エンゲージ・チョーカーの行方は
「ではこの『エンゲージ・チョーカー』をお互いの首につけ、永遠の愛を誓っていただきます!!」
式のクライマックスに向けて熱を帯びてくる。
神官が箱を開けると男性用と女性用の漆黒の首飾りが1つずつ用意されていた。
この後、チョーカー交換から誓いのキスに移り、退場で式は終了する。
チャンスはチョーカーをつける前、新郎新婦が向かい合うその時だった。
厳かな雰囲気で静まり返った会場に怒号のような名乗りが響き渡る。
「待たれよ!! 我の名はカルバッジア!! その娘、気に入った。私が買おう!!」
大声を上げながら立ち上がった者に注目が集まった。
「あにぃ?!」
ラーレンズは苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけてきた。
「聞こえなかったのか? その娘を私が買うと言っているのだ!!」
女性陣から黄色い声援が飛んだ。
ファイセルはそのまま胸を張って通路の真ん中を歩き、舞台へ迫った。
ボディーガードがすかさず行く手を阻む。
だが「潰しに来た」と告げると大人しく引き下がった。
突然の出来事に式場は騒然としたが、すぐ会場中から大歓声と煽りが聞こえる。
ファイセルは舞台に上がってラーレンズと対峙した。
「小僧~、ふざけるなよ。貴様、どこの者だ」
富豪になりきった少年は自信を持って返した。
「北部の祖父の遺産を元手に、こちらで実業家をやっている。始めて間もないので貴君が知らないのも無理は無い」
そのまま一気に畳み掛ける。
「それにしても貴君にはデリカシーというものは無いのかね? 自分の紹介ばかりで肝心の花嫁の紹介が全くない。レディに敬意も払えないのかね?」
どんどんラーレンズの顔が険しくなっていく。
「それに、来客を追い払うとはどういうことだ。食事は皆で楽しく食べるものではないのかね? 見返りのない者とは食事できないのかね?」
中年の富豪は今度は顔を真っ赤にして怒り始めた。
「そもそも貴君に関していい噂を聞いたことがない。なんでもかんでも金で動かせると思っているならそれは大きな間違いだ!! 特に人の心は金では買えないッ!!」
普段威張ってばかりのラーレンズが徹底的にこき下ろされる様を見ることが出来た。
それがまた爽快で式場全体が歓声や叫び声やらで包まれた。
リーリンカの様子を見ると開いた口に手を当ててひどく驚いているようだった。
(ふふふ、これ僕だって気づかれてないんだろうなぁ。そりゃ驚くよな)
ファイセルは思わず意地悪な笑みを浮かべたが、ノダールの下の表情が覗かれることはない。
「おい、銀行屋呼べやぁ。買うっていうからにゃ大層な額払ってくれんだろうな? アァン!?」
ガラの悪い富豪はガンを飛ばしてきた。すごみながら脅しをかけてくる。
「てめぇ、よくも散々泥ぉ塗ってくれたな。当然、俺を誰だとわかっててツブしかけてきやがったんだよなぁ?! タダじゃすまねぇと思え。末代まで俺にツブし仕掛けた事を後悔させてやるよ!!」
しばらくするとガードマンの男に銀行員のお姉さんが引っ張られてきた。
「ちょちょっ、出張業務はしますからどうかお手柔らかに……」
ファイセルは男に近づいて手を払いのけた。
「痛そうにしてるじゃないか。手を退けるんだ」
ガードマンは不満そうな顔をして離れていった。
こうしてファイセルの婚潰しがいよいよ始まった。
(あとはこいつが1000万以下の請求をしてくるのを願うしか無いな)
ファイセルはじんわりと汗をかいていた。
「んじゃ、まず一番カネがかかってるとこから行くか。花嫁の一族にくれてやった分が400万はあるぜ」
少年は涼しい顔をして400万振り込んだ。
「えー、ええっと。カルバッジア様からラーレンズ様に400万振り込みました」
「あ、アァン!?」
ラーレンズは思わず目をパチクリさせて口座を確認した。心なしか動揺している。
「つ、次にだなぁ、結婚式場の設営や、街の装飾に300万はかかってんな。どうだ? もう払えねぇだろ!?」
ファイセルは少し焦ったが、ここで弱みを見せると負ける。
またもや何食わぬ顔で300万振り込んだ。
“―ラーレンズ・ジッパ サマ 300,000シエール カルバッジア サマ ヨリ ニュウキン”
「ほ……ホントに振り込まれてやがる。こいつ、狂ってやがるぜ……」
ラーレンズの勢いに明らかに陰りが見えた。
だが、これならどうだと言わんばかりに請求を続けてきた。
「まだだ。最高級のエンゲージ・チョーカーはセットで200万はしたぞ!!」
カルバッジアはラーレンズを睨みつけた。
「それで、最後か? 振り込んでくれたまえ!!」
ラーレンズの口座に合計900万シエールが振り込まれていた。
「畜生!! てめぇ、ホントにイカれてやがる!! そんな小便臭いガキに900万も払うなんて正気じゃねぇ!! へ、へへへ。だがよ、元手は十分もらったからな。そんなガキくれてやる!! 好き勝手にしろ!!」
ラーレンズはそう捨て台詞を残して逃げるように立ち去った。
大金を手にしたものの、こんな大恥を晒してたのだ。
ラーレンズは今までの暴君のような生活は送れないだろうと誰もが思った。
潰しには成功したようだがまだ緊張のせいで心臓がドキドキしている。
これで一段落ついたろうと一安心していると背後の神父から声がかかった。
「あー、えー、では。気を取り直して、エンゲージ・チョーカーの交換です。新新郎の方は新婦と向い合ってください」
少年の顔が引きつる。
ファイセルは今頃になって婚つぶしは結婚式ごと丸々買い取ってしまうことだと思いだした。
リーリンカを解放することに必死になっていて、大事なことをすっかり忘れていた。
(えっ!? って事はこれは僕とリーリンカの結婚式になるのか!? ちょっとちょっと……それは……)
「あの……新郎さん? 早く向い合ってくれませんかね?」
そこにはぎこちなく力の入った美少女が立っていた。
向い合ってすぐに素性を伝えればリーリンカが止めに入るだろう。
そうファイセルは踏んで大人しく定位置についた。
「リーリンカ、僕だよ僕!! わかるだろ!? 僕だよファイセルだよ!!」
声に出すとリーリンカがさきほど以上に驚いた様子で見つめてくる。
聞き慣れた声にすぐにノダールの中身がファイセルだと気づいたようだった。
「ファイセル……? お前、ファイセルなのか!!」
驚きのあまり彼女の目が見開かれた。そしてすぐに涙をこぼし始めた。
彼女は次々と流れるその涙を指で拭った。
しばらくして、落ち着いたのか満面の笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと!! いや、だから買ったのは結婚式だけど、これは結婚式ではなくて、ラーレンズの結婚式を……」
ファイセルは焦ってしどろもどろになってよくわからない事を言った。
「わ……私は……私はまんざらでもないんだけどな」
リーリンカはチョーカーを手に取り、背伸びをしてファイセルの首に迷いなくはめた。
「え? えええええええ!?」
いきなり首に婚姻の証であるチョーカーをつけられてファイセルは頭が真っ白になった。
頭がついてこない。
「レ……レディに恥をかかせないでくれよ……」
彼女は今まで見たこともないような女の子らしい仕草でモジモジしている。
ファイセルは完全に狼狽していたた。
しかし、とりあえずこの場だけは取り繕っておかないと婚潰しが成立しない。
震える手でチョーカーを受け取り、下を向きながらリーリンカの首にはめた。
「両者、夫婦の契りのチョーカーを交換しました。それでは、誓いのキスを」
神父が声をかけるとリーリンカは瞳を閉じた。
ファイセルは意を決して身長が低いリーリンカに合わせてかがみ、やさしく口づけした。
始めてのキスだったので不器用さが丸出しだった。
彼女は目をうるわせ、涙を浮かべてこちらを見つめながらささやいてきた。
「ずっと前から好きだったのに……気付かなかったお前が悪いんだぞ……でもまさか、こんな事が起こるなんてな。私は夢でもみているのかもしれないな……」
そう告白されても今のファイセルはひどく混乱していて全く状況についていけていなかった。
その直後、ファイセルは男性陣に引き込まれ、わけもわからぬまま何回も胴上げされた。
親族だけでなく、参加していた者たちからもよくぞラーレンズを叩きのめしたと賞賛の声が雨あられとかけられた。
一方のリーリンカの方は彼女の両親らしき2人が喜び、おいおいと泣き声を上げていた。
他の親族や友人たちも安堵感からか彼女と抱き合いながら泣いているものも何人も居た。
皆、リーリンカが買われていくことにやるせない無力感と良心の呵責があったのだろう。
その様子を見て、ファイセルはここまでやった甲斐があったなと実感した。
これで協力してくれた師匠やアッジル夫妻に報いることも出来たなと思える。
自分はというと気づけばテーブルに座らされていて食事やら酒やらを目の前に置かれた。
「新郎、カルバッジア殿に栄光あれ!! まずは軽く一杯!! 最高級のロロの実の酒です!!」
見知らぬ貴族にコップいっぱい酒を注がれた。口にしてみると喉が焼けるような感覚に襲われた。
(きっつ~!! こっ、これはバリバリの古酒じゃないか!! しかもかなり度数が高い!!)
東部はアルコールに強い人が多いとは噂に聞いていたが、まさかこれほどの度数の酒をコップ一杯も飲むなんて考えられなかった。
「申し訳ない、私、下戸でして」
そう宣告するとすぐに別の飲み物が出てきた。
「あ~、じゃ甘いのとかはどうです?」
こちらはジュースのような甘さで、新酒のようだった。
一杯ぐいっと飲むと周りの男性陣から大きな歓声が上がった。
「おお!! これはプルッシェ・ティッシアというお酒です。全然下戸ではないですね!!」
酒と言われたが、酔いも来ずにただのジュースと変わらなかった。
ファイセルは全く意識せず、食事片手にその酒を飲んでいた。
しばらくすると物凄い眠気が襲ってきた。
いつの間にかテーブルに伏している自分に気づいた。
「――あー、つぶれてしまいましたな。ツブしにきたのにつぶれるなーんて」
「こういうところを見るとまだまだ酒の飲み方もしらんただの若造だな」
「下戸だと言ってるのに容赦がないですな」
「いや、プルッシェ・ティッシアなんてジュースみたいなものですし……」
富豪や貴族の波をかき分けて男性が2人やってきた。
「婚潰しの英雄にその態度はあんまりではないですかな?」
アッジルがファイセルに寄り添いながらぼやいた。
「大変失礼ですが、酒で新郎を試すなどとはあまり趣味が良いとは思えません」
リーリンカの父も不満な表情を浮かべながらファイセルの隣に立った。
2人の抗議を受けて、貴族や富豪たちは動揺しながら深く頭を下げた。
身分的に言えばこんな発言は許されないが、富豪の関係者となれば話は別だった。
アッジルとリーリンカの父は2人でファイセルの腕を支えてそのまま退出した。




