。
だが村はパルマーの樹の密猟者と月日輪廻の弟子に襲撃された。
じっちゃんを含め、多くの人が死んだ。
もうこの時点でフレリヤは自分が秘めている暗殺の才能に気づいていた。
それでも騙し騙しここまで来たが、蘇った記憶は吐き気を覚えるほど鮮明だった。
せっかく仲間に会えたのにこんな目に合うとはどんな仕打ちだとボルカは彼女を哀れんで、口をふさいですすり泣いた。
それでもフレリヤの耳には背後からボルカの泣き声が響くのだった。
「ねぇパルフィー。今晩は雪山のロッジでなく、私と一緒の部屋で寝ましょうか。こんな状態のあなたを放ってはおけないわ」
亜人の少女は瞳を閉じてゆっくり首を縦に振った。




